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左の永琉、右の愛琉|連載版  作者: 酔夫人(旧:綴)


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第3話 「永琉さん、君に謝りたいんだ」

二話同時に投稿します。

「お帰りなさいませ、お義父様」


伸二が家に帰ると永琉が出迎えてくれたが、永琉に対する気まずさで返事が一拍遅れた。


「……ああ、ただいま」


視線を逸らして短い挨拶、そして小さな咳払い。伸二は足早にその場をあとにし、逃げるように自分の部屋に入る。ケホッと乾いた咳が出る。季節の変わり目のこの時期はいつもこうだ。



「お義父様、いまいいですか?」


伸二が寝支度を整え終えた頃、扉がノックされた。廊下から声をかけたのは永琉。こんな夜分に珍しいと思いながら「どうぞ」と入室を許可した。一真も一緒だった。


「金柑酒を持ってきました。お義父様の喉の調子が悪いようだと言ったらお義母様が持っていってあげてって」


(……よく気づいたものだ)


永琉の前では軽い咳払いを一回しただけ。今日会っていた元愛人の前では何度か咳をしていたが、彼女は一切気にしていなかった。


(別れ話をした男にかける気などないということなのだろう)


彼女の最後の挨拶はいつも通り「ごちそう様」と礼の言葉で、伸二が買った服の袋をいくつも抱えて満足そうにタクシーを降りていった。



「今年の金柑酒はお庭で採れた金柑を使って私が作ったんですよ。お義父様は甘いのがお好きだからって、氷砂糖多めに作るのがコツだと教わりました」

「……作った?」


伸二が濃い黄色の酒を振ってみせれば「それは去年のですよ」と永琉は笑う。


「それはお義母様が去年漬けたんです」

「十和が?」

「お義母様はお義父様のお母様から教わったそうですよ」


それは伸二が初めて知ることだった。実家にいたときに飲んでいた金柑酒と同じ味だったから、てっきり同じメーカーのものを買っているのだとばかり思っていた。


(十和が、母に教わって……)


 ◇


伸二と十和の結婚は政略的なものだった。


本家の高松家には一人娘の十和しかおらず、分家から婿養子をとることに決まって白羽の矢が立ったのが伸二だった。ただ、それだけの縁。


歴史ある老舗の百貨店『松花堂』の次期社長として伸二は義理の父親について必死に仕事を覚えた。そして仕事に慣れを感じはじめた三年目、義父が教えたのは『愛人』だった。


相手は義父の愛人が営むクラブにいた若いホステス。


義父の紹介だから断れなかったなどと綺麗ごと。義父を始めとして周りの男たちは『浮気は男の甲斐性』という考えで、浮気も酒と同じお付き合い。伸二は特に何も考えず愛人と関係をもった。時間や体といった愛人の提供するものに金を払う感覚で、情を交わすことなく愛人は定期的に変わった。今まで何人いたかなど愛人の数を数えたこともなければ顔も名前も禄に覚えていないが、この最初の愛人だけはぼんやりと覚えている。最初だったからというのと、なんとなく切れ長のつり目が十和に似ていたから。可愛く甘えてくる感じが十和とは違うなと思ったから。



愛人の存在に十和が気づいていることに伸二は気づいていたが、十和が何も言わないことをいいことに自由に浮気をしていた。義父の大っぴらな浮気を黙って受け入れる義母をみて学んだのだと思い込んでいた。



息子の一真が生まれたあと、十和は二人目を妊娠したが流産してしまい、それが原因で十和は子が産めない体になった。そうなって十和は初めて愛人のことを口にした。


もう私に構う必要はないから愛人をきちんと躾けろ、と。


聞けば何年も前から伸二の愛人たちが家にきては十和に対して「松花堂の跡取りは私が産むから出ていけ」と言っていたという。高松家の跡取りは十和であり伸二ではない。ただ愛人たちにそれを教えたことはなかった。ただの愛人にそこまで説明する義理はないと、伸二が面倒がっていたツケを十和が払っていたことをこのとき知った。


そのことを恥じる思いと妻の冷たい目に耐えられず伸二はあまり家に帰らず、愛人と過ごすようになった。十和はそれを気にする様子みせず、表立つときだけは仲睦まじく振舞う仮面夫婦になった。



一真の婚約について話がしたい、と家に帰ってくるように初めて言われたのは一真が小学3年生のとき。


「話しがしたい」と言って呼ばれはしたがすでに決定したことを聞かされただけだった。一真はもうすでに永琉と会い、一真自身も悪い感じではなかったとのこと。婚約と言ってもまだ内定の許嫁。婚約は永琉が16歳になったら。結婚は永琉次第だが高校卒業後か大学卒業後を考えている。このように全てが決められていた。


このときは気づかなかったが、自分が一真の婚約に一切かかわれなかったことに、父親としての権利を奪われたことに伸二は腹を立てていた。自分が愛人宅に入り浸り、父親としての義務を放棄していたことはすっかり棚に上げていた。


でも腹を立てていたことに気づいたのはもっとあと。


一真が永琉ではなく愛琉と結婚したいと言ったとき、反対する十和に溜飲が下がる思いをしたとき気がついた。だから伸二は一真に味方した。愛琉がいいと思ったからではない。確かに可愛い子だとは思っていたがそれだけ。理由は十和が反対したから、伸二にとっては十和への仕返しだった。


十和は腹を立てたが一真が先に梅宮家に婚約の変更を願い出ていたし、なによりも永琉本人が身を引いたこともあって一真の婚約者は愛琉になった。


好きな女の子を婚約者にできたことで一真は嬉しそうだったから感じた罪悪感や不安に蓋ができたが、最初の数年が過ぎてかつての自分のように仕事に逃げる一真を見たときその蓋は開いた。一真が愛琉と上手くいっていないことに気づいが伸二はどうすることもできないし、仕事をしているのだから文句のいいようもなく、相談もされなかったため結局は放っておくことになったが。


逃げるように仕事に取り組んでいた一真がどこか楽しそうに見えるようになったのは2年ほど前からだった。


その原因に伸二はすぐに気づいた。

先代当主の葬儀のあとこの街に戻ってきた永琉だった。



永琉は生真面目でよく働いて周囲の評判もよく、高松家や松花堂の未来のことを考えたら永琉のほうが一真の花嫁に相応しかった。伸二が好感の持てる永琉のいいところは一真にとっては女性としての魅力にもなり、一真が永琉を恋慕の目で見ていることに気づいた伸二は「やはり」と思った。


結果論といえば結果論なのだが、世間の評価も一真の恋情も結局は永琉に向いて、伸二にはその事実が「十和が正しかった」のだと声高に主張している気がしてた。気がしてしまった。だから――。


―― どうして愛琉ちゃんじゃないんだ。


その苛立ちを伸二が永琉に向けてしまった。



 ◇



結婚式の3日前、永琉が突然高松家に来た。


永琉の訪問理由は梅宮側の不始末で愛琉が一真と結婚できなくなったことへの謝罪。愛琉が一真を裏切り他の男の子を身ごもったことを永琉が謝罪し、愛琉の代わりに自分が高松家の嫁になることで許してほしいと永琉は頭を下げ続けた。


(ただの八つ当たりだ……本当に、永琉さんには申し訳ないことをしてしまった)



愛琉が結婚できなくなったことについて、永琉が謝罪するいわれは一切ない。


両家の結婚は一種の契約。それを反故するなら、あの場で頭を下げるのは梅宮の当主夫妻であるべき。本来なら伸二はそこでそれを指摘し、永琉の頭を上げさせるべきだった。


梅宮家が返済できないほどの借金を背負ったのも永琉の知らないところでの話。


この街に戻ってきた永琉は白梅庵で働いていたが役職等はなく、梅宮の姓を持つ一従業員でしかなかった。家だって店の隣の実家ではなく、三駅も離れた街のアパートで一人暮らしをしていた。



(それなのに……婚約の約束を破った一真に対して、高松家に対して、愛琉さんの代わりに自分で我慢してほしいなどと言うなんて……さぞ屈辱だっただろう)


伸二の中から後悔が湧いて出てくる。

それには永琉への後悔だけでなく、十和への後悔も混じって。



――― 離婚しましょう。


そういった十和の晴れ晴れとした表情は、十和への後悔を一層苦くする。


妻に愛されていると思うほど伸二は図々しい男ではなかったが、このまま変わらず結婚生活が続いていくと考える程度には図々しかったのだと伸二は自覚した。



(この先の人生にしたいことがあるとすれば、永琉さんへの謝罪だろうな)


式場で暴漢に襲われた永琉は心を壊し、伸二と一真の前でだけ『愛琉』になる。


しかし、永琉が愛琉になるわけがない。もともと容姿がよく似ていたところに、声と表情を似せられるとさらによく似てみえるが、それでも二人の違いは直ぐに分かる。


(もともと二人は性格が違い過ぎるし離れていたから永琉さんの知らない愛琉さんも多いのだろう)


「お義父様、お味はどうですか?」


そういって伸二の反応を伺うのは『永琉』だった。


永琉は愛琉の全てを知っているわけではないから、愛琉になりきれないときもあるのだろう。永琉がどうやって心で折り合いをつけているかは分からないが、永琉が知らない愛琉のときは『永琉』のまま。


(そもそも愛琉さんが私のために金柑酒を作ってくれることもないだろう……ああ、だからか)


伸二は永琉の背後、壁に寄り掛かってこちらを見ている一真がここに来た理由を察した。いま『永琉』を見ている一真の目には愛しさしかない。


(この一瞬のために一真はここに来たのか)



耐熱グラスからのぼる金柑の優しい香りは、ただ甘いのではなく、軽く苦みを感じさせる。でもそれが柑橘系独特の爽やかな香りに奥行きや深みを持たせている。


奥行きや深みは人間の成長と同じ。


幼子の時期が過ぎれば何でもかんでも『可愛い』ですむわけがない。社会の一員としてそれなりの責任が生じ、ときには苦労する。苦労は誰だって辛いし、辛ければ笑顔でもいられない。


(私も辿ってきた成長過程だ……なぜそれを忘れていたのだろう)



愛想よくいつもニコニコしている愛琉を伸二が可愛いと思っていたのは事実。でもそのニコニコの裏を知ると複雑だった。あんな風にいつでも可愛くいられたのは、愛琉が責任を果たさず全て永琉に押しつけてきたからだ。


他の男の子どもを身ごもったことすら愛琉はその無責任を永琉のせいにした。



金柑酒を飲めば、乾いてヒリヒリする喉を金柑酒がゆっくり癒していった。


自分の母から作り方を教わった十和が昨年漬けた金柑酒は、伸二の好みに合わせて砂糖を多めにしていると聞いたが、後悔ばかりの伸二にはひどく苦く感じた。


「お義父様?」


(その苦みは私の所為。それを可愛い義理の娘に言うことはない)


「甘くて美味しいよ」


その言葉に満足したのか『永琉』は消え、現れたのはニコニコと笑う『愛琉』。伸二が一真を見れば、一真は悲し気に瞳を揺らしていた。



「ありがとう、永琉さん」


永琉の主治医である播磨医師は積極的に永琉の名を呼ぶようにと伸二と一真に助言した。「永琉であること」を認識させることが最も大事とのこと。


ただ人の心は目に見えないから、どんな効果があるか分からない。効果がないかもしれない。何も変わらないままかもしれない、そのことは理解しておいてほしいとも言われている。


(それでも一真は永琉さんを待っている)


 ◇


「父さんが急に身辺整理を始めるもんだから、死期が近いんじゃないかと皆が心配している」


永琉を先に退室させて一真が突然言い出したことに伸二は呆れた。


「死ぬ予定はない」

「それならよかった」

「だが近いうちにお前に社長になってもらいたいとは思っている」


伸二の意外な言葉に、一真は首を傾げた。


「母さんと離婚するの?」

「離婚は……どうかな。離婚にもそれなりにエネルギーがいるから」


人生の半分以上を夫婦でいればそれなりに(しがらみ)もある。離婚はそれを断ち切るだけのエネルギーが必要で、離婚するかどうかの権利を伸二に渡した十和にはそのエネルギーすらない。


(そうしてしまったという後悔はあるが、それでも謝罪は……)


伸二は一真を見た。


「一真……すまなかったな」

「何への謝罪?」


一真は少し驚いた顔をしたあと笑った。その大人の男の顔と無感情の質問に、思い浮かぶ答えは伸二になかった。


「いろいろ、全て引っくるめて」

「雑だなあ……でも、気持ちは分かるよ」


永琉が出ていった扉を一真はじっと見る。


「俺じゃなくて母さんに謝りなよ、謝れるうちにさ」

「謝ったら即離婚な気がして……躊躇している」


「馬鹿だなあ、いろいろと」

「お互いにな」

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