5話・恋人だった彼は、とんでもない男だったようです
「酷い話だな」
憤りを含んだ声で我に返った。私は留めもなく心にくすぶっていた想いを吐き出していたらしい。それを聞いてくれていたノアールが怒っていた。彼は新郎の伯父と知り合いだと言っていた気がする。私はとんでもないことを打ち明けてしまったのでは……と、気になってきた。
「彼のことなど気に掛ける必要もない。忘れてしまえばいい」
「ノアールさん」
彼の顔には、嫌悪が見て取れた。ノアールはフィエロに詳しいようだ。
「あの、ノアールさんは、新郎の知り合いのようなことをおっしゃっていましたが、フィエロとはどういったご関係で?」
「彼の大伯父と私の父が知り合いだ。彼のことは人づてに聞いていてね」
渋面を作る彼を見て疑問が湧いた。今日の挙式は盛大なものだった。花嫁と花婿の親族も大勢招かれていた。
「じゃあ、結婚式にはフィエロの兄弟たちはいらしてなかったのですか?」
「彼には事情があって国を出ているから、親族も出席していないと思う」
「じゃあ、新郎の親族席にいたのは……?」
「見知らぬ者ばかりだったから、お金でも渡して頼んだ仕込みの客だろう」
「……!」
フィエロが私に話してくれていたことは噓だったの? なかなか家に帰って来ない父親を捜して彼はこの国に来たようなことを言っていた。披露宴会場に彼の父親の姿がないのは当たり前のように思っていたけど。
ノアールの話口調から、彼が嘘を言っているようには思えなかった。そうなると、フィエロが国からいなくなった理由が知りたくなった。
「フィエロはどうして国を出ることに?」
ノアールは一瞬、気まずそうな顔をした後、知りたいのか? と、聞いてきた。私はフィエロに対して疑問が湧いてきたので頷いた。
「詳しいことはよく分からないが、聞いた話では彼には婚約者がいた。本人も幼い頃から相手と仲良くしていたが、ある日突然、相手の女性が理想に合わないとかで婚約破棄を言い出したそうだ」
フィエロに婚約者? 新たな事情が知れて驚いた。考えてみれば、貴族の子息ならば幼い頃から婚約者がいても当然だ。マリアナお嬢さまの場合は、旦那様がゆくゆく婿を取らせるから、まだ幼いうちから相手を定めたくはないと、母が言っていたような気がする。
「相手の方は相当、傷ついたでしょうね。いま、どうしているのですか?」
「初めのうちはショックを受けていたようだが、彼女を心配した相手がいて、その者が頻繁に屋敷に通い慰めているうちに、だんだん仲が深まって婚約した。今では二人仲良くしているよ」
私の恋した相手はとんでもない人だったみたいだ。幼い頃から婚約していた相手を、自分の好みではないと一方的に婚約破棄しただなんて。元婚約者の女性はどれだけ傷ついたことだろう。不憫に思われた。
でも、フィエロの元婚約者が幸せをつかんだことは素直に良かったと思えた。
「だからあいつのことなんて忘れてしまえ」
「はい」
フィエロが過去に仕出かしたことを聞いたせいか、いつの間にか彼への想いは霧散していたようだ。心の中は凪いでいた。きっとノアールが私の話を聞いて、自分のことのように怒ってくれたせいもあるだろう。もう、フィエロのことはどうでもいいような気がしてきた。
「自殺しようとしたのを止めて下さってありがとうございます。ノアールさん。あなたのおかげで目が覚めました」
「それは良かった。では帰るか? 送るよ」
ノアールは優しかった。初めから彼のような人に恋をすれば良かった。フィエロなんかに好意を抱いていた自分が恥ずかしい。
──男性を見る目がないのね。わたしって。
ノアールと肩を並べながら歩きだした後には、先ほどまで私が立っていた場所に真珠色に輝く小さな粒が残されていたが、それに私は気が付くことはなかった。
浜辺を出て屋敷へと向かう中で異臭を感じた。何かが燃えているような匂いがしてくる。何だろう? 何の匂い?と、思いながらも屋敷のある方向へ足を進めると、その焦げ臭い匂いが強烈に感じられて、視界に白い靄のようなものが見えた気がした。
「煙? 何かあったのかしら?」
すると前方で赤い炎が立ち上っているのが見えた。どこかで火事が起きたようだ。思わずノアールへと目をやると、彼も神妙な顔つきをしていた。まさかと思いつつも胸騒ぎがしてならない。
「──から火事だ!」
「駄目だ。火の勢いが激しい」
「逃げろっ。急げ──」
皆がこちらに向かって走って逃げてきた。我先にと逃げ惑う人々とすれ違いざま誰かにぶつかり、私はあることを思い出した。忘れていた遠いあの日のことが脳裏に蘇った。炎に包まれた塔。火の中でメーラさまは父と一緒に──。
「嫌だ──っ。私を置いて行かないで──っ」
「きみ、どうした?」
過去の記憶がふいに蘇って、その悲しい感情に支配された私は我を忘れた。目の前には父さん、メーラさまがいる。二人の元へ近づきたいのに、背中を誰かに抱き込まれて二人のいる向こう側へは行けなかった。
「父さん──っ」
「しっかりしろ! サーラっ」
私もそちら側へ行きたかった。二人と共に──。
「サーラ、サーラっ」
「待って。行かないで──っ」
「サーラちゃん、サーラちゃんっ」
無情にも二人の姿は掻き消えてしまった。すぐ目の前にいたというのに、二人と引き離すように炎の柱が立ってそれで──。
「サーラちゃん、しっかりおし」
「サーラっ」
誰かが私の名前を必死に呼んでいる。あの時と同じ声がする。どこかで聞き覚えのあるような気がしながらも私は意識が薄れていくのを感じていた。




