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39話・彼のことを愛していた



「海王さまは王弟が秘宝を盗み出して陸に上がり、自分の欲望の為だけに同族を捕まえて監禁していた。その中には海王さまの愛娘も含まれていた様で、事の真相を探り目に余るようならば処分して構わないとまで言い渡されていたようだ」

「不憫なお方ですね。自分の父親が引き起こした不祥事の後始末をする為に陸に上がって国外追放の憂き目にあうなんて」


「でも、それは表向きの話で、彼には海王さまからの処罰は与えられていない。不問とされている」


「それでも国には戻れないのでしょう? あまりにも……」

「非道など思うかい? 彼は意図せずに人間の体になってしまった。人間の体では海の国に入ることすらできない」

「……!」


 彼は別の生き物になってしまったから。と、ノアールは言った。人魚から人間の姿になってしまっては、人魚に戻ることは出来ないらしかった。



「それではあの人は、人魚の心を持ちながら人間として生きていくしかないのですね?」


 ノアールは黙って頷いた。彼に科せられたものは小さくなかった。彼は大きな代償をすでに払っている。今まで生きていた世界から切り離されて、別の世界で生きるしかない彼には息苦しい場所になるかもしれない。それでも元気に生きていて欲しかった。

 窓の外はいつしか暗くなり始めていた。遠くで雷鳴が聞こえたような気がする。


「雨が降り出したか。酷くならなければいいが」

「そうですね」



 窓に着いた雨粒が、馬車の揺れに合わせて流れていく。それは頬を伝う涙のように思えた。どこかで誰かが嘆いているかのような。または深い悲しみにくれているようでもある。あの日、何もかも喪って膝をついた彼の姿が忘れられなかった。


 彼のことを愛していた。彼に裏切られたと知っても、憎めそうになかった。私が彼と共にいた時間はわずかでも、楽しい時はあったし、未来を語るほど彼に気を許していた。あの頃の彼が私にかけた言葉に、嘘はなかったと信じたい。

 愛していたからこそ、深く傷つき、その傷は、今は生々しいけど、月日が経つたびに風化して癒されていくことだろう。それでも傷痕は残る。けっして消えたりしない。


 それがあなたから家族を奪ってしまった私から、たった一人になっても祖国に帰ることもできないあなたへの贖罪であり、不器用なあなたへの私からの餞別。例えあなたに憎まれることになろうとも、あなたには笑っていて欲しい。私は嘆きの塔を遠目に、心の中で彼と決別することにした。


──さようなら。フィエロ。元気で……。









 ノアールには、サーラに告げていなかったことがあった。

馬車の中から窓の外を眺める彼女の思いが、どこにあるかは何となく察することは出来た。そこには自分は踏み込めない聖域のようなものがあった。彼女が見つめる先に嘆きの塔が見える。その塔は何も語らずして、その存在を知らしめる。



 あの日、サーラが立ち去った後。彼は堰を切ったように語り出した。彼の素性については大体知っていた。元サボンドール大公フィエロ。彼とは浅からぬ縁があった。彼の大伯父と自分の父とは交流があり、その縁で彼と、自分の従妹が婚約していた。

 従妹は公爵家で大事にされて育った夢見がちな少女で、よく許婚の話は聞かされていた。彼女にとってフィエロは、自慢の王子さまだった。幼い頃から実の父親にしごかれて泣きべそをかいていた自分に、従妹はよく言っていたものだ。


「あなたのようなポンコツ王子じゃないのよ」


 従妹に比較されていた相手が、目の前で膝をついている。運命とは皮肉なものだと思えた。




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