38話・私がこうして生きていられるのはあなたのおかげです
「彼はどうなったのですか?」
「彼? ああ、シエン嬢の兄の? 彼は公の処分通りだよ。でも、国を出たと思う」
「そうですか」
「気になるのかい?」
「……私が彼の家族を奪ってしまった気がしてならないんです」
私はシエン達が消えた日から、罪悪感に苛まれてきた。あの日、謝りかけた私を彼は止めた。
──きみは悪くない。僕が……、いや、僕たちが決めたことだ。
悲しみにくれながらも、彼は淡々と事情を受け止めようとしているようだった。子爵の顔をした彼が一瞬、頭の隅へと追いやっていた彼と重なった気がした。
気落ちした彼に同情したせいか、子爵の姿をした彼をそう悪く思えなくなってしまった。中身はシエンの兄らしいから、見た目よりもはるかに若い男性だと思う。
「どうしてネレウスは、家族を捨ててまで人間になったのでしょうね」
「本人ではないからその辺りは分からないが……。もしかしたら彼なりの何か理由があったのかもしれない」
切ない思いをぽつりと漏らすと、正面から声が返ってきた。あんなにも素晴らしい妻や子供たちを捨てて、陸に上がった男は、私から見れば屑にしか思えない。あの男にとって家族とは何だったのだろう?
シエンは父親のネレウスが享楽的で、家に居つかなかったようなことを言っていた。大勢の愛人の元に通っていたと聞くだけで腹が立ってくる。その上、陸に上がってクラリーやマリアナと家族のように暮らしていたが、それは見せかけだったような気もしてくる。誰も幸せにはなっていない。
ネレウスのせいで皆が振り回されて終わった気がする。一体、ネレウスは何がしたかったのだろう? 金儲け?
ネレウスは、地上では人魚の涙には価値があると知っていた。それで一儲けしようとしたのかも知れない。でも、それだけだろうか? ボーモン子爵として行動していたあの男は、ぎらついた欲望みたいなものが透けて見えた。何か画策していたのではないかと疑いたくなる。ボーモン子爵の一件は終わったのに。何だかスッキリしない。
「ノアールは、陛下の命を受けてボーモン子爵家に来たのでしょう?」
「表向きはそうだけど、密命を受けていてね」
「密命って?」
「陛下はボーモン子爵から進呈された月華真珠に非常に興味を持たれて、その真珠がどのように生み出されているか調べて来いと言ったのさ」
この国ヴィジリタスは、美貌で知られるアルテミシア女王の収める国。女王には配偶者はいないとされている。ふと、思った。あの男は世にも珍しい月華真珠で女王の気を惹き、女王の王配の立場を狙ったのではないのかと。もしも、そうだとしたら、墓穴を掘ってしまったようだ。それにはノアールは気付いていないようだった。
「月華真珠は有名だが、生産工程が分からなくて不思議には思っていた。領民たちに聞いても、ボーモン子爵が管理していると言うだけで、誰も詳しいことを知らな過ぎた。月華真珠の加工は領地ではなく、他領で行っていたのは分かったが、月華真珠自体がどこから生み出されるのか全く分からない。領地を見て回っても養殖しているようにも思えないし、もしかしたら自然の産物ではないかと思った」
「それがまさか人魚の涙だったなんてね」
「君のおかげだよ。あの晩、君と出会ったから知れたことだ」
私にとっては、愛した男性とそれを奪ったお嬢さまとの婚礼の日。あの日、私は何もかも失ったのだと思っていた。世の中に絶望した。このまま生きていくのが辛く思われてこの世から消え去ってしまいたいと願った。
そこに現れたのがノアールで、彼の存在がなかったら私は今、ここにいない。
「ありがとうございます。私が今こうして生きていられるのはあなたのおかげです」
「きみが自分自身で乗り切ったからだよ」
お礼を言うと、ノアールは気まずそうに眼を逸らしながら、先ほどの彼のことだけど……と、言った。
「これは後で知ったことだけど、彼は海王さまから密命を受けていたようだ。」
「……密命?」




