35話・待って、逝かないで
「母さんの産んだマリアナは『あの男』の子供じゃないわよね?」
「あなたの言う母さんってクラリー夫人のことよね? 違うと思うわ。クラリー夫人が産んだ子は、恐らくあの男がなり替わる前のボーモン子爵の子だと思う」
それには少しだけホッとした。何となくだけど、マリアナがもしも、シエンの言う「あの男」とクラリーの間に生まれた娘だとしたら最悪な気がした。性格からしてあの男の娘だったとしてもおかしくはない気がするけど。
「サーラ。あの男があなたに迷惑をかけたばかりか、長いこと辛い目に合わせてきてごめんね」
「どうしてシエンが謝るの? 悪いのはあの男じゃない」
逆にシエン達の方があの男を訴えてもいいくらいだ。それなのに何故か、シエン達三人の顔色は悪かった。シエンは重苦しい表情を浮かべていた。
「あいつは……、あの男は私の父なの」
あの男の正体に、頭を金槌で殴られたような衝撃が走った。アコダやノアールを伺うと、彼らには分かっていたのだろう、平然としていた。
「私達はね、あの男に捨てられた家族なの。私、馬鹿だったわ。兄さんは何となく察していたようだけど、私が母さんのお腹にいる頃、父は屋敷を出て行ったそうなの。詳しいことは何も知らなかったけど、噂に聞く父は享楽的で、我慢が出来ない人。見た目が良いこともあって、言い寄る女性には事欠かず、屋敷を飛び出してからは大勢の愛人宅を渡り歩いていたそうよ。私は生まれてから一度も父に会ったことはないの。本人に会ったことがないから、どのような人なのか興味はあった。だからかもしれないわ。その気持ちをあの笛の音に付け込まれたのかも知れない。気が付けば陸に近づいていた」
「あなたの父上は、サボンドール大公家子息のネレウスさまですね?」
「はい」
ノアールは、シエンの父の素性に察しがついていたようだ。シエンの顔が歪む。
「今思うと軽率だったと思っているわ。あの笛の音に耳を貸さなければ良かった。そしたら母さんや、兄さんだってこんな目に合うこともなかった……」
「それは違う。あの笛には人魚を惹きつける力があった。抗えるはずもない」
「そうよ。そんなに自分を責めないで」
「母さん、兄さん。ごめんなさい。私のせいで……」
カルラや、シエンの兄は泣きそうになっているシエンの側に近づき、肩を抱きよせた。三人の仲が良いのは傍から見ていても良く分かった。それだけ三人の絆が強いように思える。母親や兄と抱擁を交わし合った後、シエンはこちらに顔を向けた。
「私達のしたことは許されることではないと分かっている。人を殺してその体を乗っ取ったのだもの。でもね、後悔はしていないの。あなたにこうして再会できたから」
「チイちゃん……」
「ごめんね。サーラ。本当は以前の姿で再会したかった。もっとあなたと話したかった。あなたと一緒にいたかった。でも──もう、お別れみたい」
「チイちゃん?」
彼女が悲しそうに目線を下げた。それにつられて目を向ければ、彼女の足元が消えかかっていた。
「何で? チイちゃん」
訳が分からない。思わず説明を求めて母だった人を見れば、彼女もまた足元から消えかかっていた。
「魂替えは一生のものではなく、一時のもの。魔力の多い王族男性とは違って、魔力が少ない私達では入れ替わっても数日しか持たない」
「そんな──。それを知りながら私の側にいたの?」
どうしてそこまで? と、思う私に消えゆく体で近づいてきたクラリーの顔したカルラと、マリアナの姿をしたシエンは抱きしめてきた。
「あなたに再び会えてよかった。私達にとってフィロメイラさまと、その番さま。そしてその娘であるあなたは希望だったの」
「サーラ。あなたと過ごせたのは数日だったけど、楽しかった。一生分の思い出になったわ。あなたの幸せを祈っている……。後は兄さん、よろしくね」
「待って。逝かないで。二人とも待って……!」
「逝くな。母さん、シエラ──!」
私の願いも虚しく、カルラとシエンは微笑んで消えて行った。二人の目が潤んで見えたのは気のせいではなかったらしい。二人が消えた後には数粒の七色に輝く真珠が残されていた。せっかくチイちゃんや、その母親であるカルラさんに再会できたのに、私はそれを今まで忘れていた。二人の気持ちが切なかった。
私の隣で子爵は膝をついていた。せっかく会えた家族と彼は再び、別れることになってしまった。それも永遠に──。
その原因を私が作ったように思えて、何も言えなかった。シエン達は10年前から囚われの身となっていた。逃げ出せる状況になく監禁されたままで、一人の醜悪な男の欲の為に、涙を流し提供してきたのだ。
そんな母と妹の身を案じて、ようやく再会できたと言うのに、私の隣で嘆く彼は彼女達を喪ってしまったのだ。その喪失は計り知れないように思われた。
彼は母と妹がいなくなってから、ずっと捜し続けてきたのだろう。待ち望んでいた再会。家族共にこれからずっと幸せに暮せる未来を、私が奪ってしまったような気がしてならなかった。




