20話・マリアナもどこかおかしい
その日の夕食後。応接間に三人でいると、執事が「旦那さま」と、やってきて耳打ちした。子爵は上座の一人掛けの椅子に座り、母と私はティーテーブルを挟んで、向かい合わせにソファーに腰を下ろしていた。
「なに? マリアナが?」
今まで忘れていた名前が子爵の口から出てきて、新婚旅行に向かっていた彼女達のことを思い出した。何週間か旅行に出かけると子爵からは聞かされていたから、彼女の名前が出て来たということは、旅行先で何かあったのだろうか?
「……いさん」
そう言って部屋に入ってきたマリアナは、私を見て固まった。その彼女を見て、母はソファーから立ち上がった。
「マリアナ。ノックもなしにいきなり何です? お行儀が悪いですよ」
「だって……」
そう言いながらマリアナは私を見た。内心、ビクビクしている私に目を止めたまま、彼女は近づいてきた。この場から逃げ出したいと、気持ちは焦っているのに動けなかった。
「サーラ! 会いたかったっ」
いきなり抱き着かれてビックリした。彼女は母同様、私を嫌っていたはずだ。母は以前の振る舞いを深く反省し、私に優しく接してくれるようになっている。でも、彼女は婚姻後、新婚旅行に出かけて私とは一度も顔を合わせていない。そんな彼女の変わりようは信じがたいものだった。
「あの、マリアナさま?」
「嫌だ。姉さんと呼んで」
「良いのですか?」
「良いも悪いもないわ。あなたとは姉妹になったのだもの。ねぇ、母さん」
「マリアナ。サーラを放してあげて」
母がそう言うと、渋々マリアナは私から離れた。以前から仲が良いこともあり、マリアナは母の言葉には逆らわなかった。
「サーラは、以前の私やあなたに、随分と迷惑を被ってきたのよ。いきなり抱き着かれたら驚くわ」
「ごめんなさい。サーラ。悪気はなくて。その……、以前のあたしについては謝るわ。ごめんなさい。でも、今のあたしはあなたと仲良くしたいと思っているの。お願い、信じて」
「ありがとうございます。マリアナさま」
マリアナは、済まなそうな顔をする。そこに悪意は無さそうだけど、だからと言って彼女に邪険にされてきた過去が消えるわけでもない。苦笑いをするのに留めた。そんな私の隣の席に躊躇なく彼女は腰を下ろし、思わず拳一つ分くらい彼女から離れてしまった。それにショックを受けたようだったが、母から話しかけられると、嬉々として応じていた。
「旅行はどうだったの?」
「初めて目にするものばかりで新鮮だったわ。食べ物も色々あるのね。驚いたわ。あのピリピリとした刺激っていうの? 辛いって初めての経験よ」
「随分と楽しんできたみたいね?」
「うん。今度は母さんと行ってみたいな」
マリアナと母が楽しそうに話をしているのを、子爵と聞いているような状態になっていた。そこで私はおかしなことに気が付いた。
「マリアナさま」
「うん? 何? サーラ。あたしのことは様付けはいらないよ。マリアナって呼んで。それかマリーでいいよ」
「その……。花婿さまは一緒ではないのですか?」
「花婿?」
友好的なマリアナの態度に戸惑いを覚えながらも、この場にいない人のことを聞けば、マリアナはちらりと子爵を見た。子爵は罰が悪そうに言った。
「そのことだが、サーラ。彼はいなくなった」
「フィエロが?」
「婚礼を上げた晩に姿を消してしまったのだよ」
「捜索願は出されたのですか?」
「……いいや」
にわかには信じられなかった。彼はマリアナと常に一緒にいて、幸せそうにしていた。その彼が失踪しただなんて何かの間違いのような気がする。もしかしたらあんなに綺麗な彼のことだから、誰かに攫われたか、何か事件にでも巻き込まれているのかも知れないのに、マリアナの心配していなそうな態度が気になった。彼は子爵やマリアナとは良好な関係を結んでいたはずなのに。




