19話・私を子爵の愛人にしようとしているの?
「風が冷たくなってきたわ。サーラ、そろそろ中へ入りましょう」
あまりにも子爵を見つめすぎたせいだろうか? 母がそう言って、私の肩に触れた。それを見て子爵が言ってきた。
「サーラ。手を繋いでも構わないかい?」
「えっ? 手を?」
「駄目かい?」
戸惑う私の前に、彼は手を差し出してきた。思わず母の顔を見てしまった。母は頷いている。でも、その手を取るのは躊躇われた。私が何も言えないでいるので拒まれていると思ったのだろう。子爵は残念そうな顔をしてくる。
──どうしてそんな顔をするの?
「あはは。突然過ぎて驚いたよね?」
「ええ。まあ」
子供の頃、子爵とマリアナを羨んだこともあった。母と二人は三人仲良く家族のように仲が良かった。母の娘である私は、彼らの傍にいてもその中には入れてもらえないことは早くから分かっていた。それなのに今更、言い寄られてもどうしてよいか分からないし、彼らの態度が急激に変化したのには、何か思惑があるのではないかと疑ってしまう。
今の彼らが使用人達には優しいご主人さまで慕われていたとしても、長いこと傷ついてきた私の心は、そう簡単に彼らに靡くほど信用していなかった。
「今日はね、サーラの好きなビーフシチューを用意してもらっているの」
「嬉しい。母さん、ありがとう」
ビーフシチューは私の大好物だ。それを母が覚えてくれていたことが嬉しくて喜ぶと、隣から声が上がった。
「私もサーラにプレゼントがある。きみが見たいと言っていた観劇のチケットを手に入れたから、二人で見に行こう」
「母さんは一緒ではないの?」
ボーモン子爵からの誘いに、抵抗を感じる。昨日も王都にある噴水公園に行こうと誘われて、母が一緒ならと言ったことで、三人で行ってきたばかりだ。今度は観劇のお誘いで母を伺えば、首を横に振られてしまった。
最近、母はどうも子爵と二人きりになるのを避けているようで、この屋敷では寝室は分けているようだ。そのせいか子爵からは露骨にお誘いの声がかかるようになり、母はそれを邪魔することなく容認しようとしている節がある。
──母は子爵に飽きてしまった? だから今度は私を子爵の愛人にしようとしている?
以前の母はボーモン子爵に執着していた。近寄る女性をけん制していたとも聞いていた。だから侍女達は、必要以上に子爵に近づいて、母からの嫉妬を買わないようにしていた。それなのに今の母は憑き物が落ちたように、子爵にあまり執着していなかった。
もしかして別に男性がいるのかも?と、疑ったこともあるが、母はこの屋敷に来てから外に出歩くこともないし、侍女達と楽しそうに会話をして過ごしている。感情を荒立てることもない。ここには淑女のお手本となるような母がいた。
「母さんは別に良いのよ。あなた達二人で行ってらっしゃい。あたしはあまり人の集まるところは苦手だから」
「そう? 無理していない? 母さん」
「無理していないわよ。本当に苦手なの。足がすくむくらいに」
母は心底嫌そうな顔をした。意外だった。今まで子爵夫人代理としてパーティーや催し事など率先して行っていたような気がするし、人の集まる場所が大好きなイメージが強かったから。
──本当は嫌でならなかったってこと?
「母さんのことは気にしなくてもいいよ。サーラ、私と行こう。観劇だが人魚姫の舞台だよ」
「人魚姫」
「興味あるかい? サーラの好きなものがまた、知れて良かったよ」
私が反応したことで、子爵は嬉しそうな顔をした。時折私の反応を見て、少年のような顔を垣間見せる。そんな子爵を憎み切れない自分がいた。




