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 アンドレイが扉を開けた先は、(ほこり)だらけの部屋だった。

 何年も放置された哀れな廃部屋だね。古い本がまばらに入った本棚は年季が入っている。四人×四人、向かい合って座れるテーブルと、椅子が数個ある。元は談話室か書斎だったのかもしれない。事務室に必要な家具は古びていても使えそうだ。まず、掃除から始めないと。


 記念すべき騎士団広報部の第一日目は、掃除から始まった。掃除といえども、プロの力が必要だよ。

 必要な物と金は用意する――ジェリコがおっしゃるとおりね。エプロンに三角巾姿の掃除人を四人も寄越してくれた。わたしも期待に沿えるよう、努めることにしたよ。


 待っていても手持ち無沙汰だし、わたしは机や椅子を拭いた。慣れないことって大変。雑巾の絞り方すら、教えてもらわないとわからないんだもの。けど、これから一人で生きていくには、こういうこともできなくちゃね。


 建付けの悪い引き戸を開けると、ギギギッと嫌な音がする。キラキラ水面を波立たせる湖が見えて、気持ちが和んだ。白鳥と目が合っちゃったよ。

 湖というか、(ほり)ね。隣接する王城と騎士団本部は濠に囲まれているの。この部屋は街とは反対側に面しており、穏やかな風景が広がっていた。濠の向こうには人工的な草原が広がり、そのもっと奥には森がある。三階だから、かなり遠くまで見渡せた。景色というのは人の心を落ち着かせる。この部屋に光の入る窓があって良かった――おっと、和んでいる場合ではない。掃除、掃除……


 蜘蛛の巣の餌食となった本とはサヨナラするしかないかな? 奥にある本棚の位置も変えたいところだ。

 掃除人たちがよっこらしょと、持ち上げた本棚の裏からゴキブリが飛び出してきて、心臓が止まりそうになった。本棚の移動先は扉の横。低い棚はテーブル付近の壁際に置いてもらおう。

 


 掃除人が去るころには日が傾いていた。

 やっと一息ついて、わたしは必要な物を書き出そうと腰掛けた。そうしたら、何もしていないアンドレイが、


「茶、()れろ」


 と命じてきたんだ。この人ね、わたしが雑巾を絞っている間、カードを並べたり、コイン投げして遊んでいたんだよ?

 わたしはお茶汲み娘じゃないっての。たまたま、騎士団の広報を担当することになった由緒正しき家柄のレディなんだから!

 ふくれっ面でいると、さらに突っかかってきた。


「おい、聞いてんのかよ? 仕事しろ」

「わたしの仕事はお茶汲みではありません。あなたは上官ではないですし、従う必要はないと思います」

「うっ……生意気だな、おまえ?」

「おまえではないです。マリヤという名前があります。お茶汲みは、わたしの補佐を命じられたアンドレイ様の役目では?」

「このオレに茶を淹れろと言うのか? ふざけんなよ?……そうだ! おまえに渡すものがある」


 アンドレイは制服の内ポケットから、えんじ色の腕章を取り出した。スミレをバックにした剣の紋章が、金糸で刺繍されている。騎士たちの制服や甲冑、武器に描かれているアレだ! 見るだけで気分が上がるやつ!

 これをつけて活動しろってことね? これでわたしも晴れて、騎士団の仲間入りだ。


「ありがとうございます!!」

「お?……笑った。機嫌は直ったのかよ?」

「いえ、まだ直っていません。アンドレイ様がお茶を淹れてくださるまで直りません」


 チッと舌打ちしながらも、アンドレイは給湯室からティーセットを持ってきてくれた。従騎士期間が長かったから、こういうことも慣れているのよね。イヴァン推しに変更するか否かは保留にするわ。


 角の丸いテーブルで、わたしたちは横並びに座り、お茶をすすった。

 発酵と乾燥により旨味を封じ込めた茶葉が開く時、辺りは心地よい香りに包まれる。


 お茶の香りを堪能しつつ、わたしはアンドレイの気持ちを確認することにした。このままじゃ、推しとしても仕事の相棒としても、うまくいかないからね。


「広報の仕事がお嫌ですか?」


 アンドレイの赤毛が一瞬、逆立ったように見えた。お茶から立ち昇る湯気が揺らぐ。

 少しは言葉を選べよと、自分でも思ったよ。でも、単刀直入に聞いたほうがいいと思ったの。


「いや……与えられた任務に文句を言うつもりはねぇよ。なんで、そんなことを聞く?」

「ずっと、暗い顔をされているからです。わたしと仕事をするのが、そんなにお嫌ですか?」

「別におまえが原因じゃねぇよ。これはオレ自身の問題だ」


 堅い木のテーブルに陶器のティーポットを置くと、気持の良い音がする。アンドレイは金の目を伏せた。


「オレが騎士団に入ったのはさ、純粋に人の役に立ちたいって思ったからなんだよね。もちろん、親の希望とか、勉強が苦手だからとかもあったよ? でもさ、やっぱり騎士に対する憧れが強かったんだ……」


 こんな前置きで昔話はスタートした。

 馬上槍試合や闘技会、華々しい騎士の活躍を見て、アンドレイは憧れるようになったという。貴族の次男以下は領地も爵位も継げないから、廷臣や学者など身を立てる方法を考えないといけない。お勉強の苦手なアンドレイが騎士を選んだのは、ごく自然な流れだったと言える。


 くわえて、騎士の需要が増えてきた背景もあるだろうね。近隣諸国との緊張が高まるなか、山間部では魔獣の出現が相次いでいる。国を守るため、戦闘能力に特化した集団の存在は必要不可欠だ。


「魔獣討伐隊に配属されたのが昨年。危険は当然あるさ。けど、やりがいのほうが大きかった」


 そっか。せっかく、騎士らしい任務を任されるようになったのに、事務方に回されちゃったのが不満なんだ。戦っている時のアンドレイって、生き生きしていてカッコいいもんね。


 今のアンドレイは牙を抜かれた狼のよう。挑発的な赤毛もしおれかけの薔薇みたいだし、爛々としていた金の瞳もよくできた作り物みたいになっている。精気が失われると、輝きが損なわれるんだね。本当のアンドレイはもっと、美しいもの。


 ――よし、一肌脱いでやるか!


「わたし、アンドレイ様が元の部署に戻られるよう、協力いたします!」


 感情に任せて言ってしまった。

 アンドレイってば、まん丸の目でこちらを見ているよ。こういう表情も良し。


「広報部で成果をあげれば、きっと戻れます! 共にがんばりましょう!!」

「お、おう……」


 わたしの熱意に圧倒されているね。押され気味のアンドレイ、萌えポイント高し!……うん、推し変はしないことにするよ。

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