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少しかすれた少年っぽい声――大好きなあの人の声を間近で聞けるとは思いもしないよ。振り返ったわたしは土偶になった。
だって、目の前にいるんだもの。憧れの赤様が!!
「ア、アンドレイ……さま……」
「貴様、何者だ? そこで何をしている??」
上目でにらんでくるよ。金の瞳が捉えているのは、わたしに違いなかった。
抜刀した鋭い切っ先を向けられているのにもかかわらず、現実感がない。わたしは身近なアンドレイに見とれてしまった。
画像を取り込む際、遠くにある被写体を多少拡大することもできるんだけど、こんなに近くで動いているアンドレイを見るのは初めてだよ。
わぁ……まつげまで赤毛なんだ。鼻の周りに薄くそばかすが広がっている質感とか、白い頬に垂れる汗とか……目が離せない!
ほんの一メートル先にあのアンドレイがいるの! 真正面で剣を構えて! 胸の所に騎士団の紋章が刺繍された制服を着てる! スミレをバックに剣を象った紋章だよ。紺地に赤い刺繍が映える。
鳥肌が立つほど、カッコよかった。もうこのまま、殺されてもいい。あなたの剣に倒れるなら、本望です。
ガン見していたら、アンドレイはひるんで一歩下がった。
「た、ただ者ではないな? その目つき……青い髪……千年に一度、生まれるという大魔導士か?」
フードがずり落ちて、お団子頭が丸見えになっていたみたいね。青い髪を見て、アンドレイの心拍数が上がっている。無駄に魔力量が多いと、こういうのがなんとなくわかるんだよね。んもぅ……怖がらないでよ? なんにもできないか弱い女の子ですよ、わたしは。
……ハッ! これはアンドレイのベストショットを撮る絶好のチャンスでは!?
わたしは右手を穴から抜き、アンドレイに向けた。
「動くなッッ!!……目ッッ!?」
手のひらの目を見て、アンドレイは動揺しているね。その驚いている表情もいいけれど、さっきの上目でにらむやつ、またやってほしいなぁ。あの顔は良かった。
「攻撃か!? その目をオレに向けるなッ! グアッ!!」
ちょっと、ちょっと……わたし、何もやってないでしょうよ。なんでダメージ受けてるの? クスッ……笑っちゃったよ。
何も起こっていないことに気づいたアンドレイは体勢を直し、ブレてしまった剣先をわたしに固定した。数センチ先に刃がある状態でも、まだ現実感はない。
「笑いやがって……化け物めが」
この言葉は効いた。ひどい……ヘラヘラ笑っていたのは悪かったとしても、かわいい女の子を捕まえてそれはないよ? だから、騎士団人気順位最下位なんだよ?(魔法学校調べ)
「怪しげな魔術師が騎士団の周りをうろついていると、数年前から報告があった。なかなか、尻尾をつかめなかったのだが、貴様のことだな?」
これは、わたしのことじゃないよね? オリガがいつも一緒だったもの。わたしより、オリガのほうが怪しいでしょ?
けど、見つかりそうになった時、瞬間移動で即座に逃げられたんだった。一人で行動するのはマズかったかな。
「何か言えッ!! うんこ女ッ!!」
へっ!? う、うんこ女ぁ!? あまりの暴言にわたしはショックを受けた。
「うんこ女じゃないもん! わたしにはマリヤっていう名前があるんだもん! どこが、うんこなのよ!?」
「頭に二つくっつけてるだろうが!」
お団子をうんこ呼ばわりはないよ? いくら推しでも、あんまりだよ……イヴァンに鞍替えしようかな。
下を向いて泣きそうになっていると、腕をつかまれた。
「動くなよ!! 縛ってやるから、動くな!!」
遠くで見るだけだった人に触れられるとか、結構な衝撃ですよ。アンドレイの手って、大きくてゴツいんだね。納剣したアンドレイは半ば、わたしを抱きかかえるような姿勢でロープを背中に回した。こんなに密着されたら、ドキドキしちゃうよ! 完全に魂を抜かれたわたしは身じろぎせずに、おとなしく縛られた。
両手をうしろに回され、固定される。腕の上からぐるぐる巻きにされた。腰から伸びるロープの先をアンドレイは握り、わたしは罪人のごとく引っ立てられる形になった。
何もしてないんだけどなぁ……。推しに縛られ、ロープで引っ張られるのはご褒美というべきか、罰ゲームというべきか……。同じ空気が吸えたからご褒美だよね、きっと――能天気なのは、ここまでだった。
「来やがれ! どこのスパイだ? 拷問して吐かせてやる!」
かなりキツく縛られたみたい。痛いし、指先がしびれてくる。それにね、アンドレイったら、無遠慮にぐいぐい引っ張って歩かせようとするんだ。他国のスパイか何かだと、勘違いされてる?
ようやく、ヤバい状況だと気づいた。
わたし、女の子だよ? 今までずっと陰ながら応援してきたのに、どうしてこんなことするの?
好きな人に情け容赦なく扱われ、完全否定されたことで涙が滲み出てきた。
「うわぁああん!! 痛いよ、ひどいよーーー!! アンドレイなんか大嫌い!! イヴァンのほうがいい!! イヴァン推しに変える!!」
こんな調子で大泣きしていたら、みんなに見られるよね。いたいけな女の子をぞんざいに扱う悪者だよ、あなたは。
「待てよ! どこが痛ぇんだよ? 緩めてやっから、言え!!」
すれ違う人たちの視線が痛かったのか、アンドレイは立ち止まってロープを緩めてくれた。
「あと、これ。涙と鼻水、拭きやがれ」
ハンカチまで差し出してくれたよ。やっぱり、前言撤回します。ぶっきらぼうでも優しいなぁ。でも、両手縛られてちゃ、拭けないよね? アンドレイはハッとして、わたしの顔を拭いてくれた。
うん、イヴァンに鞍替えするの、やめます。
泣いたのが功を奏して、大好きな騎士様はわたしの歩幅に合わせて歩くようになった。
演習場を横切り、本部の建物に入る。集会などを行うホールを通って、団長のいる執務室まで連れて行かれた。
大きなデスクを挟んで、わたしは騎士団長シュプリンゲル卿と向かい合った。口から顎にかけて、豊かなヒゲを蓄えるシュプリンゲル卿は強面のイケオジだよ。肩まであるグレーの髪はヒゲと同じ長さなの。騎士団推しの中ではモジャ様と呼ばれている。
「何事だ! その娘はいったい!?」
アンドレイがお仕事中にアポ無しで突入しちゃったもんだから、今にも怒り出しそうな空気だ。また謹慎処分を命じられちゃったら、どうしよう?
「塀の外で騎士団の様子をうかがっておりましたので、引っ捕らえました。多数の目撃証言のある某国の魔術師にちがいないかと……」
アンドレイ、報告する時は真面目だ。さっきは、わたしのエア攻撃に「グアッ」とか言ってたのに……。惚れ直しちゃうぞ。
モジャ様は鋭い目つきで、わたしを観察している。そのモジャ様の隣にはなんと、オリガ推しのジェリコが立っているではないか! 腰まで銀髪を垂らし、涼しげな切れ長でこちらを見ていた。
美しいなぁ。神がかり過ぎて、近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのが唯一の難点だよ。帰るまえに一回、撮影させてもらえないだろうか。あの天使のようなオリガのために一回だけでいいので、お願いします。
モジャ様は立派なヒゲをなでた。
「ふむ……青い髪とはめずらしい。若い魔女だな。どう思う、ジェリコ?」
「たしかに、二年ほどまえから不審者の目撃情報はありました。ですが、犯人は先日捕らえた魔術師で間違いないと思いますよ? この子は無関係ではないですかね」
先日、捕らえた……のところで、アンドレイがビクッとした。まさか、知らなかった? 朝の点呼の時とか、そういう話をするんじゃないの? ちゃんと聞いてなかった? 老婆心ながら、アンドレイのことが心配になっちゃうよ。
ジェリコの話は続く。
「ローブを着た子供が二人、よくのぞいているという噂は聞いたことがあります。顔がなく、しゃべりかけたとたんに消えてしまうとか、なんとか。オカルト話かと思っておりましたが……」
「そうだ! それそれ! この女の右手を見てください! 目があるんすよ!」
アンドレイ、しゃべり方……。おえらいさんの前なんだから、ちゃんと礼儀正しくしないと。
アンドレイは縛られていたわたしの両手を解放した。
「ほらッ! 見てください! この手を塀の穴に差し入れて、なんかやってたんすよ!」
腕を強くつかまれ、わたしの顔は熱くなった。
手のひらの目を見て、多少は驚いたのかな? モジャ様とジェリコのテンションは変わらない。すぐさま、落ち着いた低声が聞こえてきた。
「青い髪の娘よ、その手にある目は何に使うのだ?」
わたしは正直に答えたよ。隠したって、しょうがないもんね。
「画像を取り込むためです」
「画像?」
「手の目で見た景色を、そのままの状態で取り込むことができるのです」
「取り込んでどうするのだ?」
「印画します……あ、印画というのは、紙に焼き付けることを言います」
モジャ様、目をパチクリしているよ。アンドレイはわたしの横でポカンとしているね。うまく伝わらなかったみたい。
ジェリコが口を開いた。
「この娘が言っているのはつまり、視覚で捉えたものをそのまま紙に写し出すことができるということです」
さすが、ジェリコ。わたしのわかりにくい説明を瞬時に理解してくれた。それでも、まだモジャ様とアンドレイはピンとこないみたいだけどね。二人とも、難しい顔になっちゃったよ。
こういうのは聞くより、見るが易し……そうだ! 普段は持ち歩かないんだけど、今はたまたま印画用の紙がスリングに入っているよ。というのも、街で大道芸人さながら、印画を見せて小金を稼ごうかとチラッと思っていたからなんだよね。
では、やってみせますか!