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王都の端にボロボロの廃墟がある。元は立派なお屋敷だったんだろうけど、庭園は草が伸び放題、噴水には黒い雨水が溜まっているという悲惨なありさま。枯れたツタが這い、苔が生える外壁はうら淋しい。格子窓のガラスもところどころ割れているし、扉も裂けて半分の状態だ。その名も“お化け屋敷”……まんまか。
荒れ果てた邸内に入ると、厨房だった所の脇に階段がある。かつてはワイン蔵だったのだろう。幅の狭い階段を下りた先がオリガの居住スペースだった。
重々しい鉄扉の向こうでは、たくさんの薬草やら薬瓶の置かれた棚、それとぎっしり詰まった本棚が壁を隠している。暖炉もあるよ。ダクトを通じて屋敷の煙突につながっているんだ。熾火の残った暖炉はパチンと指を鳴らす音で燃え盛り、部屋はたちまち暖かくなった。
実験道具や本が散乱するテーブルを横目に見て、わたしは赤いスツールに腰掛けた。クッションの硬さはちょうどよい。揺り椅子が動いているから、オリガはそこにいるんだね。あれ? ローブも透明化しちゃってるよ。
「悪い……しばらく世話になる」
「もちろん、構わないんだな。それより、先日撮ったジェリコ様の画像を印画してほしいんだな」
家出した友達を預かるというのにブレないよなぁ、オリガは。
ジェリコというのは、オリガの推し騎士。銀髪長髪の神秘的イケメンなんだよね。異名はゴッド。騎士団にはめずらしく、肉体派というより頭脳派に分類されるタイプ。わたしの大好きなアンドレイとは対極に位置するかな? 両方好きだけど。
オリガが大釜でピラフを作っている間、わたしは印画することにした。暖炉は大釜がすっぽり入るくらい大きいんだよ。炒めたりするのは危険だけど、茹でたり焼いたり蒸したりするのには最適だ。
空中に浮かび、野菜をチョキチョキ切るハサミを見て、尊敬の念が堪えない。わたしと同い年で一人暮らしして、自活しているってすごくない?……さて、適材適所という言葉があるよね。わたしは印画をがんばるぞ。
右手で取り込んだ画像は、百枚程度だったら記憶できる。取り込んだ順にしか印画できないのが難点かな。あと、一回印画しちゃうと、それっきりなの。
分厚いカーテンで仕切られた衣装部屋……もとい、暗室へ移動し、わたしは現像した。
やっぱり、アンドレイの画像が多いねぇ。ジェリコもあるにはあるけど、ちょっと少ないかも。ごめん、友よ……。
魔法薬の塗られたハガキサイズの紙に手をかざす。これ以外の紙に印画しようとしても、何も起こらない。魔法薬を調合したのはオリガ。そう、わたしの能力を発見したのはオリガだったんだよ。
魔法学校でオリガと知り合うまでは、何一つ魔法を使えないポンコツだった。そんなわたしの能力をオリガは開花させてくれたんだ。今もこうやって受け入れてくれているし、唯一無二の親友だよ。
海鮮系のいい匂いがしてきて、お腹がギュルギュル鳴った。だが、魔女の家で油断は禁物だ。友よ、この間みたいに蝉や芋虫を料理に入れるのは、やめたまえよ? ザリガニ、タニシ、チョロギまでならOK。カエルの干物はキツいよ? 食べるのは脚だけにしよう。
アンドレイのイケメン顔に癒されて、空腹なんかなんのその――ああ、赤様!(赤毛だから赤様と勝手に呼んでいる)金の瞳も素敵だし、尖った犬歯が薄い唇からチラッと見えてるのもいい! ちょっとヤンチャな性格なんだよね、赤様は。でもって、繊細で優しくって……あ、ジェリコの現像もしないと……。
幸い、夕飯のピラフに虫系のタンパク質は入ってなかった。以前、さんざんダメ出ししたのが効いたのかな? オリガはジェリコの印画に大満足だった。
それから推しの印画を眺めたり、推しトークに花を咲かせていたら夜が更けた――
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翌日、昼ごろに目覚めると、オリガはいなかった。いや、いつも透明だから、その表現には語弊がある。いないというか、気配すらなかったってこと。たぶん、学校に行ったのだろう。瞬間移動ですぐに帰って来れるんだろうけどね。ベッドの上に合鍵が置いてあった。
アルコーブ(部屋のくぼみ)のソファーから起き上がったわたしは暖炉のほうへ行き、朝ご飯を食べた。冷たくても、昨日のピラフの残りはおいしいよ。
棚に並ぶ薬瓶を見ながら思う。オリガはわたしと違って、できる子だよな、と。
オリガ・ヴァレリア・ブロンスキー・フォン・ケルスカーは没落した名家ケルスカー家の出身だ。時代が時代だったら、わたしなんか話しかけられないくらいすごい家の子なの。けれど、わたしたちが生まれるまえに、ケルスカー家は国家反逆罪という大変な罪で領地・爵位没収、一族離散している。オリガの両親は自殺していて、乳母に育てられたんだって。その乳母も早いうちに亡くなり、わたしが魔法学校に入学したころには一人で暮らしていた。学費は魔法薬の生成で払っているそう。
かなりの苦労人なのよね。これ以上、わたしが迷惑をかけるわけにはいかないよ。
とはいっても、自分の家には帰りたくないし、学校も行ける状況ではない。
わたしにできるのは食べた器を洗って、籠に置いて乾かしておくことぐらい。料理もできないし、他には洗濯?……洗濯はすでにしてあった。地下を出た廃墟の一室に干してある。窓ガラスの破れた風通し良い部屋で色気のない洗濯物が二人分、物干しざおに掛けられていた。この隠れ家の驚くところは、地下暖炉もそうだけど、井戸水を引いて水道まで使えるようにしてあるところなんだよね。ほんとにオリガって、なんでもできるなぁ。
そんなオリガのために、わたしは自分のできることを考えた。わたしにあるのは印画能力のみ。
……そうだ!! ジェリコの画像を撮りに行こう!!
思い立ったわたしはすぐに身支度し、廃墟をあとにした。
歩くこと一時間――
わたしは王城に隣接する騎士団本部にいた。
正確には本部というか、本部を囲う高い塀の外なんだけどね。以前、わたしの大好きなアンドレイが阻喪をして、塀の一部が破損しているの。拳大の穴が空いていて、そこから騎士団の様子をうかがえるようになっているんだ。
やった! ちょうど、演習中みたい。お目当てのアンドレイ……ううん、ジェリコはどこかな?
わたしは穴をのぞき込んだ。
残念。アンドレイは演習場にいないみたい。まだケガが治ってないのかな? それとも、サボり? よくサボるんだよね、不良騎士だから。騎乗技術は騎士団で一、二を争うほどだし、剣聖と名高いヴァレリーを圧倒する剣の腕前。それなのに素行が悪くて、年がら年中、謹慎処分を食らっている。騎士団内での乱闘騒ぎや城下でのケンカ……挙げれば、キリがないよ。うーん、好きなんだけど、危うくて心配になってしまう。
演習にはジェリコも参加していないようだ。ジェリコは長い銀髪だから、すぐわかる。
肩を落としつつ、騎士団人気No.1のイヴァンと、野性的なヴァレリーにわたしは目を細めた。イヴァンは金髪碧眼のスタンダードな美男子で騎士団のエース的存在。ヴァレリーは黒髪、褐色の肌と無精髭がカッコいいちょっと大人なイケメンだよ。剣の腕前は騎士団一と言われている。
推しには会えなかったが、充分目の保養になる二人がいたので、わたしは嬉々として穴に手を差し入れ、撮影し始めた。手のひらの目で取り込んだ画像は直接脳に送られる。実際に見なくても撮れるんだ。
アンドレイ推しになるまえは、普通にイヴァン推しだった。馬上槍試合のあと、花を渡しに行ったこともある。ものすごいファンに囲まれてて、結局渡せなかったけどね。
影からのぞいて画像を取り込む。今まで何度もやっていたことだ。咎められるなんて思ってもみなかった。
「おい!!」
少しかすれた少年っぽい声には、聞き覚えがあった。声に反応したわたしは、振り返って二重にびっくりした。