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騎士団本部の中庭は演習場として使われている。正門側を除いて、四階建て建築で囲われていた。演習中の騎士が整列する普段とは一変。今は雑然と人だまりができている。
騎士以外にもたくさんいるけど、勤務中なのに抜け出したっぽい人もいるよ。建物の窓からのぞいている人たちもいるね。お騒がせしちゃって、すみません。
集まったグルーピーの面々は、わたしからちょっと距離を置いていた。「マリヤ様とアンドレイ様が!」とか「ぬけがけじゃない?」とか聞こえてくる。人気のないアンドレイだったから、よかったものの、相手がイヴァンやヴァレリーだったら殺されていた可能性もある。女の嫉妬は恐ろしい。
一番驚いたのは、モジャ様&ジェリコの幹部コンビまで来ていたことだ。状況は把握しておらず、不安そうに辺りを見回していたけどね。中庭を囲む建物の一つから出てきたわたしたちに、声をかけてきた。
「何事だ? イヴァンとアンドレイとドンチッチが決闘すると聞いたのだが?」
モジャ様、わたしは戦いませんよ? それと、偽名はバレちゃったので、ドンチッチはもうやめましょう。
「私が聞いたのは、ドンチッチがイヴァンとアンドレイが戦うように仕向けたとか……」
「きひひ……」
ジェリコ様、銀髪をなびかせ、涼しげな顔で変なことを言わないでください。わたしは悪の総帥ですか? 騎士団愛に溢れたわたしが、大好きな二人が争うよう仕向けるわけないじゃないですか! そこ、オリガも笑わない!
この中で一番まともというか、冷静なイヴァンがモジャ様たちに説明する。
もちろん、アンドレイとイヴァンは全身甲冑姿に着替えているよ。準備してから外へ出たんだ。装備を整えている間に噂が広まっちゃったんだろうね。
決闘前ということもあって、イヴァンは要点を手短に説明した。なおかつ、演習場を使わせていただく許可も取ってしまう手際よさ。レオニードがしゃしゃり出ようとしていたけど、先に話してくれてよかった。
「……というわけで、ドンチッチ嬢の愛を勝ちとるため、私とアンドレイは戦うというわけなのです」
「ふむ。なるほど……。言うなれば、ドンチッチは男殺しの姫君だな? なあ、ジェリコ」
「二人の猛勇の士が命を懸けて戦うのですから、そうなりますね……」
「きひひ……」
ちょっと、みなさん、誤解を招くような言い回しやめて……。ドンチッチという呼び方も卒業しましょうよ。
何か引っかかるらしく、ジェリコが顎に手を当てて考えている。こういうポーズがさまになるのも、ジェリコゆえだよね。透明のオリガが近くで見とれてるんだろうな。
「ハッ! そうだ! ドンチッチ嬢を男殺しの姫君らしく、装わせてはどうだろうか?」
ジェリコ様、クールなポーズで何を考えていたんですか、あなたは? そりゃあね、わたしはいつも色気のないローブ姿ですよ? だからといって、ここで着飾らせてなんの意味があるというのです? んで、モジャ様も大真面目な顔で同意しないで!
「オリガさんなら、魔法で手早くドンチッチ嬢の姿を変えられるのでは?」
「きひひ……」
あーあ、よからぬことを思いついちゃったよ。
わたしが肩をすくめていると、空中に魔法の杖が出現した。それが、わたしの周りを浮遊し、光の粉を飛ばす。
クルクルクル……自分の体が高速回転したかと思ったら、大変身!! 上から下まで、わたしはドレスアップされてしまった。
淡いピンクと水色のレースをふんだんに使った乙女チックなドレスだよ。こんなの着たこともないよ!
「ほほぅ……美しい」
「悪くありませんね」
「これは、かわいらしい」
モジャ様、ジェリコ、イヴァンに褒められたのは良しとして、目立ちすぎでしょ。無駄に注目を集めてるよ。おまけに、どこから持ってきたのか、金の背もたれに赤いベルベットのクッションを張ったド派手な椅子まで用意されている。
その玉座のごとき椅子に座らされ、わたしは観戦することになった。隣には空っぽのローブが直立する。オリガだ。今までの全部、彼女の仕業ね。
反対側にはモジャ様とジェリコ、少し離れたところにレオナードとルチアが立った。
人の輪が広がり、その中心でアンドレイとイヴァンは向き合う。すでに兜をかぶって、抜刀している状態だ。共に強堅な長剣。軽量な剣とはちがい、プレートアーマーを貫くほどのパワーを持つ。盾は持たず、両手で柄を握っているよ。
槍術を得意とするのに、イヴァンは剣で戦うことを選んだらしい。決闘を申し込んだのは依頼主側なので、受け手のアンドレイに合わせたのだろう。選択から何から何まで男らしい。
「レオニード卿の言動には賛同しかねるが、引き受けたからには全力を尽くすつもりだ!」
「オレは愛する女の名誉のため、戦う。義理で戦うおまえとは心構えがちがうんだよ!」
戦うまえに言い合っているね。イヴァンが何かを言ったあとは、キャーキャー黄色い声援が送られるのに、アンドレイのあとはシーンと静まり返る――皆さん、そういうのやめましょ? わたしという女のために戦うとはいえ、冷たすぎるよ。君ら、わたしがいなくなったら困るでしょ? ファンクラブも解散。会報も出せなくなるよ。印画付きの広報誌もね。レオニードは口約束だけして、絶対に騎士団を辞めさせる気だよ?
イヴァンは中段に構え、アンドレイは地面に付くぐらい剣先を下げている。足を狙うのか、下から切り上げるつもりなのか……素人はこの程度の予測しかできない。
イヴァンはスタンダードな銀色のプレートアーマー。よく手入れされていて、曇り空でも輝いているね。対するアンドレイは、くすんだ金色のプレートアーマーだ。少々錆びている部分がある。バシネット(可動式面頬)で覆われた兜のせいで、二人とも顔の表情はわからない。
ヤバい……心拍数が上がってきた。本当にどちらかが死んでしまったら、どうしよう? わたしは両手を胸のところで組み、お姫様さながらの姿勢になった。笑わせようとしているんじゃなくて、恐ろしくて堪らなかったんだ。
そんなわたしの手にソッと重ねられる温もりがある。見えないけれど、柔らかい手は確実に存在していた。
「オリガ……」
「信じるんだな」
今にも消えてしまいそうな、か細い声。日常時の「きひひ」とはちがうよ。これが、この子の本性なんだ。
わたしは温かい手をギュッと握りしめ、中空をにらんだ。
アンドレイは、わたしのために戦うんだもんね。どんな結果だろうと、しっかり見届けるよ。それがわたしの義務だ。
心が決まったところで、ジリジリ摺り足をしていた決闘者たちに動きがあった。
アンドレイが一気に踏み込み、下から切り上げる。体をのけ反らせて避けるイヴァンは、すかさず体勢を直し、左から打ち込んだ。アンドレイは刃で受け、その後は激しい打ち合いとなる。
早すぎて、目がついていけないよ。蜘蛛とか、すばしっこい小さな虫の動きだよ。ううん、そんなのより、もっとすごい。
わたし、演習や試合は見たことあるけど、真剣を使った決闘は初めて見る。緊迫感がちがうということではなくて、逆に泥臭かった。死と隣り合わせだからか。もっと原始的で動物に近い感じがしたんだ。
プレートアーマーを着込んでいても、当たれば衝撃で大ケガするよね。長剣だから力の入れ方によっては貫いたり、叩き切ってしまう可能性もある。凄まじい力で打ち合っているのは、刃同士が激突する音でわかるよ。実際には飛び散ってないはずの火花が見える。目がチカチカするよ。
金属音に合わせて、荒々しい呼気も聞こえてくる。魂のぶつかり合いだ。生きるか死ぬか。命を懸けて戦うっていうのは、こういうことなんだ。
わたしは怖いのも忘れて、見入ってしまった。
受ける、よける、うしろに下がってにらみ合う。剣をかち合わせている間は「ギギギ……」と存在しない効果音が聞こえてくるよ。動きと呼吸には一定のリズムがある。そう、刃と刃で会話しているんだ。このリズムがズレた時、勝負がつくのだろう。
非現実的だからだろうね。二人の身体が、鉄で覆われていたせいもあるかもしれない。生きた人間ではなくて、途中から別の何かがやり合っているように錯覚していた。
だから、イヴァンが「ぐぁあああ!!」ときれいな顔に似つかわしくない雄叫びを上げて、鍔迫り合い中のアンドレイを間合いの外へ押し出した時も、呆然とするばかりだった。
バランスを崩したアンドレイは尻もちをつくかと思いきや、くるりと後転して、片膝をついた状態でイヴァンの刃を受けた。
まったく、どんな身体能力してるのよ! 重い甲冑を身に着けている状態で、だからね? 魔術で軽量化? そんなのした覚えないし。
イヴァンは受けられるとは思わなかったのだろう。次の一手が遅れた。ほんのわずかな遅れだ。一コンマ以下ぐらいだったかもしれない。
一瞬、アンドレイの上半身がうしろに下がり、瞬き後にはもう、イヴァンの足をなぎ払っていた。
観戦する女の子たちのほとんどは、何が起こったのかわからなかったのだろう。土ぼこりを上げ、転倒するイヴァンを見て、悲鳴が上がる。
視界がはっきりするころにはアンドレイは立ち上がり、しゃがみ込むイヴァンに刃を突きつけていた。
「それまで!!」
モジャ様の咆哮で決闘は終了した。