水車小屋の庭を掘れ!
職場の新人研修を終えた私は、ネクタイを締めたままベットに眠っていた。
午前2時過ぎ、言い方を変えれば丑三つ時と言うのだろうか?
子どもの頃からの親友の慶が私の枕元に立った。
遠く離れた郷里で入院していたはずなのに?
馴れない職場の新人研修で、疲れ切った私はそんな不可解な状況など気にせず
「どうした?」
と聞いた。すると慶は
「水車小屋の庭を掘れ!」
と言った。
慶の学生時代と変わらない放漫な表情と、自身の疲れのため、私は少し苛ついた。
そして、新人研修で言われ続けた「いつまで学生気分でいるんだ。」と言う台詞を慶に向かって言った。
慶は苦笑いをしたまま消えた。
そして、私は再び深い眠りに落ちていった。
土曜日の朝7時にうるさく鳴り響いた電話で、私は慶の死を知った。
私は朝食も食べずに、新幹線に乗り込み郷里に帰った。そして慶の通夜と葬儀に出席した。
日曜日の昼過ぎには葬儀は終わった。
葬儀場から出ると眩しい太陽が私を照らした。
私は枕元に立った慶の言葉を思い出した。
「水車小屋の庭を掘れ!」
水車小屋とは、私と慶が子供の頃から屯していた小屋だ。
私は久しぶりに会った旧友達の誘いを断り、水車小屋に向かった。
水車小屋は山間の蜜柑畑の中に在った。
水車小屋は私達が子どもの頃には、すでに使われては居らず、水車もほとんど回らなかった。
小学校の夏休みに慶と私で、修理をした。
そして水車は再び回りは始めた。
水車が回り始めたその日に、家から持ってきたビールを飲みかわし2人で祝杯を挙げた。
ビールの味はやたら苦かった。
私の心の中に、懐かしさがこみ上げてきた。
水車小屋の水車は、コトンコトンと製粉する為の音を出しながらまだ回っていた。
「水車小屋の庭を掘れ!」
水車小屋の庭
水車小屋に庭と呼べる場所など無かったが、水車を組み立てる為に使った狭いスペースを、慶は庭と呼んでいた。
水車小屋の庭には、最近掘り返された跡が有り、その側には用意されたかの様にシャベルが転がっていた。
私はシャベルでその跡を掘り返した。
すると、50センチほど掘ると頑丈な木箱に打ち当たった。
30センチ四方の頑丈な木箱には、鍵が掛かっていた。
「鍵?」
私は、慶がいつも大事な物をしまっていた水車小屋の棚を、思い出した。
棚にはやはり鍵が仕舞ってあった。
私が鍵で頑丈な木箱を開けると、中には封書が置いてあった。
封書には「親友へ。」と書いてあった。
生前の慶なら絶対に使わないと言葉だ。
私はその言葉に、少し照れた。
封書を開けると中に一枚の手紙が入っていた。
封書の中から手紙を取り出すと、マジックで書かれたと思われ文字が、私の視線に入った。
「馬鹿が見る、豚の尻!」
私は思わず吹き出した。
どのくらい経ったか判らない程の時間、私の顔から笑顔が取れる事は無かった。
私は水車小屋の庭で1人、じっと考えていた。
私の親友、慶は、自分の命が永くない事を悟ると、病院を抜け出しこの水車小屋の庭にこの手紙を埋めたのだ。
そして死の間際、私の枕元に立って
「水車小屋の庭を掘れ!」
と告げた。私は
「馬鹿にも程があるぜ。」
と言って、慶との思い出が詰まった水車小屋を見上げた。
水車小屋の水車は、コトンコトンと音をたてながら、今でも回り続けていた。
おわり




