千佳の変 後編
千佳は肩を落としながら、ロビーのソファーに向かって歩いた。
そして、葛城の隣のソファーに沈むように座った。
葛城は
「どうした?」
と聞いた。千佳は
「うん。」
と言っただけで、少しの間、沈黙した。
そして
「もし、葛城君が言うように、私がかぐや姫だったら月からお迎えが来るの?」
と聞いた。葛城は
「そう言う事になるね。」
と言った。
千佳はため息をついて
「信じられない・・・。」
と独り言の様に言って、ロビーの吹き抜けの天井を見つめた。
葛城は
「人類が火星に行こうって言う時代だよ。火星に比べたら遥かに近い月からお迎えが来たって、不思議じゃないよ。」
と言った。
宇宙飛行士になる事が、すでに現実的な葛城の理屈から言えば、不思議じゃないけど、普通に高校生活を送っていた千佳にすれば、とんでもなく異常事態だ。
千佳は
「月からのお迎えはいつ来るの?」
と聞いた。葛城は
「あくまで僕の予想だけど、今夜あたり来ると思うよ。
月の人だって、大切であろうかぐや姫を、いつまでも、こんな不安定な状況にいつまでも置いておくとも思えない。それに今日は満月だ。」
と言った。千佳は
「何で満月?」
と聞いた。葛城は
「かぐや姫が帰る日は、満月の日が良く似合う。美意識の問題だよ。地球人より高度な文明を持っていると思われる月の人なら、当然、美意識だって地球人より上のはずだ。中途半端な月の日に、かぐや姫が帰るなんて、月の人のブランドイメージに関わるよ。」
と言った。千佳は
「何言ってるの?馬鹿じゃない。月の人がそんなに偉いなら、何で私にこんなに哀し思いをさせるの?意味が解らない。」
と言った。葛城は
「高度な文明には高度な文明なりに、色々事情があるんじゃない。」
と言った。
葛城の言葉に千佳はため息で答えた。
少しの沈黙が2人の間に流れた。
そして、千佳は
「しーちゃんに会いたい。会ってせめてお別れを言いたい。」
と言った。葛城は
「しーちゃん?・・・渡部の事?」
と聞いた。千佳は
「うん。」
と言った。葛城は
「君の事、きっと覚えてないよ。」
と言った。千佳は
「それでもいい。とにかく会ってお別れを言いたい。幼稚園の頃からずっと一緒だったから。」
と言って携帯でしーちゃんに電話をかけたが、やはり繋がらなかった。千佳は
「葛城君、しーちゃんを呼び出してもらえない?。」
と葛城に頼んだ。葛城は
「知ってるとは思うけど、渡部とはろくに話した事もない・・・。」
と言ったが、千佳はただ
「知ってる・・・。」
と言った。葛城はすぐにあきらめて
「しょうがない。」
と言って、千佳が差し出した千佳の携帯から、しーちゃんの番号を調べ、しーちゃんに電話をかけ会う約束を取り付けた。
「夜9時には会えるって。」
と言って葛城は約束の時間を告げた。
夜8時に2人は学習センターを出た。空には満月が輝いていた。
自転車置き場に向かう途中、千佳は背後に何かの異変を感じて振り向いた。葛城が
「どうした?」
と聞いた。千佳は
「誰かに付けられてる様な・・・。」
と言った。葛城も周囲を確認したが何も見つけることは出来なかった。
「千佳さんがかぐや姫だとすると、千佳を監視下に置きたい連中がいてもおかしくは無い。」と葛城は思った。
自転車置き場につくと、葛城は千佳に自転車の後ろに乗るように勧めた。千佳は
「こういうの初めて。」
と言った。葛城は
「地球での思い出。」
と言った。
9時前にしーちゃんの家に着くと、しーちゃんはすでに外で待っていた。しーちゃんは
「何?」
と不安げに千佳と葛城を見詰めた。葛城は何を話していいかも解らず、立ち尽くしている千佳をしーちゃんに紹介した。
「朝、学校に来てた子。幼稚園の頃、渡部に遊んでもらってたらしくって・・・。」
と言った。しーちゃんは
「・・・ごめんなさい。よく覚えてない。」
と言った。葛城は
「幼稚園の頃世話になったらしく、渡部に会って礼を言いたいらしくって、連れてきたんだ。」
と言って千佳を見た。千佳は感極まったのか、動けずにいた。葛城は
「千佳さん・・・。」
と言って促したが、千佳は動けなかった。
しーちゃんの困惑した表情が満月に照らされていた。
葛城は微動だにしない千佳の背中を、かなり乱暴に突き飛ばした。
ほとんど突き飛ばされた感じの千佳を、しーちゃんは咄嗟に抱きとめた。そして、しーちゃんは
「葛城君!。」
と千佳を乱暴に扱った葛城に怒りをぶつけた。
そんなしーちゃんの耳元で、千佳は
「しーちゃん今までありがとう。しーちゃんとずっと一緒にいてくれて嬉しかった。」
と言って一度強く抱きしめて、離れた。しーちゃんは
「今まで?。」
と言って不思議そうに千佳を見た。千佳は
「バイバイ。」
と言った。そして葛城に
「行こう。」
と言って、自転車の後部座席に向かった。葛城は不思議な表情のままのしーちゃんに
「じゃあ、また。」
と言って千佳を乗せた自転車を走らせた。
自転車が角を曲がると、背後から車が異常に急接近してきた。
その行為に明らかな敵意を感じた葛城は、自転車のスピードを上げた。その自転車の行く手を遮る様に、前方でもう一台の車が急停車した。
前後を挟まれた葛城が
「やばい!。」
と叫んだとき、辺りが突然、真昼の様に光に包まれた。
葛城が上を見上げると、煌々と輝く飛行物体が、千佳を照らしていた。
煌々と輝く飛行物体が、遥かかなたに飛び去った頃、千佳が地球上で過ごした痕跡のすべたも消えていた。
それは、しーちゃんや葛城の記憶な中の千佳も例外ではなかった。
そして、月を見上げるたびに、しーちゃんと葛城の心に切なさがこみ上げる理由を、誰も説明することは出来なかった。
おしまい




