05.アキトの夢の世界とその文化
アキトは、夢の世界に入ると毎回決まった場所で目が覚める。
決まった場所とは、以前に行ったことがある場所で、神社や寺、公園などの人が少ないところだ。
今日は、東京都台東区の谷中にある『岡倉天心記念公園』で目覚めた。
目覚めたといっても、たいていはベンチに座っているか、立っている状態で目が覚める。周りに人がいないときなので、特に怪しまれることはない。
この公園の入口にある説明文によると「岡倉天心」という偉人が住んでいた場所らしく、公園の奥に彼の像があった。
小さい公園だが、出口付近にきれいなトイレがあり、よく清掃されている。
トイレに入り、鏡に映る自分の顔を見てみた。
アキトの顔はこの国の人たちと比べると幾分彫りが深く、外国人と思われるようだ。
だいたいタイ人やミャンマー人などと言われることが多い。アキトの話す言葉は普通に聞き取れるらしく「日本語が上手だね」とよく言われる。身長もここの人間と比べたら高いほうだろう。
アキトはべつにここの言語を話しているつもりはないが、なぜか通じている。服装もなぜかこの世界風に変わっているし、夢ということで納得して深く考えないことにした。
はいているジーパンのポケットからプリペイド式の携帯電話を取り出して、この世界の時間を確認する。
「2007年6月3日のAM6時6分だから……。前回来たのは昨日だな」
夢の中に訪れるときの時間軸は、なぜか毎回異なる。
今回のように翌日になる場合も多いが、数日後の場合や数週間後のケースもあって、ごくたまに数日時間をさかのぼって、過去に戻ることもあるのが面白い。
アキトは思う。
さすがになんでもありの夢の中。
過去に戻ると、お金の残高や持ち物が変わるので注意は必要だが、毎回お金を使い切ることはないので、それほど困った経験はあまりない。
この夢の世界では『日本』という国の中にいた。
他にも国家は複数存在するらしいが、アキトは便宜上、この夢の世界を「日本」とも呼んでいる。
最初に日本に来たときは上野公園で、なぜだかわからないがTシャツと短パンの格好だった。
公園の中には、よくわからない不思議な形をしている像もあり興味をもったが、そのままキョロキョロしながら出口付近までくると、周りの様相が騒がしくなった。
街中に出たときのショックは今でも忘れられない。
賽の目のように、キレイにそびえ立っている多くの建造物と、太陽の反射で光り輝くガラス張りの壁面にも驚く。
次々と人を吐き出して飲み込む「電車」と呼ばれる箱。
多くの車両やバイク、人の多さは何かの祭りかと思ったくらい。人々の服装も多彩だった。
最初は、横断歩道にある信号機の意味さえわからず、バスにひかれそうにもなった。クラクションも鳴らされたし、状況がわからずに襲われるかと思って身構えたが、バスの運転手が手ぶりで「道路から出ろ」と伝えてきたのは理解できた。
その日は、そのまま混乱しながらも街中を歩き回って探索した。
最後は疲れきって公園のベンチで寝てしまう。
目が覚めると、自分の世界である『ムーカイラムラーヴァリー』にある部屋のベッドの上だった。
そのとき、はじめて自分は夢を見ていたのだと気づいて安心したが、その日の夜でも再び『日本』の夢を見たので驚きは倍増した。
夢の続きと言えばそれまでだが、そもそも夢とは、本来摩訶不思議なもの。
そう自分を納得させると『日本』をより楽しく観察できるようになった。
夢の中だが言葉は通じる。
夢だからと思えばそのとおりだが、知らない意味の『言葉』が出てくるときだけは、その意味が理解できず人に聞いて確認するか、辞書などで確認するしかない。
この世界の文字というか『日本語』の『漢字』や『ひらがな・カタカナ』は、見たこともない知らない文字だったが、目に入った瞬間に頭の中で不思議と変換されて、知らない単語以外の意味はわかるようになった。
とは言え、さすがに書くことだけはできなかった。
しばらくして簡単な単語や数字、名前だけは書けるようになったが、使う機会があまりないので、学ぶ必要性をそれほど感じていない。
なぜ頭の中で変換されるのかは不思議だったが、これも夢だからとひとまとめに考えている。
それでもムーカイラムラーヴァリーにはない概念の単語を理解するには、調べてみないとわからない。
『飛行機』は空を飛ぶ乗り物だがムーカイラムラーヴァリーでは『船』が空を飛ぶ。
海産物を獲るために一番下層の底にある『下海』に着水して漁をする船は『海船』と呼ばれ、それ以外の空を飛ぶものは、おおむね『船』と呼ばれる。
戦闘に使われる船は、用途によって『軍船』や『武装船』などと呼ばれる。
次は『電気』や『電力』だ。
ムーカイラムラーヴァリーでも同じ原理で『電気』を生み出せるかもしれないが、人々は『オーラ』の力を動力としているので必要性を感じない。
人だけではなく、ムーカイラムラーヴァリーに存在する生きとし生けるものは、多かれ少なかれ『オーラ』をやどしている。
オーラとは、物質に送ることでその物質を動かしたり、強化することができる力なので電気に近いものと言えるかもしれない。
それは、相手が機械でなくてもよい。農業ならクワやオノに対して使うことにより、畑を耕す効率が上がったり、大木を簡単に切り落とすことも可能だ。
大型の船や、さまざまな装置を駆動させるためにも必要なオーラ。個人のオーラの力は、成長過程や訓練によって増えたりするが、生まれつきオーラが強い者も存在する。
身分が高い貴族や神職の者などはオーラが強く、平民は弱いことが多い。
もちろんレイカーのように、例外的に強いやつもいるが……。
『原油』から作られる『ガソリン』燃料のようなものは『ムーカイラムラーヴァリー』にも存在するが、オーラで十分代用できる。精製を必要としないぶん、オーラのほうが効率はよいだろう。
他にもわからなかった単語は多く『原子力』『テレビ』『携帯電話』など、並べていくときりがない。
あと、この世界にも戦争があり、ムーカイラムラーヴァリーでは発展していない『火薬』を使用する。
火薬による衝撃は『オーラ』に似ているので、争いの道具として使われているようだ。
この夢の中の世界でも戦争が起こっているようだが、日本自体は平和で、ここ60年くらいの間は戦争がない。
アキトが現実で起きて生活している国『アルパチア王国』では、12数年前に戦争が終結しているが、また何かのきっかけではじまる可能性がある。
夢の中の世界のほうが、アキトの世界より平和なのは不思議な気分ではある。でも、この日本では平和を満喫できるのだから、文句をいう筋合いではない。
アキトが一番満喫しているのは、食生活だろう。
夢の中でも、腹が減るのには困ったし、食べ物を得るためにはこの世界の通貨が必要だった。
偶然だが水を飲みに公園に行ったとき、ホームレスという路上生活者に食べ物を配っている人たちに遭遇、パンを分けてもらった。
アキトの顔つきは日本人とは異なるので「外国人労働者?」とか言いながら食べ物を分けてくれたが「若いんだから働きなよ」と言って公園の入口付近に止まっている車両を指差した。
「あれは日雇いの労働者を探して毎日くる車だから、あれに乗れば日給で仕事がもらえるよ」
次に夢の世界に来たとき、はじめてその車両に乗り日雇い労働に参加した。
はじめて乗った車の乗り心地は悪くなかったが、他にも人が乗っており、ギューギュー詰めでかなり狭かった。
はじめて連れていかれた場所は食品の工場。
弁当箱に中身の惣菜を盛り付ける作業だった。
コンベアーに流れてくる弁当箱の中に、野菜を手際よく入れていく簡単な作業。アキトでもすぐに理解できたが、単調すぎてすぐに飽きてしまった。
その日は6000円をもらうことができたので、その夜はじめてアキトはラーメンを食べた。
他の客の見よう見まねで、食券と呼ばれる紙を券売機から購入する。
カウンターに座り、店員に食券を渡してしばらくすると、目の前に大きな器に入った汁いりの麺が運ばれてきた。
良いにおいに食欲がそそられる。
嗅いだことのない、何かを煮込んだ狂暴な香りにアキトの腹は鳴りだした。
箸を使うのもはじめてだったが、この世界での見よう見まねは当たり前となっていたので、周りの客の動作を見ながら使ってみる。
最初は箸を使い慣れていなかったので、麺をすくってもすぐに箸から滑り落ちていくが、なんとかして口まで運び入れた。
むふぁっあああっ!……何だこれ?。美味い!うま過ぎるっ! なんだ! この繊細で複雑な味は!
肉や魚とかを味わうのとは何かが違う。
胃の中から、手が伸びてくるくらいのカルチャーショックだ。
夢の中の世界のほうが、メシが美味いっていくらなんでもおかしいだろう!
「食」という行為の人生観を変えたこの出来事から、アキトの夢の中での主な目的は食事をすることになった。
なので、活動資金と言うか食費が底をつくと、また日雇いの労働をする。
日雇い労働では毎回仕事の内容が異なり、工場で機械を組み立てる作業もあった。
そこでは携帯電話を組み立てたので、この世界の『機械』を垣間見ることができた。
ネジはアキトの世界でも存在するが、プラスチックと呼ばれる素材ははじめて触る。
ムーカイラムラーヴァリーでの似たような素材は、虫の外殻だろう。
船や機人の外装には、この外殻を加工強化して使用する。
オーラを扱う腕の良い職人は、処理工程でも強化加工できるので引っ張りだこ。
アキトたち機士だって、頭が上がらないような職人もいる。
また、この世界には他にもゴムやセラミックと言われる素材などがあり種類も豊富だった。
日雇い労働では、建築現場に行くことが多い。
肉体労働だが、他の職場に比べて話しやすい人間が多いと感じる。何度か若いやつに喧嘩を売られて軽くあしらったり、帰りに襲われたりしたが、逃げた先で『寝て逃げる』のでそれまでだ。
アキトの中では、なにか面倒なことがあると寝て逃げるこの行為を『寝げる』と呼んでいる。
レイカーにこの話をしたら「それ、楽でいいな」と羨ましがられた。
でも、違う夢の回にまた建築現場で同じやつと出会い、面倒になることもあるのだ。
工事現場は主に道路工事が多いが、単純な肉体労働なので一番体力を使う。だがこれは、現場に行っても雨が降ったりすると中止になることもあり、その場合でも日当がもらえるのでラッキーだ。
地下に水道管などを埋める技術や、道の端に側溝を作って水を流す技術は、俺の世界でも使えそうだと感心したし、最後に道を固める『アスファルト』と呼ばれる素材にも興味をもった。
これだと、ただ土を固めるだけや、石畳より楽だし効率がよい。実際、現実世界で基地の舗装整備をする際、似たような側溝を作ったこともある。
日雇いで知り合った人のツテで、街中で果物や野菜を売ったり、酒場で働いたりもした。
酒場での稼ぎは昼の労働より稼げるが、女性は多く服装が大胆で距離が近いこと、それに酒を飲む必要が生じるので好きではない。
べつに酒が嫌いではないが、あまり楽しい雰囲気じゃないこと。寝る時間もおかしくなるので、よほど頼まれたときか、日銭に困っているときでないとやらないことにしている。
稼いだお金で携帯電話を買った。
本来、普通の携帯電話を買うなら『身分証明書』が必要だが、プリペイド式の携帯なら、身分証明書が無くても買えると日雇いの人から聞いていた。
それでプリペイド式を買いにいったが、それでも身分証明書が必要となったらしく結局買えなかった。
でも、その話を夜のバイトで知り合った若いヤクザが聞いており「たくさんあるから」と、安くプリペイド式の携帯を譲ってくれた。
譲ってくれるときに「それ、やばいことには使ってないからたぶん大丈夫」と言われたことを覚えている。
まぁ、やばいことに使っていても、夢の世界にいるアキトからしたら問題じゃない。
実際に食費以外で稼いだ金を使うのは、電車やバスなどの交通費、携帯充電用の電池を買うときくらいだ。
ムーカイラムラーヴァリーに比べると多彩で楽しい日本の食文化。
ラーメンやカレーが好物になったけど、かつ丼やピザも捨てがたい。
コンビニと言われる売店には『おにぎり』や『弁当』があり種類も多いが、外で食べるほうがアキトの性には合っていた。
たまに、コンビニで酒を買う。
ムーカイラムラーヴァリーに比べると、こっちの『エール』はさっぱりしていて飲みやすいし、当たり前だが『寝げる』と酔いは覚めている。
この世界に慣れてきた頃に「海を見るならどこがよい」と人に聞いて『鎌倉』まで行ってみた。
そこで、この世界では海と陸があることを実感し、はじめて見た海はアキトの世界の『下海』とは違い美しく見えた。
いつもは上空の島から見下ろすからだろうか。
見る角度が違ったからかもしれないが、陸と重ねて見る海は光り輝き、海鳥が舞い、潮の香を肌で感じることができた。
夢の世界とはいったいなんだろうか?
ムーカイラムラーヴァリーと、この『日本』。
夢の中のはずなのに、どっちが本当の世界なのかを意識して考えたのもそのときだ......。
『岡倉天心記念公園』を出たアキトは、日雇いの担当者に電話をかけてどこに行けばよいのか指示を仰ぐ。
電話をかけている間、ふと掲示板のポスターに目がいった。
――「バシュタ様は世界を救う無限のエネルギー!」――。
「ん? まさかな、偶然か?」
アキトの脳裏に、前回自分の世界で見た祠が浮かんだが、その瞬間に電話の相手がでる。
『あぁ、アキート君? 昨日の現場で良ければそこに直接行ってくれる? 交通費は500円までならその場で払うからさ』
アキトは近いから交通費はいらないと伝え、ここから歩いていける現場へ向かうことにした。
この日の終わりから、アキトの運命が変わりはじめることを彼はまだ知らない……。
ご覧いただきありがとうございます。
次話からは、大事なサブキャラクターの登場です。
よろしくお願いします。