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坑道

作者: 桜辺幸一

私の体験談をホラー風に書きました。

これは私、桜辺幸一が仕事でA県に訪れた時に実際に経験した話です。


私の仕事は少し特殊なので詳細は伏せますが、その日はとある鉱山を管理する会社の方と打ち合わせがありました。

先方はその道30年以上の大ベテランで、いかにも現場からの叩き上げといった感じのはつらつとした方だったのを覚えています。仮にその方のことをSさんとします。


特に問題なく打ち合わせを終え私がテーブルに広がった書類を片付けていると、Sさんが言いました。

「桜辺さん、鉱山の坑道は見たことあります?流石にもう閉鎖されてますけど、もし興味あったら入口だけでも案内しますよ。」

日本国内の鉱山はそのほとんどが既に閉山しており、通常であれば立ち入りは禁止されています。

私も鉱山には非常に興味があり、またとない機会だと思いましたのでお言葉に甘えることにしました。


「坑道までは500mほどありますが、歩きでも大丈夫ですか。車で行くにはちょっと狭いんで。」

「ええ、構いませんよ。歩きでいきましょう。」

季節は初夏でしたが、まだ本格的な暑さにはなっていませんでした。上り坂が続くということでしたが、それくらいなら大丈夫だろうと思い、私とSさんは徒歩で向かうことにしたのです。

鉱山(正確には鉱山跡地ですが)と言うだけあって、周囲はかなり険しい山に囲まれています。鉱山入口に続く山道も辺りは木々が鬱蒼と茂っていました。いちおうコンクリート敷きはされていましたが、長年の落葉でそれもほとんど埋まっていて、場所によっては獣道と言ってもいいような所もありました。


その時ふと、道の途中にいやに目立つ看板があることに気づきました。

その看板は黄色の下地に赤文字で「出没注意」とおどろおどろしく書いてあり、その下にはやけにリアルな毛むくじゃらの黒い動物が描かれていました。

それ自体は何のことはありません。田舎の山の中ではよく見かける熊出没注意の看板です。


「このあたりも熊が出るんですか?」

私がそう尋ねると、Sさんは笑いながら言いました。

「そりゃこんな山の中ですから。熊なんてしょっちゅう見かけますよ。この前なんて事務所の真ん前をのっしのっしと歩いてましたからね。はっはっはっ!」

私は笑えません。私も田舎の出身ですが、熊など動物園くらいしか見たことがありませんでした。

「まあ、毎年何人かは熊に襲われたりする人が出るんですよ。あと、このあたりは年寄りが多くて、たまに外に出たっきり戻ってこない人がいるんですが、それも熊に襲われてるんじゃないかなぁ。」

「ははは……。」

そのどこまでが本当でどこまでか冗談か分からない話に、私は乾いた笑いを返すしかありませんでした。


そんな会話をしている内に、坑道の入口へと着きました。

入口はコンクリートでできていて、高さと幅は3,4m程だったでしょうか。形としては車の通るトンネルのそれにそっくりです。

ただし普通のトンネルとは違って、その入口には赤茶色に錆びた、いかにも古めかしい鉄格子がはまっていました。

「こんな山奥でも、遊び半分で入ろうとする人がいるんですよ。だから侵入者対策でね。」そう言いながら、Sさんは鍵を取り出しました。

どうやら鉄格子の一角が人が出入りできる扉になっているようでした。Sさんが鍵を開けると、扉がギギギと軋んだ音を立てて開きました。


「……。」

扉の前に立った途端、なんとも言えないひんやりとした空気が坑道から流れて来ているのを感じました。少し肌寒い、けれどどこかジメッとしている地下独特の空気。コンクリートの壁は薄らと湿り、ところどころ水が垂れていました。虫やコウモリが居そうで気持ちわるいな、なんて思ったのを覚えています。

明かりは鉄格子の隙間から差し込む日光のみ。それも届く範囲は数メートル先まで。目が慣れていないのもあって、その先は本当に真っ暗な闇に見えました。

私がその飲み込まれそうな闇に圧倒されていると、突然パッと視界が明るくなりました。見ればSさんが懐中電灯を点けてくれていました。

「電灯壊れてますんで。足元気をつけて。」

そう言って先を行くSさんの背中を見て、私はすこしホッとした気分になりました。


中は意外にも天井も壁もコンクリートで固められ、足下にはいくつか排水用の配管が通っているだけでそれほど悪くはありませんでした。聞けばここはまだ坑道ではなく、坑道に続く通路だとのことでした。ただ、やはり年月が経っているからか、設置されている電灯は朽ち果て、コンクリートのひび割れからは水が滴っていました。時折水滴が首筋に落ちてきて驚かされました。雰囲気的にはホラー映画のセットにそのまま使えそうでした。


そして少しいくと、今度はやはり赤黒く錆び付いたフェンスが見えました。

「ここが坑道の入口です。」

そう言ってSさんはフェンスの近くまで寄り、その向こう側を照らしました。正確にはそのフェンスの下の方を照らしています。

私も近寄って覗き込んでみました。

すると……そこには完全な「闇」があったのです。

フェンスの向こう側はストンと切り取られたように地面が無く、直径数メートルの穴になっていました。その穴は懐中電灯で照らしても先が見えず、落ちたらただでは済まない、ということが直感的に分かる深さでした。

全く光が届かない、闇。いやがおうにも地獄に続く穴を連想してしまう、そんな不気味さがありました。

「これってどれくらいの深さがあるんですか?」

「さあ……私もわかりませんが、相当な深さがあるはずです。もともとはここに鉱石運搬用の昇降機が通っていましたからね。もっとも、今は水を注水していてほとんど水没しているはずですが。」


「近づくと危ないですよ。」そんな注意を受けて、私は慌ててフェンスから離れました。フェンスの錆がパラパラと落ちて穴の中に消えていきます。

昔の鉱夫の方々はこの穴を降りて鉱石を掘ったというのですから頭があがりません。私だったらたちまち怖くなって逃げ出していたでしょう。

そんなことを考えながらSさんから鉱山の歴史の講義を聞いていた時でした。


不意に、坑道の中から「おおん……。」という小さく低い音が聞こえてきました。

「この音は?」

「……ああ、ほとんど水没したと言っても坑道の一部はまだ繋がっているんです。こことは別の穴もいくつかありますから、そこから風が入るとこういう音がするんですよ。」

私の質問に、Sさんはそう答えました。


おそらくここに来るまでも音はなっていたのでしょう。けれど足音に紛れてしまうような小さな音です。


おおん……。


再び音がなります。確かに風が穴を通り抜ける音と言われればそれらしい音でした。しかし重低音と高音が重なったようなその独特の音はなんとなく……なんとなく人の声が反響しているようにも聞こえたのです。まるで誰かが叫んでいるような……。薄気味悪く感じた私は、その気分を払おうと冗談めかして言いました。


「なんだか……人の呼び声みたいですね。」


おおい……。


Sさんは何も答えませんでした。

懐中電灯の逆光でその表情も伺うことができません。


なんだか怖くなって来た私はSさんに戻ろうと提案しました。Sさんも元から長居するつもりは無かったのか、私の提案のままに来た道を戻り始めました。


おおい。


戻る最中も、背後からあの気味の悪い声……いえ、音が背中を追ってきていました。

行く時は全く気にならなかったのに、本当に微かな音なのに、一度気にしてしまうと耳にこびりついたように離れません。


やっと外に出ると、眩しい初夏の日差しが目を焼きました。

坑道のジメジメした空気は吹き払われ、非現実から一気に現実に戻ってきたような、そんな錯覚を覚えました。


いつの間にかあの音は聞こえなくなっていました。

でも私はその聞こえない音すらも振り切るように、早足で山道を下りました。


山道を下る途中、またあの熊出没注意の看板が目に入りました。

そしてSさんの言葉がフラッシュバックします。


「このあたりは年寄りが多くて、たまに外に出たっきり戻ってこない人がいるんですが……。」


私は後ろを振り返ります。

もう坑道の入口は見えなくなっていました。

当然あの音も聞こえません。

けれど、なんとなく、私はまだあの声に追われているような気がしてなりませんでした。


おおい……。


おーい。


おーい。たすけてくれー。

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