第8話:指輪探し
急いで浴場に戻るも、時すでに遅し。
「そんな……ペロシュ様…」
私に先んじて嘆き悲しんでいたのは、少年だった。
少年が、豪商のもとへ丁稚奉公に出されてはや1年半……辛いことや苦しいこともあった仕事にも慣れ、ようやく楽しさを覚え始めたばかりだというのに……と、横たわる主人の横で、涙ながらに身の上を聴かせてくれた。
私はなんと声かけてよいか分からないが、とりあえずおっさんに水をかけておく。彼は湯当たりで倒れた…らしく、真っ赤だったからだ。
「ああ、ペロシュ様。ただでさえ朝早くから、汗をかきかき精力的に働くのに、その後にお風呂なんか入るから…」
あまりの長湯を不思議に思って、浴場を覗いたら、ぷかぷかと浮かぶ主人の姿を発見し。次第ここに至ったらしい。
今我々がいる場所は、浴場に隣接する脱衣所だ。
主に大理石で構成された脱衣所は広く、長椅子風の長大な石台の上に、茹であがったペロシュさまは、調理寸前みたいなかんじで横たわっている。湯当たりとのことだが、実際のところは分からない。もしかしなくとも、髪櫛の毒にやられた可能性はある……。
……。
(…え?その場合、このオジサンが、私の運命のペアなの??)
ともかく。
脱衣所には花瓶に花が生けてあるのだが、その水を片端からペロシュさまにかけてみる私。どんどんと絢爛な花に埋もれる肥満体は、屍蝋のように白さを取り戻していった。
とりあえずは熱中症に対処してみるのだ。
「あ、あの……女中さん…」
丁稚がもの言いたげに手を彷徨わせるが、熱中症は一刻をあらそう。
こちらの気勢に感化されたか、彼も花瓶を私に手渡してくる……なぜ自分でかけない?なぜ怖いものを見る目で私を見る?
「ペロシュさま〜水ですよ〜」
ザッパザッパと、水を浴びるペロシュさま。
やがて彼のモチモチとした顔は、花に囲まれ、天上にいる赤子のように安らかとなった。
「死ん…」
「死んでるみたい」
なんて我々が感想をこぼすのと同タイミングで、豪商が何か口をモゴモゴ動かし始めた。
それを認めた丁稚は、悲喜交々なかんじで叫びをあげる。
「や、やった!やりましたね?」
「……。」
「やったー…あの、僕たちが、やった、んですよね?」
「……。」
お花畑で眠るペロシュを前に、何かの確認を求める丁稚。
なんの確認だ、なんの。
「…あ、あの。ぼくは人手を、お医者さんを呼んできます!!」
丁稚は、黙っている私を置き去りに、濡れた大理石で転ばないか心配になる速度で、離室する。まるで逃げるようだった…。
物言わぬペロシュさまと二人きりになると、途端に静かで。豪商の頭側に座ってとりあえず待機している私も、その微かなささやき声に気付けたほどだった。
「……娘っこ」
物言わぬ、ではなくその当人が喋っていた。
私が耳を寄せると、豪商は花にまみれた顔で、息も絶え絶えに告げる…。
「指輪を…。ハァハァ…妻に、知られては、ならん。殺され……る…」
「え?なんだって?」
もう一度聞き返すに、ペロシュさまはこう言われる。
『指輪を見つけよ』
『落としたことを誰にも知られたくない、秘密にしてほしい』
『だから君一人で探してくれ』
…と。
私もペロシュさまの意識がある内に、聞かねば、伝えねばならないことがある。人の生死に関わることだし、如何によっては今後の行動も変わってくる。
私は髪櫛を見ていないかを尋ねた。むんむん唸りながら彼は“見てない”と返す。私は事の一切を話し、彼に謝罪する。豪商は二日酔いのように、頭を痛ませながらも納得した。
「ああ…自決用の櫛か…。流行り物として、わしも用立てたことがある……だが、あんなものより妻の怒りのほうが何倍もおそろしいわい…」
と呻く彼。
はー驚いた。自決用の櫛を——『流行らせた』のがこのペロシュさまだって??
只の言い間違いかな?
私はお水を飲ませてあげた後、濡らしたタオルで血流量の多い、首・手首やオデコなどを冷やす。ペロシュ様はそれ自体には感謝すれど、気が気でないように私を促した。
「急げ……」
急げと言われてもな。湯浴み女でも担当でもない者が、残って風呂場でぱちゃぱちゃやってたら人目を引いてしまうだろう。私が指摘した時には、ペロシュさまは気を失ってしまっていた。まったく、どうしたものか。
「…ま、私も櫛を落としてしまったのだし…。探してみるか」
深く考えずに深い温泉をさらっていると、当然、私の行動は疑問を持たれた。脱衣所というのは、よくよく物盗りが出入りする場所だとされているが、そういった疑念の延長線で、最終的に私は衛兵に捕縛され。
その場で身体検査をうけるハメとなった。
登場人物紹介:
◇少年
真のモブ。ペロシュの店で丁稚奉公している。
これ以降登場することはないが、主人よりはイケメンである。