第2話:宝物庫
ハイマカランは草原の国と呼ばれる。
国土の大半がゆるい丘陵地帯で、地平線までのどかな青空と、小鳥の行軍が見えるからだ。
ここに暮らす人々の主たる食糧は、腐植ゆたかな土壌で生産される、種々の穀物・ベリー・果実、それらの加工品など。あと川魚。
生産物は貿易品にも扱い。ともすればそれ目当ての他国から、侵略を受けたことすらあるほど、実に豊かで平和ボケした国だ。
そんな国の君主を知らなくても、作物は実るし、魚は釣れる。
北ハイマカラン公セラ皇太子の名前より、王城の食堂メニューの方をよほど見慣れてきた私にとって……王子様の寝室は、あまりに眩しすぎた。
「なんじゃこりゃあ…。まるで金の菌床だな。ハイマカランがこれほどまでに豊かな国だったとは…」
率直に感動する私。
しかしこのような金銀財宝、黄金の雨あられの中で、よく王子様は寝られるな。金に触れてないと夢見が悪くなるのか?
「まるで金庫だ」
「……まるで、じゃなくて。金庫そのものなんだ…」
「は?」
我が耳を疑う私、ケンフリスク3世。
セラ皇太子は、もじもじしつつ答えた。
「その……それなりのワケがあってね。」
セラ殿下が女中を金庫に連れ込んだそれなりのワケを聞く前に、私も、私のほうでここまでの経緯をまとめておこう。急に金庫に来ているそのワケも。
〜◯◯◯…
まず、アリスと共に参列した大名行列は……あれは秋の豊穣祭の事前行事だったらしく、参加者は国内の者のみだったため、無事終わった。
他ならぬセラ皇太子自らがその場を収め、こう高々に宣告したものだった。
「豊穣神は、天真無辜な童女の似姿をとるとされる!秋の穂のように頭を垂れ、かしずく姿勢も大事なれど、彼女(※私)のような奔放さもまた大事ではないのか!祭りは誰の為のものだ!」
と、けっこう苦しい理屈ながらも、このようなそれっぽい事を仰り。
それで落ち着いた人々は、止まった時が流れ出したように調子を取り戻し、アリスは久々に呼吸を再開した。
次期主君の群衆整理能力が示され、覇気あいあいのレッドカーペットのなか、セラ皇太子は私に言う。
「さて、私は名乗りました。今度は君の名前を聞きたい。」
「ケンフリクス3世。」
素直に答えるが、このあとの反応を思えば、気分は憂鬱だった。
しかしセラ殿下は、予想と違ってくすくすと毒気なく笑われるだけだった。私の胸中を占める不思議さが、怪訝な表情となって表に出るが、それすらも王子さまは自然に微笑まれるだけだ。
「そんなおもしろい名前ですか」
聞き返すと、
「うん。」
とすーなーおーに頷く王子。
………。
(…アレだな、このお方。素の喋り方はもっと丸いかも…)
純朴な肯首を見て、私はそう思った。
それから彼は、馬に戻りながら私に言う。見返り姿に流し目で、そっと。
「あとで王子の宮に来なさい」
私は、馬に言ったのかと勘違いしたかったけど、生憎うなずいて返事をしてしまったので、後々王子を訪ねるハメとなった。
そんな私を、とんでもないお咎めを受けるんじゃないかとアリスは心配し、狼狽え、自決用の毒が入った櫛とか渡してきたけど。お咎めだったら招かれまいともっともらしく彼女を説得し、王子の部屋へと直行した。
んで、近衛兵に捕まり。
王子に呼ばれてやってきたと説明しても信用されず。はや面倒くさくなる。
大体、ケンフリスク3世を名乗った時点で、みな私に対する信用度が極端に下がるのだ。
近衛兵とウダウダやっていると、ちょうど執務中の王子さまが廊下を通りがけ、私は解放された。
そんで“用があるのは夜からだから時間を潰せ”と謝罪込みで申しつけられたので、私は半日仕事を休んだ。
中庭で日向ぼっこにはじまり、猫と遊んだり、小鳥に弁当をあげたりと時間をぶっちぶち潰す。
「ふぅー癒された。よっし、そろそろ帰るか……」
などと傾きかけた陽を眺めながら立ち上がると、2階の渡り廊下から、王子さまが手を振られていて、私は当初を思い出した。
しぶしぶ殿下に合流すると、彼は私の頭から芝生を払う。
なるほどと気が回った私は、自身のお仕着せから草葉を払って容姿を整えた。
「君に頼みがあって、呼び出しました」
先んじてセラ様はそう仰られながら、自身の手帳を指で撫でる。
執務に使うであろう、使い込まれた革製のおっきい手帳。多量のページの間から、栞の糸がカラフルに垂れていた。
その一本一本に予定が紐づけられてるんだとしたら嫌だな、なんて思いながら聞き返す私。
「頼み?なんでございましょーか」
「ふっふっふ。君のその勇猛さを見込んでの頼みです」
勇猛…。
そんな無いものを見込まれても照れるが。話ぐらいは聞くか…。
乗り気になった私に、セラ様は満面の笑みで喜ばれる。
「頼みを聞いてくれるのですか!良かった!!実はもう私、2週間も寝てないんです」
突然のカミングアウト。
断眠発言を裏付けるように、にっこりと微笑むセラ様の目元には、よく見るとクマが。次期王権を内包する玉肌に、えらく高貴な睡眠不足を刻んでおられる…。
どういうわけだ、仕事に忙殺されているというわけか。同情心から私が胸を貸そうと重ねて申し出ると、皇太子は詳細を語った。
「実は私の寝室に……出るんです」
「ゴキブリか」
「くっ。そ、それも嫌だが、もっと卑劣な連中です。かの者は、私や臣下の者達が寝静まった頃に、音もなく現れるのだ。まるで…」
「蚊か」
「え〜っと、蚊は音がしてます。ぷーんって。でなくてだな、敵は寝台を跨いだ西方、床下より出づるのだ。そこは地下霊廟に通ずる…」
ネズミかなんかだったら、私でなく猫を抱けばいいと進言する。
『王族は一人でベッドに入るものだ』という固定観念が強かったような孤独なセラ様は、しばし考えられたが。やがて頭を振ってより強固に物申す。
「猫さんだけじゃ怖いですよきっと!分かりませんか?出るんですよ!!」
「何が?」
「れいです!心霊現象です!」
「…ああ、だったら寝台で床下に蓋しておけばいいんじゃないでしょうか。」
「!?」
臭いものには蓋を理論だ。
しかし。地下霊廟に通じる寝室というものも変だと私が言うと、王子様は追って話を聞かせてくれた。
いわく。この王城には、伝統的に、歴代の統治者が寝る寝室があって。秋の豊穣祭が終わるまでは、王家に連なる者はそこで寝なくちゃいけないらしい。
元は祈祷室であったとかいう半地下のカビくさい石部屋で、古式ある祭りに際して、毎夜毎朝の祈りを捧げるものであるとか。
「統治者…皇太子さまのお父さんが寝ればいいのにね。」
「そのとおりですが、父上は今、遠い異国の地にいる。私は代役を立派に務めたいのです…。」
そう……え?それで勇猛を見込まれた私は、何をしろと?
「わかりますよね?地下霊廟は王者が眠る場所!出てくる幽霊もきっと王様ですね!その覇気に耐えられるような猛者じゃないと、頼り甲斐が見込めないのです!!」
あーなるほど…。
つまり大名行列を私事で停止できるような、心臓がフッサフサな奴を探してらしたのね。でも私、それなりに臆病なほうだと自覚してるんだけど…。
歴代の王様の幽霊ねえ。
「でもそれって……殿下のお爺ちゃんとかなんでしょ…怖がる必要ゼロじゃん」
私の指摘に対し。
さっき先祖の霊を、“ゴキブリより卑劣な連中”とまで(言葉の流れ的に)表現してしまったセラ皇太子は、「見れば分かる」とそれ以上張り合わなくなってしまった。
張り合わなくなり、手帳をぎゅっと抱いて懊悩の感を醸し出す。
高い背・高い身分で、私を見下ろす位置関係にあるはずだが、どうにも子犬か命乞いするカエルのように、憐憫を誘う目で見つめてもきた…。
…いや、カエルに命乞いをされたことはないが、ともかくセラ様は綺麗な瞳を哀しげに歪められ。直後それを手帳で隠した。鼻声になっている。
「いや、最近は花粉がダメになってきました私。」
「豊穣祭は大丈夫なのか…?」
思わずツッコむ私。
豊穣つったら、めしべとおしべだろう。
花粉飛び交う秋盛りへの懸念はないがしろに、私は王子の寝室へと半ば強制的に連行された。
女中の手を引く皇太子に、行く先々で近衛兵が合流し、彼らに護送されながらの寝室行きだが、それも廊下の途中までだ。
なんでも近衛は、寝室……たる王廟祈祷室の中まで入れないらしい…神聖さがどうだとか、仕来りがどうだとかで。
となると臥所にまで同行する私は、身元を疑われたが。
大名行列中、王子の御前で髪留めのバカをやらかした娘だと認識されてからは、さして警戒されなくなった。
「豊穣神は童女の似姿で現れるらしいからなぁ…」
とか、王子の発言を鵜呑みに解釈し、近衛兵たちはそれなりに納得した。ハイマカラン兵士はみなユルいのである。
そして近衛たちにおやすみを告げてから、今度は王廟祈祷室を離れ、長い廊下を進み、ついには重厚な扉を潜って……件の金庫まで移動した……。
〜◯◯◯…
「…なんで金庫?寝室で寝るんじゃなかったの?」
至極まっとうだと思われる我が疑問に、セラ様は答えられる。
「この国の法律で、王家の依頼は半分が前払いと定められている。だから、この順番に。それから……私は寝室に女中を呼んだ試しがないので、相場が分からないのだ。この宝物庫で、君の心に触れたものはあるかい?」
国庫ではなく、王家の財産だという宝物庫。
その一区画に、セラ様の私財置き場があり。たとい私の希望物がセラ様のものでなくとも、彼は交換をしてくれるという。
自腹で、ほかの王族から買うなり交渉するなりして、都合してくれると言うのだ。気前がいい皇太子だ。それに律儀。
(…両親の名前について、頼んでもいいかもしれない……)
報酬は金銭ではなく。父母のことについて調査する許可や、改名の願いでも、許されるかも…!
でも私は、ワイン蔵のような、アーチで区切られた石の地下室をすてすて歩いた。
案内してもらった以上、当座は宝物庫を見て回ろう。滅多にない機会かもしんないし!おもしろい物が見れるかも。
セラ様は3歩後ろを保って付いてくる。
「いろいろございますねー」
「そうですね。」
ちなみに超暗い。
宝物庫といえばキンキラキンの印象を持ってて、実際入り口付近はそうであったのだが。奥に進めば進むほど、美術品の保管性等も考えられた、暗く涼しい空間へと続いてゆく。だから物色しづらい…。
ランプ片手に、目を凝らしながら突き進む私。
セラ様は2歩後ろを保って付いてくる。
「気になるものがありましたら、明るいところで見ましょう。きっと綺麗ですよ」
そう提案される皇太子に、頷く私。
彼は1歩後ろを保って付いてくる……。
「あの、皇太子様」
「はい、なんでしょう?」
「ええっと、歩きづらいのですが…」
セラ様は私の0歩後ろを……いやもう、私の靴のカカトを踏まないと死んでしまいそうな密着ぶりだ!
「そ、そんな怖いんですか」
「まさか。」
はっはっはっはっはっはっはっは。そうセラ様は笑われて、私から蝋燭ランプを取ろうとなされる。
「いい品が見つかりましたね。とっても綺麗に輝いてますよ」
「セラ様、それランプだから。持参物だから。」
「明るいところで見ましょう。きっと宝に似たランプですよ。」
「引っ張るな。私を明るいところで見ようとするな」
結局、前金を物色するどころでなく。私はまま寝室へ直行することとなった。日は落ちて、夜の帷はハイマカランの皆を優しく包んでいる。
しかし、この皇太子、手厚い治療が必要なんじゃないか?
登場人物紹介:
◇セラ皇太子
舞台の国の皇太子。ワーカホリック。趣味は裁縫、剣闘訓練、クイズ。
愛すべきバカ3号。