31 最悪
「酷いよ…先生…。」
彼女は小さくそう呟くと、俯き、忙しそうに動かしていた手をピタリと止めてしまう。
そこに、先程まで楽しそうに夕食の準備をしていた彼女の姿は無く、あるのはただただ重苦しい沈黙だけだった。
「す、すまないマシロ。今のはほんの冗談のつもりだったんだ。本気で言ったんじゃない。」
気まずい空気に耐えきれない俺は、少しでも場を和ませようと、そんな弁明をする。
「冗談でもっ!!冗談でも…そんなこと言って欲しくない…。先生なら、きっと…」
だが、それは再び彼女の神経を逆撫でただけだった。
「先生ならきっと…私が、お母さんの事を大切に思ってる事を…死んでなんか欲しくないって、ずっとずっと、長生きして欲しいって思っているの、分かっていると思ってた…。でも、違うんだね…。」
マシロは、何かを堪えるような表情をしながら、そう言う。
「すま…ない…。本当に無神経な事を言った…。俺は、ただ…マシロがまた母親と一緒に居れたら嬉しいだろうなと思っただけで…人が…現世の人が此処に来る意味を、それを聞いたマシロがどう感じるのかを、考えられていなかった…」
そんな彼女に、俺はただ謝ることしか出来ない。
「あ、そっか…」
しばらくまた、室内に静かになったかと思うと、不意にマシロが何かに気が付いたようにそう呟く。
「先生、勘違いしててごめんね?」
マシロは、いつもの花咲くような笑顔ではなく、何処か取り繕ったような、ぎこちない笑みを浮かべて俺に謝罪をする。
『マシロは何も謝るようなことをしてない。悪いのは全部俺だ!』
何を謝られているのか分からないが、とりあえずそう言おうとした。
けれど、その前に彼女の発した『先生はずっと、いつもお仕事だからって言ってくれてたのにね。』と言う言葉に、俺は何も言えなくなった。
「勝手に勘違いして、優しくされてるって思っちゃって…。迷惑そうな顔をしている時があるのも本当は気付いてたの…。でも…」
『違う!そんなことない!!』
そう大きな声で言えれば良かった。
彼女の言葉を否定しなければ。
そう思うのに、俺の口はパクパクと空気を吐くだけで、何も話してくれない。
分かっているからだ。彼女の言葉を否定しきれないことを。自分自信が一番良く。
「先生…、先生には言ってなかったけど、私、自分で転生を希望した訳じゃないの。」
そして、最悪なタイミングで、1番聞きたくなかった情報が、彼女の口から開示される。
俺が言葉を紡げないでいる間も、マシロの告白は続く。
「だから、先生はもう、私のこと…頑張らなくて…良いよ。」
マシロは、あの日以来の涙をボロボロと溢しながら、決別の意思を伝える。
「ありがとう、先生。さよなら…」
「まっ待て!マシロ!」
そんな、形だけの静止でマシロが足を止めるはずも無く、俺がそれ以上何かを言う前に、彼女は外へ走り出して行く。
「マシロ!!」
離れていく背中に俺はそう叫ぶが、彼女は1度も振り返ることも無く、暗闇の中へその姿を消していく。
本当なら、すぐにでも追い掛けたかった。
けれど、マシロの最後の言葉が重りとなって、俺の足を固く玄関に縛り付けていた。
「くそっ!俺は何をやってるんだ!」
そう言って、ようやく俺が見えない拘束を振りほどいた時には、既に辺りには静寂が戻って来ていた。
俺は、今の気持ちのまま、彼女を追いかける事も出来ずに、1人家の中に戻る。
「最悪だ…。何もかもが最悪だ!」
誰も居ない部屋で、俺の声だけが虚しく響く。
こんなはずじゃなかった。そんなつもりはなかった。
そんな弁明の言葉ばかりが、頭の中に浮かぶ。
「俺は、何て答えれば良かったんだ…」
考えている間に時間が経ち、すっかり冷めてしまった料理が、まるで彼女の心を表しているような、そんな錯覚に陥りながら、俺は明日の仕事に向けて、行動を開始するのだった。




