愚か娘の暴走、我慢の突破
「やめてくださいっ!!」
ずっとジェノスフリートの腕の中で震えていたチリルは、彼の前に立つと両手を広げ震えながらエリザヴェーラと対峙した。
チリルはジェノスフリートの影に隠れて出てこないと思っていたエリザヴェーラは、彼女の意外な行動に目を見張った。どういうつもりでこんな行動に出てきたのか…、行動が読めないが彼女なりにジェノスフリートに情があるのは理解出来た。
たとえ其れが、絵空事に酔いしれた痛い衝動だとしても。
ジェノスフリートも、チリルの行動に驚き呆けた顔でチリルの背中を見つめている。
「.......どうしました、チリル嬢」
「こ、これ以上.......ジェノス様を虐めないでくださいっ!いくらジェノス様が好きで堪らないからって、訳の分からない話で追い込むのは良くないです!エリザ様も女の子なんですから、素直にならないと嫌われてしまいますよ!そんなの可哀想ですっ!」
「───は?」
エリザヴェーラは、チリルの言った内容を直ぐに理解出来す腑抜けた声をこぼした。
理解したと当時に、頭が痛くなり疲労で目眩もしそうになった。目の前の娘は、今までの2人のやり取りをそばで見聞きしていたと言うのに、何一つ理解をせず突拍子も無い思考を暴走させている。
どんな思考と知能を持っていれば、2人の様子を見てエリザヴェーラがジェノスフリートを好いていると思うのか、どう見ればエリザヴェーラは己の好意を素直に伝えられてないとなるのか。謎すぎて、もはやエリザヴェーラはチリルに恐怖を抱く。
生きている人間の数を割り出してみれば、常軌を逸した人種がいると聞いていたが、実際にそんな人種と相見えこうそて会話を交わしてみれば、その異常さをありありと体感し彼女には人の言語の意味を理解できないのでは?と言う答えが出てきている。
「───お、おほほ.......申し訳ございません。少々、貴女の仰る意味が理解できないのですが.......私が、殿下を好いている故に厳しい事を申し上げている。と?」
「そうですよね?エリザ様はジェノス様の婚約者.......あ、もう破棄されたので『元』婚約者でしたね!元とはいえ婚約者だったのですから、好きなのは当然ですよね?好きじゃない方と婚約するなんて有り得ません!そんなの『現実にある訳ない』ですもの。ましてやジェノス様は、見目麗し王子様!恋しない要素なんてありませんでしょう?」
王族、貴族の立場となれば恋愛感情なくとも婚約を結び結婚するのは必然である、だがそれをチリルは『現実にある訳ない』と否定した。現実を現実と見ない彼女に、誰もが寒気を覚える。
「おほほ.......、さあ?分かりかねますわ。私、殿下の外見の良さは認識していますがそれを前提としてお相手していた訳ではありません。私と殿下の婚約は、生まれた瞬間から定められていた決まり。そこに愛が無くても、定められているので」
「えぇ!エリザ様、お目が悪いのですか.......?それに愛がなくてもなんて、本当の愛を知らないからそんな事を言えるんですね、お可哀想にクスン.......。きっと、ご家庭も冷めているんでしょうね。お父様も愛人がいたり、お母様も若い恋人を作っていたり。誕生日も1度も祝って貰えた事もないんですね!」
「ッ......あなたっ」
──ぎりっ──
エリザヴェーラは、綺麗に列をなす白い歯が鈍い音を立て軋む程に歯を噛み締める。
歯を傷めると言われ、どんなに理不尽なことや不愉快な事態に陥っても決して歯を噛み締めることはなかった。が、最愛たる両親と2人と過ごしてきた日々をチリルの馬鹿げた妄想で汚点のように汚され、湧き上がる衝動のままチリルに手を挙げそうな自分を抑える為に噛み締めるしかなかった、例え歯が砕けていたとしても手を上げてしまえばこちらのフリになってしまうのだから。
「可哀想なエリザ様、ジェノス様は私と結婚するのでお返しは出来ませんがいつかは、エリザ様にも出会いがありますよ!私、応援してしますわ♪あ!良かったら、私が結婚して宮廷に住むようになりましたら、私のお話相手としてお呼び致しますしょうか?それなら、宮廷の中にいる誰かと仲良くなれ」
「ッ───チリル嬢、少々お口を閉じて下さいまし」
「え、え?何故ですか?私、エリザ様の為に言ってあげているだけですよ。もしかして、エリザ様は高望みする方ですか?それはちょっと良くないと思いますよ」
今までの弱々しい態度が嘘のように、チリルはスラスラとエリザヴェーラを見下すような事をとめどなく言っていく。
そのあまりの酷さに、エリザヴェーラは静止をかけるもチリルは理解できす心底不思議そうに首をかしげ、エリザヴェーラを侮辱する。ここまでくると、チリルは意図的にエリザヴェーラを煽っているのでは無いかと疑ってしまう程に、チリルは堂々とした態度でエリザヴェーラの精神を逆撫でて行く。
歯を噛み締め、呼吸を整え衝動を抑えようとするエリザヴェーラの姿を、周囲の者達は痛ましい眼差しで見守る。誰かしら助け舟を出しても良いだろうが、同じ人間なのか疑わしい人種と声を荒らげ冷静さを無くしつつある者を相手にする勇気はない。エリザヴェーラにとっては、余計に話を拗らせられるよりも精神的に負担がないので有難かった。
「お願い致します.......少しでいいので黙ってて下さい」
「キャッ、怖いわジェノス様ぁ!私.......エリザ様の為に言ってあげたのにぃ、黙れなんてっ、エリザ様は冷たいですっ」
「大丈夫かい、チリル?.......お前、いや、貴様っ!チリルの優しさを理解せず、それを蔑ろにするとはまるで氷の様な女だ!きっと、チリルの言った事が事実で何も言えぬのだろ?ベレンツ夫妻は、相思相愛で大恋愛の末に結婚したと有名であるが.......それも疑わしいな!貴様のような卑劣な女の親だ、金でも使ってそう都合のいい美談を広めたのだろう!」
その瞬間、エリザヴェーラの頭の中で『プツン』と、糸切れる音がノイズのように響いた。
エリザヴェーラは、握りしめていた扇を磨き抜かれている床に叩きつけ、誰も止める暇も与えない速さで2人に詰め寄ると、レースの手袋をみにつけた手でジェノスフリートの横っ面を力いっぱい引っ張叩いた。
引っ張叩かれたジェノスフリートの頬には、レースの編み目に擦れ薄く赤い痕がクッキリ残った。
ジェノスフリートを引っ張叩いた手を抱きしめ、ブルブルと震えながらエリザヴェーラはジェノスフリートを憎々しく睨みつける。間近でその瞬間を見ていたチリルは、両手で口を覆い隠し硬直し引っ張叩かれたジェノスフリートも、自分の身に起きた状況を飲み込めず鈍い動作でエリザヴェーラに叩かれた箇所に触れるも、そこからはチリル同様に硬直している。
そんなジェノスフリートを見て、エリザヴェーラは己の負けを確信した。たとえ、身内が侮辱されても耐えて己の激情を押さえ込み、反撃する瞬間まで大人しくしている事を教えられてきたと言うのに、エリザヴェーラは耐えられなかった。自身の未熟さによる失態を、帰りを待っている両親に心から詫びるのであった。
そこから、エリザヴェーラは距離をとりカーテンシーをしながら深深とジェノスフリートに向けて頭を下げる。たとえ、目の前の男が最低なクズ人間であっても相手は王族.......手を上げるなど、あってはならない。心に反発を抱いていても、頭を下げ謝罪をせねばならない。
「申し訳.......ございません。我が無礼な所業、殿下の顏を傷つけた非礼.......深くお詫び申し上げます.......」
「───は.......?きさ、女の分際で......王族である、私を......」
「きっ、きゃあああっ!ジェノス様、大丈夫ですか!?エリザ様、酷いです!王子様であるジェノス様を叩くなんて、野蛮な人!謝ってください!早く早く!」
(既に非礼を詫びた事は、この2人の耳には入っていないでしょうね。自分達の好む言葉、気持ちよくなれる瞬間になるまで.......)
「っ.......申し訳ござ」
「貴様ぁっ、よくも私の顔に傷を付けたな!!?その程度の謝罪で許すものか、即座に私の足元に膝まづいて、床に頭を押し付けて謝れ!!優秀と持て囃されている貴様の頭を踏みつけてやるっ!」
「お詫び申し上げはしますが、それについては拒否いたします」
「はっ!!?貴様!貴族といえど、たかが民草の分際で王族である私の命令に歯向かうのか!」
「ええ、歯向かわせていただきます。貴方は私の愛する両親を侮辱し、2人が寄り添い歩んできた人生に唾を吐きつけられました!!私だけならば、まだ水に流せましたが両親にまで巻き込むのでしたら話は違います、ここまで我慢して参りましたがもう無理です。王太子殿下、貴方というお人は人間のクズでございます」
「なんっ」
「以前から問題ある方でしたが、多少なりとも聡明さのある方でしたのに。そこのチリル嬢.......いいえ、チリルの拙い色香に惑わされ僅かにあった聡明さも失われた。そんな貴方に残ったものは、傲慢と歪んだ価値観。女性軽視に、自分が王族という無駄に高いプライドと権利に頼る愚かさだけ!加えてそこの女の口車にまんまとのっかり、自分にとって耳障りのいい言葉しか受け入れない幼稚さと軽薄さ!本当に愚かでございますわ、いえそれ以上に醜いでしてよ!」
「わた、私が醜くいだと!?っ───貴様、貴様貴様貴様っ!!エリザヴェェェラァァァっ、高貴なる私を侮辱するのぞ死罪に値するっ!!我が名において、貴様も貴様の家も諸共すべてこの世から消し去ってやるっ!!くそくそくそくそっ、女のくせにっただ男より出来がいいからと調子に乗りやがって......、さっさとチリルに謝罪して婚約破棄を突きつけられ泣いて私に『捨てないでくれ』と縋り付いていれば、せいぜい遊び相手として置いてやってもいいと思っていたのに、私の温情を無碍にしやがって!!!」
「ジ.......ジェノス、さま.......?落ち着いて下さいな、そんなに怒っては折角の美しいお顔が」
「黙れェ!たとえ愛して『やっている』お前でも、私のする事言うことを否定する事は許さないからな!」
「ひぃっ.......!?エ、エリザ様のせいだわ!貴女があんな事するから、ジェノス様が変わってしまわれたんだわ!酷いひどい、なんて恐ろしい女なの!!ジェノス様を返しなさいよ、悪役令嬢っ!!」
混沌───。
修羅場───。
この世の地獄───。
とは、まさにこの状況を言うのか、
激高したジェノスフリートの豹変具合に、この状況においてもエリザヴェーラを悪と決め込み責め立てるチリル。2人の姿は醜悪極まり、エリザヴェーラですら恐怖で凍り付き観衆の中には2人の醜悪ぶりに吐き気を引き起こすモノまで出てきている。
もう、誰もこの場を収める事はできない。
と誰もが自身の未来を悲観していた瞬間───。
「黙るのは、其方たちの方である」
重みと威厳ある声が醜悪な2人の雑音をかき消した。
いつの間にか、観衆の背後の扉が開かれておりそこに数名の騎士を連れ添った男女が佇んで居た。
男は、頭に『平和』と『調和』の意味を持った宝石が嵌め込まれた冠をのせ胸には、若かりし頃に己が実力で手に入れた幾多の勲章を飾り、眼差しは猛禽類の如くするどい。傍らには、男の腕に身を預けるように自分の腕を絡めた妙齢な美しい貴婦人が湖の水面の様に清らかな笑みを称えている。
男女の姿を目視した観衆の誰かが上擦った声で叫んだ。
「こ───国王王妃両陛下っ!!」
そう。現れたのはジェノスフリートの両親でありこの国を治め、多くの人が敬愛と尊敬の意を捧げる存在であり、この場をおさめジェノスフリートを真に咎められる者。
ジュノリード・ローデンハイド国王
と、その愛妻
アルティリア・ローデンハイド王妃
であった。
……To be continued