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夢見がちな少女

ここで、チリル・ヴォーグンという少女に付いて語ろう。


チリル・ヴォーグンは、今は男爵令嬢と言う身分であるが2年前まで片田舎に暮らす平民で、貧しいくは無いが質素な生活を送りながら1人暮らしをしていた。元は、母と2人で暮らしていたが病で母が先立ち以来、近所の住民の助けを借りながら日々を生きていたある日、重厚感ある馬車が彼女の住む集落に訪れた。


片田舎に不似合いなそれに、誰もがチリル自身も不安を駆り立てられた。

今まで、そのような馬車を見たことないのだから当然だ。しかも、その馬車から身なりのいい男が降りてくるのだから尚のこと、見るからに貴族とわかる身なりに誰もが警戒を覚える。王都の中心近くに暮らす平民を除き、多くの平民達は貴族にいい感情を抱いていない。全て等しくではないが、横暴や傲慢な貴族に苦しめられているのだから、好印象を抱けと言うのは無理な話である。


この片田舎でも、貴族への印象は良いものでは無かった。故に誰もが現れた貴族に警戒した、王都に暮らし明日のパンや野菜、薬等の心配をしたことない恵まれた人間が何の用だ?と。

貴族の男は、片田舎の大地を高そうな靴で踏みしめその場に集まっている平民達の顔を1人1人と見て歩く、それはまるで誰かを探しているように。


そこで、出会ったのがチリルであった。


男はチリルをよくよく見つめ、やや細めな瞳を見開くと早歩きでチリルに駆け寄って、彼女の目の前───高そうなスーツが汚れる事も気にせず───に片膝をついて、彼女の水仕事や畑仕事で荒れた手をおのれの肉厚な手で包んでこう言った。


『おお.......その顔、その瞳の色!まさり※リリルそっくりだ!』


チリルは初対面な見知らぬ貴族に手を握られ、不快感を隠さずに眉を潜めると握られた手を振り払い、手を胸に抱き込み距離を取った。


『な、何ですか!?いきなり.......、私の母の名前をなぜ貴族様がしっているんですか!?』


当時のチリルは14の少女。

肉体的にも精神的にも成長途中であるが故に人一倍、接触やコミュニケーションに敏感な年頃だ。チリルは恐れを押しのけ、不快感と怒りで男を睨みつけ愛らしい声で怒鳴りつける。

貴族の男は、普段であれば少女と言えど平民相手にこのような態度を取られれば激怒していたであろう、が男は怒りもせずにチリルを微笑ましそうに眺めている。その姿がいっそう不愉快で、気味悪くチリルは感じていた。

男は膝についた土埃をハンカチで払い、立ち上がると一定の距離を保ちながらチリルと対面して、落ち着いた声色で話しかけてきた。


『素性も明かさずに、無粋に真似をしてしまって申し訳ない。私はカシオス.......ローデンハイド国に暮らすヴォーグン男爵だ』


『だん.......しゃく.......?』



『そう。爵位は低いがそれなりに裕福な家柄の名称と思ってくれればいい。さて君は、リリルの娘のチリルで間違いないか?』


『そう、ですが......それなりに裕福な家柄の方が、私の母とどんな関係ですか?母から1度も貴方の話を聞いた事ありません』


そうチリルが言うと、カシオスは参ったなぁと言うように己の頭部をかいて苦笑いを浮かべた。



ここで、チリルの頭にある予測が浮かび上がった。

チリルは、夢見がちな少女である。彼女の暮らす片田舎にある娯楽は微々たるもので、書籍などは月に一度訪れる移動式の本屋で購入するしか入手方法がない。書籍は高額なものでは無いが、どれもが古書で貴族達が読み捨てたモノばかり。勉学が乏しい片田舎では、貴族の読んでいた書籍の内容は難しく手に取る事も躊躇されがちだが中には、子供向けの書籍が混じって売られている時がある。

子供向けな故に、内容は読みやすく話も面白い。集落に暮らす子供達は、冒険物語に夢中になる中でチリルは、恋愛物語が大好きであった。

見目麗しい王子が、悪に連れ去られた姫を助けるために幾多の苦難を乗り越え最後に姫と結ばれる話や、可憐な娘が善良な妖精の魔法によって姫に変身し、王子と心を通わせ最後は結ばれる話などである。


特に1等お気に入りなのが、貧しい生まれの少女が実は貴族の血筋を持っており彼女を本当の家族が迎えに来て娘を煌びやかな貴族の世界に導かれる話だ。

その話で、少女は不慣れな生活や堅苦しい貴族社会に心細い日々を送り時には、突然として自分達と同じ土俵にあがってきた少女をこころよく思わない令嬢達から虐げられ心もすり減らしつつも挫けず健気に日々を耐え抜いていた。

そんな少女を、その国と王子または1番の血筋を持った令息が見初めふたりは恋に落ちる。そして、幾多の苦難を乗り越え最後には多くの人々に祝福され幸せに暮らすのだ。

物語の中に出てくる意地悪な令嬢達は、揃いも揃って美しくあるが、その内面は醜く凝り固まった価値観や山より高いプライドに塗れ、王子または令息に愛される少女を妬んでくる。その中でとりわけ目立つのが、俗にいう『悪役令嬢』という存在。


内面が醜い令嬢達を従えさせる高貴な爵位の生まれで、その性格も最悪としか言えない。そんな悪役令嬢は、少女と愛し合う王子または令息の婚約者なのだから少女の事を多いに妬み憎んでくる。

その憎悪たるや、子供向けのつたない文章でも恐ろしいが伝わってくるほど。だが、最後は悪役令嬢は正義の鉄槌を受け身を滅ぼし物語から退場する。その時の胸のすくう思いや、少女を守り悪に立ち向かう王子または令息の堂々たる風格は思い出しても胸踊る。

今、チリルが置かれている状況はその物語の序章の場面に似ている。もし、あの物語が実際に起こり得るのなら、目の前にいるヴォーグン男爵は自分の父親だと名乗り出てくるに違いない。


『チリル。驚くし信じられないだろうが君は───、私の実の娘なのだよ。君の母リリルは以前はヴォーグン家に仕え、当時の女主人.......私の母の侍女でね』


チリルは、カシオスの予想していたのとは別の意味で驚きそして歓喜で震わせた。


(まさか!まさか!!予測とはいえ、本当にこんな事が有り得るなんて.......!もしかして、あの本は私の事を描いた預言書?何度も読み返し、すっかりボロボロになって読める状態じゃなくなってしまったけど、もし預言書なら私は王子様か貴族の令息に見初められ、お后様か貴族夫人になるってことよね?なんて素敵なの、もう明日の食事や健康の心配も畑仕事で汚れる心配も、お風呂の心配もしなくてすむ.......ううん、それ以上に裕福な生活が永遠に続くのだわ!)


カシオスが色々と語っている内容を聞き流し、チリルは心の中で狂ってしまう程にこれから待つ幸福で優雅な、贅沢な未来を思いを馳せていた。

そして、カシオスがチリルを引き取りたいと言うも、もし嫌なら援助だけでもさせて欲しいと言ってきたが、チリルは何の迷いも躊躇もなく二つ返事でカシオスに引き取られる事を選んだ。チリルは夢見がちな少女である、だがその夢見がちな部分を除けば常識的で普通に情のある娘だ。彼女が冷静であれば、生まれ育ち母を亡くした自分をずっと支えてきてくれたよう人達をアッサリと捨てるような選択を選ばなかっただろう。


そう、チリルは大変夢見がちな少女。

夢見がちなさは可愛らしい面でもあるが、それがあまりにも強く押し出てくれば判断を誤り、自ら平穏な幸福を手放してしまう。


チリルは、典型的なそんな少女である───。


そして、チリルはその日に生まれ育った集落を重厚感ある馬車に飛び乗り去っていった。彼女の旅立ちを惜しむ者や、悲しむ者達の声を一切耳に通さず振り返る事もせず、もう自分の世界には存在していないかのように。

そんな彼女の姿に、カシオスは胸にモヤのようにモノを感じたが愛し守れなかった女性との間に出来た少女に、悪い感情を抱ける訳もなくそのモヤから目を逸らしたのであった。

男爵家に迎え入れられたチリルは、持ち前の明るさや可憐な容姿で男爵家の使用人達にも受け入れられ、瞬く間に愛される令嬢へと育っていく。と同時に、誰も気づけずにいる彼女の夢見がちな面が肥大していくのである。



余談であるが、カシオスが既婚者である。と言っても、妻は儚げな女性でカシオスの子を身ごもるも難産の末に腹の子と共に天に召されてしまった。

妻を愛していたカシオスは、その喪失を埋める、あるいはおぎなうかのようにかつて愛したリリルの存在を思い出し、チリルの存在を知ったのだった。

この行動が、果たしてカシオスにとって幸福なのかは.......カシオス自身も答えを出せない。


リリルの存在を今更思い出したのは、果たして愛なのか.......それとも最愛である妻を失った悲しみに耐えきれず、己を欺く為の行動なのか.......。


答えはやはり出てくることはない


【補足】

※リリルとは。

チリルの母親の名前である。また、余談であるが平民にはファミリーネームが存在しておらずファミリーネームを持つことを許されるのは、王家及び貴族のみである。



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