とある影、目撃する②
(おかしい……絶対に裏がある)
授業を見守りながら、影の心中には不安が渦巻いていた。
ウィルフレッドは、午後の授業に出席している。机に突っ伏し完全に寝てはいるが、影が知る限り、ウィルフレッドが午後も学校にいることはほぼない。
昼食を取ると、取り巻き達とどこかへ消えていくのが、日常だったからだ。
『どこか』と言っても、当然影は人知れず付けている。
それは街の盛り場だったり、高級娼館だったり、はたまた社交界で浮名を流し続けている男爵未亡人の家だったと、大概碌でもない所ではあるのだが。
そのせいで、王子でありながら留年する羽目になったどうしようもない男が、曲がりなりにも授業に出席している。
天変地異の前触れでないとすれば、もはや、何者かに操られているとしか思えない。
となると、その容疑者は一人。
強力な魔法を使いこなすことができ、護衛や影の妨害なくウィルフレッドに簡単に近づくことが可能で、なんなら既に前科がある人物――皇女アレクシア以外に考えられない。
アホだろうと一国の王子。宗主国とはいえ、文字通り他国の傀儡になってしまうなど、国家存亡の危機に繋がる。
(魔力の気配はない。だが、相手は魔法大国フレイヤの皇女。我らが知らぬ術があるのかも……)
「ウィルフレッドが自発的に更生しているのでは?」という意見は、残念ながら誰の頭にも思い浮かんでいなかった。
次は何を仕掛けてくるか――。周囲に緊張が走る中、優等生っぷりを遺憾なく発揮し、午後の授業を終えたアレクシアは、爆睡したままのウィルフレッドを顧みることなく、一人教室を後にした。
「『POF』はシーが護衛する。ユウは皇女を監視せよ」
「了解」
通信を受けた影は、速やかに天井裏に転移する。なにせ相手は著名な魔法使いである皇女。認識阻害の魔法で追尾できる相手では無い。
魔力の強い相手にする場合、案外原始的な方法が効果的だということは、影の共通認識である。
アレクシアは供もつけず、一人スタスタと廊下を進む。しかし、歩きながらさり気なく魔法を発動したことを、音もなく付いていった影は見逃さなかった。
(認識阻害!?しかも我らより遙かに強力な)
影はアレクシアをずっと見つめ続けていたため、何とか見失わずに済んだが、その他の人々はもはや誰一人、アレクシアの存在に気付いていない。
もし一瞬でも目を離せば、影も二度とアレクシアを見つけられなくなる、それほど強力な魔法であった。
誰からも気づかれず、アレクシアは二年生の教室棟に入っていく。
階段を上がり、屋上の扉を開くと、そこは数人の男子生徒が我が物顔で占領していた。
それは、影も昨年から見慣れた光景である。
ウィルフレッドと取り巻き達が良からぬことを企む際、集まる場所だ。ただし当然のことながら、今回ウィルフレッドはそこにはいない。
「ったく、あのバカにも困ったものだ」
「本当に。我らがいなければまともに話すこともできないくせに」
「腕っぷしは女にも勝てないしな。魔力もないし」
高位の令息たちが「バカ」と貶めている相手は、間違いなくただ一人だ。
表ではウィルフレッドに媚びへつらっている彼らの本心を、周りも薄々気付いている。それでも誰も咎めようとしないこの状況は、高位令息たちの実家が王家も気を使わねばならないほどの力を持っていることと、他の人間からも、王子、ひいては王家が軽んじられているこの国の現状を表している。
「まあ、担ぎ上げる王は軽いに限る」
この中で最も力を持つショーン公爵令息が言うと、周りもどっと湧く。
「でも、あのアホ、小さい頃一度魔法を発動したことがあるとか、噂で聞いたぞ」
「ああ。炎の魔法で教育係を怪我させたとか。まあ嘘だろ」
「父が言うには、何とか息子を継承者として認めさせたい陛下の、涙ぐましい作り話だとか」
聞くに堪えない悪口が国王にまで向かい始めた時、アレクシアが突如魔法を解いた。
「皆さまごきげんよう」
「な!……ア、アレクシア皇女殿下、なぜこのような所に!?」
アレクシアの突然の登場に、令息たちは動揺を隠せない。
明らかにマズい会話の内容を聞かれたかと、しどろもどろで挨拶をする彼らに、アレクシアは微笑みを浮かべ、何事もなかったかのように話しかけた。
「貴方、確か外交大臣ウェルスター卿のご嫡男ね?そちらは騎士団長ご子息でしょ」
「は、はい!アレクシア皇女殿下にお見知りおきいただけるとは、まことに光栄……」
「ウィルフレッド王子の狼藉を諫めもせず、ぼんやり見ていただけの無能ゴミクズどもね」
紅潮していた貴族令息達の顔が、一気に硬直し、みるみる青ざめていく。
その形の良い唇から、信じられないくらい汚い言葉を吐いたアレクシアは、スッと無表情になった。
「単なる腰巾着ならばバカでもできる。将来国政に携わろうと思うのならば、今一度己の立ち位置を見直せ。今のお前達は、王子にとっても、そしてこの国と民にとっても、害にしかならない」
ショーン公爵令息の耳元に顔を近づける。
「しばらくわたくしとウィルフレッド殿下の前に姿を見せぬように。もしわたくしの視界に入ったら……骨まで灰にするわ。貴方も、貴方の一族も」
鈴を転がすような美しい声ではあるが、冗談とは思えないトーン。物騒なセリフを吐いたアレクシアは、「それでは、ごきげんよう」と微笑みを残し、颯爽と去っていった。
……と思いきや、人気のない階段を下りた途端スッと振り返り、天井を見上げた。
その視線の先、天井の裏には、アレクシアの動向を監視するチェスナットの影が潜んでいる。
「今見たことは忘れてもらわないとね。今はまだバレたくないから」
そう言うや否や、魔法が影を直撃する。
「がっ!!」
厳しい訓練をくぐり抜けた影でも反応すらできぬスピードで、魔法が繰り出された。
影はなすすべなく、天井裏に倒れ伏した。
◇◇◇
「……お……おい!聞こえているのか!?」
「はっ!?は、はい、聞こえております!」
「皇女の監視はどうなっている?」
影はあわてて体を起こす。そこは薄暗い天井裏だ。
(まさか寝てしまったのか!?そんな馬鹿な!)
過去、一週間の不眠不休任務すらこなしてきた影だ。単純な護衛任務中にうたた寝をしたなど、自分自身が信じられない。
慌ててアレクシアの気配を探ると、意外にもすぐ真下にその存在を感知した。
下は学園内の談話室。アレクシアは貴族令嬢たちに囲まれ、今流行のドレスのことなど世間話をしながら、笑顔でティータイムを楽しんでいる。
「……異常ありません」
(確か授業が終わった後、皇女は一人でどこかへ向かっていて……いつの間にここに来たんだ?)
ずっと監視していたはずなのに、いつの間に談話室まで来たのか、途中から記憶が一切ない。
気持ち悪さと言い知れぬ恐怖を感じながら、影は監視任務に戻っていった。