とある影、目撃する①
チェスナット王国王立貴族学園はちょっとした街レベルの広大な敷地を有し、様々な施設が完備されている。
食事を取ることのできるレストランやカフェもいくつかあるが、高等部生が多く利用するカフェは、ランチタイムのため混雑していた。
新学期ということもあり、慣れない様子の新入生と、利用方法を教える上級生の姿がそこかしこで見られる。
そんな中、カフェの入り口付近に一人佇む男がいた。
彼は学生にしてはやや年が上だし、教師にしては服装が質素だ。少々違和感のある姿だが、行き交う生徒たちは、彼に目を止めることすらしない。
稀に強い魔力を持つ生徒がその存在に気付くが、何か心得たかのように、目を逸らしスルーする。
彼は『影』と呼ばれる存在。国王直属の隠密集団に所属し、第一王子の護衛を担当する者の一人である。普段は認識阻害の魔法を使っており、その存在は一般人どころか、護衛対象者本人にも気づかれていない。アホでも一応第一王子、多数の手練れが二十四時間、全方位から守っている。
「『POF』、教室より移動中。アレクシア皇女、オーシス公爵子息、ノースウェイ子爵令嬢同行」
「……ユウ隊了解。カフェにて待機中。不審者なし」
仲間からの通信を受け、彼はカフェ内に目を配る。ちなみに、『POF』とは、影の中で使われている第一王子のコードネームだ。深い意味は無いとされているが、実は『アホの王子』の略であることは、護衛隊内の極秘中の極秘事項である。
なにせ、感情を捨てて任務あたる影とはいえ、そのくらいのささやかな抵抗をしたくなるほど、第一王子のクズさは目に余った。
彼らの仕事は、護衛対象の身体を守ること、それ以外のことは何があっても首を突っ込むことは許されず、ひたすらに存在を消し続け、護衛対象を見守り続けなければならない。
だが、第一王子は傍から見て、守る価値を感じないどころか、殴りたくなるほど腹立たしい人間だった。
例えば、このカフェ。昨年も高等部一年生だった第一王子は、取り巻き達を引き連れ、毎日利用していた。
そして、一番良い席を独占し、バカ騒ぎするだけならばまだ良いほう。目を付けた男子生徒に因縁をつけて暴力を働いたり、気に入った女子生徒を無理矢理隣に座らせ、体を引き寄せたりするなど、権力を笠に着てやりたい放題だった。
もちろん公衆の面前であり、決定的にヤバいことまでは至っていない。だが、身を固くして理不尽に耐える少年少女の姿は、冷静な影でも腸が煮えくり返り、魔法を放ってやりたいと思ったことは、一度や二度ではない。
それでも、影が止めに入ることは許されない。例え第一王子が理由なく人を殺そうとも、第一王子に危険がない限り、黙って見ていることしかできないのだ。
……では、なぜアレクシアがウィルフレッドの髪を炎上させた時、助けに入らなかったのか。
『相手が帝国皇女だったから』今のところ、王からも文句は来ていないので、影たちの中では、そういうことにしている。
「ざまあみろ」なんて、そんなこと思っているわけ……。
さて、話を戻そう。
カフェで控える影の前に、護衛対象とアレクシア、ベネディクト、シンシアの四人組が現れた。
見るからに浮かれているウィルフレッドが、涼しい顔のアレクシアの横をチョロチョロし、ベネディクトが必死に押し止め、シンシアが子犬のように怯えながら続く。異様な緊張感の漂うグループだ。
「さて、こちらは何が美味しいのかしら?」
「肉だな。なんか、焼いた肉に白くてドロッとしたものがかかっているやつ」
「ホウロ肉のホワイトソースがけのことかと存じます」
ウィルフレッドの実に不味そうな説明を、ベネディクトが必死にフォローする様子を、カフェに居合わせた生徒たちは固唾を呑んで見守っている。カフェ全体に緊張感が広がっているが、当のウィルフレッドはご機嫌だ。
そして、アレクシアもまた、微笑みを浮かべたまま、「ではそれをいただこうかしら」と何事もなかったかのように、注文をしている。
(で、殿下が、まるで普通の学生のようだ……)
影でさえそんな失礼な感想を抱くほど、その光景は、『ちょっと頭の悪い生徒と友人たち』、或いは『ガキ大将とそれを見守る大人な友人』と呼べるような、平和な学園風景だった。
「殿下!」
そんな空気をぶち壊すような、大声が響いた。
他の生徒を押し退けるようにズカズカと現れたのは、招かれざる客――ウィルフレッドのこれまでの取り巻きたちだった。
「おう!お前らか」
(まずい。あいつらが来てしまったか……)
彼らを見た途端、ウィルフレッドの雰囲気が少々変わり、影は内心舌打ちをした。
ウィルフレッドは馬鹿で傲慢で粗暴な男に見えるが、二十四時間見守る影から言わせれば、根はかなり気の小さい男だ。
その証拠に、取り巻き達にチヤホヤされると調子に乗り道を踏み外しまくるが、一人の時に他人に危害を加える姿を見たことがない。
先程までのウィルフレッドも、語彙力に問題はあったものの、アレクシアにおすすめ料理を教えるなど、あれでもウィルフレッドにしては気を使っている様子が見られたし、一応周囲への遠慮が見られた。
それが、あの悪友たちが来たことで、元のアホ王子に戻ってしまう――ウィルフレッドの生態を知る者たちは、皆苦虫を噛み潰したような顔になった。
「ウィルフレッド様、ちょっとよろしいかしら」
その時、アレクシアがウィルフレッドを呼び止め、耳元に何事かを囁いた。
時間はほんの数秒。しかしその直後、ウィルフレッドの顔がみるみる赤らみ、焦ったように片手を振って、無言で元取り巻き達を追い払う仕草をした。
「貴様らとは学年が変わったからな。俺のことは構うな。……さ、アレクシア皇女、席へ」
そう言うと、ウィルフレッドは椅子を引き、アレクシアは自然な流れで、その椅子に腰かけた。
全員が、その光景をあんぐりと口を開けて眺めていた。
「ば、ばかな……」
「王子殿下が、エスコート、しただと……?」
別に本人が公言したわけではないが、ウィルフレッドの辞書に『レディファースト』という言葉はない。
ウィルフレッドの中にあるのは、『俺ファースト』。ただそれだけだと、誰もが確信している。
(まさか、精神支配の魔法か!?)
ベネディクトや影たちの頭に、最悪の想像が浮かぶ。
魔法の素養のある者たちは即座に探知を開始したが、アレクシアからの魔力の発動は感じられず、ウィルフレッドにも魔法がかけられている気配はない。
(いったい、何が起きているのか……)
そして、皇女は何を企んでいるのか。
優雅な仕草で肉料理を口に運ぶアレクシアに、影は不吉な予感を抱いていた。