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子爵令嬢、困惑する

 シンシア・ノースウェイは、困惑していた。


 可もなく不可もない、ごく普通の子爵家に生まれたシンシアは、両親や兄弟に囲まれて何不自由なく育ち、王立貴族学園初等部を卒業後、そのまま高等部に進学した。この国の貴族令息令嬢の大多数が辿る道筋である。

 そして卒業後は、ごく一般的な貴族令嬢同様、家同士で定められた相手と結婚するだろうと、シンシアは特に疑問もなく受け入れていた。


 だが、入学式翌日、その日から、シンシアの『普通の人生』は大いに迷走することになる。


 最初の想定外は、シンシアと同じクラスに、フレイヤ帝国第一皇女、アレクシアが留学してきたことだ。フレイヤ帝国はシンシアの住まうチェスナット王国の宗主国であり、その第一皇女の勇名は、政治や国際情勢に疎いシンシアでさえ知っている。ちょっと物騒な噂も。


 ビクビクしながら遠巻きに様子を伺っていたが、アレクシアは正に完璧な皇女であった。

 非の打ち所のない芸術的な顔立ち、女性から見ても惚れ惚れする体型、いかなる話題にも対応する広範な知識、何気ない仕草一つとっても浮かび上がる気品。

 これほど素晴らしい女性を、シンシアは見たことが無い。


 そして、それは他の令嬢も同様。あっという間に令嬢たちはアレクシアの虜となり、憧れこそすれ、嫉妬など起こり得ないほどであった。


 とはいえ、シンシアは子爵令嬢。アレクシアとお近づきになろうなどとは思いもよらず、遠巻きに眺めていたのだが、公爵子息ベネディクトが何を思ったのか、いきなり『席替え』などと言い出した。


 ベネディクトの実家の公爵家と、シンシアの実家の子爵家は、領地を隣にしており、二人は幼少期からの知り合いである。とはいえ、国王の甥にあたるベネディクトと、しがない子爵令嬢のシンシアでは、身分は天と地ほど違う。

 成長し身分を理解するようになった頃から、ベネディクトはシンシアに睨むような視線を向けることが増え、怯えたシンシアは自然と距離を取るようになった。もう五年は会話したことがない。

 シンシアにとってベネディクトのイメージは『寡黙で怖い人』だが、真面目な人間であることは間違いなく、慣例を乱すようなタイプではない。まして下心があるとは思えない。


 動揺が広がる中、アレクシアの同意により、くじ引きが行われ、シンシアはアレクシアの前の席になってしまった。


 四六時中、アレクシアに背中を見られ続けるプレッシャーに、シンシアは戦慄した。アレクシアの目汚しとなるようなことは絶対に許されない。髪は跳ねていないだろうか、制服の背中にシワや汚れはないだろうか、頭や肩、腕の動きが目障りになってはいないだろうか――座って数秒で、シンシアは胃が痛んできた。


 そんなシンシアの耳に、とんでもない会話が飛び込んできた。


「皇女よ、昨日は行き違いがあったが、隣になるとは、俺と貴様……じゃない、貴女の縁は、神が望んでいるということだろう。どうだ、是非今宵……」

「ウィルフレッド様、手を放していただけますか」


 自国王子のろくでもない口説き文句と、アレクシアの凍てつくような声に、シンシアと隣の席のベネディクトは同時に振り返った。そこには、アレクシアの白くしなやかな右手を両手で包み込むバカ……ウィルフレッドがいた。


「わ、わ!アレクシア殿下!申し訳ございません!」


 凍りつくシンシアに対し、ベネディクトが目にも止まらぬ速さでウィルフレッドの腕を引き離す。

 パワーも運動神経もないウィルフレッドは、抵抗する間もなく、簡単にアレクシアから手を離した。


「何をする!」

「もう昨日のことは忘却の彼方ですか!?腕もぎ取られてもいいんですか!?」


 ベネディクトが捲し立てると、ようやくウィルフレッドの顔が青ざめた。


「いや、あ、その」

「良いのですよ。未婚女性の手を握ることが、チェスナットの挨拶なのでしょう?」


 そんな大胆な挨拶はチェスナットにはない。そもそも、座る席も男女分けていたように、むしろチェスナットの方が、フレイヤよりも男女の接触に厳しい国なのだ。

 アレクシアからの痛烈な皮肉だと分かっていても、ベネディクトや、他の生徒たちはもはや異論を挟むことができない。 ただ、ウィルフレッドだけが「そ、そうだ!」と見え見えの嘘をつく。


「まあ、構いませんわ、今後気をつけていただければ」と小首を傾げて微笑んだアレクシアは、チラッと視線をウィルフレッドの頭――質の良いスカーフと、その下のこざっぱりとした髪――に向けた。


「嫌なことをすぐに忘れることができるなんて、素敵だと思いますわ。羨ましいこと」

「そうだろう!」


 得意気なウィルフレッドに、「殿下、それ完全な嫌味ですよ」とは、シンシアもベネディクトも言えなかった。

 アレクシアはスッと立ち上がり、シンシアを見下ろした。


「さて、シンシア、ランチに行きましょうか。カフェに案内していただける?」

「へっ!?あ、は、はい!」


(なぜ私!?)と思いつつ、シンシアは急いで立ち上がった。アレクシアの接待は、上位貴族の令嬢がするものだと思っていたが、ご本人に指名されては従うほかない。


「……そうですね、せっかくですから、ウィルフレッド様たちもいかがですか?」

(え!?やめて!!)


 アレクシアの爆弾発言に、シンシアは抗議の声を上げた……かったが、当然出来ない。

 一方、予想外のお誘いを受けたウィルフレッドは、口を開けた間抜け顔のまま、呆けた。


「殿下?」


 ベネディクトに声をかけられて尚、硬直していたウィルフレッドだが、更に数秒後、突然脳内で何か線が繋がったらしい。飛び上がるように立ち上がった。


「よし!行くぞ!!」

「ちょっと!殿下お待ちください!」


 駆けだしそうな勢いのウィルフレッドをベネディクトが慌てて引き留める中、アレクシアは悠然と歩きだした。その後ろを、シンシアは出来る限り身を縮めながらついていく。

 自国第一王子、宗主国皇女、自国公爵令息という錚々たるメンバー、プラス平凡子爵令嬢という謎の集団に近寄ろうとする勇者は無く、生徒たちは廊下の両脇でただ茫然と豪華すぎるパーティを見送った。


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