公爵令息、巻き込まれる①
(はあ、まいったなぁ……)
十五歳の少年には似つかわしくない深い溜め息をついているのは、ベネディクト・オーシス公爵令息である。
父は王弟、母は他国の王女という非の打ち所のない血統と、王位継承順位第八位の地位、更にはチェスナット王国では減りつつある魔法の才覚さえ持っている超ハイスペック貴公子は、今、重たい悩みを抱えていた。
「貴様を俺の側近として取り立ててやろう、ベレディック」
「……畏れながらベネディクトです、殿下」
悩みの原因は、隣の席でふんぞり返っている自国の第一王子、ウィルフレッドである。
一歳違いの2人は従兄弟の関係になるのだが、ベネディクトの父、オーシス公爵が社交を好まないこともあり、あまり関係は深くない。せいぜい、公式行事で挨拶を交わす程度の仲だった。昨日までは。
ウィルフレッドの悪行は、当然ベネディクトも知っていた。ただ学年も違うため、接点は少ないだろうと油断していたところ、このバカ王子、建国史上初、王族でありながら留年をかましてきたのである。
これまでの取り巻き達と学年が離れ、一人、下級生クラスに放り込まれたウィルフレッド。
常人ならば大人しくなるか、それともこれまで以上に荒れるか――と思われたが、ウィルフレッドは、並みのメンタルでは無かった。
教室に入ってきたウィルフレッドは、静まり返る生徒の中を堂々と歩き、見知った顔であるベネディクトを視界に捉えると、ごく当たり前に隣の席に座った。元々その席に座っていた侯爵子息は、有無を言わさず追い出された。
いつもと全く変わらない、根拠なき自信に満ち溢れた態度。生来、人を使うことを何とも思っていない彼は、名前すらうろ覚えの従兄弟を、すぐに新たな取り巻きとした。
ベネディクトに拒否権はない。
「俺に忠実に仕えれば、うだつの上がらない貴様の将来も拓けるぞ。良かったな」
「……はい。光栄の極みです……」
ベネディクトは、自分の将来計画が大幅に狂っていく気配を、ひしひしと感じた。
確かに、ベネディクトは王族に連なる血筋の割に、これまで地味に生きてきた。魔法持ちで頭も悪くない筈なのに、目立ったエピソードが語られたこともなく、見た目も焦げ茶色の髪に野暮ったい眼鏡をかけ、あまりパッとしない。
しかし、それは全て、たった一つのものを手に入れるため、何年もかけて彼が積み重ねてきた姿だ。
ベネディクトはチラッと教室の隅を見る。
女子生徒の席が固まる反対側には、アレクシア皇女を囲む女子生徒の輪が出来ている。
その輪の外側に、控えめに佇む小柄な少女、シンシア。オーシス公爵家と領地を隣にするノースウェイ子爵家長女で、ベネディクトの幼なじみであり、そして彼が物心ついた時から片想いし、ひたすら見つめ続けている相手である。
シンシアもベネディクトの熱い視線には気づいているはずだが、聡明なシンシアは身分を弁え、常に距離を取っているのだ。
ある日、「もしかしたら、身分の差から、遊びだと思われているのかもしれない」と思い至ったベネディクトは、ただひたすらに、誠実さを心掛けた。
シンシアに真剣な想いだと分かってもらうためには、当然、女の影など絶対にあってはならない。ただでさえ、身分目当てですり寄ってくる女は多く、婚約の申し出も絶えない立場だ。目立たず地味に徹しているのは、少しでも近づいてくる女を減らすため、そしてシンシアに少しでも好感を持ってもらうためだ。
しかし、不器用すぎるハイスペック公爵令息の涙ぐましい努力は、今日この時をもって打ち崩されることとなった。
問題しかない第一王子の側近という、ベネディクトにとって最もありがたくない地位が、何の選択権もなく押し付けられたのだった。
「さてベルディット、俺は王命であの女を落とさねばならん。なんとかせよ」
「……え、あ、はあ」
これほど訳の分からない、そして絶対不可能な命令を、ベネディクトは生まれて初めて聞いた。
そして、こんな情けない声を出してしまったことも、厳しく躾けられてきたベネディクトの人生で、初めてであった。
しかも、隣の第一王子はなんら疑問もなく、腕を組んでこっちを見ている。「教科書を見せろ」程度のノリである。
しかし、いくらベネディクトが王族に連なる身分といえど、ウィルフレッドは第一王子。どんなに無茶苦茶で馬鹿な命令であっても、簡単に拒絶することは許されない。
「……殿下、皇女殿下といきなり親密になることは、さすがに難しいです。まずは、少しずつお話できる関係を構築するべきかと」
「ほう。どうやって?」
それがわかれば、ベネディクトも苦労はしない。
どう言いくるめてこの場を切り抜けようかと、ベネディクトが必死に頭を動かしていると、ロバートが教室に入ってきた。教師の登場に、生徒たちもすぐに各々の席に着席する。ひとまず、ベネディクトも解放された。
「さて、一時間遅れましたが、新入生のオリエンテーションを開始します」
今後の授業の進め方、学科の選択の仕方など、学園生活に関する説明が粛々と続く。
貴族令息令嬢の集まるこの学校で、教師の発言を妨げるものなどいない。唯一その可能性のあるアホ王子も、ベネディクトに無言の圧をかけることで忙しく、今のところは静かにしている。
だが、ずっと見つめられ続けているベネディクトは、説明など全く頭に入ってこない。
「……以上。何かあるものは挙手しなさい」
説明が終わり、ロバートが生徒たちに問いかける。と同時に、ウィルフレッドが「おい」と低くベネディクトを促す。このアホ王子は、すぐに何かしら動かないと気が済まないらしい。
本来このような場で発言をしないタイプのベネディクトだが、背に腹は代えられず、覚悟を決めて挙手をした。
「あの、よろしいでしょうか」
手を上げたベネディクトに、クラス中の視線が集中する。
「教室での席順ですが、男女混合にしたらいかがでしょうか」
物静かな公爵令息の突然の発言に、困惑が広がる。
「我が国では、このように男女分かれて座ることが慣例となっておりますが、フレイヤ帝国や他国の学舎では、男女が席を隣とすることが一般的となっており、性別や身分など関係なく、知見を交換していると聞きます」
もっともらしいことを言い切ったベネディクトだが、羞恥で喉はカラカラだ。
(違う!私が女性と座りたいわけではない!シンシア、勘違いしないでくれ!)
ベネディクトの悲痛な叫びは、当然他の者には通じない。ウィルフレッドだけが、「なるほど、良い提案だ」とご満悦気味に頷いているが、これまでウィルフレッドの言うことに無条件に同意していた取り巻き達がいないため、微妙な空気だけが教室を包む。
味方がアホ王子だけという状況に、ベネディクトはこの場から消えたくなった。
「良いではありませんか。わたくしも賛成ですわ」
気まずい教室内に、涼やかな声が響いた。
助け舟を出してくれたのは、まさかのアレクシアだった。
「我が国では当たり前のことですもの。勉学の刺激にもなりますわ」
「そうですね、シア様がそうおっしゃるなら、私も賛成です」
「はい、私も構いませんわ」
アレクシアの意見に、女子生徒たちが一斉に同調する。アレクシア(と自国の王子)が賛同している以上、他の生徒たちから異論が出るはずもない。
ロバートも、特段生徒の座席に関心はない。
「では勝手に決めて構いません。説明も終わりましたので、私は戻ります」
こうして、ロバートは職員室に戻り、商売人として名高いリゼット伯爵家令嬢らの提案で、くじ引きが行われることになった、のだが。
「おいベリッド、で、どうすれば皇女の隣になれるのだ?」
「……ベネディクトです」
ベネディクトの苦悩は始まったばかりだ。