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チェスナット王国王立学園教師、ロバートは目の前でさめざめと泣く男子生徒――ウィルフレッド第一王子の背を静かに擦ってやっていた。
(全く、校長も大人気ない)
傲岸不遜なウィルフレッドだが、実は大変繊細で傷つきやすい。プライドがへし折られるとすぐに泣き出し、誰もいない物陰に隠れる面倒くさい生態を、ロバートは昔からよく知っていた。
そう、ロバートは単なる教師ではない。王家とも縁戚関係にある、ピープス侯爵家四男という、れっきとした上級貴族の出身である。
幼少期より優秀と言われていたロバートは、十歳の時、当時ニ歳のウィルフレッドの兄貴分として選ばれた。
成長するにつれて、どんどん我儘で傲慢に育っていったウィルフレッドだが、不思議とロバートにだけは心を開き、彼の言うことは比較的よく聞いてきた。
まさに唯一無二・必要不可欠な存在として、国王からも重宝されるようになったロバートだが、四男坊ゆえに、侯爵家の後継には全く縁がない。
となれば、貴族の次男以下の一般的な進路とされる騎士か官僚となり、このアホ王子をずっと支えてくれ……との周りの期待を余所に、優秀な成績で学園を卒業したロバートは、歴史学者の道を選んでしまったのだ。
「体を動かすことは好まない、面倒な人間関係、出世競争や足の引っ張り合いも煩わしい。騎士も官僚も御免です」と国王に面と向かって言い放ち、父ピープス侯爵を卒倒させたことは、王宮で語り継がれる伝説となった。
こうして王家や政治から遠ざかったロバートだが、それでも、年々バ……が加速するウィルフレッドの面倒を見てほしいと、王に文字通り泣き付かれ、王子在学中のみという条件で、已む無く教職に就き、嫌々ウィルフレッドの担任をしている。
閑話休題。
さて、今、ロバートがやるべきことは、完全に拗ねてしまった丸刈り王子のテンションを戻し、一刻も速く教室に戻すことである。
なにせ、ウィルフレッドのおかげで、新学期の一時限目から、ロバートのクラスは自習になってしまっているのだ。
「ウィル、そんなにいじける必要はないと思いますよ」
「ひっぐ、だ、だって、留年て……どいつもこいつも、俺は、王子だぞ!!」
だったらもう少し真面目にしていれば良かったのに、と思わないでもなかったが、今正論を言ったところで、ウィルフレッドには通じないことを、ロバートはよく知っている。
「いいですか。確かにウィルは成績も出席日数も、どうにもならない位足りません。いくら王子殿下とはいえ、他の生徒の手前、特別扱いにも限度があります」
「そんなぁ」
「ですが、ウィルにはこれから王子としてやるべきことがあります」
「やるべきこと?」
ポカンとアホ面を晒すウィルフレッドに、ロバートは冷静に告げた。
「ウィルは留年したことで、アレクシア皇女殿下と同じ学年になりました。クラスも一緒です」
「……あ、あの女と!?い、嫌だ!よし、俺は退学する!」
「馬鹿なことを言うんじゃありません」
真っ青になって今にも駆け出しそうなウィルフレッドの制服の背中をガッチリ掴み、子供に対するように話しかけた。
「そもそもウィルは、国王陛下から、アレクシア皇女について何と言われましたか?思い出してください」
「えっと、あの女は、俺よりも父上よりも偉いらしい」
「……他には?」
「?」
本気で分からないといった表情をする自国の王子に、ロバートは頭痛がし始めた。
「いいですか?アレクシア皇女は帝国の第一皇女。才色兼備、魔法の才能は諸国に轟き、皇帝から溺愛されている皇女です。そんな方と親密になることができれば、我が国にとって計り知れない利益となります」
「ほうほう」
「ウィルがすべきことは、アレクシア皇女と親しくなり、帝国の心証を良くすることです」
「それで、良いことがあるのか?」
「……色々良いことだらけです」
国益について一から説明をすることが面倒になったロバート。どうせ理解できまいと、説明を放棄した。
「これは、王子たるウィルにしかできない、重要な公務です。アレクシア皇女と健全な交流をしてください。貴方ならできます」
「……そうか、わかった!」
ウィルフレッドの「わかった」ほど当てにならないものはないと、ロバートも重々知っているが、急にやる気を取り戻したウィルフレッドに、それ以上何も言わなかった。
国王らが、ウィルフレッドとアレクシアを近付けようという無謀な作戦を立て、そして、スタート前に断念したことは、ロバートも聞いている。
しかし、ロバートは、ウィルフレッドにもう一度チャンスを与えることにした。
勿論、また問題を巻き起こす懸念は大きいが、ウィルフレッドがアレクシアに勝てる可能性は万に一つもない。何かしでかしたところで、我が国の王子がボコボコにされるだけで、帝国皇女を害することはない(というか不可能)という確信がロバートにはあった。
(それに、同じクラスになりたいと言ったのは皇女だ。多少ウィルが無礼な発言をしたところで、すぐに殺すことも無いだろう)
アレクシアが何を思って、取り立てて見どころのない従属国に留学し、問題しかないアホ王子と同じクラスを希望したのか、一貴族であり、一教師にすぎないロバートには、その思惑を推し量ることはできない。
しかし、皇女の希望がウィルフレッドと共に学ぶことならば、その希望に沿うべきだとロバートは判断した。
何より、このアホ王子を何とかして卒業させなければならない。
ウィルフレッドの将来を慮って……というわけではなく、ウィルフレッドが卒業してくれなければ、自分が歴史学者の仕事に戻れないから。ただ単にそれだけである。
極めて優秀な頭脳と、優れたバランス感覚を持ち、ついでに見た目も完璧なロバート・ピープスは、どこまでもドライな男であった。