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呪いは歌う 1

 風が、風が吹き荒ぶ。

 これでは飛ばされてしまう。


 ……風?


 気付くとゾーイは、風の中にいた。

 体が風に頼りなく揺れているように感じる。

 吹き飛ばされないよう肩を抱こうとして、ゾーイはギョッとした。両の手も、肩も、体全てが透き通っている。あるはずの体の向こうにヒビ割れた大地が見える。


 ゾーイは、風の影のように荒野を漂っていた。

 風そのもの、が正しいのかもしれない。

 ゾーイは実体のないやわやわとした存在となって、荒涼とした大地にぼんやりと浮遊していたのだ。


 これは、夢だろうか。

 

 ぐるりと見廻した周囲は殺伐としていた。

 大地はゴツゴツとした岩肌にまばらに薄い土塊(つちくれ)、捻くれた草や低木があるのみ。見渡す限り集落もない。


 やがてゾーイは、彼方から陽炎のように現れた人影に気付いた。

 集団のようだ。

 近付くにつれ、先頭に痩せこけた背の高い男に目が行った。

 

 杖をついてやっと歩くその男は、艶のない灰色の髪に無精髭のせいもあってか酷く老いてみえる。落ち窪んだ眼孔に生気はなく、ただただ疲れているようだった。ゾーイはその男を、何故か見覚えのあるような気がした。

 何かのリーダーなのか、多くの民を引き連れて荒野を彷徨(さまよ)っている。その誰もが疲弊(ひへい)していた。歩くのがやっとの者もいる。

 幼い子らの多くは泣き続けている。残りの子らは声を出す力もなく、親に負ぶう余力のなくなると、そのまま置き去りとなる。

 そうやって弱い者から脱落していくからか、その集団は幼子や老人が極端に少ない。

 誰もが着のみ気のままな格好をしている。荒野にはおよそ食物と言えるものなどない。たまに集る虫や、朽ちた木の根元を掘り起こして食べたりと、なんとか生き永らえている。だが集団は既に限界に近づいていた。遠からず自滅する。飢えからなのか疲労からなのか、どちらともなのか。

 追い詰められているのか、リーダーの男に表情はなかった。ただただ酷く疲れていて、早く休みたい。そんな心ばかりが読み取れた。

 ここは何処だろう?

 ゾーイは思った。この男は何か見覚えがある。集団は何かを目指している。

 それが何かはわからないが。

 ゾーイは、ふと男の側に小さな女の子がいる事に気付く。背の高い男に比べあまりに体が小さいせいか、すぐには気付かなかった。常に男にまとわりつき、何くれと男の世話をしている。下女のようなその少女が、ふと汚れた顔をあげた。

 ゾーイに衝撃が走った。

 (マータ!)

 自分の声は届かない。


 見覚えのある男の側に幼いマータ。

 これは夢だろうか。夢ならばどういう夢なのだろう?


 幼いマータは、ゾーイの知るマータとは様子が異なっていた。

 顔は確かにマータだが、あの野性味ある(ほが)らかさが微塵もない。かといって憎悪をたぎらせている訳でもない。(ほか)の者と同じく無表情で、ガリガリに痩せている。食事は男の残り物をもらうのみ。随分(しいた)げられた立場のようだが、他の者達はそもそもろくな食事にありつけていない分、マシな方とも言えた。

 やがて、集団は不毛の湿地帯へと入り込む。空は常にどんよりした雲に覆われ、日の光を感じる事もできなくなった。ほのかな明暗で昼夜がわかるのみ。湿地故か周りに異臭が漂う。それは不快で根深く、おぞましいものだった。とにかく足場が劣悪で、常に泥の上を歩くがごとく。それでもまだ獣道のあるようで、集団はその上を頼りなく辿る。だが獣道を一歩でも外れると、そのまま泥に引き()り込まれる。他の者達も既に助ける力はなく、声もなくズブズブと沈んでいく仲間をボンヤリ眺めるばかり。


 一体これは何なのだろう。

 死の行軍なのか?

 自ら破滅するための旅なのか?女子供もいるのに?


 ゾーイは、この生々しい夢の理由がさっぱりわからなかった。ただただ悪夢でしかなかった。


 湿地は進めば進むほど異臭が酷くなり、鼻と口を覆わねば息ができないほどだった。これは瘴気(しょうき)である。

 瘴気(しょうき)―――人を病にさせる不浄な空気。


 いつしか獣道さえ無くなる。空を飛ぶ鳥も地を駆ける獣も、草木も、草木に宿る虫さえも、その気配さえなくなった。

 そうなるともう食べるものを探しようがない。それどころか下手に動けば余計に瘴気(しょうき)を吸い込んでしまう。倒れる者が増え、続く者はさらに減っていく。これ以上減っては、たとえ安住の地を見つけたとしても、もう根付く事はできないだろう。

 そう、恐らくこの集団は安住の地を探している。なぜ故郷から離れたのか、どういった経緯でここまで来たのかはわからないが。


 夢の中でゾーイはそう思い至った。


 (くだん)の男がリーダーでいるのは、彼自身の望みではないようだ、とゾーイは思った。宿命的なものなのだろうか。

 この集団が全滅する前に安住の地へ。そのささやかで絶望的な責務故に、今まさに男は押し潰されようとしていた。

 休みたい、ただ休みたい。

 煩いほどに聞こえてくる男の心の叫びは、休息への渇望のみだった。

 そんな男を気遣うつもりか、幼いマータはこの破滅的な状況下でも甲斐甲斐しく男の世話を焼いていた。食事を運び、足を(さす)り、ボサボサの男の灰髪を()く。男は終始無言でされるがまま。世話するマータにも表情はない。だから、幼いマータが本当はどんな気持ちで世話をしているか、ゾーイにはわからなかった。


 その内、周囲は昼夜の区別さえできなくなった。


 雷鳴が(とどろ)く暗い空の下、集団は一面に広がる沼へと出た。

 汚泥で濁った水面から、時折ボコりと瘴気(しょうき)が吐き出される。つまり瘴気(しょうき)の源はここだったのだ。

 生き残った集団に表情はない。だから本当にここを目指していたのか、たまたま袋小路に落ちたのかはわからない。

 空は常に稲妻が走り、時折落雷するので不用意に明るくなる。沼から吐き出される瘴気(しょうき)は激しく、ますます息ができない。かといってココから抜け出す余力は既にない。


 ここが、集団の最期の地となるのか。


 周囲から物言わぬ視線が、一斉に男へと集まる。と、男はおもむろに両手を上げ、一歩沼へと背競(せせ)りでた。


 男から赤黒い煙が立ち昇る。

 それは魔術の証であった。

 恐らくこの力が、男がリーダーとされた所以だろう。


「…ここにおわすであろう沼の神霊(みたま)よ。我らは流浪の民。我ら故郷を追われ、前人未踏の地を求めここへ至れり。願わくば、我らに安寧(あんねい)の地を与えたまえ」


 男の声はしゃがれていた。

 だが歌うように抑揚をつけたその言葉は、男から発する赤黒い煙に乗り、淀んだ水面に煙散霧消された。


 沼を神霊(みたま)と呼び乞う。

 男はあるいは、神官なのかもしれない。

 

 しかし、と夢の中でゾーイは思った。

 ここは祭壇も無し、供物(くもつ)も無し。神霊に願いを乞うには、粗末どころか陳腐だ。

 一方的すぎだ。

 そもそもこの集団では、供物を(まかな)う余力さえも無い。

 男に神通力のあったとして、神霊が降りる状況とは思えない。


 男は無表情のまま。周囲は固唾(かたず)を飲んで見守るばかり。

 沼は、時々ゴボリと瘴気(しょうき)を吐き出すばかりだった。


 根比べのように、男は両手を上げた姿勢を崩さない。諦めるつもりなど毛頭ない、いや『諦める』という感情さえとうに失っているようだ。

「いかに、いかに。我らが願い、叶えたまえ」

 枯れた声のまま繰り返し叫ぶ。いや、叫んでいるのか囁いているのか。男が発する赤黒い煙も乏しくなっていく。それは男の力の枯渇を表すようだった。

 ボコリ、とあぶくが爆ぜる音に、男の声は掻き消された。

 稲光が辺りを照らす。


 どれほどの時が経ったのか、ふいに沼の中央から汚泥の塊がボコリと現れた。

 ゾーイは驚いた。この絶望的な状況に、変化が起きるとは思わなかった。それは周囲も同じで、男以外驚愕の表情を浮かべる。

 拳程の大きさの、あるいは見間違いかと思われたそれは、たゆたうようにゆっくりと男へ近づいてくる。そうなってみて初めてそれが何か意思あるものだとわかる。近付くにつれ大きくなっていくそれは、男の前まで来た時には男を見下ろす小山程の大きさとなっていた。

 汚泥の(かたまり)は男の前まで来ると、やがてウネウネと姿を変え始めた。と同時に、ゴボリゴボリと瘴気(しょうき)を放つ音もヒューヒューと音色を変えていく。

 それは大蛇のような姿に虫の羽音となったり、巨大な枯れ枝に獣の断末魔と、およそ生物の概念が足りないのか、姿も音も、はっきりしない上にチグハグだった。だが少しずつそれは収縮し音も明瞭となり、いつしか髪の毛まで巧に再現された土色の男となった。

 

 土色の男から漏れる音が人語のようになっていく。

「…ネガイ…」

「…アンネイ…」

「…チ」

 土色の男が要点をまとめる。いや、要点をまとめているのか、聞き取れた音を繰り返しているだけなのかわからないが。

御前(おんまえ)こそは沼の神霊。願わくば我らに安住の地を。重ねて重ねて御前(おんまえ)へ乞う」

 両手を上げたまま忍耐強く言いくるめるように、不動の男は土色の男へ語りかける。

「コウ…ノゾム…ノゾマレル…」

 繰り返すようにゴボゴボと人語を話す土色の男。

 要領を得ない。そうだろう。ここが本当に前人未踏の地なら、この土塊(つちくれ)の男もどきが本当に沼の神霊なら、人もとい生物のなんたるかが(わか)るわけがない。この瘴気(しょうき)のせいで、この地に生きとし生ける物の一つもいないのだから。

 この状態で『民の願いを叶える』など不可能ではないだろうか。


 沼の神霊らしきモノが出て来たのは、まさに奇跡だ。

 だがそれは『人との交渉』の概念さえないモノだろう。

 この地に生き物はいない。

 いないのだからわからない。

 『生きる』為に『何が』必要かすらわかるまい。ましてや『安住の地』を約束するなど不可能だろう。

 手詰まりだ。

 『生き物』の概念を相手に持たせないと、願いさえも理解できまい。しかし不毛のこの地でどうやって『生き物』を理解させる?

 彼らの他に生き物はいない。彼らに余力はない。


 ふと言い知れぬ不安をゾーイは感じた。

 ()()()()()()()()()()()

 そうして顛末は――――


 幼いマータは震えながら男の服の裾を掴んでいた。相当怖いだろうに。無表情のまま男にしがみついていた。余程男を信頼しているのだろう。


 生き物の概念を与える策。


 男は、傍らにいた少女を粗雑(ぞんざい)に持ち上げた。

 そしてそのまま沼へと少女を突き出す。

 急な行動に幼いマータは驚愕の表情を浮かべた。だが、まるで当然のように、男を含め周囲は無表情のまま。

 男は幼いマータを沼へ突き出すと、しゃがれ声を張りあげた。


「これを、供物として捧ぐ」



 ゾーイは目を見開いた。

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