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ウチハタセ2

 誰かの呼ぶ声がする。


『ゾーイ』

 それは酷く優しい声。ほのかに甘い香りのするような…。

 ゾーイは微睡(まどろ)みながら声の方を向いた。


「ゾーイ、目が覚めたのね」

 甲高い声が掛かる。違う。この声じゃない、

 ゾーイが重たい瞼をようやく上げると、そこは見慣れた自室だった。

 一瞬、再びずぶずぶと体が沈み込む感覚にゾーイは囚われた。だが落ち着いてみると、ゾーイは自分のベッドに寝ているだけだった。

 ここは…夢ではないらしい。

「熱が下がって良かった、ゾーイ」

 声の方に視線を向ける。と、お妃様が満面の笑みを(たた)えていた。

「…母…上」

 どうして母がここにいるのだろう。

「やっとネズミ捕りが効いたのですって、だから元気になると聞いたのに、貴方は良くならないから私、気になってしまって―――」

 お妃様が流れるように話す。

 ゾーイは要領を得ないまま、ぼんやりとお妃様を眺めた。


 誰もいない。

 いや、目の前にお妃様はいる。

 しかし、夢に見た二人のマータはいない。

 命令する低い声も。


『ウチハタセ』


 あの低い声は王様(ちち)の声だった。


 ゾーイはゆっくり辺りを見回すが、特段変化はわからない。

 謎掛けだろうか。

 ネズミ捕りは、特に部屋には無いように見える。


「…ネズミ捕りとは…」

 体調を左右する?なら薬だろうか?


「ここにはないわ」

 お妃様はあっさり返した。

「王様が仰ったの。殺す事はできないが、捕獲ならできると」

「父上が?」


 お妃様(はは)が気まぐれにゾーイを気に掛ける事はあっても、王様(ちち)が気に掛ける事なぞ一度もなかった。


 腑に落ちないゾーイに、お妃様は笑い掛ける。

「早く元気になってね。貴方の快気を祝ってまた私が選りすぐりの令嬢を集めるから今度こそ―――」

 流れるようにお妃様の話は続く。


 夢だったのだろうか。

 沼の夢とは、違った。

 ウチハタセ。

 何を?

 

「――――のだから。ではね」


 ろくに聞いてもない話をしたいだけすると、お妃様は部屋から出ていった。ゾーイは一人きりとなった。


 夢のほのかな香りが漂う。


「マータ…」


 マータに会いたかった。

 本物の、マータに。


 ゾーイは順調に回復していった。翌週には床上げし、鍛練を再開した。そうして一月(ひとつき)で元の生活に戻っていった。

 ゾーイの警護が、倒れる以前と同じに戻ったのはさらにその1カ月後。

 おかげでゾーイは屋根へ抜け出せなかった。ゾーイは焦れた。すぐにマータに会いたいのに。

 あれほど繰り返した沼の夢は、熱の下がってから一度も見なくなった。

 マータには夢も(うつつ)も会えなくなった。


 熱の下がったゾーイは、再び連れてこられた師範から、より魔術的な戦いの動きを習うようになった。退魔の呪文、封魔の剣技。建国以来(いくさ)一つないこの国で、甚だ奇怪ではある。

 だが、ゾーイは心ここにあらず、言われるままに鍛練していった。

 ふと思い付いた事柄で気持ちが一杯だったからだ。


 今度マータに会ったら贈り物をしよう。


 そう思い付いたのは悪夢を見なくなったからかもしれない。あの夜、恋人のように寄り添えた事もゾーイを後押しした。


 贈り物をしよう。

 恋人のように。求愛の代わりに。


 そう思うだけで心が(うず)いた。

「…何がいいかな」

 マータを飾れるもの。マータが映えるもの。でもマータはそのままでお日様みたいだから、マータの喜ぶものが一番良いかも。


 大きなカラスの黒い羽、蛇の()(がら)、ガラスの欠片(かけら)に千切れたボタン、イビツな石に溶けていく氷に酸っぱい野苺――――ナワシロイチゴ。


 そうだ、野苺の花にしよう。

 花言葉もちゃんと調べて。それをマータに捧げ思いを告げよう。


 貴方を愛しています。


 『私も、大好きよ…』

 震えながら返事してくれたマータを思い出す。大丈夫。きっと受け入れてもらえる。


 そうして二人は恋人同士に。


 (ふく)らむ|期待にゾーイの胸は高鳴った。いつの間にか師範から習う実戦が、対人から対魔物へと変化した事など気付くはずなどなかった。



 倒れてから3ヶ月。

 厳しい警護がようやく解かれた。

 喜び勇んだゾーイはその月の夜、早速屋根の上に登った。手に花を持って。


 しかしマータは来なかった。

 ゾーイはめげずに次の月の夜も、その次の月の夜も屋根に登った。

 すぐに会えないのは、母の言っていた『赤い匂いの日』だからかもしれない。

 大丈夫。すぐには会えなくとも、必ずマータは来る。だって約束したのだから。


 今夜も屋根へ忍ぼうと思ったある日、ゾーイは王様に呼び出された。

 その前にゾーイは何度もお妃様に呼び出されていた。ゾーイの快気祝いの宴を開くからと。

 誕生日会の二の舞は嫌だと逃げてきたゾーイだったが、王様直々に呼び出されては応じざるをえない。

 そもそも王様がゾーイを呼び出すなど、初めてだった。


 王様の執務室へ行くと、王様お妃様が揃っていた。

 ゾーイは苦々しい気持ちで前へ進み出た。


「率直に話すわゾーイ」

「…はい」

 お妃様は居丈高に構えた。

「結婚なさい。世継ぎを作るの」


「…はい?」

 それは青天の霹靂だった。



「…結婚?」

 誰が?

「貴方は健やかになったし、もう16歳だもの。この国の繁栄は初代王の血の存続に掛かっているの。幸い花嫁の目星はつけてあるから、貴方の快気祝いの宴で―――」

 ゾーイは驚く。

 結婚?花嫁?


 自分の花嫁はマータに決まってる。


「母上」

「―――で貴方の好みを…なあに?私の王子様?」 

 流れるように話していたお妃様は、ゾーイの次の言葉に絶句した。


「結婚するなら先のお妃様の姫と」


 一瞬にして静まる執務室。

 ゾーイは続ける。

「我々姉弟は少しも似ていない。どちらかは王様(ちち)の種ではありますまい。姉弟でないなら結婚も、叶うでしょう」

 我ながら大胆な発言だとゾーイは思った。

 いまだ(まこと)しやかにされる噂。

 どちらが王様の子ではないのか、あえて言及はしなかった。が、お妃様は激しく動揺した。


「…知っているの?」

 その一言はゾーイを一気に舞い上がらせた。

 やはり!

 姉弟ではなかった!

 噂は本当だった。

 これでもう何も問題ない。

 すぐにマータと――――

 

「ファティマータとは結婚できない」


 低い声がゾーイの思考を遮った。

 驚いたゾーイは王様の方へ向く。

 王様は冷ややかにゾーイを見つめていた。


 ファティマータ?


 ファティマータとは建国の姫で自ら人柱(ひとばしら)となった遠い昔の――――


 王様(ちち)は何を言っている?

「…ファティマータとは―――」

「先の妃が呼び出した(いにしえ)化け物(ネズミ)だ」


 …化け物?


 ゾーイは予期せぬ言葉に混乱した。

「お前は、人の体に閉じ込めてある内に化け物(あれ)を成敗せねばならない」

 ゾーイには王様が何を言っているか、わからなかった。


『ウチハタセ』


 違う。あれは夢だ。


「ファティマータを討ち果たせ」


 違う。彼女はマータだ。マータに、そっくりな?


 ゾーイは混乱を極めた。


 マータは、ファティマータ?

 そんなはずはない。ファティマータは遠い昔の建国の姫で、マータは今を生きる人間で――――どちらにせよ化け物である訳がない。

 ネズミ捕りとは、マータを、捕獲、した?

 混乱するゾーイは、当たり前な事を反論するしかなかった。


「マータは人です」

 赤い匂いに怯えるマータが浮かぶ。

「女になるのを恐れるような、人の娘です」

 ゾーイの言葉にお妃様が目を見開いた。

「父上御自身の娘を、何故討ち果たさねばならないのです!」

 最もな意見のはずである。

 だが王様は冷ややかに答えた。


「我が子はお前のみだゾイオン。残念な事にな」



 王様の言葉を、ゾーイは理解できなかった。


「ゾイオン」

 近づく王様の開いた(てのひら)から、赤黒い煙と共にむせるような甘い香りが立ちのぼった。

 その香りをゾーイは知っていた。もっとほのかだったけれど。

「己が業を思い出せ」

 ゾーイのすぐ前まで近づいた王様は、動けないままのゾーイの額に指を当てると、スッと横に切った。


 それが魔術だとわかる前にゾーイの意識は途切れた。

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