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ネズミ捕り

 城の屋根上に並んだ二人は、時を忘れて話し込んだ。

 会えなかった距離を埋めるような他愛のない話を、手を取り合いながら。


 そうして東の空に霞の掛かるのにマータは気付いた。まだ少ししか話せてない気がするのに。まだ、側にいたいのに。

 でも、帰らないと。

 人に見られてはいけないのだ。公式に『姉弟』と認められていないのに、見咎(みとが)められるのは宜しくない。

 ゾーイは大切な、私の宝物だから。

 引き留めようとるゾーイから、マータはするりと抜けると、へりに手を掛けながら振り返った。


「また来るね」

 マータはふわりと笑い、サッと屋根から飛び降りると、夜明け前の薄暗い帰路を急いだ。


 驚くほど足取りが軽い。

 ウキウキしているのかフワフワしているのか

―――嬉しい。

 マータは走りながらも自然と頬が緩むのを感じた。

 ゾーイは再会を喜んでくれた。

 ゾーイは抱き締めてくれた。

 ああ、胸がドキドキする。

『マータ…大好き』

 耳元で(ささや)かれた声は少し(かす)れて。


 ああまるで

 恋人みたい。


 はたとマータは足を止めた。

――――違う、ゾーイは弟。

 大切な、弟。

「弟…」

 自分に言い聞かせるように(つぶや)く。

 急に足取りの重くなったマータの前に、ようやく住まいが現れた。


 城の中心部から一番遠い、崩れかかった塔の上層に掛かる、既に足場もない架け橋の向こう。崖の上を厚い壁で隔離された、その最奥にマータの住まいはある。まさに陸の孤島である。

 千年前の建国時、身を捧げたという初代王女の朽ちた霊廟(れいびょう)を、隠すかのように周りにつたや木が生い茂る。

 先のお妃様が身罷って以降、塔も橋も修復される事はなく、また壁の出入口も錠施されたまま錆びついている。その壁の向こうにもう一つ施錠された厚い壁。相当な隔離ではあるが、軽い足取りでマータは乗り越える。そうしてその向こうに見える、祠のような小さな建物がマータに与えられた『住まい』だった。

 人が住むには随分と低く小さいそれは簡素なドーム型で、一番上に人一人通れる程の穴がある。ここが住まいなら、これが唯一の出入口という事になる。

 マータは穴に手を掛け、するりと中へ下った。

 入ってみると案外広いそのドームに部屋は一つきり。このドームは大半が地中にあり、最上部のみ地上に表出した構造なのだ。

 マータが入ってきた所は、内側から見れば天窓に当たる。唯一の出入口でもあり明かり取りでもあり通気孔でもあった。

 マータは辺りをぼんやりと見回した。

 ドームの内側は簡素な外側と違い、天窓を中心として放射線状に、おびただしい模様が描かれている。

 それは絵のような字のような、念入りに(ほどこ)された呪文のようにも見える。ただ、おびただしい模様はだいぶくたびれており、一部明瞭でなかったり欠けている所もある。そのせいか、マータはその模様に(わず)かな嫌悪感を持つ程度だった。

 マータは溜め息をすると、隅に(しつら)えてある粗末なベッドに寝転んだ。


 気が(ゆる)むとまたゾーイを思い出す。


『また…会える?』

 ゾーイの金茶の瞳が(きら)めく。

 それは熱を持ったかのように。


 また行こう。勿論行こう。

 今度はまたお土産を持っていこう。

 ああでも幼かった頃と違い、凛々(りり)しい若者となったゾーイは何を喜ぶのだろう。


 大きなカラスの黒い羽、蛇の()(がら)、ガラスの欠片(かけら)に美しいボタン、一生懸命磨いた石に溶けていく氷に酸っぱい野苺――――ナワシロイチゴ。


 マータは、ナワシロイチゴを口に含んで顰めっ面(しかめっつら)をするゾーイを思い出した。

 ナワシロイチゴだから当たり前。この酸っぱさが素敵な所なのだけど、ゾーイには甘い方が良かったかな。バライチゴみたいな。

 マータはふふっと笑った。

 そうだ。今度はバライチゴを探そう。

 そうして今度は大丈夫よって渡そう。

 青年となったゾーイが恐る恐る口に含む姿を、マータは想像した。

 きっとまた強い酸味が来るだろうと覚悟して噛む。そうして意外な甘みに金茶の瞳を瞬かせるのだ。


――――それはきっとキレイだろうな。


 マータは胸が(うず)いた。

 きっと気に入ってくれる。もし気に入ってくれたなら、今度はゾーイを連れ出して一緒に摘みに行こう。

 月夜に二人手を取り合って。大丈夫、私は夜目が効くからすぐに見つけられる。ゾーイに場所を教えてあげるんだ。

 そうして二人で沢山取って――――沢山取るならナワシロイチゴの方が良いかな?ジャムに最適だから…。

 ジャムに煮詰めて改めてゾーイに渡そう。

 そうしたらゾーイはまた、恐る恐る口にするのかな。

「…ふふっ」

 マータは甘酸っぱい夢に落ちていく。幸せな想像に酔いながら、いつしかマータは眠り込んでいた。



 夢を見た。


 そこは霧深い沼の(ほとり)だった。


 幼いマータは独りぼっちで(たたず)んでいる。

 独りぼっちのはずなのに、マータは『裏切られた』という気持ちで一杯だった。

 本当は気付いていたのかもしれない。言葉が通じないのを良い事に、都合良く思い込んでいた、いたんだ。

 許さない。絶対許さない。


 あの男はマータを何とも思っていなかった。


 マータは、この旅の果ては死ではないかと薄々気付いていた。

 だがそれは、男と一緒にだと信じていた。

 男はマータの思い込みを知っていた。気付いていたのに、見ぬふりをした。言葉が通じないのを良い事に。

 そうして、捨てられた。


 許さない。絶対に許さない。

 必ずあの男へ復讐する。

 男も

 男の作り出した何もかも全て


――――滅ぼしてやる。 

 何処かでボコリとあぶくが立った。


「!」

 マータは目を覚ました。

 ぐっしょりと寝汗をかいていた。

 なのに体が冷えきっている。マータは震える体を両手で抱き締めた。

 それは寒さからではなかった。


 怖い。

 裏切られたって何??滅ぼす?

 夢の中の私、怖い。

 それは時々見る夢だった。

 ゾーイと会った翌日に必ずマータはその夢を見た。

 ひたすらに憎悪をたぎらせる幼いマータ。


 まるで

 ゾーイが

 (かたき)のように。


 違う。

 マータは首を横に振る。

 ゾーイは大切な弟だ。

 『あの男』ではない。


「あの男…」

 そもそも、『あの男』とは何だろう?何故ここまで夢の私は憎むの?

 憎いはずの男の姿は、夢には現れない。だから滅ぼすも何も実感が沸かない。

 まるで幻のよう。

 マータは夢の理由を考えようとした。

 そんなマータの視界に、容赦無く壁の模様が入り込んだ。


 ああ赤い。赤黒い。


 途端にマータは考えがまとまらなくなる。

 マータは、深く考えようとすると、何故か部屋の赤黒い模様が気になった。

 あのおびただしい模様は、まるで文字のよう。所々が掠れているから苦しくはないが、なんだかマータを(から)め取ろうとしているよう。

 気になる。気になって結局、考えがまとまらない。


 あのおびただしい模様が――――


 マータは首を振った。

 所詮、夢は夢でしかない。

 (とら)われる必要なんかない。


 気を取り直すと、ふいにマータのお腹が鳴った。

「お腹空いたな…」

 マータは起き上がった。

 母が亡くなってから、マータに食事の差し入れはない。

 仕方ないのでマータは自生する果実をもいだり、時にはお城の厨房で拝借(はいしゃく)したりする。

 マータに差し入れはないが、厨房に行くと、必ず少し離れた所に一食分だけ粗末な食事が置いてある。恐らくこうやって忍んでくるマータの為に、暗黙の了解で作りおきしているのだろう。マータはそう思い、人目を忍んでやってきては、こっそり頂いていた。

 ああでも今日はイチゴを探しに行かなきゃ。

 バライチゴ、ナワシロイチゴ、どっちが良いかな。

 どっちも取ってゾーイに決めてもらおう。

 そうして――――

「…?」

 マータは、いつまでたっても周りが暗いままな事に今さら気付いた。

 夜明け前にここに着いた。それから日一杯眠ってしまった?

 ゆるゆると顔を上げ、マータは天窓の辺りを伺う。


 ぽっかりと空いてるはずの天窓が、暗い。というか黒い。

 空が見えない。

 星のない夜なら暗闇で当たり前だが、それにしては周りの空気が(よど)んでいる。

 おかしいとマータは思った。


 マータはそろそろと起き上がる。そうして背を伸ばし手を挙げ、天窓の辺りを触れようとした。

 指先まで伸ばし、もうじき触れるだろう辺りで急に閃光(せんこう)が放たれた。

 放たれた気がした。マータはビックリして指を引っ込めると、まじまじと天窓を注視した。


 おかしい。

 天窓が何か細工されている?


 マータは、天窓の辺りにもう一度手を伸ばした。

 そうして触れられたと思った瞬間、再び閃光と共に指先に強い衝撃が起こり思わず手を引っ込めた。

 指先がひりりと痛い。いくつもの針を刺されたよう。天窓に何かが(ほどこ)されているのは確かなようだ。

 マータは夜目が効く。

 天窓の辺りへ、ぐっと目を()らした。

 暗闇の中、天窓がゆっくりと輪郭を成していく。

 すると、天窓の辺りに無数の赤黒い模様が鈍く浮かび上がった。

 マータは途端に息苦しくなった。

 それは、だいぶ(かす)れてきた壁の模様と似ていて――――


 (ふた)だ。

 壁と同じ模様の施された蓋がかぶされている。

 魔術的な模様は呪文だ。マータが出られないように施された。


 マータは動揺した。

 どうして。

 だってここにはマータがいる。(ふさ)がれたら私はどうなるの?

 食べ物は?

 ナワシロイチゴは。バライチゴは。

「ゾーイ…」

 出られない。

 このままでは出られない。

 ゾーイの所へ行けない。


 不安に心臓をバクバクさせながら、マータは再び天窓に手を伸ばす。

 ビリっという衝撃と共に(てのひら)に温かいものが流れてきた。

 蓋に触れた指先の皮膚が裂けたのだ。

 それでもマータは手を伸ばさざるを得なかった。

 この蓋を開けなければ外へ出られない。

 ゾーイに会えない。

「…っ」

 激しい痛みと共に指先がぬらぬらと濡れていく。

 それでも蓋を開ける事は叶わない。


 ゾーイ。

 会いに行くと言ったのに。

 お土産を、野苺を。


「ゾーイ」

 マータはいつしか泣きながら、赤く濡れた手をそれでも天窓へかざし続けていた。

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