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月明かりの二人

 マータがいなくなってから3年経ち、ゾーイは16歳となった。


 かつてのひ弱さはなくなり、そのせいかそれまで一度も誕生日会などした事のなかったお妃様が、何故か急に誕生日会を催した。

 妙に令嬢の多い席だった。

 真意もわからず言われるまま参加したゾーイへ、令嬢達は蝶蛾(ちょうが)のように着飾り、集る。

 孤独だったゾーイにとってそれは脅威となった。

 人に囲まれる。灯りに群がる蛾のように。鱗粉を撒き散らす蝶のように。集まった虫達は空々しい会話を始める。 鱗粉が舞う。苦しい。息ができない。

 お妃様から大人しくしているよう、あまつさえ気に入った令嬢を見つけるよう言われていたゾーイだったが、到底我慢できなかった。

 お妃様が止めるのも聞かず、おざなりの挨拶と共にその場から逃げ出した。

 自室に戻りホッとした途端、ゾーイは一層惨めな気持ちとなった。


 鱗粉が(むせ)る蝶蛾のような、着飾った娘達の中に。

 マータはいない

 気持ち悪い程の人混みの中、しかし何処にもマータはいない。


 既に日が落ち、欠けた月が静かに昇る。窓からその朧げな光が差し込んできた。

 今夜は月夜なのだ。

 今更気付いた。


 待っているのに。

 ゾーイは重い気持ちで窓辺へ近づき、月を眺めた。

 どんなに待っても、きっと今夜も来ない。

 それを確かめる為だけの慣習だった。

 これからもずっと…。


 ふと、窓からの夜風が、ゾーイの濡れた頬を優しく撫でた。

 その中に、あの微かな甘い香りが混じった気がした。

「…マータ」

 ゾーイの胸は(うず)いた。


 ゾーイは、もう何年も思い出せなかったマータの笑顔を思い出す。

 マータはいつも笑っていた。お日様みたいに。


『ゾーイは軽すぎる』

 そう笑いながら幼いゾーイを背負って、軽い調子で屋根を登る幼いマータ。

 子供が子供を背負うだなんて、かなり危険な行為のはずなのに。マータの笑顔と絶対的な安心感がゾーイを包み込む。

 甘やかな熱情の(おもむ)くまま、ゾーイはマータの背中にしがみつく。

『大丈夫だってば』

 またマータは笑う。大丈夫なのは知ってる。でもあの時、もっとマータを感じたかったのだ。


 月の光が優しくゾーイを包む。

 …登ってみようか。

 ゾーイはふと思い立った。


 かつてのゾーイは小さく華奢(きゃしゃ)で、少し動いただけで息切れしてしまっていた。

 だが体を鍛えた今のゾーイは、細いなりに強くしなやかになっていた。背も延びてきた。

 思いきって窓から外へ乗り出してみる。窓の脇に生い茂る(つた)を見やり、手を伸ばして引っ張ると、思いの(ほか)蔦は頑丈だった。ゾーイは素早く足を掛け、体重に(つた)の緩む前に上へと登っていった。

 驚く程軽やかにゾーイの体は動いた。すぐに窓が下へ小さくなる。そうして見上げた夜空が大きく広がる。ゾーイは忘れていた高揚感を思い出した。

 月の光の照らす中、ほどなくゾーイは屋根に到着した。考えていたより容易(たやす)かった。ゾーイは改めて自分が成長した事を感じた。それは案外、嫌な気分ではなかった。


 そうして、ゾーイは目を見開いた。

 果たしてそこには、長い黒髪を(なび)かせた若い娘が、驚いた顔をこちらへ向けていたのだった。


 ゾーイは声をあげそうになった。でも大声を上げたら他の誰かに気づかれてしまう。それ以上に、もし幻なら消えてしまう。

 ゾーイは、(おび)えた様子の娘から目を離さず、恐る恐るその側へたどり着く。娘は消えなかった。そして拒絶も感じなかった。飛び出しそうなほど高鳴る胸を押さえ、ゾーイはゆっくりと娘の隣に座る。すると懐かしい甘やかな香りがほのかに立ちのぼった。ゾーイは胸が一杯になった。


「…ゾーイ」

 黒髪の娘の声は場違いなほど優しかった。懐かしい声。ゾーイは何もかもが想定外過ぎて、あらぬ期待をそのまま口にしてしまった。

「…待って…た?」


 そんな事あるわけない。自分はマータを(おび)えさせた。だからマータは訪ねてくれなくなったのだ。

 それなのにこれは…まるで、まるでずっと待ってたみたいじゃないか。

 どうして?どうしてどうして。

 

 久々に見るマータはやっぱり月を背にしていて黒くしか見えない。それなのに、若い娘らしい柔らかなシルエットは、困惑しながらもどこか喜んでいるようにも感じられる。ゾーイは、心の中の何かがはち切れそうになった。


「…声変わりしたんだね」

 マータの声は(ひど)く優しい。

 そして久々の会話は噛み合わない。

 お互い困惑しているようで、ゾーイはこの場をどうしたらいいかわからなかった。だから、ゾーイは謝った。

「…ごめんなさい」

 赤い匂いを指摘してしまってごめんなさい。


 そうしてゾーイは(こうべ)を垂れてから、改めてしくじったと気付く。何に謝っているのか言わないとマータはわかるまい。でも母は指摘してはいけないと。では、どうする?会話が続かない。マータは会話ができるよう声掛けてくれたのに、返事にもなってない。

 結局ゾーイは、幼く愚かなゾーイのままなのだと思い知るばかり。


 マータはゾーイをしばらく見つめると、大きくなったゾーイの手をそっと握った。

 マータの柔らかい(ぬく)もり。その感触が稲妻のようにゾーイの体を駆け巡り心を焼き尽くす。ゾーイの理性は飛んでしまった。

 そんなゾーイの心中も知らずマータも謝った。

「…私こそ…ごめんね」

 そう、告白せねばならない事がマータにはあった。

「…ごめんね。本当は…本当はね、…私……」

 マータはそこで一呼吸置く。そして意を決したように続けた。

「…ずっと、ここへ、来ていたの」


 ゾーイは目を見開いた。

 ここへ来ていた?

 ずっと…ずっと?…ずっと…嫌われたと思っていたこの3年間ずっと…。

 マータはそのまま(うつむ)く。俯くからマータの表情が、気持ちが余計わからなくなる。

 ゾーイは顔を上げて欲しくて結論を急いだ。

「…あの…私…」

「マータは女になった」


 言葉を失うマータ。

 失敗した、と瞬時にゾーイは気付いた。

 だから、『性』の話はしてはならないと!

 追い付かない理性がゾーイを咎めた。

 ゾーイは血の気が一斉に引く。せっかくやっと、やっとマータに会えたのに。 

 何処まで!自分は愚かなんだ!

 またマータを傷付けた。


 月の光は二人を静かに照らす。

 少しの間マータは固まっていた。が、ふいに気配が柔らかくなった。

「…ふふっ」

 マータは声を()らす。

 ゾーイはマータの意外な反応に顔を上げる。

 マータは優しくゾーイを見つめていた。

 ずっと、ずっと見たかったマータの笑顔。

 それは眩しく、何処か艶めいていた。

「…そうね。私、女になったのだわ」


 女。

 生々しい言葉である。

 なのにマータの笑顔にゾーイは声を失う。

 少年のような野生味を失わないまま、娘らしさをも獲得した最強のマータが、ゾーイの視界一杯に広がった。


――――キレイだ。


 陶然(とうぜん)とするゾーイの頬を、最強のマータは()でるようにそっと撫でた。

「私は女になったのだわ。そうしてゾーイは男になっていく最中。人間だもの、当たり前だわ」

 頬を滑るマータの指。ほのかに甘いマータの香り。心から欲していたものばかりで、制御できない喜びにゾーイが呆然とするしかなかった。


 マータは恐かったのだ。

 遅くに始まった月の(みち)は奥手の少女を恐怖させた。赤い匂いが禍々(まがまが)しく感じられたのだ。マータには到底受け入れられなかった。まして弟に説明だなんて。

 だから隠した。そして誤魔化した結果、ついにゾーイに気付かれてしまった。

 あの時のゾーイの怪訝な顔。気味悪がらせたのだとマータは解釈した。だから、逃げた。とても本当の事は言えなかった。そうして会えなくなった。

 それはとても(つら)かった。会いたい。やっぱりゾーイに言おう。体が落ち着いたら謝ろうと、マータはその後何度も窓の近くまで来てみていた。

 そして躊躇した。

 ゾーイになんて説明する?

 赤い匂いの理由?自分でさえ禍々しいと思うのに?それでもしゾーイが受け入れてくれなかったら?

 ゾーイの怪訝な顔が浮かぶ。


――――そんなマータは、キライ。


 嫌だ。

 それは絶対聞きたくない。

 ゾーイに拒絶されたくない。怖い。

 堂々巡りで結論は出ず、ますます自信喪失になる。反応が怖くて、ゾーイの元までたどり着けない。結局マータは、窓辺まで来てはその都度ゾーイを()け、屋根へと逃げてしまっていた。そうしてそれを繰り返す内、だんだんとマータの体つきは変わっていった。なんだかいびつに。…女の体へ。美しい弟に会えない時間の分だけどんどん自分が子供でなくなってしまっていった。

 怖かった。母のいないマータに第二次成長を丁寧に説明してくれる者などいない。こんな姿では到底『弟』に会えない。気後(きおく)ればかりが大きくなっていった。

 …本当は。

 本当は、昼間もこっそりゾーイを見に来ていた。それは心配からなのか、さみしいからなのかマータ本人にもわからなかった。

 淡々と武芸の鍛練(たんれん)をするゾーイ。

 淡々と。

 マータと会えない事など何でもないかのように。

 そうして武芸を身に付けていくゾーイは、日毎(ひごと)凛々しくなっていった。それは(まぶ)しい位に美しく。元々整っていた容姿が研ぎ澄まされていくようで、かえってマータに気後れと恐れを抱かせていった。

 ああゾーイも変わっていってしまう。いびつな自分と違い、美しく、遠く、手の届かない方へ。

 相変わらず部屋へ行こうと窓に近付き、でももう気安く会うのはとても無理で、恐れおののき屋根へと逃げる。ゾーイを想う分だけ怖じ気付き、会いに行く勇気がどんどん削られていく。

 悪循環だ。

 もう止めよう。今夜で屋根(もう)ではおしまいにしようと思った。

 恐れと憧れと心配と親愛と、やるせない気持ちで今夜は月を眺めていた。その中に若干切なさがある事を感じながら。


 なんだか今夜の月は初めて会った時のようにキレイ。

 怖くて会えない大切な弟。

 大好きなゾーイ。


 まさか、そのゾーイから会いに来るなんて。

 しかも、赤い匂いの正体まで知っていたなんて!

 マータは、ゾーイの『失言』に恐れが吹っ切れたのだった。


 ああ、ゾーイはやっぱりゾーイなんだ。マータのたった1人の、大切な宝物。


 バカみたい。ウジウジして。男と女になる。大人になる。当たり前だ。それは恐れる事ではない。だってゾーイは自分をこんなに乞うてくれるし、そして変貌してなおこの弟は美しい。

 本当に、幻のよう。

 マータは(まぶ)しい気持ちでゾーイを眺めた。

 月の光を(まと)った若者は、この世の者と思えぬ程に美しい。かつては保護欲を()き立てられる(はかな)い美しさだった彼は、今は青年の凛々(りり)しさを兼ね備えた美へと移行していっている。それは過程も含め(もろ)(あで)やかで美しい。こうやって並んでも少しゾーイの方が高くなっている。体格はいわんや、である。


「…もうゾーイを(かつ)いでここまで来れないね」

 マータの声は(かす)かに悲しげではあった。ゾーイはゴクリと息を飲む。

「でも、また、こうして会えるのね。そう…私は待ってたのかも」

 頬を撫でるマータの手を、そっとゾーイが触れる。

 二人はしばらく見つめあった。


「また…会える?」

 期待を込めてゾーイが問う。

 マータは考えるように(うなず)く。

「…そう…ね………会ってくれる?」

 ほんの少し弱々しくマータは聞き返す。

 その返事とばかりにゾーイはマータを抱き締めた。

 マータはゾーイの行動に驚き、束の間、体を(こわ)ばらせた。だが、ゆっくりと自らもゾーイの背中に手を回した。それは最高の親愛の情のつもりで。…自分の中では。

 久々のマータの体は、前より一層柔らかく温かった。

「マータ…大好き」

 ふとマータの体が震える。

「…私も…」

 月明かりが、寄り添う二人を優しく照らした。

「…大好きよ」


 王国を囲む湿地の何処かでボコリ、とあぶくが立った。

 二人は気付くはずもなかった。

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