赤い苺 2
二人の逢瀬は5年に渡った。
ゾーイとマータはは13歳と15歳になった。
月に一度だけの逢瀬を、ゾーイは募る思いでいつも迎えていた。
だが、ある日からマータは来なくなった。
それはある夜の事、忍んできたマータの顔色はすぐれなかった。
「マータ?」
不安になり、受け入れるようにマータを抱き締めると、いつもの甘い香りの中に一点、微かに赤い匂いがした。
「マータ?どこか怪我してる?」
心配から聞いたセリフに明らかに動揺するマータ。ゾーイから避けるように体を離すと、笑顔を作った。
「…ごめんねゾーイ。気持ち悪いよね」
「え…」
「…ちょっと…調子悪いの。ごめんね。良くなったらまた来るね」
困惑するゾーイを制し、マータはもう一度ニコリと微笑むと、素早い仕草で窓から去った。
束の間の事だった。
ゾーイの腕に甘い香りと、あるかなきかの赤い匂いを残して。
その日から、ゾーイはいつものようには体調不良にならなかった。何故か夢も見なかった。
だがそんな事などゾーイに関係なかった。
ゾーイは、マータがすぐに帰ってしまったのが解せなかった。不満だったのだ。
何かマータの気に障る事をしたのだろうか。
でなければすぐに帰ったりしない。
赤い匂い?
怪我をしているようには見えなかった。
ゾーイは考えに考えたが、見当もつかない。
だがふと、ゾーイは周囲の侍女や、果てはお妃様までが時々微かに赤い匂いのする事に気付く。しかしその匂いが何を意味するのか、13歳のゾーイには結論が出せなかった。
ある日、気まぐれに来訪したお妃様へゾーイは意を決して問い掛けた。
「母上」
「なあに?私の王子様」
その日機嫌の良かったお妃様は、ゾーイの次の言葉に面食らった。
「…時々、母上から赤い匂いがします…侍女にも」
お妃様はゾーイの無配慮な言葉に一瞬言葉を失った。だが羞恥から叱り飛ばそうとして、考え直した。
ゾーイもあと3年で16歳。この王国を建国した初代王は、御歳16にして民を導いたという。成人とみなされ花嫁を迎えうる歳なのである。今は、女の仕組みを知るに足る頃合いかも…。
「…良い事?人に、女に特にそれを指摘するのは止めなさい」
「何故」
「怪我をしているわけではないの。でも子供が生まれる所から月に数日、深い怪我をしているような状態になるわ。それは子供を産める体となった証なの」
腑に落ちない顔のゾーイへ、お妃様は言い直して続ける。
「大人となった、結婚できるようになったという証なの。でも女にとって恥ずかしい事だから指摘してはダメ。そっと見守るのよ」
「見守る…」
「…特定の誰かがいるの?」
考え込むゾーイに、唐突なお妃様の唐突な問いかけをした。
ゾーイはギクリと顔を上げた。
「…いいえ」
ぎこちない返事と共にお妃様を早々にが退室させ、ゾーイは再び考えこむ。
見守る?大人?
赤い匂いは子供を産める体となったという証…。
青い顔のマータはいつもと違ってどこか大人びて…。
ゾーイはハッとした。
―――マータは『女』になった?
性的な事だ。
当然指摘してはいけない。何故なら異性として恥ずかしいから。
恥ずかしい事。そう思い至って、ゾーイは初めて腑に落ちた。13歳のゾーイも既に身に覚えがあったのだ。それは夢であったり目覚めた時だったり。マータには絶対言えない事。気付かれたくもない。…それは恐らく男女の夜の睦事に…。
ゾーイは青くなった。
自分はあの夜、何をした?
見守るどころか指摘して怯えさせた。
触れられたくない『性』の生々しさをマータに突きつけた。
男の自分が、女のマータを。
マータは恥ずかしくて逃げたのだ。
大切なマータを。いつか我が物にしようと思っていたマータを。
そう思い至ったゾーイは、呆然とした。
たくさん後悔した。
どれだけ待っても、マータは二度と来なかった。
それでも、ゾーイは月夜の晩に窓を開けては明け方まで待つ。そうして朝日と共にマータの来なかった事実を見せつけられ、酷く苦い思いをする。そんな夜が幾月も続いた。
いくら待ってもマータは来ない。
嫌われたのかもしれない。
もう…二度と会えない?
その推察はゾーイを大いに苦しめた。
こちらから行けばいい?マータへ会いに。
でもどうやって?
虚弱を理由に軟禁状態のゾーイでは、マータの居場所を探る当てがない。
それに万が一マータの居場所のわかっても、もし、もしも拒絶されたら?
ゾーイの胸に、傷付いた顔のマータが思い浮かぶ。
――――ゾーイなんてキライ。
嫌だ。
それは絶対聞きたくない。拒絶は嫌だ。絶対に。許さない。
ギリギリと握り込む手の内から血が滲む。爪が掌に食い込み過ぎたのか、だがこの赤い匂いはマータのとは違う。
違う。
それは耐え難い苦痛だった。
目を閉じれば青い顔で無理矢理笑顔を作った最後のマータしか思い浮かばない。
傷付けたくなかった。怯えさせたくなかったのに。
後悔ばかりがゾーイを襲う。苦しい。張り裂けるような思いがゾーイを責め抜いた。
孤独なゾーイは元々寡黙だった。だがマータが来なくなってから、以前にもましてゾーイは殻に籠もるようになった。だが心とは別に、ゾーイは何故か体調不良が無くなっていった。
気を良くしたお妃様はゾーイに武芸の師範を付けた。
ゾーイは抗うでもなく、教えられるまま体を鍛えていく事になった。
心は囚われたまま。
最初は居丈高だった師範がやがて根を上げるまで、それは3年ほど続いた。
その間、恐ろしい夢を見る事はなかった。