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終幕 花園の二人

 千年の昔、その王国は滅亡した。


 王国のあった場所は元の沼となり、二度と人を受け入れる事はなかった。

 その沼の最奥で、ボコリとあぶくが立った。


 それは羽音のようにも、あるいは人の声のようにも聞こえた。

 弾けたあぶくから聞こえたようにも思えたか、水面に生き物の姿は無い。


 ボコリ。

 またあぶくが立った。

 そのあぶくか弾ける時、今度は明確に囁き声が聞こえた。


「ナニモナイ。何モ叶ワナイ」


 瘴気(しょうき)に煙る沼の中、呟きらしきものは続く。

 それは幼い少女の声のようにも聞こえる。


「煮えタギル旨味モ、エグ味バカリノ不味サモ同ジナノカ」


 だが、その呟きに応える者はいない。


「…情ケヲ、知ッテシマッタノカ」


 暫くして一つ、溜息らしき声が聞こえた。


「叶エヨウ…」


 その呟きを最後に、声らしきものも消えた。


 そうしてまた千年。

 いつしか霧の中で守られるかのような小さな森が、沼の最奥に生まれていた。


 小さな森の中央に小さな野原があり、小さな白い花が揺れていた。


 その花の中でいつか微睡む青年がいた。




 苺、野苺。

 野苺の白い花。


 何を贈ったら彼女は喜ぶ?



 大きなカラスの黒い羽、蛇の脱け殻がら、ガラスの欠片に千切れたボタン、イビツな石に溶けていく氷に酸っぱい野苺――――ナワシロイチゴ。


 開いた手に乗せた苺を楽しそうに差し出すから、怖々食べたらびっくりするくらい酸っぱくて。

 そうしてびっくりしたら、また彼女はお日様みたいに笑って。


 たくさん、たくさん笑って。

 ずっと笑っていて欲しいから、やっぱり野苺の花にしよう。


 花言葉もちゃんと調べて。それを彼女に捧げ思いを告げよう。



 そうして彼女とずっと一緒…。



 青年はふいに目を覚ました。

 木漏れ日の中でうたた寝したようだ。


 穏やかな日差しが青年を包む。いつもと変わらぬ午後の陽だまり。


 いつもと…?


 ぼんやりした意識がはっきりしていくうち、青年は側に誰かいるのに気付く。


 誰か、なのだろうか。青年を守るかのように、そっと抱き抱えるような体位の古びた石像があった。


 回された腕にはヒビが入り、俯く顔は逆光のせいで見えない。眠る青年を抱いたまま、この石像は、どれ程の歳月を経ているのだろう。


 要領を得ないまま、青年は不可思議な石像を眺めた。


「…?」


 ふと、青年の記憶から一人の少女が沸き出る。それは甘く切ない気持ちをも呼び起こして。


『私も、私もよ』


 青年は胸に刃を突き立てられたような気がした。

 それは酷く優しい声で。


「マータ…」


 マータ?

 青年は思わず口ずさんだ言葉に驚く。

 何だろう。

 ずっと、ずっと待っていたような。

「マータ」

 もう一度口ずさんでみる。

 黒い髪、黒い瞳、肌の色も濃くて、月明かりではその姿を完全に見る事ができない。

 だから、お日様の下で見たくて。

 ずっと、ずっと会いたくて。


『私も、私もよ』


 思わず身を震わした青年に呼応するように、青年を抱きかかえる石像はボロボロと砕けていった。

 青年はハッとした。


 駄目だ!

 青年は慌てて欠片となっていく石像を押さえるが、成す術もなくそれは崩れ、砂礫となった。


 青年は狼狽えながら砂礫を掻き集める。そうして手元の砂礫の隙間から、辺り一面に小さな白い花が揺れている事に今更気付いた。

 周りは薄く靄の掛かったようで、遠くに森のあるようだがよく見えない。

 小さな白い花。

 小さな赤い実をつけているものもある。

 これは、野苺だろうか。


 酸っぱいのかな。

 

『ナワシロイチゴだもの。甘い方が良いならバライチゴを探してくるよ』


 お日様みたいに少女は笑って。


 青年は少女のほのかな甘い香りを思い出した。

 それは今、掻き集めた砂礫からも感じた。

 青年はもっとその香りを味わいたくて砂礫を掻き集めたまま目を瞑った。

 懐かしい香り。

 お日様みたいに笑う少女。

 酷く優しい声の。


「ゾーイ」

 懐かしい声がする。

 ずっとずっと会いたかった。


「ゾーイ」

 頬に何か触れる。

 柔らかい指の腹で撫でられる感触に、青年は目を開けた。


 すぐ側に顔があった。

 豊かな黒髪に縁取られた、太陽に愛された肌の色。黒い瞳はじっと青年を見つめている。

 美しい若い娘。


 ああやっと。

 お日様の下で彼女を見る事ができた。

 ただ周りは靄か掛かっているのか、会いたかった彼女の顔は判然としない。


 まじまじと見つめる青年に、娘は何かを我慢する(てい)だったが堪えきれず、ついに吹き出した。


「そんなに顔を近付けて。私の顔、面白い?」

 

 屈託のない笑いに、しばし青年は呆けたが、吊られるように笑みを浮かべた。


「会いたかった」


 噛みしめるような青年の言葉に、娘は微笑んだ。

「私もよ…不思議ね、初めて会ったばかりなのに」


「初めて?」

 青年は戸惑った。さっき名前を呼ばれた気がしたのに。

 …なんて呼ばれていたっけ?

「はじめまして、よね?貴方はだあれ?私は…」

 言い掛けた少女も、途中で口籠った。

「私は…だあれ?」

 二人は見つめ合い、プッと吹き出した。


 名前はこれから考えよう。

 時間は無限にあるのだから。


 小さな白い花が小さな野原に揺れる。その小さな野原を囲む小さな森を囲む、およそ生き物の住む事のない沼からボコリとアブクが立った。


 霧の中たった一つの願いを、沼は大切に抱いた。


 誰も知らない永遠の物語。

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