破滅を歌う1
霧の中で少女は笑う。
「どこまでも卑怯な男だ。前世で娘を利用し、今世でお前に娘を見る」
少女はふわふわと浮かびながらゾーイへ近付いた。
ゾーイは跪いたまま。糸の切れた人形のように動かない。
「愛とは執着だと思っていた」
少女は浮かんだまま、ゾーイの周りをグルリと回る。
ゾーイの反応はない。
「それが旨味なのだと。だがこの男に限っては違うようだ」
少女はゾーイを軽く蹴った。
あっさりとゾーイは倒れる。
少女は一瞥すると、少し苦い顔をした。
「これは、見るからに不味い。」
鼻を鳴らし、ゾーイから離れる。
そんな少女の様子を、マータはぼんやりと見ていた。
「喰らう気にもならない。心を偽ると臭みが出る」
マータは呆然としていた。まるで為す術もないように。
「こうまで暴いても」
少女はマータに振り返った。
「お前はこの男が好きなのだろう?」
問うような物言いに関わらず、答えさせるつもりはないのか、少女は続ける。
「この男を愛し、哀れに思うのだろう?先の妃が王を愛したように」
マータはぼんやりと顔を上げる。
そうして期待を湛えた瞳の少女と目が合った。
「ならば、すべき事は一つ」
すべき事。
望まれない私が、ゾーイに。
少女は挑むようにマータを見た。
「これを生かすか殺すか、だ」
マータはぼんやりとゾーイを眺めた。
少女は続ける。
「生かすか?さすればこの男はお前をファティマータと思い続けるだろう。だが殺せば」
少女はマータの前まで近づき、面白そうに顔を覗き込んだ。
「お前独りのモノになる」
そう言うと少女は微笑んだ。
それは何より魅惑的な言葉だった。
マータは打ちのめされていた。何もかも仕組まれた。自分の気持ちでさえも。
ゾーイが望んでいたのは、私じゃ、なかった。
マータはヨロヨロと立ち上がった。そうしてゾーイを見つめたが、ゾーイはピクリとも動かなかった。
茶の煙る金の瞳は空を見ているようで。
何を見ているの?
見ていてくれたのは、私ではなかったの?
ぼんやりとマータは、いつかの頭陀袋を思い出していた。
ゾーイに喜んで貰おうと、沢山頭陀袋に詰め込んだ。
なのに、ゾーイを前に一斉に輝きを失ったマータの宝物。
そこにあったのは、みすぼらしくて惨めなものばかり。
マータはゆっくりと、ゾーイの元へ近付く。そうして足元に転がる剣に気付いた。
剣は仄かに赤黒い模様が施されていた。
おそらく封魔の呪文だろう。
ゾーイが私を討つために手にした。
マータは傷付いた指を、そっと剣へ伸ばした。
触れた瞬間、指に傷みが走る。だがマータは気にするでもなく柄を掴んだ。
惨めな頭陀袋の惨めな中身。
私の、大切な宝物。
ガラスの破片、蛇の脱殻、黒いカラスの大きな羽根。
引きちぎれたボタン、溶けていく氷、磨いた小石に酸っぱいイチゴに。
貴方を思う、私の気持ち。
マータは剣を拾い、そのままゾーイへ向き直す。その頬はいつの間にか濡れていた。
少女はマータの泣き顔に少し驚いた様子をした。
剣を握ったまま、マータは呟いた。
「…ファティマータを、あの女の子を好きだったのね」
男の笑顔が見たかった、痩せぎすの小さな女の子。
私ではない女の子。
涙が止まらない。まるで傷ついた人みたい。ヒトモドキなのに。
剣の模様が仄かに光る。その赤黒い光を、マータはぼんやりと眺める。
虚ろにマータは呟いた。
「…許さない」
その言葉を聞き、少女は目を細めた。口角が上がる。
マータは剣を持つと、ゆるゆるととゾーイへ向けた。
あの女の子には渡さない。
誰にも渡さない。ファティマータにも渡さない。私だけのもの。
私だけの貴方に。
近付くマータに反応もせず、倒れたままのゾーイは瞳も動かない。
そんなゾーイをマータは泣きながら見つめた。
私を見てはくれないのね。
貴方が見たいのはファティマータなのね。
私が、ファティマータになれば見てくれるの?
至近距離となり、マータはおもむろに剣を構えた。その切っ先はゾーイを捉える。
私は、私はね。
マータは剣を振り上げ、一気にゾーイを切り付けた。
その瞬間やにわに顔を上げたゾーイと、マータは目が合った。
ゾーイの瞳は鋭く煌めいて。
ゾーイは、恐ろしい速さで飛び出した。
際どく避けたマータはバランスを崩した。束の間取り落とした剣をゾーイは素早く奪う。そのままゾーイは、マータを組伏せ剣を突き立てた。
それは瞬く間で、沸き立つ霧に二人の影は消えた。
白く濃密な闇の中、二人は一つとなった。
ゾーイは目を見開いた。
深々と刺さった剣は、マータの心臓を僅かに外していた。マータは僅かに微笑んだ。
ゾーイは外すつもりなどなかった。完全にマータを捉えていた。気を伺い、絶妙なタイミングで仕掛けた。
自分の動揺をも利用し、相手の油断を誘ったのだ。
ゾーイはさらに機敏なマータが避けると読み、僅かに剣をズラして刺した。
マータは運動能力が高い。間際に気付くだろうと。
避けた先を狙ったつもりだった
マータは避けなかった。
その僅かなズレがマータの心臓を外し、即死に至らせなかった。
赤い匂いの広がる中、剣の柄から離せないゾーイの手へ、マータはそろそろと触れた。
ゾーイ。あのね。私ね。
私はね。
「大好きよゾーイ」




