呪いは歌う3
気付くと、薄暗い自室にゾーイはいた。
ベッド脇に蝋燭が一つ。他に光はなく、周囲を覆うように闇が伸びる。
身動きしようとしても手足の自由が効かない。
それでも顔は動くので、ゾーイは周囲をなんとか見回してみる。
ゾーイの手足はベッドに縛り付けられていた。ゾーイは、強制的に仰向けに寝かせられている。
ベッド脇には燭台があり、唯一の灯りでもある。赤く、仄暗い光を放つ蝋燭から、絶え間なく甘い香りが発せられている。
むせる返る匂い。強い倦怠感がゾーイを覆う。
これは魔術だ。
ゾーイは頭を振って邪気を払おうとした。
思い出せ!
これは罠だ。
誰の?それはもちろん王様だ。
マータとの結婚を切り出したゾーイを、王様は捕らえ監禁したのだ。
そうして前世の業を思い出させた。
そうして知った真相にゾーイは嗤った。
自分は初代王の転生だったのだ。尽くす幼子の命を平気で贄に差し出した。
ならば、夢で会った幼いマータに憎まれるのも道理。さっさと殺されれば話は終わる。
だがそうすれば、王国は滅亡する。
そう沼が定めた。王国の繁栄はその儚い宿命の故だったのだ。その宿命から逃れる為に、王様は策を弄したのだ。
わざわざ姉弟と錯覚させ、マータに親愛の情を抱かせる。
そうしてマータの復讐心が鈍る内にゾーイは成長し、子孫を残し、あまつさえマータを討ち果たせと。
さすれば、転生した初代王が王女に殺されるという宿命は違え、国は滅びずに済む。
下衆が。
ゾーイは声を立てて嗤った。
「おかしいか」
頭上から低く冷ややかな声が掛かる。
この声は王様に他ならない。
だがベッド脇にある燭台の心許ない灯りでは、声の主までは見えない。
王様はゾーイから距離を取っているようだ。
おかしいか?勿論おかしい。
回りくどく、おぞましい。連れ添った子を差し出す初代王と同じ位。
嗤いの止まらないゾーイに再び王様が声を掛けた。
「…ファティマータの夢を見るのはお前だけではない」
ゾーイの嗤いは止まった。
「初代王は正気に戻らぬまま身罷った。妻も子もいなかった。故に次代王は、初代王の遠縁が就いた」
子供のように泣き続ける哀れな男をゾーイは思い出した。
孤独な男だったのか。同情はしないが。
「初代王は狂死、次代は傍系。沼の主との契約が履行となるか危ぶまれた。だが国は富み代々の王は、呪いが継続している事を思い知らされる」
王様は一旦言葉を区切り、短く息を吸った。
「…夢だ」
王様の声に、ほのかな恐怖が色づいた。
「沼へ引きずり込もうとする化け物の夢を代々見る。飲み込まれると死ぬ、という恐怖を代々が継承した。逃れるには子孫をもうけ、引き継ぐ事。我が子がファティマータの夢を引き継げば、王は悪夢から解放される」
一気に捲し立てた王は、一つ息を吐いた。
「…私も見た。私の父から対処を知らされる前に…」
珍しく王様が言い淀む。
ゾーイは王様のいるであろう方へ顔を向けた。だが明かりから外れた位置にいる王様は闇に溶け、表情は確認できない。
「…夢で引きずり込もうとする化け物に、私は命乞いをした。私はゾイオンではないと。では誰がゾイオンかと化け物に聞かれ…」
ふと、ゾーイに近づく気配がした。明かりに王様の顔が浮かび上がる。ゾーイを見つめるその顔には、隠しようのない恐怖が彩られていた。
ゾーイは確信した。
―――――『我が子』と答えたのか。自分の命惜しさに。
ゾーイは再び、顔が笑みに歪むのを感じた。
「…『子孫』と代々答えていたと、教えられたのは先の妃を娶った夜だった。到底、先の妃と夫婦にはなれなかった」
ああ、つまり。
王様の失言で、必ず我が子が初代王の転生になると確定した。次代で国が滅ぶとも。
再び笑みが溢れるゾーイへ、王様は静かに話し続ける。
「先の妃に打ち明けた。夫婦にはなれないと。すると」
再び王は息を吐いた。
「先の妃が企てた。ゾイオンが必ず転生して滅びるなら、先に化け物を転生させ無力化すればいいと」
化け物を先に転生させる?
ゾーイは再び王様の方を向いた。先ほどより近い距離に父の顔があった。
端正な顔立ちではある。だがどこか疲れている。初代王のように。
「あれは愚かだった。化け物を伝承通り王女として慈しめば良いとほざいた。さすれば復讐心を失い、国は滅びずにすむと」
いつしか王様の顔から表情が消えていく。
「私との子は必ずゾイオンになると言ったのに。あれは、体裁だけ王女にしてくれればいい。自分はファティマータを生むと頑なだった。一月行方知れずになり、泥だらけで帰ってきた時には既に孕んでいた」
顔色は変えないまま、しかし王様の声に何故か熱がこもる。
「宣言通り女児が生まれた。当然のようにファティマータと名付けた。私も、この国も守るから安心してと、あれは微笑んだ。耐えられなかった。たから私は、お前の母へ逃げた」
淡々と話す王様の、瞳があらぬ方を向く。
王様は何の話をしている?
「結果男児が生まれてしまった。庶子ならあるいはと思ったのに。だがあれは言った。きっと大丈夫だと」
ゾーイの目が見開く。
王様は、何の、話をしている?
「あれの気持ちがわからない。あれは、最期まで笑っていた」
王様はあらぬ方を見つめたまま、声が夢見るように上擦る。
「あれが亡くなると、不思議と化け物の気配が治まった。あれが命懸けで封じ込めたのだと思った。だからお前達を城に呼んだ。あれが、ネズミ捕りを仕掛けたとは、すぐに気付かなかった」
ゾーイの眼光が鋭くなる。それに呼応するかのように、咽返る甘い香りの中、王様はゾーイに振り向いた。
蝋燭の火を映す王様の瞳は、虚ろに揺れていた。
初代王と同じ、感情が摩耗した金茶色の――――
「…会っていたのだな」
ゾーイは王様に恐怖した。逃げようと暴れたが括られた手足はびくともせず、王様の顔がゾーイに近づく。
焦点の定まらない金茶の瞳。初代ゾイオンと同じ狂気の――――
「お前は会って、愛するようになったのだな…あれの弄した策の通りに」
策の通り?
愛し合うのは策の通りだと?
違う!会っていたのは自分の意思だ!
…意思のはずだ。
動揺するゾーイへ王様はさらに近づくと、その顔を両手に包んだ。
「相思となれば蓋が閉じる。仕掛けは簡単だ」
仕掛け?策?
違う。やめてくれ。
むせ返る。甘い香りが、大切な甘い香りが。
「…ファティマータから同じ香りがしなかったか?」
違う!絶対違う!
「お前を操る為に、あれが化け物に仕込んだのだ」
止めて止めてくれ――――。
「お前がファティマータに愛されるには、お前がファティマータを愛さねばならない」
聞きたくない。
震える顔を包む手に、力を入れると王様はゾーイへ冷ややかに言い放った。
「お前の恋心は作られたものだ。ファティマータがお前を愛するようにする為のな」
風が、風が吹き荒ぶ。
「ネズミ捕りの餌だ」
心が、吹き飛んでしまう。
「恋心に引き寄せられ、王女の心は掛かった。後はお前が駆除するだけだ」
餌じゃない!
この気持ちは、偽りじゃない。
マータを思うこの気持ちが、作られたものの訳がない!
そう思うのに、ゾーイの口から言葉が出ない。
ファティマータ、ファティマータと泣く哀れな男が脳裏によぎる。
王様はゾーイに微笑んだ。暗闇に浮かぶその笑顔は、一層歪んで恐ろしく見えた。
「愚かなゾイオン。我が息子よ」
呆然とするゾーイの額に指を当てると、今度は縦に下した。
「愛など無意味だ。私も、お前も」
お日様みたいに笑うマータが、暗闇に塗りつぶされていった。
窓に光が差し込む。
涼やかな朝の風が頬に当たりゾーイは目覚めた。
何だろう。とても清々しい。
目を開けたそこは光の洪水だった。
眩しく、清廉で、まるで今のゾーイの心のよう。
「ゾーイ」
高い音域の声。母である。
明るさに慣れてくるとそこはゾーイの自室だった。ベッドの傍に伺うようなお妃様がいる。
「母上」
珍しく朝から来訪していたようだ。
「…大丈夫?…変わりはない?」
「…?」
お妃様の視線に促されるように、ゾーイは我が身を確認してみた。
手足は動く。苦しくも辛くもない。むしろ新たな目的に体が漲っているようだ。
ゾーイは軽やかにベッドから降りると、お妃様の前へと立った。
「父上のお陰で、この通り大丈夫です」
「…王様の」
「ええ、王が我が呪いを解いて下さいました」
「…」
昨日までとゾーイの様子が違う。戸惑うお妃様へ気にもせずゾーイは続ける。
「一刻も早く、この国の呪いを解いてみせます」
「呪いって…ゾーイ」
被せるようにゾーイは宣言した。
「我が名はゾイオン。必ずや魔物を討ち果たします」
呆然とするお妃様を前に、ゾーイは心のままに微笑んだ。




