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呪いは歌う2

 たゆたうゾーイの前には土色の男と、民と、灰色の男と、幼いマータ。


 ゾーイは驚愕した。


 供物?!


 生け贄にえだ。人柱。

 安寧の代償に、マータは、殺される?!


 ゾーイは酷似した話を知っていた。

 初代王の娘は沼へ身を捧げ、そうして王国は建立――――


 まさか。絶対違う!

 

 それまで夢の進行を傍観していたゾーイは、慌てて夢に干渉しようとした。

 これは自分の夢だ。夢と気付いている夢なら、その夢を変える事もできるはずだ!


 夢の中でさえマータを失うなんて嫌だ!


 固まるマータに気遣う事もなく男は続ける。


「美味に感じれば御前おんまえは男、我が事のように感じれば女。無味無臭なら新たな供物を捧ごう」


 ゾーイは戦慄した。


 駄目だ!


 嫌だ!


 夢に介入しなければ!


 乱れる心のままにゾーイは試みるが、どうしても夢に入り込めない。ゾーイは漂う影のまま。おかしい。これは夢だ。夢なら変えられるはずなのに!


 これは 夢 ではない ?


 幼いマータが、持ち上げた男へゆっくりと振り返った。


 男とマータの目が合う。


 そうして男の目が見開いた。男の初めての表情だった。


 男は、マータに向かって何かを言―――


「…ノゾム…」


 土色の男からいつくも(つた)のようなものが伸びると、あっという間に男からマータを奪った。そのまま幼いマータは土色の男の体内へ取り込まれ姿を見失う。


 それは束の間の事だった。


 土色の男がまたウネウネとした汚泥の塊に変わり、沼へと沈んでいく。


 そうして水面は初めて静かになった。




 マータの断末魔も、ゴボリという音さえしなかった。


 男は、さっきまでマータがいた辺りを呆然と見ていた。顔に驚愕の表情を浮かべたまま。

 ゾーイは息もできず、その場を見守るしかできなかった。


 稲妻が周囲を照らす。

 人々が呆然とする中、再び沼の表面が泡立った。

 初めそれは穏やかにポコリと。じきにそれは中央から渦を巻いて立ち上ぼり、やがてその中から小さな人影が現れた。

 幼いマータだった。

 周囲は一斉にどよめいた。男は固まったまま。

 交渉は失敗した?


 ゾーイはやっと夢に介入できたと思った。残酷な展開を阻止できた。良かったマータは…。


「ゾイオンと言うのだな」


 男に向かって少女が言い放った。

 ゾーイに衝撃が走った。

 ゾイオン。それはゾーイの名前でもある。そして国を築いたとされる初代王の名前。

 この男の名がゾイオン?この、無慈悲で磨耗した男が?!


 その声音は幼い少女のものだが、到底少女の物言いではない。

 沼が寸分の狂いなく少女を再現したという事か。

 つまり沼は、身も心も喰らい尽くし味わい、

 人を知ったのだ。


 ああ。

 ゾーイも、男も、共に震えた。

 幼い少女は男を見つめた。

「この娘は、心の内にゾイオンと呼んでいた。だからお前をゾイオンだとわかった。お前はどうなのだろう?」

 そう話しながら、少女の姿をした沼の(あるじ)は男へ近づく。

 男は慄いた。

 主は夢見るように続けた。

「この娘は美味だった。血肉も骨も、心のあり様も」

 主は(いつく)しむかのようにおのが肩を両手で抱いた。

 男は何か言おうとした。しかし、驚愕の表情は歪むばかり。ただガタガタと震えながら、主を見つめ返すばかり。

 

「望みは叶えよう」

 主は続ける。

「だが条件がある」

 周囲は息を飲んだ。主は動けない男を見つめた。


「この娘の名前を知っているか?」


 男は固まり、しばらく返事ができないでいた。ようやく絞り出した声は上擦っていた。

「……名…前…?」

 頷く少女(ぬし)に動けないまま、男は顔を青くする。

 二人のやりとりに不安を感じたのか、周囲もどよめき始めた。

 あれほど一緒にいたのだから難しい話でもないだろう。その筈なのに、男は言葉に詰まる。


「…あれ…は」

 それでもなんとか取り繕おうとした男の言い分に、ゾーイはさらなる衝撃を受けた。


「…旅の途中で拾った…だけ…わからない知らない」



 拾った?!

 男の、娘ではないのか?!

 家族どころか、主従でさえも、ない?

 それでも、獣の子でさえ拾ったら名前を付けるだろうものを。


 今まで名前をさえ呼ばなかった?

 この男は!どこまで心が摩耗(まもう)しているのだ!

 ゾーイは男を激しく憎悪した。


 幼い少女の姿をした主は、しばらく男を静かに見つめていた。だが名前を答えられない悟るとさらに一歩、男へと歩み寄る。

 男は一歩、後退った。

「…最後は煮えたぎる味だった」

 少女は、さらに男に近付くと手をかざした。

「…名を名乗れぬなら、呪いを(さず)けよう」

 怯える男に動じる事なく、歌うように少女は続ける。

「お前の血の続く限り、この沼を国に代え、安寧を約束しよう」

 その言葉に周囲は再び沸き立った。ゾイオンの血族を絶やさないようにとの制約はあるが、これは『呪い』ではない。むしろ『祝福』である。今こそさすらいの旅は終焉となったのだ。

 少女は手をかざしたまま言葉を続ける。

「そしてお前が再び生まれこの娘に殺される時、この地は元に戻る」


 一瞬おき、再び周囲はどよめく。不穏な言葉である。この言葉は、約束されたばかりの国の滅亡を予言してはいまいか?

「これをもって契約と成す」

 そう言うと、幼いマータだったものは瞬時に土塊(つちくれ)と化し、沼へと沈んだ。

 そうして水面は再び静かになった。


 いつしか雷鳴は止んでいた。雲は薄れ辺りは明るくなっていく。雲間から久方ぶりの日が差し込み、周囲を穏やかに照らし出す。集団はぼんやりと辺りを見回した。今まで苦しめられていた瘴気(しょうき)も消えていた。清浄な風が水面にそよぐ。どこからか鳥の声がする。

 まるで、全てがこの苦難の終焉を祝福するかのように。

 旅は終わったのだ。

 人々は喜びに咽び泣き、たゆたうゾーイは茫然とした。


 これは、夢なのか。


「…ファティマータ」

 ふいにゾーイは誰かの声を聞いた。それは、しゃがれた声だった。

「ファティマータ」

 声のする方へ振り向き、ゾーイは驚く。

 男が、静かに泣いていたのだ。

「ファティマータ…ファティマータ…ファティマ…」

 子供のようにしくしくと泣き出す男に周囲も気付く。

「…マータ…」

 正気を失った男はただ一つの名を呼び続けていた。

 体を縮込めおいおいと泣く。その姿はあまりにも幼く、初めてゾーイは、この男は老いているどころか自分とあまり変わらない年齢なのではと気付いた。

 

――――ファティマータ。

 誰もが気付いた。

 これは、おそらく人柱となった娘の名。

 それは沼の主が授けた約束と呪いの言葉となって。



 これは、夢ではない。

 

 ゾーイは確信した。

 これは、王国建国のあらましだ。

 初代王女の献身という伝承と、あまりに掛け離れていた。

 嘘だったのだ。

 この王国は、身寄りのない幼子を供物にして、安寧と繁栄を得たのだ。

 最初から供物にすべく、身寄りのない幼子を飼った。

 その為にこの王国は呪われ、約束された繁栄を謳歌していた。

 では、では、自分が繰り返し見た沼の夢は。


「「マータ」」

 男の声が自分の声になっていく。

 ゾイオン、自分と同じ名前の男。国の終焉に転生を約束された。

 男が泣いたままゾーイに顔を向ける。焦点の定まらない瞳は金茶に瞬いた。

 ああ。

 絶望がゾーイを(おお)っていき、いつしか周りは闇となった。


 風が、風が吹き荒ぶ。


 ああ、本当はもう気付いていた。


 この無慈悲な男は、自分だ。

 これは、前世で自分が犯した罪の夢。


 幼いマータを(だま)して建国の(いしずえ)にしたのは。

 幼いマータに憎まれたのは。


 紛れもなく、自分だ。


 ゾーイの意識は混濁していく。

 底なしの沼に(おぼ)れていくような。



 辺りにむせるような甘い香りが立ち込める。

 ああこれは、魔術の香りだ。

 思い出した。

 今の自分は囚われていた。


 王様(ちち)の執務室で(めい)(あらが)い、魔術を施されたのだ。

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