よくある物語の結末は悪役令嬢だけが知っている
学園中のご令息、ご令嬢の皆々様が集まる、記念すべき夜会にて。
「オフェーリア・イースデイル! 貴様の目に余る悪行の数々を許すわけにはいかない! よって今日、この時をもち、オズワルド・シリル・フロックハートは貴様との婚約破棄を宣言する!」
わたくしの婚約者であるオズワルド王太子さまは声高らかにそう告げました。……いえ、そうね。今この瞬間からは元婚約者、と表現した方が良いのかしら。
そんなオズワルドさまの横には、一人の少女。シャンデリアの光を浴びてキラキラと輝く金の髪はとても美しいのだけれど、残念ながらその性根は掃き溜めように薄汚いことをわたくしは存じておりますの。
例えば、そうね。大きな瞳を子犬のように潤ませ、彼の腕にご自身の腕を絡ませていらっしゃるその姿。一見すると、か弱き乙女そのものでしょうが、口元には勝ち誇ったような笑みを携えていらっしゃるのよ。この娘の為人が透けて見えますでしょう?
こんなにも明白ですのに、オズワルドさまときたら、まったく気付くご様子がないんですもの。困ったものですわ。
「オフィーリアさま、ご自身の罪を認めてください!」
器用なことに涙を流し、非難の言葉を投げかける娘を見て、わたくし、思わず溜め息をついてしまいました。いけませんね、はしたないと叱られてしまいますわ。けれどこの方、あまりに残念な頭をお持ちのようなんですもの。溜め息だって零れてしまいますわ。
それにわたくし、とても驚いてますのよ。いえ、オズワルドさまのお心がわたくしに無いことなど、疾うの昔に存じておりましたわ。でもまさか、このような場所で婚約破棄を言い渡したうえ、糾弾までされるとは。しかも、まったくの冤罪ですのよ。オズワルドさまったら、何故こんなことをなさるのでしょう?
確かに〝王太子の婚約破棄〟自体は、この国の今後をも揺るがしかねない、おおごとなのに違いありませんわ。けれど、だからと言って、沢山の方が参加なさる夜会で、こんなにも大々的になさるなんて。一度取り決めたことを破棄するだなんていう恥ずかしいことは、普通であれば人目を忍んでひっそりと行うものですのに。
お陰で夜会は台無しですし、すっかり注目の的になっておりますわ。嘲笑すらされていますのに、お気付きでいらっしゃらないのかしら。
────あぁ、オズワルドさま。あなたって方は、本当にどこまでも。
「申し開きがあるならば聞いてやらないこともないが?」
わたくしの沈黙をどう勘違いなさったのか、オズワルドさまがそんなことを仰いました。
そうですわね、夜会はもう既に取り返しの付かないことになってしまったのだし、わたくしもこの茶番劇に乗って差し上げましょうか。
「いくつかお聞きしたいことがございますの」
「許可する」
「ありがとうございます。それでは、そうですわね……」
わたくしは会釈をしたあと、娘へと視線を向けました。わたくしが怖いのかしら、何やらたじろいでいるご様子ですけれど。
「まず、そちらの方のお名前を伺ってもよろしくて?」
「……は?」
オズワルドさまは呆気に取られたような表情をなさったけれど、すぐに顔を真っ赤にさせてわたくしを睨みつけましたわ。
「貴様! この期に及んでそのような意地の悪いことをニィナにするつもりか!」
「オフィーリアさま、わたしが嫌いだからって、いくらなんでも酷いです……っ!」
怒り心頭のオズワルドさまとは対照的に、娘は悲しそうに目を伏せてポロポロと涙を流しています。まぁ! そのような反応をなさるとは。
「心外ですわ。わたくしはお声掛けしましたのに、ご挨拶してくださらなかったのはあなたの方でしょう?」
ざわり、と会場内がざわめいたのを感じました。驚いていらっしゃる皆様には申し訳ないのですけれど、実はまだまだ序の口ですのよ。あぁ、もしもこの続きをお聞きになったら、卒倒なさる方が出てしまうのではないかしら。わたくし、心配ですわ。
「あなたは確か、平民でいらしたわよね?」
「そ、そうですけど……」
わたくしの言葉に、ニィナと呼ばれた彼女は困惑したご様子。
「そうだ、ニィナは平民出身だ。礼儀を知らないのも仕方ないだろう」
オズワルドさまが擁護されました。けれど残念ですわね、それは見当違いなんですの。
『既に親しい場合を除き、身分が下の者から上の者へと声をかけることは不敬にあたる』
『それまで下級の者は名乗ることも、名前を呼ぶことも許されず、身分が上の者に声をかけられた時に初めて挨拶が許される』
そんなもの、社交界デビュー前のご令息ご令嬢はおろか、平民の子供ですら知る一般常識ですのに、オズワルドさまは本当にそれが言い訳になるとお考えなのかしら。
……うーん、そうですわねぇ。優しいわたくしがあえて擁護してさしあげますと、これはそもそも、身分が上の者と出会わなければ使わない作法ですもの。どうやらこの娘は非常に残念な頭をお持ちのようですし、〝忘れて〟しまうのも致し方のないことですわよね、といったところでしょうか。
「えぇ、ですからわたくし、今年は魔力持ちの平民が入学すると知り、気にかけておりましたの」
そのようなことはおくびにも出さす、わたくしはそう続けました。そしてこれは間違いなく、わたくしの本心でしたわ。
魔力持ち────。
名前の通り、産まれながら魔力を持つ者をそう呼ぶのですけれど、そのちからは本来であればわたくし達貴族にしか誕生致しませんの。
ですが時々、平民の身分でありながら魔力を持つ者が産まれることがあるそうですわ。そこの娘も数少ないの内の一人ですわね。
王国はそういった珍しい立場にいる方を保護するため、適年齢になった際には王都に呼び寄せ、学園に通わせる決まりを作っておりますの。勿論、他の生徒は貴族の令息、令嬢ばかりですわ。その分、肩身は大変狭いでしょうけれど、学園にいる間は通常では貴族の子供達しか受けられない上質な教育を受け、立派な寮で暮らし、豪華な食事をして、清潔な水でシャワーを浴びることが出来ます。それに加え、卒業後も王国が働き口を斡旋するだけあって、平民からすれば魔力持ちというのは一生の安泰が約束される、それはそれは名誉あることだそうですの。
……まぁ、実際はそうやって学園に呼び寄せた方の魔力量や資質を測ったうえで、在学中は学園内、卒業後は斡旋先、それぞれ目の届く範囲で監視するのが目的なのですけれど。
もっと端的に申し上げますと、平民の魔力持ちが集い、謀反を起こすことを恐れた貴族達の、ていの良い言い訳ですわね。
それを知る由もない平民の間では、魔力持ちの子というだけで大事にされるそうで。……ですからきっと、勘違いをなさったのね。
ご自身が選ばれた素晴らしい存在である、と。
素晴らしい存在である自分なら貴族令息にも簡単に取り入れるとでも思ったのでしょう? その度胸と狡猾さは評価に値しますわ。
美貌や愛嬌、財産、血筋、取り柄……。
そのような、己が持つ事柄を武器にすると言うのは、とても有意義なことですもの。わたくしだって公爵家の令嬢という肩書きを駆使したことがございますし、そもそも貴族であれば権力や金銭を行使することなど珍しくもないでしょう。
けれどね、物事には全て、使い時というものがございますの。
「わたくしはオズワルドさまの婚約者、ひいては未来の王妃候補の一人として、ご令息、ご令嬢の皆様方の模範である様に務めて参りましたわ」
わたくしは笑みを絶やさず、美しい姿勢のままそう告げました。
あなたは気軽に考えておいででしょうけれど、王太子の婚約者というのは、決して楽な道ではないのです。常に美しい所作、麗しい見目、正しい行いが要求されるんですもの。オズワルドさまの婚約者となったその日から、わたくしは厳しい正妃教育にも耐えてきましたわ。
「身分の違う者達に囲まれることとなるそちらの方がご苦労なさるのを危惧して、お声をかけたのは当然の務めなのです。……あぁ勿論、その際にご挨拶のこともお教え致しましたわ。もしも他の方や王族の方に不敬を働いたら、それこそ大変なことになりますもの。でもそうしたら、その方、なんて仰ったと思います?」
貴族の中にたった一人で放り込まれた平民のために気を配るのも、〝王太子の婚約者〟のあるべき姿ですから、わたくしもあの時、そう致しましたのに。
「────だから貴族さまは嫌なんです、そんなに身分が大切ですか、わたしは権力なんかに屈しません────ですって。そのまま名乗りもせずに行ってしまいましたので、わたくし、あなたからお名前を伺っておりませんの」
会場のどよめきが大きくなりましたわ。けれど、その反応が当たり前でしょうね。
わたくしが自分で言うのもなんですが、わたくしは〝王太子の婚約者〟ですもの。
わたくしと繋がればイースデイル公爵家だけでなく、我が家と友好関係にある上位貴族、外交で密にやりとりをしている他国の貴族、果ては王家にもパイプができることになります。それは貴族であれば、喉から手が出るほど欲しい、太い太いパイプですわ。当然ですわよね。強い繋がりがあればあるほど、お家は発展していくのですから。
わたくしだって今までに媚びを売られたことはあれど、無碍にされたことはありませんでしたもの。ある意味、新鮮でしたわ。
「もしや、あの出来事がそちらの方が仰る、わたくしの悪行なのでしょうか? そちらの方を思ってのことでしたのに……わたくし、悲しいですわ」
目を伏せてそう呟いてはみましたが、実際はこれっぽっちも悲しくなんてないですわ。寧ろこの逆境を、彼女がどう覆すおつもりなのか、わたくし興味津々ですの。
「い、いや! それだけではないぞ!」
オズワルドさまが取り繕ったように仰ったけれど、まだ庇いたてができるとお思いなのね。本当に仕方のない人だわ。
……さぁ、わたくしの悪行とやらをお聞き致しましょうか。どんな罪で糾弾なさるおつもりかしら。楽しみですわ。
「貴様、茶会にニィナだけを呼ばなかったそうではないか」
「当然ですわ。マナーを覚えようとしない、品もない無礼な方をご自宅へ招きたいご令嬢など、わたくし含め、いるわけありませんもの」
「このわたしに近付くなとも言ったそうだが?」
「それもまた当然ですわ。オズワルドさまにはわたくしという婚約者が〝おりました〟から。婚約者のいる方と二人きりで過ごすなど、あってはならないことでなくって?」
「令嬢達と供託してニィナを取り囲み、『平民ごときが貴族と仲良くするな』と言ったというのは……」
「まぁ! そのような解釈をなされたの?」
うふふ、オズワルドさまが真面目になさっているのに、思わず笑ってしまいました。大変ですわ、これは悪行になってしまうかもしれませんわね。
「何がおかしい!」
ほら、オズワルドさまもお怒りですもの。でも、これはさすがに笑ってしまいますわ。
「ご存知ありませんの?」
みっともなく大口を開けて嘲笑ってしまいそうになるのをなんとか堪えて、わたくしは申し上げました。
「そちらの方はオズワルドさまだけでは飽き足らず、他のご令嬢の婚約者とも親密なご関係にありますのよ」
「……はぁ!?」
あらあら、オズワルドさまったらそんな大声をあげて。王族ともあろうお方がはしたないですわ。けれどそのご様子ですと、本当にご存知なかったのかしら。
平民風情も案外器用に物事をこなしますのねぇ。それとも、オズワルドさまの瞳が節穴なだけかしら。
「そちらの方が幾人もの殿方と逢い引きなさっていると、わたくしの元にたくさんの不平が寄せられていたのです。事実であれば大変よろしくないことですので、ご令嬢達と共にお伺いを立てたのです。そうしたら事実だと仰るではありませんか。そのような不条理を許すわけにはいきませんので、婚約者がいらっしゃる殿方との密会は避けて頂くよう、皆様で申し立てたのです」
オズワルドさまは酷く狼狽なさっているようですわね。わたくし、事実を述べただけですのに。
「ニィナ、本当なのか!?」
「ち、違います! 出鱈目です!」
あら、今までだんまりを決め込んでいた平民風情が声を荒らげましたわ。ふぅん、そうですか。出鱈目だと仰るのですね。出鱈目かどうかは調べて頂ければすぐに分かることですのに。
「後先考えずに嘘をつくのは、おやめになった方がよろしくてよ」
優しいわたくしが忠告して差し上げたら、
「オフィーリアさまこそ嘘つかないでください!」
残念なことに仇で返されてしまいましたわ。それで良いのであればわたくしは別に構いませんけれど、忠告は聞いておいた方が身のためですのに。……あら? そう言えばひとつ、気になっていたことがあったのを思い出しましたわ。
「あなた、他の殿方はどうなさったの? ご関係を築かれた方がたくさんいらっしゃったわよね?」
「そんな言い方をしないでください!」
わたくしの質問に、娘は怒ったような口調で答えました。
「確かに仲がいい人はたくさんいますけど、彼らはわたしの恋を応援してくれる、素敵な友人です! それにわたしが愛しているのはただ一人……オズワルドさまだけですから!」
「そ、そうか……」
まぁ、呆れた。オズワルドさまがこの娘にとって、『一番条件の良いお相手だった』というだけですのに……まさか嬉しそうになさるとは。
やはり、オズワルドさまの瞳はどこまでも節穴なようですわね。恋は盲目とはよく言ったものですわ。
「そんなことより、わたしのドレスを汚したことはどう説明するんですか! 両親がプレゼントしてくれた、大事なドレスだったのに!」
突然、娘がそのようなことを叫び出しました。都合の悪い話題から逸らそうとする魂胆が丸見えですわね。随分とお粗末だこと。
でも……面白いわ。さすがわたくしから王太子と王妃の座を奪おうとする、図太い女なだけあるわね。いいわよ、あなたの気が済むまでわたくしがお相手してさしあげましょう。
「オズワルドさまがドレスをプレゼントしてくれたお陰でこの夜会に来れたけれど、あのままじゃ、わたし……!」
あぁ、道理で。平民には似つかわしくない、高価なドレスをお召しだなと思っておりましたの。オズワルドさまからの贈り物だったのですね、納得ですわ。
……確かによく見たら、娘はオズワルドさまの、オズワルドさまは娘の、それぞれの瞳の色をしたお召し物をなさっていますわね。まだ正式な婚約者ではないと言うのに、なんと仲睦まじいこと。でも、心底どうでもいいですわ。
「何故、わたくしがあなたのドレスを汚さねばならないのです?」
わたくしの発言に、娘はぴしゃりと顔を強ばらせました。
「この言い方ではあなたは良く思わないでしょうけれど、わたくしは公爵家の生まれなんですの。ドレスの持ち合わせなど、あなたが想像もできないほど沢山ございますわ」
娘の反応に気付かない振りをして、わたくしはそう続けました。
「わたくしとしては非常に申し訳ないことなんですけれど、いつも周りの皆様が気を遣ってくださるのよ。ですからわたくしはその日の気分や体調、場の雰囲気に合わせて、好きにドレスを選びますの」
どうしてか皆様、わたくしとドレスの色やデザインが被ることを酷く遠慮なさるのよねぇ……。わたくしだって主催や主役の方がいらっしゃるようなパーティーであればさすがに気を配りますが、例えば今夜のような生徒のみが集う夜会はマナーもそこまで厳しくないのですし、お好きなドレスを着てくださって構いませんのに。
「そういう訳なので、あなたがどんなドレスを着ようがわたくしにはこれっぽっちも影響ありませんし、そもそも興味もございません。なのに何故、わざわざあなたの元へ出向いて、わざわざドレスを汚す必要がありますの?」
クスクスと嘲笑が聞こえてきましたわ。あらあら、これじゃあまるで、わたくしが悪者みたいですわね。
まだ婚姻前ですし、そもそもどなたかのせいで婚約者すらいなくなってしまいましたし?
悪評が立つのはあまり好ましくないのですが、わたくしはただ事実を述べているだけですの。もしも良くない噂が出回って、嫁ぎ先がなくなったら……ふふふ、どうやって責任をとってくださるおつもりかしら。
「じゃ、じゃあ! わたしをバルコニーから突き落とそうとしたのは!?」
次から次へと驚きですわ。今度はこのわたくしに殺人未遂の罪まで擦り付けようと言うのね。
「な……! それは本当なのかニィナ!」
「ごめんなさい、オズワルドさま。心配かけたくなくて、言えなかったの」
「……いや、いいんだ。心優しいキミのことだから、言えずにいたんだろう。わたしも気付かずにすまなかった」
「オズワルドさま……」
「ニィナ……」
熱っぽい視線を絡ませて向かい合う御二方。はぁ、くだらない茶番劇は他所でやってくださらないかしら。冤罪で吊るし上げられた挙句、こんなものを見せられたら、いくら寛容なわたくしだって腹が立ちますわよ。
「それで? それはいつのことですの?」
あなた方がお話してくださらないから、わたくしが先陣を切ってさしあげようとしましたのに。睨まれてしまうとは心外ですわ。
「魔法省から特別講師の先生がいらした日です!」
娘がそう告げましたが……ふぅん、そうですか。なるほどなるほど。
「わたしをバルコニーに呼び出して、『少し先生に褒められたからと言って調子に乗るな』って、突き落とそうとしたじゃないですか!」
先生に褒められた、ですって。
そんなもの、今は不要な情報ですのに。ドレスの件もそうですけれど、わたくしを貶すためにわざわざ不要の情報を加えて得意気になるあたり、心根の賎しさが伺えますわ。
あぁ、でも、そこまでなさったのにまことに残念ですけれど。
「わたくし、その日は学園はおろか、王都にすらおりませんの」
「え!?」
ふふ、面白いお顔ですこと。
ですから、後先考えずに嘘をつくのはおやめになった方が良いとさきほど忠告致しましたのに。あらぬ罪を着せるおつもりなら不都合が出ないよう、わたくしの動向を調べておいた方がよろしかったですわね。
でも、たまたまわたくしが不在だった日を申告してくださるなんて、とても面白い偶然ですわね。わたくしの日頃の行いが良いお陰かしら。それとも、あなたの日頃の行いが悪いせいかしら。
「わたくしもその授業はお聞きしたかったのですけれど、ちょうどお父さまのご親戚がお誕生日でしたの。オズワルドさまもご存知でしょう? クリフトン叔父さまですわ」
わたくしの叔父さまは辺境伯ですの。あの方の魔力は戦力に特化しておりますし、何より軍師としての手腕もございますから。国境に程近い場所に領地を構えておりますのは、国王陛下からその実力を見込まれているが故ですわ。ですがお陰でわたくし達、なかなか叔父さまに会えませんの。なにぶん、王都から離れているんですもの。
「お父さまは学業を優先なさって良いと仰いましたけれど、せっかくのお誕生日ですもの、わたくしだってお祝いしたいですわ。ですので五日ほど学園をお休みし、叔父さまの元へ伺っておりました。わたくしのお父さまやお母さま、お兄さま達にもお話を伺ってみてはいかが?」
お心は無いと存じていても、立場上はわたくしの婚約者でしたから────オズワルドさまにもお休みを頂く件はお知らせしたはずですのに。どなたかに入れ込んで、わたくしのお話をちっとも聞いてくだらないからこうなるのですわ。
「ねぇ、その場にいない人間がどうやってあなたを突き落すと言うのか、無知なわたくしに教えてくださる?」
「それは、その……」
わたくしはそう申し上げたあと、娘に微笑みかけました。けれど目を逸らされてしまいましたの。悲しいですわ。まだお話の最中ですのに。
「貴様は魔力だけは膨大にあるからな。転移魔法を使ったのであろう?」
オズワルドさまが横から口を挟みました。転移魔法ですって? そのような大魔法、ほんのひと握りの魔力持ちにしかできませんのに。オズワルドさまは随分、わたくしを高く評価してくださるのね。
でも……そうねぇ。それで助け舟を出したおつもりなのかしら。聞いて呆れるとはこのことですわね。
「はぁ……そこまで仰るなら証拠はございますの?」
「ええい貴様、まだシラを切るつもりか! ニィナの証言が何よりの証拠ではないか!」
何度目かのため息のあとに伺ってみれば、返ってきたのはなんともまぁ拙いお返事でしたわ。
「……まさか、ここまで馬鹿だとは」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
いけませんわ、つい本音が零れてしまいました。
でもわたくし、てっきり偽の目撃者を雇ったものだと踏んでおりましたのよ。平民ですから金銭で雇うのは難しいにしても、娘にはその軽忽な体がございますものね。
はたまた、密会なさっていたどなたかに頼んだものの、断られたのかしら。いくらあなたに熱をあげるような愚かな方でも、良識さえ残っていれば断って当然でしょう。わたくしは王太子の婚約者ですから。万が一にも陥れたことが露見すれば、それはもうその方だけではなく、お家の存続にも関わる一大事に発展してしまいますから。
それとも……いえ、まさかとは思いますが……、わたくしに言いくるめられ、なんとしてでも場をひっくり返そうとその残念な頭で考えた結果、急遽でっちあげたお話じゃございませんよね? 協力者さえ募らずにわたくしを罪人に仕立てあげようとしただなんて、そんな愚鈍なこと、いくらなんでもありえませんよね?
……まぁ真相はこの際、どうでもいいでしょう。けれど証言だけが証拠だと言い張るのは、苦しすぎるんじゃありませんこと?
「確かにわたくしの魔力ならば、わたくし一人分くらいの転移魔法も……或いは可能かもしれませんけれど」
「ほぅ、認めると言うんだな。やはり貴様は────」
「そうですか……わたくしが誕生祭の参列という大切な務めを放棄してまで嫌がらせに精を出していた、と。オズワルドさまはそう仰るのですね」
凛と告げたわたくしに気圧されたのでしょうか、オズワルドさまは優越感に浸ったお顔から一転、言葉に詰まってしまったご様子でした。
その言いがかりだけでも大変不愉快ですのに、”平民を殺害する”という単純な目的を、このわたくしが失敗すると思っていらっしゃるところも腹立たしいですわ。わたくしは公爵家が令嬢、オフィーリア・イースデイルですわよ? たかが平民の一人や二人、簡単に捻り潰せますわ。
勿論痕跡など一切残しませんし、何よりそんな、ただ突き落とすだけなんていう生ぬるい方法は取りませんの。やるならもっと徹底的に痛めつけませんと。それこそ、そうね。
────わたくしに喧嘩を売ったことを後悔させるくらいに。
「呆れて物も言えないのですが、一応お聞きしますと、動機はなんだと仰るの?」
わたくしの発言に、オズワルドさまはフンッと鼻を鳴らしました。そのご様子ですと、まだ何か言いがかりをつけるおつもりなのね。
まったくもう……どちらが正しいのか、いくらオズワルドさまでもそろそろ分かっていらっしゃる頃でしょうに。これだけおおごとにしてしまった分、後に引けないのかしら。それに付き合わされるわたくしや周りの方々への迷惑を考えて欲しいですわ。
「察しはついている。大方、わたしの愛を受けるニィナへの嫉妬であろう?」
……まぁ、呆れた。頭が痛くなりそうだわ。
「オフィーリアさま!」
わたくしが押し黙ったのを機会と見たのか、娘がわざとらしいほどに悲痛な声をあげました。
「あなたの愛するオズワルドさまを奪ってしまった、わたしの罪は認めます! でも、だからって殺そうとするなんてあんまりです! そんなことをしても、オズワルドさまの愛は手に入らないんですよ! あなたもあなたの罪を素直に認めてください!」
「ふふふ……あはははははは!」
大変ですわ、大口を開けて笑ってしまいました。はしたない真似をしないよう、ずっと心掛けておりましたのに。
でもこれはもう、笑っても許されるでしょう。だって御二方とも救いようのない馬鹿なんですもの。ある意味、お似合いですわねぇ。
「面白いことを仰るのね!」
ひとしきり大笑いしたあと、わたくしは優雅に見えるように微笑み直しました。
「どうやら勘違いをなさっているようなので単刀直入に申し上げますが、わたくしはオズワルドさまからの寵愛を欲したことはございませんし、そもそもオズワルドさまをお慕いしてなどおりませんわ」
あら、御二方揃ってなんて間抜け面。そんなにわたくしの言葉が意外でしたの?
オズワルドさまに愛の言葉を強請ったことや「お慕いしております」と告げたこと、今までにございまして? たった一度だってごさいませんのに思い上がりも甚だしい……いえ、ここまでくるといっそ清々しいですわね。
さて、御二方とも驚きすぎてしまったのか、お声が出ないご様子なので、このままわたくしがお話させて頂きだきますね。
「ねぇ、オズワルドさま。わたくし達の婚約はどなたがお決めになったのか、お忘れでして?」
お忘れならわたくしが教えて差し上げますわ。お互いの父君でございましょう?
そうですわ、わたくし達は単なる政略結婚ですもの。そこに恋だの愛といったものがあるわけございません。いえ、一応は婚約者でしたから、情くらいはございましたけれど、それも無碍にされてしまいましたし。わたくし、もうあなたに何一つ期待しておりませんわ。
「それからもう一つ。わたくしとあなたさまの婚姻を一番強く望んでいらっしゃったのは、どなただと思います?」
「……くっ」
あらあらオズワルドさま、ようやく思い出してくださったのかしら。でも、そこの娘はまだ事の重大さに気が付いていないようですので、わたくしが伝えて差し上げましょう。
わたくし達の婚姻を誰よりも強く望んでいらっしゃったのはね。
「オズワルドさまの父君であらせられる、国王陛下ですわ」
だってわたくしを推薦してくださったのは、紛れもなく国王陛下ですもの。そうでもなければ第一王子であり王太子ともあるお方が、わざわざ自国の令嬢と婚姻を結ぶはずがございませんわ。
確かに我が家は由緒正しき公爵家であり、身分も血筋もそれはそれは高貴なものですが、王家には遠く及びません。王家であれば自国他国を問わず、王家の方と結ばれるのが普通ですもの。公爵家など、それこそ身分違いにも程がありますわ。
それならば何故、わたくしがオズワルドさまと婚姻を結ぶ予定だったのか。……答えは簡単ですわ。
王家が欲しいのは、イースデイル公爵の領地や我が家の外交によるパイプの太さでもなくわたくしの血、いいえ、もっと正確に申し上げましょう────わたくしと王家の血、どちらも引いた男子、なのですから。
さきほど魔力持ちは貴族にしか産まれないと申し上げましたけれど、それは魔力持ち同士で掛け合わそうとするが故ですのよ。
一口に魔力と言っても、その量や質、生涯で使用できるようになる魔法の種類、得意とする属性など、皆様それぞれ違いますわ。ですから足りないものを補うように、或いは更に足してより強力になるように────そうやって魔力持ちに他の魔力持ちを宛てがうのです。そう、言わば品種改良ですわ。……ふふ、実に不愉快でしょう?
むかしむかし、突然変異で産まれた魔力持ちがそのちからもって人々を制し、富と名声を得たのが貴族誕生のきっかけだったように、魔力持ちはより強く、より珍しい魔力を求めて血を混ぜ、他家よりも優れた品種────即ち、優れたお子を作るため、躍起になっているのです。
今回わたくしが王太子の婚約者に選ばれたのも、わたくしの魔力属性が稀有かつ強力なものだったからですの。わたくしがどこかの貴族に嫁いだ結果、その家が王家をも凌ぐちからを付けかねないのを恐れたのでしょう。
手元に置けばそのような心配はございませんし、何よりわたくしと王家の血が混ざったお子はきっと、とんでもなく強力な魔力を持って産まれてくるでしょうから。王家としてはどうしてもわたくしを物にしたいのです。
「わたくしが王家に嫁ぐのはもう決定事項ですの。敬愛する国王陛下からの直々のお申し出ですもの、断るなどありえませんわ」
あら? 御二方とも、なにやら顔色が優れないようですわね。もしや、ようやく事の重大さに気が付きましたの? そうですわ。あなた方は大変なことに、王命に逆らってしまったのです。
ふふふ、御二方は何も言えないご様子ですが、わたくし、もう少しばかり意地悪をしてもよろしいかしら。いいですわよね、あらぬ罪を着せられ、こんなにも辱めを受けたんですもの。多少の復讐はきっと許されるでしょう。
「ところでオズワルドさま、この婚約破棄のお話は国王陛下には通していらっしゃいまして?」
「……」
オズワルドさまは何も仰いません。答えたくない、いえ、答えられないのでしょうね。だってこの茶番劇はあなたの独断で行ったものなのでしょう?
王命であったはずの婚約を破棄したことは勿論、ほんの少し珍しいだけの平民を正妃として迎えて貧相な血を混ぜるなど────、そしてこのように王家の恥を晒す形でそれを皆様の面前で報告してしまうなど────、国王陛下がお許しになるわけがないもの。
「はぁ、なんと嘆かわしい。だから〝無能王太子〟と嘲られてしまうのですよ」
その単語を述べた瞬間、嘲笑がさざなみのように広がっていきましたわ。皆様ご存知でしたのね。……いえ、意地悪がすぎたかしら。この場でそのお話をご存知ないのはオズワルドさまご本人と、そこの平民風情だけでしょう。それほどにこれは有名なお話ですわ。
「き……っ、貴様! わたしを愚弄したのか!?」
「わたくしは事実を申し上げたまでですわ」
顔を真っ赤にさせて声を荒らげるオズワルドさまに、わたくしは涼しい顔でお答え致しました。
皆様、影で噂していらっしゃるもの。王太子であるオズワルド第一王子は学園での成績は振るわず、魔力にも恵まれず、剣術や馬術、それから政の才もない、まさに〝無能王太子〟だと。
けれどそう言われてしまう一番の原因は、全てを環境のせいになさって、ご自身でまったく努力なさらないところにあると思いますわ。いくら才能に恵まれずとも努力を惜しまないお姿というのは、美談にされがちですものね。そうならなかったのはオズワルドさま、あなたが王太子という肩書きに溺れ、努力を怠ったせいなのです。
「そんな、わたしが無能だと?」
周囲の方々の反応でオズワルドさまもある程度は察したのでしょう。今度は顔を青くなさって震えていらっしゃるわ。……さて、このようなくだらないことのために、いつまでも皆様のお時間を頂戴するのは申し訳ないですわね。そろそろおしまいに致しましょうか。
わたくしは再び、優雅に微笑みました。
「とりあえず婚姻破棄の件、わたくしは承諾致しましたわ。ですがここまでのおおごとにされたこと、国王陛下はなんて仰るでしょうね」
王子は何も、オズワルドさまだけではございませんから。あなたが王にならずとも、王家の血が絶えることはございません。
そもそもオズワルドさまが王太子だったのは、ご長男であるが故に王位継承権が優位であった、ただそれだけのお話ですもの。身勝手に事を進め、王命を退けて、あろうことか平民を正妃として迎え入れようとしたオズワルドさまに、果たして王位継承権は継続されるかしら。
まぁ、わたくしには関係のないことですけれど。
続けてわたくしは娘に目を向けました。震えていらっしゃいますね、お可哀想に。でもね。
「そこのあなたにもそれなりの罰がくだるでしょう。どうかご覚悟なさって」
あなたは恨みを買いすぎましたわ。当然です。貴族の婚約者に手を出してしまったんですもの。
それにね、あなたが誑かした殿方の中には、上位貴族のご令嬢とご婚約なさっていた方がいらっしゃったのよ。彼女とそのご実家の侯爵家は、少々怖い噂がありますの────いえ、その程度の黒い一面は、特に珍しい話でもないのですけれど、可愛い愛娘とその誇りか傷付けられたと知れば、あのご両親は黙って見過ごさないでしょう。その前にプライドの高い彼女が、彼女の物を奪ったあなたを許すはずがないのですわ。
そうそう、王位争いでオズワルドさまに付いていた方々からも、それはそれは恨まれるでしょうね。オズワルドさまが次期国王になる可能性はもう、絶望的でしょうから。
それ以前に、ただの平民が上位貴族であるわたくしに冤罪をかけて貶めようとした時点で、あなたはもう終わったも同然なのですけれどね。
ふふふ、あなたは一体、どれだけの貴族を敵に回したのかしら。考えるだけでも恐ろしいわ。
「そろそろわたくしはお暇致しますわ」
くるりと背を向けたところで、伝え損ねていたことを思い出しましたの。
「あぁ、そうでしたわ」
わたくしは御二方を見据えて、一番美しく見える角度で笑みを浮かべました。
「わたくし、妾くらい許しましたのに」
あらあら、娘の可愛らしいお顔が悔しさに歪んでしまいましたね。大人しく下級貴族の妾あたりで妥協しておけば良いのに、よりにもよって王太子に、そしてこのわたくしに手を出すとは。
残念なことに、あなたは喧嘩を売る相手を間違えたのです。
「それでは、ごきげんよう」
ご挨拶を述べたわたくしは今度こそ振り返ることなく、夜会を後に致しました。
△△△
あの夜会から数日が経過致しました。
自室で優雅に過ごしていると、コンコン……と、控えめなノックが聞こえて参りました。
「オフィーリアお嬢さま、起きていらっしゃいますか?」
続いて侍女の声。こんな夜更けにわざわざ訪ねてくるということは、至急にと頼んでおいたあの件が纏まったのかしら。
「えぇ、起きているわ」
「例の件についてご報告にあがったのですが……今夜はもうお休みになられますか?」
「いいえ、今聞かせてちょうだい」
ここしばらく、報告が聞けるのを楽しみに待っておりましたもの。このまま明日へお預けなんてしてしまったら、わたくし、事の詳細が気になって眠れないかもしれません。
「承知致しました。それでは失礼致します」
少しの間のあとで自室の扉が開かれて、わたくしのお付き侍女であるサマンサが顔を覗かせました。
「それで? どうなったの?」
気になるとは言え、つい催促してしまったわ。いけませんね、これでは淑女らしくありませんわ。けれどサマンサはそんなわたくしに苦言を呈さずに、
「まずオズワルド・シリル・フロックハートとの婚約破棄の件ですが、正式に決定し、後日証書での通達があるそうです」
そう淡々と告げました。そのあとでニコリと微笑み、おめでとうございます、と付け加えました。
ふふふ、どこを探しても婚約破棄をお祝いされるご令嬢はなかなかいらっしゃらないんじゃないかしら。これはきっと貴重な経験ね。
「ありがとう。でも、思ったより時間がかかったわね」
わたくしの予想では、すぐにでも決定し、次の婚約者が宛てがわれると思っていたのだけれど。するとサマンサは顔を顰めてみせました。
「なんでもオズワルド・シリル・フロックハートが土壇場になって、お嬢さまとの婚約破棄を破棄したいなどと戯れ言を抜かしたようで」
「あらあら。実にアレらしい阿呆っぷりね。平民を正妃に迎えられるはずがないと、ようやく察したのかしら。さすがは無能王太子、理解が遅すぎるわ」
平民あがりの正妃など、国王陛下や王妃殿下だけでなく、他の貴族だって認めるはずがないのよ。まったく……どうしてその程度もお分かりにならなかったのかしら。
「それに加え、お嬢さまが『妾を許す』と仰ったのを都合よく捉えたようですね。正式な証書が作られていないのをいいことに、────まだあいつとの婚約関係は続いている、あいつはわたしの婚約者だ、仕方ないからあいつは正妃にしてやろう、だがわたしが愛しているのはニィナただ一人だ、彼女を公妾として迎え入れる────などとほざいていたと、報告があがっています」
「あら、わたくしを娶ることが王位と好いた女、どちらも手中に収める唯一の方法だとようやくお気付きになったのね」
初めからそうしておけばよろしかったのに、〝親が決めた婚約者〟を蔑ろにしたのが間違いでしたわね。
平民の妾を王宮に入れることへの反発は勿論起きたでしょうけれど、結局アレは王太子でしたもの。その程度の反発は権力をもってねじ伏せることが可能でしたのに。
そうならなかったのは、あの娘が「王太子の妻にして欲しい」と願い、邪魔なわたくしをどうにかして消し去ろうとしたから?
それとも王太子が「愛する女を正妃として迎えたい」と思い、その方法を無能なりに考えたから?
もしくはその両方かもしれませんけれど────部外者であったわたくしには真実は分かりません。でももし、アレがもう少し慎重に行動なさる方だったなら、或いは違う未来もあったでしょうに。あぁ、まことに残念だこと。恨むならどうか、ご自身の浅はかさを恨んでくださいませ。
「あの無能はあれだけの騒動を起こしておいて、陛下からのお許しがおりると本気で思っていたのかしら」
わたくしは溜め息混じりにそう呟きました。
あの夜会には沢山の貴族令息、令嬢がおりましたもの。王太子の起こした醜聞は、その子らのご両親を通して、すぐ貴族社会全体に広まってしまったことでしょう。あの夜会での出来事は王家の恥でしかないですし、そうなればいくらお優しい陛下だって、あの無能を切らざるを得ない。
────わたくしは、そう分かっておりましたの。
「……あの馬鹿ならありえるかと」
わたくしの独り言を聞いたサマンサがチクリと毒を吐きました。もう、サマンサったら……でもあなたはアレのことを元より好いていませんでしたもの。
わたくしとしては冗談のつもりだったのだけれど……そうねぇ。なにぶん終始あの調子でしたし、本当にありえそうなのが怖いところよねぇ。
そもそも陛下がアレに王位継承権を与えていたのは、長男だけを外しては外聞が悪いと気にされていたからですのに、本人はそのことをちっとも理解なさってないんですもの。
まぁ、アレの出来の悪さは今に始まったことではありませんし、国王としての器が皆無なことに、陛下はずっと頭を抱えてらしたものね。それでも継承者から外さなかったのは、外聞の他にも、我が子を見捨てられない親心があったからでしょうに。
その優しさに泥を塗る形で裏切ってしまうなんて、やはりアレは無能中の無能ですわ。
「アレの処遇は?」
「陛下の恩情で継承権の剥奪自体は免れたものの、『お前が王となること断じてない』と明言されたとのことです。つまりは実質のお払い箱宣言ですね。アレの肩書きは単なる第一王子へと戻り、代わりに第二王子が新たな王太子になるそうです」
「……そう、つまり」
「えぇ。お嬢さまの新たな婚約者は第一王子の弟君────エリオットさまに決定されたとのことです」
やはりそうよね。これも予想通りの展開だわ。……本当、嫌になるくらい、全てが思い通り。
「お嬢さま……」
思うことがあるのか、サマンサは悲しそうにわたくしを呼びました。あぁサマンサ、あなたは優しいのね。でも、大丈夫よ。だってそれが、わたくしの運命ですもの。
そう、わたくしは王家のどなたかと婚姻を結び、健康な子を産まなければならない……。けれどわたくしはアレと違って、自分の立場を理解しているわ。貴族の娘として生を受けたからには、時に割り切らなければならないことも、きちんと分かっているの。
「それにアレと結婚するより、幾分もマシな生活が送れるわ」
「……お嬢さまはお強いですね。エリオットさまは見目麗しいですし、アレと違って優しく聡明でいらっしゃいますわ。きっとお嬢さまを幸せにしてくださいますよ」
「……えぇ、そうだといいわね」
エリオットさまはわたくしより二つ年下の第二王子。
アレとの婚約破棄が決まれば、次の婚約者が彼になるの必然でしょうね。今まで王位継承権がアレよりも低かったのは、ご年齢が若い、ご次男というだけの理由ですもの。
サマンサの言う通り、エリオットさまは幼い頃から優秀でしたし、この国をより素晴らしいものにしてくださると思うわ。……してくださらないと困ってしまうのですけれど。
「さて、次はあの平民の処遇かしら」
上位貴族であるわたくしに冤罪をかけて貶め、正妃に成り代わろうとした、愚かなあの娘。彼女もそれはそれは面白いほど────思い通りに動く駒でしたわ。ですから彼女の処遇は、アレの末路よりも遥かに気になることでしたの。
「僻地への追放と修道院での奉仕活動を求られたとのことです。王都へと戻ることは勿論、どなたかと婚姻を果たすことも生涯叶わないそうですが、処刑されることもなく、ご家族が罰せられることもない、と聞きました」
「ふぅん。思ったより軽く済んだわね」
「ひとえにお嬢さまの助命嘆願のお陰ですよ」
あら、わたくしは「実害はなかったのだし、処刑するほどのことではないわ」と申し上げただけよ。実際あの出来事はわたくしにとって、なんの不利益にもなりませんでしたもの。寧ろ有益なことばかりでしたし、本当は感謝したいくらいなのです。
それにね、わたくしあの娘にはほんの少し、同情もしているのよ。確かに選択自体は非常に愚かだったけれど、あの娘は────。
ラブロマンスに憧れた、ただの夢見る少女だったんですもの。
「平民の娘と王子さまが様々な困難や障害を乗り越え、真実の愛によって結ばれる────物語としてはとても素敵よね」
わたくしは手元の本を手繰り寄せました。平民の間で流行っているそれは、平民の娘が一国の王妃に成り上がるまでを描いた、所謂ラブロマンス小説ですの。
この物語は、訳あって平民の娘が貴族達の通う寄宿舎へ入学し、王子に出会うところから始まりますわ。娘は王子との親睦を深める内に彼の悩みを知って、時に寄り添い、時に叱咤し、王子の凍てついた心を解いていくのです。
初めは平民だからと冷たい態度を取っていた王子も娘の無垢な笑顔と邪念のない優しさに絆されていき、やがて二人はそうなることが運命だったかのように恋に落ちる────。そんな二人のいじらしい恋は、平民の女性を中心に高い支持を得ているそうですわ。
他にも、天真爛漫な娘は他の貴族令息をも惹き付けてしまい、たくさんの殿方に愛されるそうなのです。どうやらそれに嫉妬する王子が可愛らしいと、世の女性方に言われているようで。……ほら、どこかで聞いたことのあるお話でございましょう?
実はこのお話にはもう一つ特徴がございまして。それが二人の恋路の邪魔をする────王子の婚約者の存在ですの。
彼の婚約者である貴族令嬢は、王子の心が一向に自身へ向かず、平民の娘にあることを知り嫉妬に狂って、時に物を隠し、時に暴言を吐き、時に暗殺者を仕向け……そのようにして娘を虐め抜くそうなのですわ。
そんな貴族令嬢の悪事を暴いた王子は彼女に婚約破棄を突き付けて、平民の娘を正妃に迎え入れると宣言するのです。哀れ貴族令嬢は王族に逆らい、未来の王妃になるべくお方の暗殺を企てた大罪人として処刑が決まり、王子と娘はめでたく結ばれるのです。
そして後に正妃となった娘は無闇矢鱈に権力を振り翳し、平民を見下す貴族を嫌い、かの貴族令嬢のような道を辿らぬよう、人々に彼女を〝悪役令嬢〟と呼ばせ、忌み嫌われるべき貴族の代表例として掲げ続けたのだとか。
ふふふ、ますます聞いたことのあるお話でしょう?
あの娘────ニィナさん、だったかしら。彼女も例に漏れず、この物語のファンだったらしいわ。嬉しかったでしょうね。魔力と言う特別なちからを持ったうえ、大好きな物語の主人公と似た境遇に置かれることが。
だから王太子に近付いた?
────いいえ、それだけではないの。あの娘がアレに、オズワルドさまに近付いたの理由は。
あの娘が入学した日、女生徒に変装して学園に潜り込んでいたサマンサが、彼女に吹き込んだのよ。
『オズワルドさまとその婚約者の仲は既に冷えきっている』
『そもそもオズワルドさまは勝手に決められた婚約自体をよく思っておらず、真実の愛に飢えている』
『だからオズワルドさまに愛を囁けば、きっとあなたは王太子からの寵愛を受けることになる』
『そのためには婚約者が邪魔になるけれど、あのお話のような〝悪役令嬢〟に仕立て上げれば、蹴落とせるはず。さすればあなたは王太子と結ばれ、将来的にはこの国の正妃になれる』
『幸いなことにあの婚約者は冷徹だと知られているし、公爵の令嬢という立場を利用する悪どさもある。そんな彼女ならば意地の悪い虐めのひとつやふたつしそうなものだと、周りも勝手に納得するだろう』
『平民でありながらも魔力を持ち、選ばれた存在であるあなたには、それだけのちからがあるはずだ』
そんな言葉に唆されたあの娘はまんまとオズワルドさまに近付き、わたくしを〝悪役令嬢〟として吊るし上げた。
では何故、わたくしがそんなことをしたのか? ……答えは簡単ですわ。
わたくしのお父さまがオズワルドさま派閥ではなく、エリオットさま派閥だったから。ただ、それだけなのです。
王位を巡った争いと言うのは時にご本人達よりも、その周囲の人間の方が熾烈に繰り広げている、なんてこともあるのですわ。理由は様々ですが、王位を継ぐ方に応じて利益を得る者と不利益を被る者に分かれることが一番の要因でしょう。
そして我がイースデイル家は、第二王子であるエリオットさまが王位を継ぐ方が得をする家柄でした。
どうしてもエリオットさまに王位を継いで頂きたいお父さまは、自らの娘、つまりわたくしを駒として使おうと考えたのです。都合の良いことに、わたくしは王家が欲しがるような、珍しい魔力の持ち主でしたから。
けれども次期国王には第一王子をとお考えだった陛下は、彼の婚約者にわたくしを宛てがってしまった……。
序列で言えば第一王子が王太子になるのが一般的ですもの、陛下のお気持ちはよく分かります。だって、もしも第一王子を差し置き、第二王子を王太子にしてしまったとしたら? ……それは陛下自らが第一王子を国王になる資格のない無能だと宣言したも同然でしょう? お優しい国王陛下は、我が子が嘲笑されるのを避けたかったのでしょうね。
或いは当時の側近、もしくは宰相の中にが第一王子派閥の人間がおり、彼らがそうなるよう進言したのかもしれません。理由はさておき、お父さまの目論みは外れてしまったのは確かなことでした。
そこでお父さまは考えました。なんとかして第一王子を蹴落とす方法はないだろうか、と。しかしお相手は王族、それも国王陛下と王太子です。下手を打てば反逆罪と見なされ、お父さまは爵位を剥奪されるどころか、一家諸共処刑されることになるでしょう。
故に簡単には動けず、無情にも数年の時が流れた、今年。わたくしと王太子が通う学園に、魔力を持った平民が入学するとの噂が舞い込んだのです。
秘密裏に調べたその平民は、愛嬌と強かさを持ち合わせた、いかにも第一王子が好みそうな女性でした。
そこでわたくしは、平民の間で人気があったあの小説に目を付けたのです。物語と似た境遇に置かれたのなら、誰だって「もしや自分も?」と、多少の期待をしてしまうものでしょう?
だからわたくしはサマンサを使い、あの娘を唆した。
勿論、娘がそれに乗って王太子に接触を謀るとも、王太子が娘に靡くとも限りません。故に、これは賭けでしたの。
わたくしはただ、『王太子が婚約者を差し置き、平民の娘に入れ込んでいる』と言う事実さえあれば良かったのです。さすれば『平民の娘なんぞに現を抜かす者に国王たる器があるのか』と難癖をつけ、アレを王太子の座から引き摺り下ろす────いいえ、そこまで出来なくとも国王陛下並びに第一王子派閥の者に、アレへの不信感を抱くよう仕向けることが出来たでしょう。わたくしとしては、それだけで十分だったのです。
果たしてあの娘は王太子に接触して愛を育み、わたくしを冤罪にて排除しようとしました。
正直に申し上げますと、わたくし自身が一番驚きましたわ。
だってまさか、婚約者を蔑ろにして密かに愛を育むだけに留まらず、沢山のご令息ご令嬢がいらっしゃる夜会でわざわざわたくしを糾弾するなんて。挙句、大々的に婚約破棄まで宣言なさるとは、わたくしとしては誤算もいいところですの。あぁ勿論、嬉しい方のですわ。
オズワルドさまがそのようなことをなさったお陰でわたくしをありもしない罪に問おうとしたことや、平民の娘を正妃にすると馬鹿な宣言なさったことまで、一気に広まってしまいましたの。わたくしが敢えて手を回す必要もないほど、本当にあっという間の出来事でした。
一晩の内に、国王陛下の元には抗議の文が殺到したご様子ですわ。その殆どが第二王子派閥の者達でしたが、中には今まで第一王子に付いていた者もいたそうです。当然ですわ。血統を何よりも重んじる貴族達が、神聖な王家の血に下賎の血を混ぜると言った、野蛮な行為を許すはずもございません。
無論、陛下もそれを許容されませんでしたが、王太子の要望を退けた程度では、事態の沈静化は不可能なところまで進んでしまいましたの。可愛い我が子と言えど、陛下がおちから添え出来る範囲には限りがありますものね。
最早醜聞塗れとなった第一王子には、王太子の座を退身する道しか残っておりませんでした。平民の娘なんぞに熱を上げる愚王が国を治めることになるなど、他国に攻め入って欲しいと言っているようなものですから、陛下にしてみれば苦肉の策だったのでしょう。
第一王子が王太子を退身するとなれば、新たな王太子を早急に決めねばなりません。幾人かいらっしゃる王位継承者から選ばれたのは────、第二王子であるエリオットさまでした。
そしてやはり、王家はわたくしを、わたくしの血を手に入れたかったのでしょう。
名目上は『我が愚息が申し訳ないことをした。代わりと言ってはなんだが、エリオットとの婚姻はどうであろう?』ということなのでしょうが、わたくしはそれを受け入れるつもりです。
……えぇ、そうですわ。『この物語』は奇しくも、わたくしが描いた通りのエンディングを迎えたのです。
「わたくし、この作戦は第一王子を蹴落とすための第一歩程度にしか思っていなかったのよ」
わたくしは独り言のようにそう呟きました。だって……ねぇ?
「いくら唆されたからとは言え、まさか公爵家の令嬢を無実の罪で陥れて王太子まで奪おうだなんて、普通は考えもしないじゃない?」
「えぇ、まったくです」
サマンサはわたくしの言葉に同意しました。
「不敬罪と見なされて首と胴体とが永遠にお別れすることになっても、文句は言えませんよ。平民ごときがお嬢さまを陥れるなど、あまりにも烏滸がましい」
「そうよねぇ。大勢の面前で辱めれば事実を歪められるし、白を黒に出来るとでも思っていたのかしら」
白を黒にしようとするならば、金銭や人脈、時間を使い、それなりに手を回さねばいけません。それすらもせず、このわたくしを敵に回すとは……無謀としか言いようがありませんわ。
それに、初めてお会いした日。夜会でも申し上げた言葉の数々を、あの娘はわたくしに向け、本当に発したのです。
さすがに驚きましたわ。あのような言動、過激な方でしたら即刻処罰なさってもおかしくありませんもの。それと同時に、『もしやこの娘はこのまま、わたくしを”悪役令嬢”に仕立てあげようとするのでは?』とほんの少し、期待したのです。
「きっとわたくしと王太子の仲やご自身の境遇があの物語と似通っていたから────、主人公になった気になってしまったのよ」
あの物語の主人公である娘は、負けん気の強さで困難に立ち向かっていきますもの。だからほんの少し真似をして、わたくしにもあのような態度をとってみたのよね。
えぇ、えぇ、わかりますわ。そんな〝権力をものともしない主人公なわたし〟に酔いしれていたのでしょう?
「お嬢さまという存在があったのにも関わらず、あの無能が靡いてしまったのも原因の一つかと」
そうね、サマンサの言う通りだわ。
親睦を深めていく内に、あの無能王太子を含め、幾人かの殿方のお心がご自身に向けられるようになったんですもの。主人公を気取ってしまうのも、思い上がってしまうのも無理ないわよね。
あぁそれに、虐めがあったこと自体は本当でしょう? どなたかとは違ってわたくしは有能ですから……ふふ。冗談はさておき、それについてはきちんと調べがついているわ。勿論、お相手はわたくしでなく、態度の悪さや品の無さ、加えて婚約者を奪われたことに腹を立てたご令嬢達でしたけれど、そんな逆境があの物語と重なり────更に付け上がる原因となったのよね。
「物語と現実とを混合してしまったのがあの娘の敗因ですわ」
現実は平民の正妃などありえないですし、上流階級の者が平民を責苛んだところで処刑されることもまた無いのです。
身分や貧富、性別の差が縮まることは無く、囚われたお姫さまを救う王子さまも居やしない。そしてわたくし、ひいてはオズワルドさまだって、陛下やお父さまから見れば政治の駒でしかない。嫌だとごねたところで所詮はただの駒。
────現実とは、そんなものなのです。
「これでお父さまもお喜びになるでしょうね」
第一王子が失脚し、第二王子が王太子となった今、我がイースデイル家は更にちからを付けるでしょう。加えて娘のわたくしが嫁ぐことにより、王家は勿論、友好国の王族達にパイプが出来たも同然ですから、外交の幅もより広くなるはずですわ。
全てはわたくしの目論見通りに事が進んだのです。
「……そう言えば」
ふと、思い出したようにサマンサが声を上げました。
「あの物語を書いたのはどなただったんでしょうか」
そうよねぇ。王族が平民に恋をする物語など、即刻不敬罪と捉えられ、作者は処刑、本は焚書になってもおかしくない話ですのにね。どうして王家は野放しにしているのかしら? 不思議ですわよねぇ?
「……まぁ、それも今となってはどうでもいいことでしょう」
だってわたくしが描いた『この物語』はこれでおしまい、無事にエンディングを迎えたんですもの。
えぇそうですわ。『この物語』の結末は初めから、わたくしだけが知っていたのよ。