第七話 世界は厳しくて、リュカ最初の戦い
洞窟のあった場所から飛び降りてから30分ほどたっただろうか。
ここから大体100キロ程歩いたところに大きな森があるとリュウガから聞いているのでその場所を目指して歩いていたリュカ。
正直前世の基準で行くとこの時点で既におかしなこと山ほどやっているような気がする。崖の中腹から飛び降りた時点で、高さは大体五階建てビルくらいはあった。それを飛び降りるなんて、普通に死ぬか骨折して再起不能が関の山。
しかし、今の自分はリュウガのおかげで魔力の扱い方に慣れ、わずかではある物の自分の魔力を操作することができるようになった。
とはいえ、できることと言えば魔力を防御に当てるか、ほんの僅かな身体強化くらい。魔法も一日に使えるのは二つか三つ程度、否前述の身体強化に魔力を割り振れば二回が限界。今回は、足に魔力を集中するとによって地面との間に魔力のクッションを作り上げ、衝撃を和らげたのだ。
今の自分には、ただその場で飛び上がって着地したという程度にしか感じられない痛みだ。
地面にはクレーターのような窪みを作ってしまったことが唯一の心残りだが、とにもかくにも、今はせめて今日中には森へと到着しておかなければならない。
「あれ?」
と、その時だ。リュカは目の前に少し予想していなかった物を発見する。
「こんなところに、大きな石……あったっけ……」
そう、それは紛れもなく岩。この道は、事前にリュウガと共に下見していた道であり、また森に行くためには一番近い道であるという事を知っていた。
しかし、その時にはこんな岩はここには存在しなかった。人が十人くらいは余裕で横になって通れそうな広い道、その広さを無駄にするかのごとくに鎮座している岩石なんて。
さて困った。先ほども言った通りこの道は森に行くための最短コース。この道が使えないとなると。少し遠回りとなるまた別の道を使わなければならなくなる。
いや、それ以上に変なことが一つだけある。
「落石? ううん、落石の跡なんて……」
岩がここにひとりでに来るはずがない。かといって、こんな巨大な物を誰かが置きに来たとは考えられない。
ならば、崖から岩が落ちてきたのだろうとしか考えられない。だが、上を見上げてもどうにもこの岩の大きさに添うような窪みなんて見当たらない。果たして、これはどう考えればいいのだろうか。
とにかく、通れない物は仕方ないのだ。リュカは、元来た道を引き返すために翻ろうとした。
その時だ。
「ッ!」
直感が彼女の身体を動かした。気配だ。それも、とてつもない殺気に満ちた気配。後ろからだ。
リュカは、再び大岩に向き合うために回転しながらも、腰から日本刀を抜き、構えた。
その瞬間である。地響きのような揺れと共に目の前にあった岩石が、突如動き始めた。
まるで重い扉でも開いているかのように鈍い音が耳を強く襲いながら、岩石はどんどんとその姿形を変えていき、終にはその全貌が見えるようになった。
大きさは、大体自分の10倍程度。足も腕も顔も岩で構成されている巨大な魔人のようにも思える怪物。
リュカは、その怪物についてリュウガに教わっていた。
「ゴーレム、じゃなかったゴラムだっけ?」
ゴラム。自分が元いた世界ではゴーレムと呼ばれていた怪物だ。
その特徴はやはり岩によって作られた強い防御力。並大抵の攻撃では歯が立たず、またもし魔法が使えたとしても決定打にはなることは無いという。経験を積んだ状態であればともかく、今の自分が到底かなうものではないと、リュウガが言っていた。
つまり、この状況はリュカにとってとても悪い展開であるのだ。
「旅が始まって初めて戦う敵が、コイツなんて……」
なんて運の悪い。本当であればこの土地には人を襲うような敵はそうそういないはずだった。だから、自分の初陣に関しては森に入ってからなのだろうというどこか安心感のようなものが存在していた。しかし、そんな安心感なんて、何の役にも立たなければ信用することも絶対にできない物であると思い知らされた気分だ。
本当についていない。自分の初陣がこんな怪物だなんて、ついてなさすぎる。
「でも、やるしかない!」
そう、やるしかないのだ。道は既にふさがれている。もし自分が逃げようと背中を向けたとしても、必ずゴラムは自分の事を襲ってくるであろう。で、あるのならばここで倒しておかなければ自分の旅は永遠に始まらないのだ。
なんとしても、この敵だけは倒さなければならないという、使命感にも似た物を持った次の瞬間であった。
「ハァッ!!」
リュカは、猪突猛進にゴラムに向かうと、いう事はしない。こんな巨体、そして硬い敵を相手に魔法を使えない自分が真正面から立ち向かっても敵わない。
できることと言ったら、隙を見えゴラムの上に上り、首と身体の間に見える隙間を狙って剣を突き立てて、身体と首を外すことくらいだ。
リュウガから聞いたが、ゴラムには二種類がいる。
一つ、大きな岩石一つが自分の身体であるという物。
一つ、小さな石を核として周囲の岩を引き付けて自分の身体とする物。
見たところ、このゴラムは前者だろう。
もしも後者だった場合は、硬い岩盤の中に隠されているゴラムの核を破壊しなければならないため今の自分では力不足で話にもならなかった。
しかし、前者であるのならばまだ勝ち目は存在している。
大きな岩石を一つの身体にしているゴラムは、人間や他の生き物と同じ、岩石その物が肉体。構造も似通っている。つまり、対処方法はおおむね人間や他の獣たちとはそんなに大差はない。
だから、首根っこを外せば必ず倒せる。
倒せる、はずなのだ。
問題は、自分がそこまでたどり着けるかどうか、である。
「ッ! うあぁぁ!!」
隙を見つけるために走り回っている自分に対して、ゴラムはただ腕を払う仕草を見せた。
攻撃じゃない。これは、攻撃なんかではない。ただ、自分が蚊や蠅を目の前で見た時に払いのける。あれと同じことをしているだけなのだ。
そう、そのゴラムにとっては自分はそんな虫たちと同じ取るに足らない相手。舐められた物である。
しかし、その巨大から繰り出される腕は、その場に強い突風を作った。リュカは最初は耐えることが出来ていたが、台風のような暴風に耐えきれることが出来なくなり、ついに横の崖に向けて吹き飛ばされた。
「痛ッ……!」
何とか受け身は取った物の、しかし背中を中心として身体全体に痺れるかのような激痛を感じた。
うかつだった。受け身を取るときに魔力を背中に集めることを忘れるなんて。攻撃を受けたら、まず自分がどうなるかを瞬時に予測し、魔力を張って衝撃を和らげるようにとリュウガには言われていたのに。
「くっ! うぅ!!」
しかし、彼によって鍛え上げられた肉体だ。ちょっとやそっとの攻撃じゃ骨の一本もおることが出来ない。まぁ、何度も同じ攻撃を受けていれば話は別であるが。
リュカは、少しだけ身体が崖に埋まってしまったために何とか力を入れて脱出を試みる。しかし、そんな時間、ゴラムが与えてくれるわけがなかった。
ゴラムは、リュカの上にある崖の中腹に手を差し込むと、子供が砂場の砂をかき集めるが如く掘り進め、リュカほどの小さな岩多数とその2.3倍はあろうかという大きな岩が降ってくるという地獄の雨を何のためらいもなく落としてきたのだ。
「まずっ!」
それを見たリュカは、これ以上ここにいてはいけないと、急いで崖から脱出した。そして、急いでその場から離れようと試みる。
しかし、ダメだった。
逃げようとした場所に岩が降ってきて、彼女の進行を妨げたのだ。また別のコースを見つけて動いてみるも、やはり同じように上から岩が落ちてきて彼女の道を塞ぎ、逃げて道を塞ぎを繰り返した。
そして、ついに一番恐れていた者が彼女の元に振ってくる。
巨大岩だ。
「キャァァァァァァ!!!」
こんな女の子らしい声出して叫んだのは一体いつぶりかな。なんて、くだらないことを考えているリュカめがけて降ってきた巨大岩。
しかし、ここで奇跡的な出来事が発生した。
巨大岩は、先にリュカの近くに落ちてきた小さな岩に阻まれてリュカを押しつぶすことはしなかったのだ。
こんなにも不幸なめに合ったのだ。それだけの幸運は許してもらいたいとばかりの小さな奇跡。しかし、それは彼女の寿命をちょっとだけ長くするだけで精いっぱいの真心だった。
「な、なんとか助かっ……痛ッ」
そう、確かに彼女は助かった。しかし、身動きが取れなくなってしまった。
上は巨大な岩があり、周囲は自分と同じサイズくらいの岩が不均等に落ちている。いわば、小さな洞穴の中にいるのだと思ってもらってもいい。
ここからどうやって逃げればいいのか、リュカには想像もつかなかった。何度も言って悪いが、硬い岩に傷をつけるなんてこと今の自分には不可能。なので、岩を砕いて脱出なんてものできない。
では他の手段はとなると、あえて言えば何もない。そうその場所から正規の方法で脱出する唯一の方法が魔法を駆使して脱出するという事なのだ。
なら、魔法がほとんど使えない彼女はどうすればいい。
なすすべがない。
加えて、落ちてきた岩に当たったり落ちた衝撃で砕けた岩に当たったりで、既にリュカの身体は傷だらけになっていた。この状態では、例え彼女じゃなかったとしても魔法を使うことはできなかっただろう。
このまま、ずっと脱出することのできない小さな洞穴の中で過ごすしか方法はないのか。
いや、それもないだろう。
「ッ!」
聞こえてきたのはミシ、ミシ、という岩にひびが入っていく音。そう、巨大な岩の重さに耐えきれなくなって小さな岩が悲鳴を上げ始めているのだ。今は複数の岩が支えているためにちょっとやそっとじゃ落ちてくることは無い。だが、それも長くはもたないだろう。近いうちに、全ての岩が砕け、自分に巨大な岩が落ちてくるという予測が容易に立てることが出来た。
予想はすることが出来た。だが、どうすることもできない。逃げることも、防ぐこともできない。それに、骨折はしていないが、しかし身体にできた傷は深い物が多い。こんな状態でまた奇跡が起きて脱出することが出来たとしても、外にいるゴラムには敵うわけがない。
万事休す。これまで、か。
「くっ、お父さん、お母さん、力を、貸して……」
リュカは、思わず父に。そして会ったこともない母親に助けを求める。あるいは、前世の両親か。
思えば、自分は常に奪われてばかりの人生だった。それも二つもだ。
前世では両親を奪われ、友達もほとんどできず、学校生活ではいつもいつも不幸な目に逢っていた。
しまいには自分の命、数少ない友達と親友、妹。そして竜崎綾乃としての人生。書いて字のごとく、自分はすべてを奪われてしまった。
今世もそうだ。母は生まれた時には既に死んでおり、父もまた5年で自分の元からいなくなった。洞窟暮らしなんて不自由な生活を強いられ、まともなご飯も食べることが許されず、さらには自分には不釣り合いなほどに大きな欲望を持ってしまったがために、こんな目に逢って。
不幸、不幸、自分はなんて不幸なんだ。
なにより、最も不幸なこと。
本当に自分は転生者なのか。
自分が前世で見聞きした転生者の事に関しての記憶と、今の自分は完全に剥離してしまっている。
転生者とは、その世界には不釣り合いなほどに大きな力を持ち、全ての人間の人生を理不尽に踏み荒らし、狂いさせて、さらには不快な言動ばかりをしても笑って許される。そんな存在じゃなかったのか。
主人公補正という物があって、どんな危機的状況でもすぐにご都合主義的に全てを解決してくれる。そんな存在じゃなかったのか。
どうして、自分に関してはこんなにも理不尽な目に逢い続けなければならないのか。どうして自分だけがこんなにも辛い目に逢わないといけないのか。
どうして、こんな。
「こ、んなところで……まだ、私何もしていないのに。まだ、何もできていないのに……」
あの洞窟を旅立ってまだ一時間も経っていないのに、こんなに早く終わるなんて嫌だ。もっとこの世界を見たい。もっといろんな人に会ってみたい。
いろんな人と話して、友達を作って、それで、それで、それで―――。
でも、私にはそんな資格はないのかもしれない。
資格がないからこそ、こんなにもみじめな目に逢っているのかもしれない。
天罰なのかもしれない。自分一人がこうして転生してしまったという罪、また記憶を持って生まれてしまったという罪。そして、元のリュカという少女を殺してしまったという罪。
きっと、リュカも悔しかったはずだ。自らの人生をこんな人間に奪われて、嫌だったはずだ。
でも、どうしようもなかったから。自分が生まれ変わってしまえば、自分がいなくなるのは元から決定的だったから。だから、仕方がなかった。
でも、生きたかったはずの人生を奪って、結果コレである。なんて、なんてみじめなのだろう。無様なのだろう。
彼女に謝罪してもしきれない。彼女に殴られてもおかしくはない。
このまま、地獄に落ちて永遠に生まれ変われなくなってもおかしくはない。
この時リュカは、初めての絶望を体験していた。
その時、終にその時が訪れる。
ヒビが入った岩が崩壊を始め、ゆっくりと、ゆっくりと、巨大岩が彼女めがけて降ってこようとしている。
彼女にはどうすることもできない。できることはただ一つ。
自分に関わったすべての人たちに謝り続けること。
ただ、それだけだった。
―生まれ変わって、ごめんなさい―
そんな言葉が彼女の頭に浮かび上がった。一体、誰に謝罪したのか。それは、彼女にすらも、分からないことであった。