第一話
昨晩、男たちの襲撃を難なくかわしたリュカたち。
その根城も潰して中に囚われていた女性三人を救出した。囚われていた者のうち一人は、聞けば吐き気を催すくらいの事をされて心を病んでしまっているらしい。もう少し早くに助けてあげられればよかったと後悔しても仕切れない。その女性の心を救うのは難しいのかもしれない。だが、助けたからには何とかしてあげたいと思う。
とにかく、その女性も含めた三人の処遇は目的地である国に辿り着いてから決めるということになり、男たちの死体を埋めて片付けた一行は、すぐ行軍を再開した。
「今日中には到着しそうですね」
「そうね。マハリの国から二週間。ちょっと時間はかかったけど、なんとか……」
もしも騎士団の者達のみであるのならば、もっと早くにその国にたどり着くことが出来ていたはずだ。だが、その国に向かっているのは力や体力に自信のある騎士団員だけではない、マハリの国で普通に暮らしていた国民たちもいるのだ。当然老人や子供もいる。
そんな人間たちをこの山道で置いて行かないようにと歩を遅めていたが、この山道は一体いつまで続くのだろうか。あの山賊たちを討伐したところからずっと山を登っている気がする。降りたような形跡は一切ない。本当にこの先に目的地となる国はあるのだろうか。
ふと、リュカが話を切り出した。
「それにしても、なんだかこの辺り暑くないですか?」
そう、あの山賊たちと対峙して山を登ってからという物、なんだかとても暑いのだ。汗を拭いても拭いても止まらず、こまめに水分補給をしなければ脱水と熱中症で倒れてしまうであろう。別に疲れているわけではないのだが、汗が出続けていると、目に入ったりして痛かったり目がかすんだりで仕方がない。
「この地面の下には溶岩が通っているのよ。それが原因ね」
と、セイナは言った。
なるほど、溶岩が下を通っているのならば、この暑さも納得できるかもしれない。けどそれはそれで逆に、溶岩が下にあるというのにこの程度の暑さで済むのかという疑問もわいてくる。まぁ、自分はそういった場所を歩いたことは前世ですらなかったから、何も知らない自分がいう事でもないのかもしれないが。
でもしそうだとするのならば、近くに火山があるという事なのか。セイナに聞くと、彼女もまた汗を拭いながら言った。
「そうらしいわ。まぁ、今は休眠状態みたいなんだけどね」
「へぇ……」
まさかとは思うが、自分が足を踏み入れたら噴火しました、なんてことならないだろうな。
ヴァルキリーの身である自分が行くことによって、本当ならば何百年も休眠状態になっているはずの火山がいきなり活動を始める、そんな可能性もあり得るのだ。これは、細心の注意を払わなければ。まぁ、注意したところでどうなるわけでもないような気もするのだが。
と、その時彼女は自分達のやや後方を歩いている王妃の顔を見た。なんだか、少し違和感が残る顔つきをしているのが、気にかかった。
「私たちが行く国って、王妃様の故郷なんですよね?」
「えぇ、そうね」
「なら、どうしてあんなに浮かない顔しているんですか?」
帰るのが、一体いつぶりになるのかは分からない。しかし、自分の生まれ故郷に帰れるというのに、何故あんなにも曇った表情をしているというのだろうか。
歩は、他の騎士団とほとんど同じ速さであるというのに、その顔が俯いているからなのか、とても鈍重であるような印象を受けるほどに重苦しい足跡をしている。まるで会いたくない人間に会わなければならない時、前世で言うところの、学校の先生に呼び出されて会わなければならなくなった自分のソレによく似ている気がする。
まるで、帰るのが嫌であると思っているかのような。そんな気がしてならない。
「それは……ついてみたら分かるわ」
「……」
と、セイナは言うだけだった。
もしかしたら何かあるのかもしれない。彼女が故郷を離れた経緯に、何かその理由が。
それにしても、こんな暑さの中にあっても王妃の顔には汗一つ浮かんでいない。やはりこの暑さに慣れているのだろうか。それともそんな体質であるのか。ある意味ではうらやましいところがあるが、しかし汗をなかなかかけないという事は体温調節が難しいという事と同意であるともいえるため、彼女にも水分補給を促していかないといけない。
「私、王妃様にお水を持っていきます」
「えぇ……でもリュカちゃん。今のあの人は王妃様じゃないわよ」
「そういう物……何ですかね?」
確かに、彼女が王妃であったのは彼女の夫がマハリの国の王様だったからこそ。しかし、その王様ももうこの世にはおらず、国も無くなってしまった。今となっては彼女を王妃であると呼称するのは確かに無理があるのかもしれない。
だが、亡国の王妃様。という意味では王妃でいいのかもしれないが。それはそれで彼女に失礼に当たるのかもしれない。
「だからあの人も、自分の事は他の人間と同じ扱いで構わないって言ってるわ……だから、彼女の気持ちを受け入れてあげて」
「はい……」
悲しいな。一時は国王の后にまでなった人間も、今ではただの人。あんなにいい人が、綺麗な人が市井の人間にまで落ちてしまうなんて、戦争はなんて空しい物なのか。
いや、違うな。そもそも彼女もまた一人の人間だったのだ。ソレを、自分たちが勝手に上に見ていただけ。今の彼女こそが、本来の一人の人間としての姿。彼女はようやく名実ともに普通の一人の女性に戻ることが出来たのだ。ただ、そう考えればいいのだろう。
「?」
なんだ、今の感覚は。周りを見渡した彼女は、何か違和感のようなものを感じた。
何かとんでもない物を見てしまった時のような。そんなこと絶対にありえない。あってはならない存在を目撃したかのような、この感覚。
きっと、無意識だったから何が原因でそう思ったのか分からない。だから、彼女は改めて周りを見渡した。
けど、あるのは土色の木と、焦げ付いたような土、そしてその中を行く仲間たちの姿だけ。別に変わった物はない。
いや、もしかしてそんなに近くじゃない。もっと、もっと遠くに目線を広げなければならないのかもしれない。もっと遠く、もっと、もっと、もっと。
結果、彼女はそんなことをした自分に後悔することになる。
「えッ……」
「どうしたの、リュカさん?」
「いえ、今あそこにある山が動いたような……」
「? 気のせいじゃない?」
「まぁ、そうですよね」
いよいよ暑さでおかしくなったようだ。少しだけ向こうに見える山が若干ではある物の動いた気がした。空気が熱くて歪んだとか、そういう物ではなく本当に若干動いたように見えたのだ。これは他人を心配している余裕も無いようだ。リュカは、王妃様、いやフランソワーズに挙げようとしていた水を一気飲みした。
その時であった。
「ほら、見えてきたわよ」
「へ? ゴホゴホ!」
あまりにも唐突すぎて、飲み込もうとしていた水が変なところに入ってむせこんでしまった。
見ると、眼下に確かに見える一つの国。小高い丘を登った先に見えたその国が、王妃様の故郷なのだろうか。
それにしても、立地的にはマハリの国に極似しているような気がする。違うところと言ったら、マハリの国は文字通り崖のすぐ隣にあったのだが、この国の場合は山からやや離れた位置にあるという事。
それから、マハリの国の場合は近くに緑のあふれた森があったのだが、恐らくこちらは溶岩が下を通っている影響なのだろう殺風景なほどに枯れた木々ばかりしかない。
でも、似ている。もしかしてフランソワーズがマハリの国に来たのは、そんな故郷に似たところを見たからなのかもしれない。
「あれが……」
そう、その国こそが、亡国の王妃フランソワーズの生まれ故郷。
「フランソワーズさんの故郷……《ミウコ》よ」
「ミーコ?」
「み・う・こ、よ。ケセラ・セラさん」
自分も、若干猫の名前みたいだなと思ったのはここだけの話である。




