第5章 序章
この世界に娯楽なんてものはほとんどない。あるとするのならば、例えば森の獣たちを狩っていたぶること。
だが、相手が自分たちの想像しているよりも手ごわい、もしくは凶暴な獣であるという事は多々ある。また、ソレが子供で、実は後ろには親が潜んでいるなんてことも。
この前も、とある男たちが山で見つけた一匹の獣を狩ろうと追い込んだらしい。
だが、いざ殺そうとなった時に危機一髪、その獣の親が現れた。男たちは、自分の身長以上もの大きさのある獣に太刀打ちすることもできずにあっという間に殺られたそうだ。
だから、獣狩りには危険が伴うことから、完全に安全な娯楽であるとは言い難い
ならば、と男たちが編み出したもう一つの最悪な娯楽。
それが、女狩り。
この世界では、商人が国と国の間を行き来して物売をするという事が多く、その場合は大体同じ道を使うそうなのだ。
男たちが今いる森にある道もまたその一つ。
後に知ることになったが、その男たちにとってその道は獲物の通り道だと呼称されるほどに商人の行き来が多く、その度にもしも相手が男であったのならば殺し、金と物を奪い去り、もしも女性だったら自分たちの根城に連れて帰って―――、そんなことが横行していたらしい。
流石にそんなことを繰り返していたためか、少し前から人の往来がなかなかなくなってしまったため、今の今まで前に捕らえた女性を使って遊んでいたという。だが、もはやその女も限界だった。
ちょっと前から反応がやや鈍くなっていき、目は虚ろ、身体からは力が抜かれてしまったのではないかというほどに脱力し、今にも死にそうなほどに弱ってきてしまったのだ。
人ひとり死んでも彼らは痛くもかゆくもない。だが、もしその女性が死んでしまえば、自分たちの娯楽が減ってしまう。そんな自分勝手な心配ばかり。
こんなことは言いたくはないのだが、これだから男って奴はと言ってやりたくなるほどに非道である。
そんな時だった。彼らが住む森にとある女性の一団が近づいているとの情報が来たのは。
彼らは、急いでその女性たちが使うであろう道にまで降りてきた。まるで、餌に群がる害虫のように。
そして、彼らは見た。焚き火を囲み、獣の肉を喰らう女たち達を。
「いるぜいるぜ、本当にこんなところで野営してやがる」
「へへっ、こんなところで野営? 馬鹿な奴らだぜ、そんなことすれば俺たちのいい餌食になるってのによ」
と、男は舌なめずりをしながら道の反対側で五、六人ほどいる女性を見ていた。
相手は六人、こちらは四人。数の上では断然不利になるのだが、しかし相手は女性、力で自分たちに勝るわけはない。そんな過信があった。
「よし、そんじゃ打ち合わせ通りにな」
「まず、俺が催眠の魔法を奴らに当てる」
「んで、あいつらが眠っているあいだに、俺がこの枷を両手両足に付ける」
「あぁ、お前は奴らの持っている武器を手の届かないところに持っていけ」
「んで、その後はお楽しみってか?」
「へへっ、楽しみだぜ」
男の一人が持っているのは、マハリの国で処刑直前であったエリスに付けられた枷と同じ物だった。作るのにお金はかかったが、しかし彼らはその道具以上に有能な物は見たことがないと確信に近い物があった。
この枷、以前にも話したのかもしれないが能力自体はリュカが来たあの服とほぼ同じ物。しかし、吸収した魔力を再利用できるあの服とは違い、その枷は吸収した魔力は二度と元に戻ることはない、完全に空気中に放出されてしまうのだ。
もしもその枷を付けられてしまえば、服の使い方、魔力の使い方を学んだリュカであっても枷を外すまでは魔法を使用することもできないだろう。
これで、もしも相手が強力な魔法を持っていても対処することが出来る。そう男たちは話していた
ふと、男の一人が疑問に思った。
「ところで、あの連中は何者なんだ??」
確かに気になる。なんでこんな何もないところで野営なんてしているのか。夜中にこの道を通らなければ次の日の朝までに国に着くことが出来ないというのに、こんなにのんびりとしているなんて。商人というわけではないのか。
「さぁな。どっかから脱走兵とかか?」
と、男の一人は言う。確かに、もしも彼女たちが脱走兵であるならば彼女達の軽装備の理由も説明はつく。この世界では脱走兵という物はそう珍しくはなく、毎日のようにどこかの国から一人二人は勝手に脱走していく物だ。
特に女性という種類の人間は、敗戦国から強制的に連れて行かれ、慰み者とされるという可能性が高い。光源が焚き火の光だけのためにその顔は正確には見えないのだが、恐らく平均よりも美人であるというのは確か。彼女たちもその部類の人間であったとするのならば、こんなところで野営をしている理由も一応の説明が。
「脱走なんて、人聞きが悪いわね」
「へ?」
その言葉に振り向いた瞬間だった。
隣にいた人間の頭から細い剣が出現した。いや違う。貫かれたのだ。振り向き直後に、その脳天を剣で刺されて。
「ひぃぃ!!?」
「ゴ、ゴバッツ!」
恐怖に慄いた男たち。思わず、男の名前を叫んだ。そんなことしても無駄であるというのに。
ゴバッツと呼ばれた男は、すでに死亡していた。即死だ。彼女の感覚からすれば、脳幹を貫いたはず。そこをやられて生きていられる人間はいないことを彼女は知っていた。だからこそ、痛みも苦しむ時間もないこの殺し方が好きだった。
彼女は、コバッツと呼ばれた男から剣、いや刀を勢いよく抜くと、その刀身に付着した血を勢いよく振るうことによって落す。コバッツは、力なくその場に倒れ伏すことしかできなかった。
「な、何だよお前!?」
残った男たちの内の一人が、懐から短剣を取り出そうとした。
遅い。彼女は、男が筋肉の一つ一つを動かす。その様子すらも見えるほどに集中していた。このまま戦闘に持ち込んでもいい。だが、慢心は自分を殺すという事をよく理解していた。
殺せる時に殺さなければならない。それが、今の彼女の戦い方を表していた。
「ハァッ!」
一閃。少女は刀を振った。
瞬間、静まり返えった男は、目を見開いたままその時間を停止させる。
「お、おい……」
どうしたのかと、仲間がその男に手を振れた瞬間であった。
男の首が取れ、自分の方に転がってきたのは。
「ヒッ……」
男は、声にも出せないような悲鳴を上げた。か細く、命の灯火も見えないような声。
なんて切れ味、そして太刀筋か。全く見えなかった。恐らく、斬られた男は自分が死んだことも理解せぬままに死んだことであろう。あんな細い剣でここまでの事をするなんて。
「あと二人」
「クッ!」
【炎】
残った男の内の一人が、彼女に向けて炎の魔法を放つ。魔法は、瞬時に女性の身体を包み込んだ。
この至近距離で炎の魔法を浴びたのだ。例え相手が何者でもひとたまりもないであろう。
そう、楽観視した直後であった。
「ゲァッ……」
炎の中から腕が飛び出し、男の首根っこを掴んだ。
確かに至近距離での魔法攻撃は、相手が普通の人間であったのならば全身大やけどで生きていくのも辛いほどの怪我を負うであろう。
だが、彼女は違っていた。自らの魔力を全身にまんべんなく広げ、魔力の膜を張ったのだ。さらに、相手の魔法の威力が弱いところを見て、本当ならば貼らなくてもいいような服や鎧にまで魔力を張る余裕さえ見せている。結果、彼女は無傷で静観することが出来た。そして、気が緩んでいる男の首を掴むことが出来たのだ。
「……」
「ゲ……」
少女は、ためらわずその手にも魔力を集めて、首を絞め、男の骨を折った。
これにより、体の中にある頚髄が損傷。数秒後、男はその生命活動を停止させた
一人は脳幹死、一人は斬首、そして一人は首折り。ここまで即死に近い戦い方で、無情にも敵の命を奪った少女に、残った一人は戦慄した。
「う、嘘だろ……こんな、こんな……」
まるで、おとぎ話にだけ聞いた≪魔族≫のようにも思える。表情はよくわからない。だが、暗闇でも分かる。とても恐ろしい、氷のように冷たい表情をしているという事を。もしかしたら何も考えていない、無表情であるのかもしれない。
彼女は、無感情のまま仲間たち三人をあっさりと殺して見せた。恐らく、自分の事もすぐに殺すのであろう。弁明もできない。いや、そもそもどうして殺される理由があるのかも分からない。
確かに、自分たちは女性達を物のように扱ってきた。だが、そんなことこの世界の男のほとんどがやっていることじゃないか。どうしてソレを今更咎められなければならないのだ。どうして自分たちが殺されなければならないのだ。
どうして、どうして、どうして。
「ひ、ひぃぃ!!」
思わず、男は立ち上がりながら逃げ出した。一度、二度とこけそうになりながらも少女に背を向け、逃げようとした。
軟弱な。この程度の心の持ちようで自分たちを襲おうとしたのか。情けない。ちょうどいい、久しぶりにあの技を使ってみるか。
少女は、自分の左手、左足に魔力を込めながら走り出す体勢を取る。左足を後ろに引き、身体を前に倒し、刀を横にする。
そして、左手で勢いよく左膝を叩いた。
【魔力加速法】
「ッ!?」
困惑。それが彼に最初にたどり着いた感覚が。
何故だ。自分は、少女に背を向けて逃げ出していたはずだ。一直線に、夜の暗闇に紛れて逃げようとしていたはずだ。
自分と彼女との実力差は歴然としてあった。だから、戦わずして逃げる。それこそが自分が生き残るための最善の策だと信じていた。
それなのに、何故。何故、彼女が自分の前にいるのだ。
何故。彼女は剣を腰に差している≪何か≫にいれようとしているのだ。
何故。自分は、倒れようとしているのだ。
何故。目の前に自分の足が立っているのだ。
いや、違う。根本的に違う。自分は、≪倒れ≫ようとしているのではない。≪落ち≫ようとしているのだ。
そう、自分の下半身であった存在から。
上半身だけとなった自分の身体が、落ちようとして。
そして、その身体が地面にたどり着いた瞬間。
男もまた、死を迎えることになる。
彼にとって不運だったことは、他の三人が即死に近い形で死ねたことに対し、彼はほんのわずかな間だけであるが死の恐怖を感じながら死んだ、という事。
失敗した。と、彼女は思う。本当は魔力加速法で彼の横を通った時、首を斬るつもりだったのだ。だが、あまりにも自分の動きが早かったこと、そして相手が想像よりも近くにいた事によって刀の高さを合わせることが出来ず。結果、その身体を真っ二つとしてしまった。
恐らく、彼は他の三人とは違い死の恐怖という物を味わいながら死んでいったことだろう。すべては、自分が未熟なばかりに。
そして、元は四人目の男の下半身だった物が、自らの主の命が無くなったことを察したかのように崩れ落ちたのを見ると、少女リュカはふぅ、と一息を入れた。
「今日は、四人か……」
「どう? 仕留めた?」
と、そんなリュカに向けて焚き火をしていたはずの女性の一団の一人、セリンが声をかけた。
「はい、山賊が四人……」
「そう、ご苦労様。山賊の根城も、団長たちが向かったし、これでこの道は安全ね」
と、言った瞬間山の上の方から爆発音がする。おそらく、そちらもでも戦闘が始まったのだ。彼女の言う通り、これで山賊たちは全滅し、安心してこの道をマハリの国の人たちが歩くことが出来るだろう。
「例の国まであと少しですね……」
そもそも、何故セリンたちがこんな場所で焚き火をしていたのか。それは、ひとえに先ほどの山賊たちをおびき寄せることに意味があった。
元々、この道にはよくその周辺を根城にしている山賊が出没するという情報を入手していた。もしもその道を、マハリ国民の中にいる一般人が通れば、自分たちが守っているとはいえ危険にさらす可能性が出てくる。
そのため、彼らが安心して道を歩けるようにと、彼女たちが先行して山道に入り、山賊狩りをしようという事になったのだ。
結局、根城を攻略するという事になったのならば、この場で山賊四人を殺す意味は薄いのではないかと思ったのだが、セイナ曰く残党として残ってもそれはそれで面倒だから、らしい。
まぁおかげで自分にとってもいい経験になったし良しとしておこう。
「どうしたの?」
「いえ、もう……人殺しに慣れちゃったなって」
この場所に来るまでにも何度か山賊がいる道を通った。そのたびに、自分たちの事を襲おうとする山賊を蹴散らし、そして殺してきた。先ほどの山賊たちを含めると、あの国を旅立ってからもう24人は殺しているはずだ。最初の内はまだ躊躇いはあったのだが、もうここまでくると表情一つ変えることなく外道じみた真似ができるようになってしまっていた。
「怖い?」
そう、セリンが聞く。リュカは、やんわりとした笑顔で言った。
「いえ、これで躊躇なく戦が出来ますから」
そう、もう人殺しが怖いなんて感情失くしてしまった。麻痺してしまった。決してたどり着くことはできないだろうなと自分でも思っていた境地、そこにこんなにも早くたどり着くことが出来るなんて。リュカは、驚きと共に自分の心に対しての哀れみを抱いていた。
「そう……」
恐らく、幼い頃から殺人と狩りを同じであると考えていたカナリアと接してきた経験からなのだろう。セリンは、自分の肩を優しく抱き寄せて顔をその胸に置かしてくれた。それは、まるで母に抱かれているかのように心地よかった。
もはや人殺しが日常と化してしまった彼女にとって、それがどれだけ安らぐものであったか。セリンの身体は、数日間お風呂どころかシャワーも浴びていない。水浴びしかしていないというのに、とてもとてもいい匂いがしていた。




