第三十四話
『では、頼んだぞセイナ団長』
『はい。誠心誠意、お役目を果たします』
『うむ……』
『……』
『リュカ君。君も、頑張るのだぞ』
『分かってます……』
『……サラバだ』
そんな会話を交わしてから一体何時間が経ったのだろうか。
分からない。もはや時間の感覚もないのだから。しかし、何時間か経ったという事は間違いない。
そして、何時間も経ったと認識できることはとても幸運なことである。そう王様は知っていた。
王座のある部屋。そこからは、いつも同じ景色を見ることが出来た。
色とりどりの屋根、その中を行く人々、いつもと同じ青空の下には、いつもと同じ穏やかな空間がただあるだけ。
けど、そんな景色はもう決して訪れることは無い。
何故なら、自分が愛した国は、すでに火の海に包まれていたからだ。
もう、トナガの兵がこの城の中に入ってきた頃合いだ。しかし、よく持った方だと思う。
本来ならもう少し早くに陥落するはずだったこの城がここまで保っているのは、まったくもって運が良いと言えるだろう。
ひとえに、この国のために、そして逃走する国民のために戦ってくれている国民たちの力なくしては、ここまでの時間は稼ぐことが出来なかった。
だが、恐らくそのこの国に残ってくれた国民の大半はすでに殺されてしまっていることであろう。
この部屋の窓からでも、小さいながらよく見える。敵と戦い倒れ逝く者達の姿が。
ふと見ると、ひとりの男性が魔法を自らに放ち自爆する様子が見える。
最後まで必死になって戦い、一人でも多くを道ずれにするべく放ったのであろう。
そこまでしなくてもいい。ただ、名誉ある戦死をしてくれれば、ただそれだけでいい。本当はそんなことをしてもらいたくない。だが、ソレが自分勝手なきれいごとであることも分かり切っている。だからこそ、最後は自分が満足する死に方をしてもらう。ソレが、今戦っている者達にとっての心残りを無くす手段であることを信じて。
自分もまた、心残りなくいくことにしよう。あの男と戦って。
「……」
王は、直感した。扉の向こう。そこにはあの男がいるという事を。
この国に混乱をもたらし、そして多くの国民の人生を狂わせたあの男。
「ようやくたどり着いたぜ……兄サマよ!」
「……来たか」
自分、ロプロスの愚弟である。≪グランテッセ≫だ。
「たくよぅ、モルノアがもう少し踏ん張ってくれりゃ、もっと早く来れたってのによ」
なるほど、確かに一理ある。もしもあと少しでも自分たちがモルノアの策略に気が付いていなかったのならば、国民たちは栄養失調のままでトナガの国の軍隊と戦うことになっていた。そうなれば、今の今まで持ちこたえているわけがない。すぐにこの城は、そして国は陥落していたことであろう。
「狙いは、宝か」
「へっ、当たり前だ! あの宝の一つや二つあれば、この俺が世界を手にできる!」
グランテッセは、そういいながら手に持った槍を王、ロプロスに向けた。ロプロスはそんな物には動じることなくただグランテッセの顔を見続けるのみ。そんな脅しには屈しないと言わんばかりだ。
「そんな欲望を叶えられるモノを持っておきながらアンタは……!」
「欲望、か」
「あん?」
ロプロスは、グランテッセから目線を外すこともなく王座の方へとゆっくりと向かう。ゆっくり、しかし確実に。死への旅路へと足を踏み入れるが如く。
「私は知っている。お前以上の欲望の持ち主を。自分勝手だが、しかし未来の事を考えている人間をな……」
「何?」
「その者達のためならば……私は捨て石になろう」
彼女たちならば変えてくれる。終わらせてくれる。この狂った世の中を。
少し前まで、この世界は平和そのもの。戦なんて大きなものは一年に一度歩かないかという有給にまで続くのではないかとも思うべき時間が流れていた。
しかし五年前。とある大国が宣戦布告したことを切っ掛けとし、大小さまざまな国が戦を始めるようになった。
彼女なら変えてくれるはずだ。この狂った世の中を。取り戻してくれるはずだ。あの平和だった日々を。未来を生きることになる子供たちに残してくれるはずだ。明日を。
「ヘッ、武器を取って戦うってか?」
「そんなことせずとも、勝負は決している」
「ヘヘッ、何だ。諦めたのか?」
確かにそうなのかもしれない。だが、自分には戦う力なんて残されていないのも事実だ。恐らく、武装することも敵わないのだろう。しかし、このやせ細った身体で自分に何が出来るのか。考え出した結果結論はすでに出ていた。ソレは。
「いや……お前は、私と道ずれだ!!」
「なッ!」
ロプロスは、そう言うと王座の後ろにあった壁、そこについてある取っ手を思い切りの魔力を込めて引いた。
魔力は、あたかも皮を逆流して進む魚のようにその流れに逆らって昇り続ける。どこまでも、どこまでも。
たとえ、それが破滅への道であると知っていてもなお、その破滅が国のためになるとそう信じて上り続ける。
登れ、昇れ、上れ。どこまでも上り続けろ。そんな王様の願いもこもった純粋で、しかし邪悪なる魔力の流れ。
そして、その流れはついにとある場所にまで到達した。その瞬間起こったのは一つの大きな爆発。その音は、遠く城の中にまで聞こえるほどのものであった。
「なんだ、何をしやがった!」
「父上から授かったこの国最大の秘密だ!」
刹那。城の外から国を見下ろしたグランテッセは、驚愕の表情を見せる。おそらく、自分の眼を疑っているのだろう。当たり前だ。自分自身でもここまでとは想像もしていなかったのだから。
炎の壁だ。いや、違う。正確に言えば城の外周をぐるりと囲んでいた壁の上に作られた水路。あの水路の水の上に炎が浮かんでいるのだ。
そして、その炎はあふれ出た《黒色の水》に従って滝のように国の中へ、そして国中に張り巡らせてある十二の川を通って中心にまで到達する。
この炎によって、国中に散らばっていたトナガの兵たちは皆炎に巻かれてしまっているようだ。当然、マハリの残った国民たちもまた炎に巻かれていることであろう。しかし、事前にロプロスがこの仕掛けのことを国民たちに知らせていた。
覚悟の上だった。どれだけ頑張ったとしても、最後には炎に巻かれることになるのは決定事項。それでも、彼らは戦ったのだ。それがこの国への最後の孝行になると信じて。
「ッ!」
グランテッセは、このままでは自分の命も危ないということを悟り、すぐさまその城から出ようとする。だが、扉をあけたその先に待っていた物。それは、大きく、太く、異様な匂いを醸し出している黒煙であった。
ロプロスは、その場に立てかけてあった槍をその手に持つと言った。
「逃げても無駄だ……この城の一階はすでに火の海となっている」
「てめぇ……」
「お前の過ちは、兄である私の過ち……すべてを灰燼と化すことで……終わらせよう」
すべては、弟を殺すため。そのために、自分は国一つを灰に帰す真似をする。
弟は、当然生きていてはならない。しかし、そのようなことを考え、実行した自分もまた、死ななければならない。このような人間が生き残っていては、よい国造りの邪魔になってしまう。老兵は、ただ去り行くのみなのだ。
種を飛ばした枯れ木であるなら、最後に一花咲かせよう。たとえ、その一輪の花の雄姿を誰も見ていなかったとしても、それでも咲き続けると誓って見せよう。
命短し、花の人生なり故に、わが生涯を美しく添えて見せるべし。
王は、今自分が持てるありったけの魔力を槍に込めると、勢いよくその槍先を床に突き刺した。
「う、うぉぉぉ!!」
瞬間。床はまるで砂になったかのように一粒一粒が細かく砕けていき、二人の体はその砂の中に沈んでいく。これは、王様が得意としていた魔法である。この一撃によって沈んでいった二人が、果たしてどうなることか想像するのは難しくなかった。
「くそ、くそ、くそ! こんな、俺はまだ。こんなところでぇぇぇぇぇぇ……」
「ケネル……」
炎の中に沈んでいく王。その目線の先にいたのは、愚弟の姿でも、愛した女性の姿でも、自分のために命を散らした者たちの姿ではない。
最後に映った者。それは―――。
マダンフィフ歴3170年 6月1日 10時24分
マハリ国王 ロプロス・キーラ・バラスケス 焼死 52歳
「え?」
「どうしたの、エリス?」
「今、声が……」
「声?」
「見て、水が……」
「あ……」
「ここの水が途絶える時、ソレは例の物を作動する時……」
「……」
歩いていた騎士団一行。その先頭に近い場所にいるセイナとリュカは、それまで自分の隣を勢いよく流れていた水が止まってしまったことに気がついていた。それは、王様から聞いていた秘密兵器を使用した合図。そして、国が滅んだという合図であった。
今、彼女たちが歩いているのは王様が国で何かがあった際に逃げるために作られた通路で、何十何百という人間が簡単に歩くことができる広いトンネルだ。城の地下に作られており、そこには国中に巡らせていた川の水がすべて集約されていた。
王様の話によると、この通路を行った先に突き当りがあり、そこを昇れば人目に付かないところに建てられている小屋に通ずるのであるとか。
だが、はたしてそこを流れている水がどこに向かうのか、誰にもわからないのだとか。しかし、今回王様が使用した装置は、その水を利用したものなのだ。
実は、あの国に流れていた川の水。そして、自分たちが飲んでいた水はただの水ではない。炭化水素を主成分として様々な物質を含んだ液状の油。つまり、石油である。
いやこの場合は原油であると言おう。
そんなもの、人間が飲んで大丈夫なのかとは思うのだが、王様が言うには、水脈となっている崖には国宝の一つが隠されていて、その国宝の力でどんな汚泥であっても無害な水に早変わりできるのだ。
そう言えば、ケセラ・セラがこの国に初めて来たときに嫌な匂いを感じていたのだが、あれはその国宝の効果が表れる前の原油の匂いを感じ取っていたのかもしれない。
王様は、その国宝の力をなくす方法というものを知っていた。つまり、王様はその方法を用いることによって国に流れる水を原油へと変えた、いや戻したのだ。あとは国を焼こうとトナガの国が放った火に引火すれば、国中を包み込む大火災の完成だ。
ここの通路の水が止まったのも、その火災に巻き込まれないようにするための装置が働いたから。だから、彼女たちは気が付いたのだ。マハリの国が、そして王が最後を迎えたのを。
これで本当によかったのだろうか。もしも、自分たちも最後までいれば、マハリの国が亡ぶことも、多くの人間が犠牲になることもなかったのかもしれない。そう考えればきりがない。しかし、すでにことは起こってしまった後のこと。二度と引き返すことも、取り戻すこともできないのだ。
自分たちは前に進むしかない。それだけが真実だった。
「行きましょう。出口までまだあと五キロはありますよ」
『はい!!』
王妃の言葉にその場にいた騎士団全員が声を揃えて言った。
国が滅んで一番悲しいはずの王妃がここまでキトクにふるまっておられるのだ。自分たちが落ち込んでいてどうする。そう考えながら騎士団一行は前に進み続ける。亡くなった人たちの思いを胸にして。
「……」
その時、リュカは立ち止まり、後ろを向いた。
なぜ、自分がそのような行動をとったのか、リュカ自身理解することができなかった。あの国はたった一週間しかいなかった。それほど思い出がないはずなのに、どうしてここまで後ろ髪惹かれる思いであるのか。
この時の彼女には理解することができなかった。けど、今になったら思う。あの時の彼女は、きっと決別していたのだろう。
自分たちの矜持のために格好よく死んでいった男たちに、軽蔑していたのかもしれない。
自分はそんな人間にはならない。そんな誓いを立てるために、彼女は後ろを振り向いたのだ。そう思う。
「お姉ちゃん?」
「別に……」
リュカは、ただその一言をつぶやくと、目の前の女性たちについていく。そして、ケセラ・セラもまた、彼女の後を追って闇の中に消えていった。
この日、マハリの国民6775人とリュカ一行は、マハリから旅立った。
3591人の犠牲と7463人の犠牲とを携えて。
マハリの国は三日三晩炎上し続けていた。だが、奇妙なことに隣接する森や山には一切燃え広がることはなかったのだという。
まるで、勝手に燃えていろ、自分たちには関係ない。そう言わんばかりに自然が拒んだかのように燃え続けた。
後に、残った物は灰しかなかった。
ソレが、もとはなんであったのかを知ることのできる者は誰もいなかった。
命からがな逃げることができた私たちがたどり着いたのは、フランソワーズ王妃の故郷。
しかし、そこは私たちを手放しで歓迎してくれる場所じゃありませんでした。
運命からは逃れられないのか。私たちがたどり着いたのは、滅びる直前になった国。
そこで提示される条件。
その条件を背にし、残されたマハリの国民のためにリュカさんたちは命をかけることになります。
果たして、私たちは生き残ることができるのか。
第5章 【選択の色、朱色の主張】
その伝説、未来に残しますか?




