第二十九話
この時間、私は店でふと目醒めました。
どうして目が覚めてしまったのか、今になって思えば虫の知らせの様なものがあったのかと思います。
もう、このベッドで寝るのも最後。そう考えるととても寂しい限りですが、でもまた新しい土地に移るという楽しみもあります。
自分にとっての居場所、それはこの国以外のどこにもなかった。そう考えていた、そう信じていた自分にできた転機である。そう信じることにしていました。
朧気ながらに、窓の外を見ました。理由はありません。ただ、なんとなくでした。そして、驚きました。
あの、緑色の光は一体何なのかと。
見晴らしが全くよくない路地裏に住んでいる私ですらも、私の目に映るその光。
私は、まるで虫のようにその光に吸い込まれそうになりました。一体あれは何なのか。そう考えるといてもたってもいられなくなって、私の身体はいつの間にか店の前に出て、大通りの方に向かっていました。
光の正体を知りたい。光のありかを知りたい。あの時の私は、とても好奇心が抑えきれない幼子であったと言っていいでしょう。それほどまでに、純粋に、その光を掴みたかった。自分の人生を変えるかもしれない、そんな転換期をもたらした、天にも昇るほどの光。
それは、光が消えた後も、私の脳裏に焼き付いて離れない、著名な画家が描いた風景画のように、いつまでも残り続ける。
今でも、思い出せる。
彼女の、可能性の光を。
リュカは、以前レラが言っていたことを思い出していた。
『え? この服が、懲罰用の服じゃない?』
『そ、調べてみると100年ほど前までその服は、魔力の質を高めるに使用されていたらしいわ』
『質を高めるって、いったいどうやって……』
『その服、魔力を吸収するっていうところまでは変わらないけど、問題はその後』
『吸収した魔力は服の中に入るときに濾過が起こって、魔力の中にある不純物を取り除いて純粋な綺麗な魔力だけをためることが出来る、ですって』
『そして、その魔力を使った魔法は、服を使用していない時の魔法よりも格段に威力も質も上がったものを放てるそうよ』
『へぇ……だったらなんで懲罰用なんかになっちゃったの?』
『魔力を貯蔵するってところまでは簡単でも、その後の魔力を使用するっていうところで使いこなすことができなくて、一握りにしか恩恵がなかったそうよ』
『へぇ……』
あの時には、彼女が言っていることの意味がよくわからなくて聞き逃していた。彼女には納得したような返事をしただけだった。
けど今ならわからる。その服の意味。その効果。そのわがままさ。
最初にこの服の説明を聞いた時に疑問に思うべきだった。
吸収された魔力は何処に行くのかと。
なんてことはない、吸収された魔力は何処にもいかない。ずっとそこに残り続けているのだ。いわゆる、魔力の貯蔵庫、いやこの場合は銀行であるという事だ。
だが、その貯蔵した魔力を解放させるためには条件、鍵のようなものが必要になる。
その鍵が何なのか、誰も知らない。何故なら、教えられていないから。人によって、違うから。
けど、今のリュカにはわかった。その自分の鍵が何であるのか。
それは、≪覚悟≫。
そんな物、誰もが持っているはずではないかと誰かは思うだろう。実際、自分だってそうだし、リュカだってそうだ。
しかし、彼女の覚悟は他の人間とは違っていた。
何故なら、彼女は知っていたから。
命を奪われる辛さを、残酷さを。それでもなお、命を奪うという覚悟をした。
そんな、強い思い。いや違う。身勝手な思いが、服の力を引き出したのだ。
これから自分のする身勝手なこと。そのために、嘆き悲しむ人がいる。
そんな物、どうだっていい。
だって、自分は自分。他人は他人なのだから。
それが、人間の欲望って物なのだから。
それが、私の本来の役割なのだから。
私は、私の中の身勝手を、自分自身を恐れない。
それが、彼女の覚悟。
「そんな、あの子が……」
「ヴァルキリー……」
いまだに信じられない。彼女が、自分たちの仲間であるはずのリュカが。厄子なんて。
最初に出会った時には、少し変わった人だなと思っていた。でも、触れあううちに、話をするうちに、どんどんと打ち解けていつの間にか、自分にとって彼女は仲間以上、友達以上、親友、そう親友ともいえるくらいに仲良くなっていた。
たった数日前に出会ったばかりだというのにそんな関係を自認するなんて、なんとも独占欲が強い人間だなとは思ったけど、それぐらい自分は彼女に惹かれていたのかもしれない。
そんな彼女が、まさか。
あの伝説に聞くヴァルキリー。
行く先々に不幸と災いをまき散らし、その土地を恐怖に陥れる忌み嫌われる子供。
他人の運命を変え、他人の人生を弄び、壊し、自分だけが良いのであればそれでいいと本気で考える自分勝手な者。
その力にはだれも抗えない。例え逃れようともその存在がひとたび足を踏み入れれば、必ず死人が大量に出る。
命を愚弄する魔物のおくりびと。
それが、忌み子ヴァルキリー。
「それじゃカナリアさんが怪物になったのも……」
話が出来すぎていると思った。何故こんな、自分たちがマハリの国から離れる日の前夜にこんな事件に巻き込まれたのか。彼女の中に爆弾があったとはいえ、それが何故こんな絶妙な日に爆発したのか。
なんてことはない。ヴァルキリーである彼女がいたからだ。彼女がいたから、カナリアの中の爆弾が活性化され、彼女は怪物と化した。
そして、その怪物のせいでリコやネクル、そして兵士たちの命も。
いや、もしかするとその前から。
何故、彼女たちが来た日の次の日にエリスが捕まった。
何故、急にモルノアはエリスの処刑を決定した。
何故、自分がその執行人に選ばれた。
何故、彼女たちは処刑場に足を踏み入れた。
全て、彼女がヴァルキリーだからというだけで説明がついてしまう。
自分たちの不幸も、彼女たちの命が散らされたのも、そしてカナリアの怪物化も、全ては彼女の―――。
「それでも……」
「え?」
そんな、疑心とも、厭忌ともに付かない感情を抱いていた彼女たちの目を覚まさせたのは、いや現実に帰らせたのはそのすぐ隣にいたケセラ・セラだった。
考えてみれば、彼女は自分たちよりも前からリュカと一緒にいた、リュカと共にこの国に来た女の子。もしかしたら、彼女も知っていたのかもしれない。
と、考えていた自分たちが甘かったのかもしれない。ことは、もっと重大だった。
「お姉ちゃんは、お姉ちゃんだよ」
「ケセラ・セラさん……」
「貴方! その髪!!」
「……」
彼女たちは見た。ケセラ・セラの髪もまた、黒から蒼色になり、リュカと同じように光り輝いているのを。
そして、その服も透明となり、エリスの作ってくれた服の下の素肌があらわになるのを。
そう。彼女もまた壁を超えたのだ。リュカとはまた別の鍵を用いることによって。
その鍵とは、自由。
何物にもとらわれず、どんなゆさぶりにも動じず、ただただあるがままの自分をさらけ出す姿。ソレが、彼女にとっての鎖。
この国に来てからという物、彼女には自由なんてものはなかった。毎日毎日騎士団の訓練や勉強ばかりで、森にいたころのような狩りもできず、束縛された生活を余儀なくされた。
でも、森に帰ってきてよく分かった。
自分は、いつでも自由なのだと。
自分を縛り上げていたと思っていた物は、実は自分を成長させてくれる大きな踏み台であるのだと。
再び森で駆け抜けて、よくわかった。
自分の自由奔放さは、そんな大きな踏み台を使って大きく飛び越えることが出来るのだと。
確かに、自由は大事だ。でも、いつも自由じゃそのありがたみが薄れてしまう。
自由じゃない時があるからこそ、自由という嬉しさが身に染みるのだ。
今、彼女はもう一度自由になった。もう一度、羽ばたけるようになった。
でも、それは一度縛り付けられるという経験をしたからこそ。この国に来たからこそ。そして、数多くの自分と同じヒトと出会えたからこそ味わえる幸運。
ケセラ・セラは、隣にいたクラクに笑顔で答えた。
「私も、私だよ」
と。
クラクたちは、そんな彼女の笑顔を見るだけで、なんだか安心できるような。そんな気が、勝手にしていた。
「行きます!!」
その時だ。ついに、戦いの火ぶたが切られた。
まず、駆け出したのはリュカ。真っすぐに風を切りながら進む彼女を、カナリアは二本の触手を伸ばして迎え撃つ。
それに対して、リュカは刀を構えた。
「フッ! ハァッ!」
払いのける。一本ずつ。確実に。
先ほどまでは全く歯が立たなかった。その軌道すらも変えるのに苦労していた触手の攻撃が、まるで糸を操るが如くに簡単にその行先を変えていく。
やはり力が増している。この姿になってからより一層刀に伝達する魔力が増えている。
これが、魔力の質が上がるという事なのか。これが、この服の、そして自分の本当の力なのか。
それを見たカナリア。いや、正確にはカナリアを操っている獣と行ったほうが良いだろうが、都合上カナリアとさせてもらう。
そんなカナリアはそのままリュカが自分の身体を斬ろうとしていたことが目に見えたため、自らの剣に魔力を込めようとした。
しかし、上手く力が入らない。まるで、何らかの力が邪魔をしているかのようだ。おかげで、いつもの四分の一以下の魔力しか剣に宿らなかった。
だが、それでも目の前の人間を殺すには十分な力だ。カナリアは、剣に集めた魔力をリュカに向けて飛ばし、地面を削りながら斬撃は進む。
「ッ!」
リュカは、それを天狩刀を盾として防いだ。大きい刀であるからこそ、そしてその強度を信じているからこそできる盾。だが、カナリアの攻撃はとても重い物あり、それに耐えるためにはリュカは一度立ち止まるしかなかった。いや、それどころか押されている。やはりカナリアと自分の力の差は大きすぎる。そう実感しながらも耐えるしかない。
「ハァァァァァ!!!!」
気合のこもった声で耐えるリュカ。しかし、カナリアがそんな隙を見逃すわけなかった。
「ッ!」
足元から現れる二本の触手。そう、この攻撃は自分を足止めにするためのただの囮だったのだ。
リュカが先ほど弾き飛ばした触手二本は、地面に落ちるとそのまま潜りリュカのすぐそばにまで来ていたのだ。
今リュカはカナリアからの攻撃を受け止めることで手一杯。このままだと触手の良い餌食となる。
かといって地面からの攻撃を防ぐためには天狩刀で触手を叩き落とすしかないのだが、そうなれば今度は目の前の魔力の斬撃にやられてしまう。
どうすればいいのか。いや、考えている暇はない。リュカは、自らの直感に賭けることにした。
「ッ!」
一瞬、リュカは思考を止める。諦めたからじゃない。そうすれば、勝手に身体が行動を起こしてくれるから。
前世の時もそうだった。運動をするときも、頭の中であれこれと考えている暇なんてないから、ただ目の前の相手を見据えて一直線に動く。そうすると、まるで身体がそうすればいいと理解しているかのように勝手に動き、相手を抜き去っていた。
今回も一緒だ。自分が見据えるのはただカナリアだけ。触手でも、目の前の斬撃でもない。その向こうにいる、敵だけだ。
私は、彼女を、殺したい。
その時だった。
「ッ!!」
リュカは天狩刀を九十度前に倒した。つまり、先ほどまでは天狩刀の腹の部分で受けていた斬撃を、天狩刀の刃で受け止める形にしたのだ。斬撃の力もあってただ倒そうとしても倒れない状況であるから、少しだけ後退しながら、どちらかというと峰の方を上に持ち上げるような感じである。
そうしている間にも触手はリュカに向かって進むし、斬撃もリュカめがけて進むしで何ら進展していないようにも見える。だが、リュカの身体が考えた策はこれだけではない。
リュカは、手を触手の方に、いや天狩刀の下に添えるとつぶやいた。
【風】
それは、リュカが初めてマハリの国に訪れた時に救急船の乗組員が使用していた魔法。しかし、それは日常生活において有益な魔法というだけで、戦闘の際にはあまり意味をなさない魔法だ。いや、意味をなさないはずだった。
しかし、リュカの心、そして身体は先述したあの救急船での一件を再現することによってこの状況を乗り切れると判断したのだ。
「ッ!」
魔法によって作られた突風、それが天狩刀の表面に当たれば、空に持ち上げるのに十分な強さ。
リュカは、天狩刀が持ち上げられる寸前にその上に乗った。まな板の上に乗った魚のようで少し滑稽に見える。だが、その行動によって地面からの触手攻撃はもちろんの事、目の前に迫っていた斬撃もまた滑るように避け、斬撃はリュカの後ろに進んでいき、消失した。
「無詠唱で、魔法が使えた……」
空中で、リュカは少しだけほくそ笑んでいた。当然だろう。魔法にとって言魂という物はとても密接に関係している大事な物。ソレを無くせば多少は魔法が使えたとしても真の力を発揮することが出来ない。
それ以前に、リュカは魔力が全くない状態であったために、言魂を除いた魔法の使用なんてできなかった。魔法の無詠唱とは、それほどまでに難しい物だったのだ。
リュカは、ソレを省くことができた。こんなこと、生まれ直してこの方初めてである。
「乗るっきゃないわね、このビッグウェーブに!」
何を言っているのかは不明ではある。しかし、これは好機であるという意味なのであろう。空中で身動きが取れない状況に陥っていることには変わらないのだろうが。
だが彼女にとってはそんなことは問題ではないらしい。
リュカは、刀から飛び降りる際に右手で天狩刀の背にある取っ手のようなものを、左手で再び刀の柄を持つと、刀をカナリアに向け、縦回転をしながら向かう。
「ハァァァァァ!!」
今のリュカは、魔力によって斬撃能力が底上げされている。そこに回転による遠心力が加われば、その威力は今までよりも高いものとなる。それを、残った二本の触手で防げるかどうか。恐らく微妙なところであろう。
正直目が回りそうになるほどの回転だ。三半規管が恐ろしことになっている気がするが、そんな物どうだっていい。この一撃で決める。この一撃でカナリアとの関係に終止符を打つ。そんな覚悟の元放たれた攻撃がカナリアに迫る。
果たして、二つの力はぶつかり合った。その瞬間、魔力の爆発、その衝撃波が周囲の木々を揺らし、そしてその波はマハリの国にまで届いていたらしい。ソレは、エリスが国で突如として吹いた突風に身体を飛ばされそうになったことからも分かる。
一瞬の力のぶつかり合いによって起こった衝撃波。それによって巻き上げられた土は、土煙という物となって二人の身体を覆いつくし、何も見えなくなってしまった。
その様子を固唾をのんで見守るケセラ・セラたち。はたして、その土煙の向こうに現れたのは、誰だったのだろうか。




