第二十八話
手を伸ばしても届かない欲望がある。
伸ばしても、掴めない欲望がある。
欲望と夢は違う。
欲望とは、生きているうちにふと湧いてくる夢。
夢とは、生きているうちにいつの間にか身に刻まれる欲望。
同じものだ。
でも、違う。
人は、生きている限り欲望を追い求める愚かな生物だ。
愚かで、そして無様な生き物だ。
互いに憎しみあい、競争し合い、強くなる欲望に抗いながらも夢を追い求める。
あぁ、そうだ。夢とは欲望の妥協点なのだ。
本当にある願いには届かないことを察した人間が設定した、もうこれでいいという途中地点。それが、夢。
その先に、その人間の欲望という名前の、本当の夢が存在する。
けど、ならどうして欲望を追わない。どうして欲望を掴もうとしない。
それは、力がないから。いや違う。欲望は、誰かを傷つけないといけない物だから。
確かに、夢にも誰かを傷つけなければならない物がある。でも、大多数の夢は誰かを傷つけなくても叶うような物。
でも、欲望は違う。誰かを必ず傷つけてしまう。自らの欲求を叶える為に、人は文字通り鬼にも、悪魔にもなってしまう。それがか弱き人間のたどる末路に繋がる。
欲望とは、抜き身の刀である。
それを叶える為には他人だけじゃない。自分自身も傷付けなければならない。
でも、その先に自分が望むものがあるのであれば、必死で険しい崖すらも登ってしまう。それが、人間の愚かしさ。
そして、その欲望を叶えた先に待っている物。それは何なのか誰にも分からない。
何故なら、欲望を叶えた人間なんてどこにも存在しないから。
際限なく出てくる欲望を全てその手中に収めることのできる人間なんて、この世に存在しないから。
欲望を叶えれるほどに身勝手な人間なんてなかなか存在しないから。
でも、ここにそんな人間がいた。
自分の目的のために人々の不幸を願い、殺し、奪い、そして破滅へと導く悪しき存在。
誰かの幸福を嫌い、誰かの人生を崩壊させてもそれでも笑ってその人間を見下ろす邪悪なる存在。
決してあってはならない悪魔。
それが、《転生者》。
「そうですね」
そして、彼女もまた、その悪魔の一人。
「私は、何もわかってなかった。人の命を奪う覚悟……そんな物どこにもなかった」
自分は、《アイツ》とは違う。自分は、絶対に人の命を奪ったりなんていしない。そんな大多数の人間と同じ考えを持って生きてきた。
だからこそ、自分は人間を相手にした時には手加減をしていた。峰内か、あるいは気絶か。城の中にいた兵士たちと戦った時もそうやって制圧することが出来たから。もしかしたら、自分は誰も殺さずに天下統一できるんじゃないか。そんな甘い考えが出てしまった。
でも、それが愚かな考えだったのだ。
「なくて、当然だと、なくても良いと思っていた。そうやって生きてきたから……私は……」
そう。自分は、そうやってあの日常を生きてきた。平和な日々を謳歌してきた。その人生があったから、自分には人を殺すことが出来ないんだろなと、心の底で諦めていた。のかもしれない。
でも、それが過ちだった。
「でも、私は今から生まれ変わる! 本当の意味で……」
もう、命を粗末にしたり、大切に思ったりもしない。自分は、人の命を奪うという責任から逃げない。
「覚悟のない自分と訣別する!」
覚悟の一言。でも、それは彼女には、いや誰にも通用しない綺麗ごと。
「ハッ! 言葉ならいくらでも」
瞬間、イラついたようなカナリアはリュカに向けて四本の触手を伸ばした。
避けるか、いやそんなことをすれば後ろにいる四人が危ない。幸いにも、触手は同じ場所。自分の心臓をめがけているようだ、これなら。
リュカは、刀を胸の前で横にする。その瞬間、刀に重機が突っ込んできたかのような重みを感じた。
「ッ! そう、いくらでも言える。でも、言葉に出さなくちゃ、決意は伝わらない! 誰にも!!」
重みに耐えながらも彼女は叫び続ける。自分の言葉は嘘じゃない。自分の決意は戯言じゃない。自分は、本心を言っているのだと。
「まずい!」
「リュカさん!!」
「手を出さないで! この人は、カナリアさんだけは私の手で……!」
「お姉……ちゃん」
四人は、そんなリュカの放った凄みに押され、手助けしようとしていた剣が止まった。
そうだ。このヒトだけは。自分が、この手で、決着を付けなければならない。そうしなければ、自分は始まらないのだ。このリュカという人間の本当の覚悟は伝わらないのだ。
その時、クラクは気が付いていた。リュカの髪に、不純物が紛れ込んでいたことに。黒光りしている髪の中に、木々に生い茂る葉っぱのようなものが浮かび上がっているという事に。
「カナリアさん! アナタの言う通りです……どんな人間にも人生があって、生きる目的があって、そして当たり前のように過去がある。私がこれからすることは、そんな人たちから大切なものを取り上げる行為。その結果、自分だけが良ければいいって言う自分勝手で、自己中極まりない行い」
まるで、自分自身に言い聞かせているようだ。自分が、こんな人間であるのだと伝えているかのようだ。
違う。自分はそんな人間にならなければならないのだ。そうしなければ、自分は天下統一なんて欲望を叶えることが出来ないのだ。
だからこそいう。自分に、これから人の道を外れた、外道に入る自分に、決意を露にしなければならない。それが、今の彼女にできる唯一の事だから。
「それでも、例えどれだけの怨嗟の声に蝕まれても、歩むことを辞めてはならない。例え身が滅びようとも二度と戻れぬ荊棘の道。その道が、アナタを殺すことで始まるのだとしたら! 私は……!!」
フツフツと沸きあがる熱湯のように、地面を揺らすかのような言葉の波。
遠くの山まで貫く目線。鋼のように硬化した筋肉。
脳が朝を迎えたかのように覚醒し、研ぎ澄まされていく感覚。
それが、今まで不安定だった彼女の心を一つにしようとしていた。
そうだ。自分は今まで心の中にもう一人の自分を飼っていたのだ。竜崎綾乃という、ごく普通の一般人の人格を。
それが静止していた。自分の決意を。躊躇させていた。人殺しを。
そんな不安定な人格、なくていい。なくて当然だ。だって、これは自分の。リュカという一人の人間の決意なのだから。
「アナタの人生を終わらせる!!」
刹那。爆発が起こった。魔力の爆発だ。
翠色の爆発は、彼女を爆心地として周囲の木を、火を、そして雲をも揺らす。
だが、人は襲わない。何故なら、人を襲うのは魔力じゃない。自分だから。
そして、爆発は再び集まる。リュカの元に、主人の元に。集い、そして服に、髪に張り付き、光輝き始める。
そして―――。
「私自身の、欲望のために!!」
翠髪のリュカ、再び。
「うそ……」
「リュカさん、その髪……」
髪染めに使用していたミゾカエの液は、まるで効果を無くしてしまったかのように透明になり、彼女の本当の髪色があらわになった。髪だけじゃない、服も。正確に言えば拘束具として使用していた真っ黒な服もまた透明になってしまった。
上に鎧を着ているから秘部が見えることは無い、しかしその下からとてもきれいな筋肉だけは露になる。こんなもの、この服を着る前にはなかったものだ。やっぱり、自分は成長していた。それを実感できるようでうれしかった。
クラクや他の二人は、その姿を見て驚愕に顔をゆがめているであろうことが、その声色から予想できる。当然だろう。何故なら、ずっと一緒にいた自分がヴァルキリー、国に災いをもたらす存在であったのだから。
だが、リュカはもう恐れない。自分が忌避される存在になることを。恐れない、これから誰しもに忌避されることをする自分が、嫌われることを。それが、今の自分なのだから。
「入ってくる。魔力が……今なら!!」
周囲の魔力が、自動的に体内に入ってくるかのように感じる。どうやら、拘束具の効果が無くなってしまったようだ。これなら、いや今なら自分は。いけるかもしれない。
リュカは、カナリアに刀を向け、つばぜり合いをしながらつぶやく。
【我は竜の名を継ぎし者 今その本当の姿を外に出せ 我の内にある龍の心よ 魂よ 我の敵を切り裂き道を開け】
言魂だ。それまでは、立ち止まらなければ詠唱もできなかったソレが、こうして動いていても、勝手に口が動いて、勝手に詠唱してくれている。
これが修行の成果なのか。これが、自分の新しい力と言えるのだろうか。
分からないことはたくさんある。けど、ただ一つ分かり切っていること、それは―――。
【我は竜 我は刃 我は人の心を捨てて竜を宿す者なり 冥府に戻った魂よ 今一時だけ力を貸せ 我は人 我は夢 我が欲望を晒し出せ 命を解放せよ 聞け 我は天下を統一する者也】
我は、お前を殺すもの也。
【龍才開花】
「聞け! 私の名前は……第六代龍神族族長……翠髪のリュカ!」
【リュウ形態 第二の姿】
「そこをどけ……そこは、私が歩く天下取りの道だ!!」
ここに、爆誕する。




