第二十七話
果たして、私は今まで何度この言葉を繰り返してきたことだろう。何度同じ衝撃を受けた事だろう。
けど、それも仕方のないこと。自分にとってはあり得ないような、目を疑うような光景を幾度となく見せられてしまえば、そんな感情になってしまっても仕方がない。
だから、今自分が見ているこの光景も、信じられない光景の一つとしてその身に刻む。
私、リュカが目撃したもの。ソレは、自分の見知った人間だった。
自分が尊敬していた人間だった。
一緒にいて、とてもためになるような話をしてくれて、強くて、頼もしくて、父やセイナの次に信頼できて、そばにいるととても安心できる。そんな女性が、目の前で、怪物の姿として立っている。
リュカは、もう一度心の中でつぶやいた。
信じられない。
「リュ……カ……」
「そんな、どうしてカナリアさんが……」
カナリアは、とても苦しそうな声を出しながら言う。こうして対峙してみて分かるが、姿形は人間とほとんど大差のないような気がする。
違うところと言えば、背中に触手が四本、身体から突き抜けて出ているという事。まるで、前世の世界の遊び道具などで見た敵のようだ。
恐らく、その触手がリコやクネル、そして推定にはなるが兵士たちを殺したであろう凶器。であるのならば、やはり彼女は敵。となるのだろう。けど、分からなかった。何故彼女がそんなことをするのか。
「は、ハハ……見ればわかるだろ? 寄生されてたんだよ。アタシは」
「え?」
「あの時、アタシを体内に取り込んだこいつは、アタシの中に爆弾を二つ仕掛けた。その内の一つが爆発しちまったんだ……」
「そんなッ!」
あの時。それはきっと彼女が十年程度前にギルム・フィアンマが根城にしていた国を襲撃しに行ったときに、接触禁止生物の体内に囚われた時。その時に彼女は爆弾を設置させられたのだ。自らが死のうとも、また別の生命体を依り代として復活する。とても質の悪い爆弾が。
「今のアタシにできるのは……こうして話すことか、動きを抑えることだけ。でも、それも長くは続かない……」
なるほど、だから彼女からの攻撃が本気で殺しに来ているようには見えなかったのか。
だから触手も四本ではなく三本だけで攻撃をしていたし、こうして話をすることも出来る。
でも、それは長くは続かないらしい。彼女の身体は徐々に寄生生物に乗っ取られ始めて、その内自分自身の事も操作することもできず、本当の怪物となってしまうのだろう。
そんなの、ひどすぎる。
「何とか、何とかならないんですか?」
「無理だね……」
あっさりという物だ。リュカは、思わず叫んでしまう。
「そんな、そんなに早く諦めないでください!!」
「いや、分かるんだよ。アタシの身体の事だからね……」
「ッ……」
他人の自分では分からないこと。しかし彼女自身の事は彼女自身がよく知っている。もう、自分は長くはないという事を。そんな諦めた声。しかし、どこか後悔のこもった泣きそうな声と共に、彼女はさらに言った。
「私の意識が消える前に、アンタたちに、いやリュカに頼みたいことがある……」
「え?」
何を言うつもりだ。この状況で、一体何を自分たちに残す。何を。そんな分かり切っていることを自問自答するリュカ。
そうだ。分かっているではないか。この状況で彼女が自分に頼むようなことと言えばなんであるのか。
知っているはずじゃないか。こんな状況になった時に人が頼みごとをするときは、どんなものであるのか。
「私が、私じゃなくなる前に……」
結果、やはりリュカの予想した通りだった。彼女は、まるで人打つ一つの言葉に人生の全てを乗っけているかのような重苦しい口調で、言い放つ。笑っているような、悲しんでいるかのような、瀬戸際の声で言い放った。
「私を、殺せ!」
「ッ!?」
残酷な、その一言を。
「なんで、そんな……」
「間違ってる……か?」
「ッ!」
リュカは、自分が言おうとしたことを遮られて驚いた。
そうだ。自分は彼女に間違っている。そう言いたかったのだ。だって、正しいことなんてこの世に存在しないのだから。
「そうさ、間違ってるよ。自分から死を懇願するなんて間違ってる……けど、しょうがないんだよ……」
「そんな、諦めないで下さい! まだ方法は……ッ!」
反論を続けようとするリュカ。その時、彼女は気が付いた。この状況が、訓練開始一日目の夜に彼女から尋ねられた問題と瓜二つという事が。
もしも、ケセラ・セラが獣に囚われて、殺す以外に救う方法がないとき。私がどうするのか。そんな、仮定での質問。
けど、今まさにその状況がやってきたのだ。ケセラ・セラとは違う。しかし、自分にとって大切な人間であることには変わりのないカナリアという人間を使って。
「まさか、分かってたんですか? あの時、すでに自分の体は寄生されようとしてるって! わかってて私に、あの質問を……」
「……」
その絶妙な笑みが証拠だった。
そうだ。彼女は知っていたのだ。自分の寿命を。自分の中の怪物が目覚めようとしている、その感覚を。
知っていたからこそ、彼女はこの質問をリュカにしたのだ。
彼女が、自分を殺せるかどうかを試すために。
「ずるいですよ。他人の名前を使って試すなんて、ズルイです!」
「なら、本当のことを言えば……アンタは私を殺すって言えたか?」
「同じです! 殺します! でも……」
でも。ソレが、彼女が嘘を言っている証拠だ。
なにが《でも》だ。本当に決意のある人間はでもとかしかしなんて言い訳は使わない。
本当に殺すつもりのある人間は、そんな中途半端なんかじゃない。
本当の覚悟のある人間は、こんな質問をされる前にすぐに行動に移せる人間だ。
そんな質問の前に、すぐにカナリアの事を殺そうとする人間だ。
殺すことのできる人間とは、命の大切さを知っている人間だ。
命とは、たった一度しか与えられない特別な物。
なら、そんな特別な物を生涯二度目に経験している自分は、何だというのか。
私は、一体どうすればいい。
「やっぱり、アンタの覚悟はそんなもんか!」
「ッ!」
カナリアは、その返答に対して怒りを露にしながらリュカに近づいた。
リュカは、振り下ろされた剣を自分の刀で防ぐ。しかし、これはまぐれのようなものだ。二度目はないかもしれない。このままだと自分は死ぬ。そんな予感すらもした。
「お姉ちゃん!」
「リュカさん!!」
そんな彼女を助けるために、後方にいた四人の少女はリュカの元に向かおうとする。
だが。
「来るんじゃないよ!!」
カナリアは、自らの触手の四人に向けて伸ばし、自分たちの所に近づかないように牽制をする。
一体、今の攻撃はどちらなのだろう。カナリアに寄生した怪物なのか。それともカナリア自身の意思であるのか。
もはや、分からない。何も。全く。そんな彼女に向け、カナリアは吠える。
「アンタは、夢だとか欲望だとか大層なこと言ってるけどさぁ、結局は自分勝手な女なんだよ」
「ッ……」
自分勝手、一体どこがだ。だって、自分の夢は、欲望は。
そうだ。自分勝手だ。今気が付いた。自分はこの世界を手中に収めたい。征服したい。そんな感情が際立って強かった。
「したい、したい、ってことばかりが先に出て、そのための犠牲とか、覚悟を全部考えるのを後回しにして!」
考えないようにしていた。考えてしまったら、自分はもう刀を握れないから。立ち上がることが出来ないから。
それでも、自分は自分の欲望に忠実にならなければならなかった。それ以外に、自分に生きている意味を見いだせなかったから。
「そんな覚悟で天下統一なんて夢を覚えたって、叶うわけない!」
そうなのかもしれない。自分の夢は、相当の覚悟を必要とする夢。誰かの幸せを奪って、誰かの不幸を願わなければならない矛盾した夢。
こんなミジンコのように小さな覚悟で、本当にこれから天下統一なんて大それたことなんてできるのだろか。
これからの冒険で、もしも人を殺す機会なんて与えられようものなら、自分はどうなってしまうのか。
分からない。全然、分からない。
「アンタみたいな半端者なんかに、殺されるほど……」
カナリアは、リュカの腹部に足をめり込ませて、思いっきりの力で蹴った。
リュカは、何度となく転がりながらも後方に控えていたケセラ・セラたちの元に戻ってきた。体中泥だらけ、雨だらけ、血だらけで、もうどこも汚れていない箇所なんてありはしない。まさしく、ズタボロという言葉が似あうほどに、彼女は身も心も傷ついていた。
「人間の命は安くない!!」
「ッ!!」
そんな彼女に向けて、カナリアはさらに続ける。
「忘れるな。アンタがこれから殺すことになる人たちみんな、人生がある。生きる理由がある。生きたいと願う理由がある。アンタは、そんな人たちから命って言う二度と取り戻せないものを奪うんだ。それが分からないなら……」
忘れているわけじゃない。でも、目を向けなかったことも確かだ。
自分がこれから殺すことになる人たちには皆それぞれの人生がある。安らげる家がある。家族の事を待ちわびている家庭がある。そんな人たちから大切な物を奪う。
それが、どれだけ愚かなことか、どれだけ自分勝手なことか。
でも、それでも自分の欲望に負けてしまった。だから、天下統一なんて言葉が浮かび上がった。
けど、それはあまりにも早すぎる欲望だったのかも。
あまりにも荷が重すぎる欲望だったのかもしれない。
あまりにも、あまりにも辛い願望だったのかもしれない。
自分は、自分は。
「死ねばいい!!」
この時、死んでしまっていた方がよかったのかもしれない。




