第二十六話
まるで、趣味の悪い彫像のようだ。
地面から生えてきた触手が、一人の女の子を貫き、持ち上げ、固定し、こうしてこの少女は死んでいくのだと勝ち誇っているかのような嫌な彫像。
彼女の顔自体は、リュカから見れば完全に裏側にあるためにその全容を見ることは叶わない。しかし、山火事によるモヤモヤとした光のせいで、その陰影が黒々しいほどにまで地面に描写されてしまっている。あの地面に落ちている赤い液体は、血だろうか。彼女の、生きるための水として体の中を駆け巡っていた赤い鮮血であろうか。
しかし、ソレが彼女の中に戻ることは二度とない。ソレが誰かの身体の中にはいいるという事は二度とない。
ソレを作り、運んでいた物はもはや彼女の中には存在しない。
何故なら、彼女は胸を突かれてしまていたのだから。
「リコ!」
「リコさん!!」
リュカとクラクは、彼女の名前を叫んだ。
しかし、その声が届くことは無い。
「り……ァ……」
リコもまた、口を必死で動かす。
しかし、その意味が正確に伝わるわけはない。
心臓のない人間が生きていけるはずがない。
文字通り、彼女の命は風前の灯火となっていた。いや、もしかすると自分や彼女が気が付いていないだけで、彼女はすでに―――。
「跳んで!」
「ッ!」
ケセラ・セラがそう叫んでくれなかったら、自分もまた彼女と同じように物言わぬ彫像になっていたことであろう。
リコの姿を見た衝撃で完全に頭が飛んでしまっていたリュカたちは、その一声で我に帰り、高さはバラバラではあるがそれぞれに空中へとその身を投げ出した。
次の瞬間である。地面に手を突いたケセラ・セラは無詠唱で魔法を使用した。
【地平・割爆破】
あの時、エリスの処刑を止めるためにモルノアの部屋の地面を破壊したケセラ・セラの魔法だ。ケセラ・セラはコレを敵を倒すために使用したわけじゃない。
敵を遠くに遠ざけるためだ。
森で獣同然の暮らしをしていたケセラ・セラだからこそ分かる。傷を負った獣がその場にずっといるわけじゃない。すべからく、自分にとって害のある存在から逃げるためにどこか遠くへと行くという事を。
少しでもいい。これで敵が傷を受ければ、撤退してくれるかもしれない。そんな希望も込めたその魔法は、地面を抉り、無詠唱であるのにもかかわらずとてつもない威力を発揮し、巨大な陥没を地面に作り出した。
やはり、無詠唱だとこれが限界か。しかし自分はヒトの言う言魂という物は全く理解できない。だから、この程度の攻撃力しか出せないのだ。
が、どうやらその程度の攻撃でも効いたようだ。
「ッ!」
触手は、少しだけ震えたのち、自らが生えてきた地面に戻っていった。リコの身体は一度地面に思い切りの力で叩きつけられた後にその触手が引き抜かれた。
よかった、これで助けることができた。そんな甘い考えを持つ者は一人もいなかった。
「あ……」
触手という栓が抜けたことによって滞っていた出血がついにその本領を発揮。地面に降りたリュカたちに生暖かい雨が、ずっと降ってり続いている雨とはまた違った雨が降り注いだ。
血だ。血の雨だ。
いや、しかしソレは一瞬のうちに終わってしまったから、雨というよりも、そう。
水面に落ちた石が作り出すしぶきと行ったほうが良いのかもしれない。
それくらいしか血が残っていなかったのか、それとも血が噴き出すというのは案外大したものじゃないのか、少なくともこれが最後のトドメになったのかもしれない。
リュカは、顔にこべりついた血にも気を留めずにリコに近づくと、膝をつきその身体を抱きかかえる。
だが、見ただけで分かる。虚ろな、何もない場所を見つめる死んでいる目。呼吸もせずに置物と化したその肉体。
でも、それでも愚かなリュカは諦めることが出来ない。
「リコ! リコしっかり! 誰か、回復の魔法を使える人いないの!?」
「無理です! 回復の魔法と言っても応急処置にしか……」
「ッ!」
そう。この世界の回復の魔法は、完全に身体を治すなんてことはできない。できても、その戦いでできた浅い傷を治すことくらい。筋組織、内臓まで達するような深い傷、切断された腕や足等を治すことはできないのだ。
だから、もし回復の魔法を彼女にかけたとしても。違う。かけれたとしてもすでに彼女は。
「リコ、リコ!! お願い、目を開けて、リコ!!」
それでもなお彼女は叫ぶ。友達なのだから。目の前で物言わぬ肉体になった彼女の事を呼び続ける。何度も、何度も、何度も。
例え、無駄なことだと分かっても。
「しっかりしなさい! リュカさん!!」
「ッ!」
そんな彼女を現実に引き戻したのは、この場所に飛ばされてきた騎士団のメンバーの一人であるクルウスであった。
リュカを一喝したクルウスは、いまだにリコの身体を抱えているリュカの肩に手を置くと言った。
「もう、この子を休ませてあげましょ……」
「ッ……」
そうか。今友達を一番苦しめている存在。それは、自分だったのか。
自分が、死に行く彼女を引き留めているのか。
本当に、自分は諦めが悪くて嫌になる。こんな状況になってもなお、リコの命が救える道を模索するなんて、本当に馬鹿を見るかのよう。
彼女は知っていた。リコの身の上を。彼女に、毎晩寝る前の女子会で教えてもらっていた。
貧乏な家に生まれ、そんな暮らしを子供にさせたくないと高収入の兵士になって、そこで酷い目にあわされて、リィナに助けられて、その恩に応えるために騎士団で戦うことを決心して。
自分に勝るとも思えないほどの過酷な人生。いや人生に勝ちや負けなんてものは存在しない。あるのは、どれだけ満足できる人生があったのか、というただそれだけ。
ソレを考えると、リコの人生は何だったのだろう。
せっかく生きる意味を、目標を見つけたのに、ソレを果たすこともなく散ってしまうその命。
あまりにも無残すぎる。あまりにも残酷すぎる。
でも、ソレもまた人生。抗うことのできない、結末。
「リコ……」
リュカは、若干であるが開いている彼女の目を手で閉じると、地面にゆっくりと少女を置く。
ゆっくりと立ち上がったリュカは、おもむろに手に付いたリコの血を舐める。
これが、命の味か。リコの生きてきた証か。何とも旨くない。しかし、マズイわけじゃない。口の中に広がったこの人を形作った鉄の味が、彼女の全てを動かしてきた。
そして、その血は今、自分の身体の中に。
リュカは、まるでリコの命の一部をその身に宿したかのような。そんな、自分でも気色の悪いとも思える思考に陥って、そして興奮しているのがわかった。
奇行を成したリュカの姿を見た周囲の者たち。しかし、誰も彼女を軽蔑するような人間はいなかった。ソレが、彼女なりの死者への弔いなのだ。そう感じていたのかもしれない。
実際には違う。しかし、そうなのかもしれない。この時のリュカは、何が正しくて、何がいけないことであるのかを正しく理解できなかった。でも、こうすることでリコが喜んでくれるんじゃないか。そんな気がした。そんな幻想を抱いていた。
そして、付着していた血が無くなったその手を、力強く握りしめたリュカは彼女の屍を見下ろして言った。
「リコ……仇は……取る……」
リュカは、《さよなら》の言葉を使おうとした。しかし使わなかった。
何故なら、彼女は自分の中にいるのだ。一部とはいえ、その命を味わったのだ。
だから、これからも自分とリコは一緒だ。いつも、いつまでも。ずっと。
「でも何なの、さっきの長い植物みたいの……」
そう、今問題なのは自分たちを襲ってきた敵の正体だ。
もしもあれが生き物だったとしたら、自分たちはあんな生き物、見たことも聞いたこともない。
いや、ある。自分は。アレは、カナリアから昔話を聞いた時の事。その時に聞いていた特徴とその敵の正体に似たところがある。
「ちょっと前にカナリアさんから聞いた。あれきっと、接触禁止生物だよ」
その言葉を聞いたケセラ・セラ以外の人間たちの顔が驚愕と恐怖に染め上げられた。
「ちょ、ちょっとそれって!」
「国の一個大隊でも討伐できるか分からないくらい危険な奴じゃないの!」
「はい、カナリアさんの話だと、当時のカナリアさんの所属していた分隊はカナリアさんを残して全滅したと……」
カナリアの所属していた分隊。それを聞いた面々は、さらに絶望的な表情をした。
彼女が、ギルム・リリィアンから来た人間であるという事は知っている。そして、ギルム・リリィアンは一人一人がたぐいまれなる戦闘能力を持っていて、その一分隊は国の一個大隊に匹敵するとかしないとか。
まるっきり先ほどネクルが言った言葉と同じではないか。
「そんな化け物を相手にするんですか?」
そんな、化け物を自分たちのような急ごしらえの分隊規模で倒せるのか。いや、生き残ることが出来るのか。クラクは、声を震わせながら言った。
しかし、たとえどれだけ絶望的な状況でも自分は諦めたくない。リュカは言う。
「必ず生き残る! リコのためにも……リコの分まで!」
自分には生き残った責任がある。だから、そんな言葉が出た。
後から考えると、自分は明らかに死者に心を引っ張られていた。元々この世界には死者となったことによってたどり着いたからかもしれないが、しかしあまりも誰かの分まで、生きれなかった人の分まで生きたいという願いが先行していたようにも思える。
しかしどこからくる。山火事の影響で辺りが夜とは思えないほどに明るくなっているとはいえ、先ほどのように地面の中から来ないとも限らない。こうして背中合わせに立っていても、先ほどのリコのように気が付いたら死んでいる可能性だってある。
さて、どうする。
「お姉ちゃん! 向こうの草むら、何かが動いた!」
今いる面子の中でも耳の良いケセラ・セラがそう言った。刹那、リュカは周囲の仲間たちに、指示とも命令とも違う事を言った。
「ッ! みんな!」
「えぇ!」
【炎矢】
その正体が何者でも構わない。リコを殺した接触禁止生物なのか、はたまたたまたま通りがかっただけの人なのか、それでもかまわない。リュカ、ケセラ・セラ以外の四人はその方向に向けて炎を一直線に、矢のように放つ魔法を放つ。
四つの矢は、空中で一つになり、ついに木々に当たり爆散した。
「やったの?」
「いえ、まだです!!」
油断していなかったのは、魔法を使用していなかったリュカとケセラ・セラの二人。予期していたのだ。この程度で敵が死なないという事を。
考えていたのだ。立ち上っている煙の向こう側からの攻撃を。果たして、その攻撃はやはり彼女たちの元に届いた。
「ッ!」
「アレって!」
煙の中を突き抜けて現れた三本の触手。ソレが一直線にこちらに向けて放たれた。自分たちをリコのように貫くつもりか。そうはさせない。
リュカとケセラ・セラは四人の前に立ち刀に、そして鋭くとがった爪に魔力を込める。
「ハァ!!」
「ガル!」
そして、下から上へと振り上げた。瞬間、三本の触手の軌道は上へと逸れ、彼女たちに掠ることもなく背後へと飛んでいく。
だが油断はできない。もしも相手が触手を自由に動かすことが出来るのならば。
「後ろ! 気を付けてください!!」
そんなリュカの考えは当たっていた。
彼女たちの背後に回った触手は、突如として軌道を変えて再び彼女たちに襲い掛かったのだ。
だが、今度は不意打ちでもなんでもないから対処は可能。この中で一番飛びぬけて弱いと思われるクラクをリュカとケセラ・セラが守りながらも、攻撃してくる触手を五人は斬りつけながらいなしていく。
しかし、傷は一つもついていない。やはり、恐ろしく硬い触手、速さもどんどんと増していく。今の内は何とか対処することが出来ていても、近いうちに。
「クラク! 魔法を上に飛ばして! セイナさんたちを呼んで!!」
「は、はい!!!」
このままだとジリ貧になる。そう考えたリュカは、近くにいるであろうセイナたちに自分たちがいる場所を伝えるようにと後ろにいたクラクに言った。
クラクは、その言葉に従い魔法を上空に放つ。魔法の使用が得意ではないクラクであっても、信号弾くらいは飛ばせるのだ。
セイナたちが、これに気が付いてきてくれればいいのだが。
その時だ。ついに二人目の犠牲者が出てしまった。
「グァ……」
「ネクル!!」
ネクルは十分に戦っていた。迫る触手を次々と叩き落していく姿に、狂いはなかった。彼女は最後までその力を発揮していた。しかし、たとえどれだけ力を持って言おうとも敗北する時は来る。彼女にとってのソレが、今だったのだ。
相手が剣ではないためにこう表現するのは間違っているのかもしれないが、触手とつばぜり合いになっていたネクルは、ふと目の前の触手に無数の穴が開いているのを見た。この穴は一体何なのだ。そんな疑問が駆け巡る前に、ソレは正体を見せた。
針だ。それも、無数の、自分に迫ってくる針。咄嗟に避けることなんて、彼女にはできなかった。
ただひとつ幸運だったこと。それは、彼女が死の痛みを感じる時間がほんのわずかなことだったという事か。
マダンフィフ歴3170年 6月1日 1時17分
マハリ騎士団戦闘中枢部隊ラーラ小隊所属 ネクル 脳幹死 22歳
「嫌ぁ!!」
「そんな……」
また一人死人が出た。このことで恐慌状態に陥りそうになる仲間たちを見たリュカは、全滅という文字が頭の中に浮かび上がった。
「このままじゃ、本体を叩かないと!!」
「ガウ!!」
「リュカさん! ケセラ・セラちゃん!!」
その前に、敵を倒さなければならない。危険かもしれないが、しかしソレしか方法はなかった。
「ハァァァァ!!!」
もちろんただ一直線に行くわけじゃない。二人ともに森の中に左右の森の中に一度身を隠すと気配を消して近づいて行く。素早く、しかし冷静に、たどられないように。森の中で狩りをしていた二人には簡単なことであった。
そして、森の中で狩りをしていた《彼女》には、手に取るように分かった。
「「ハァァァァァ!!!」」
二人は、示し合わせたかのように一斉に飛び出した。刀を、爪を立ててその身体を、本体を斬るために。
これならいけるか。そう考えた二人だが、しかしそれが甘い目測であることをすぐに知ることになる。
「ッ!」
防がれた。触手か。いや、触手よりも細くて真っすぐ、それにやんわりと光を放つこれは、この武器は。
「剣!?」
「ッ!!」
怪物が、剣を使う。
というか、この剣どこかで見覚えがないだろうか。リュカは必死に思考を巡らせる。どこだ。どこで見た。毎日、そう毎日見たのだ。
この剣、この息遣い。それに、影になって見えるこの顔。
「嘘……」
「ッ!!」
彼女がその正体に思い当ろうとした瞬間だった。彼女の背後から三本の触手が姿を現した。いや、正確に言えば戻ってきたと言ってもいいのかもしれない。確かにその三つは、先ほどまで仲間たちを殺すために伸ばされていた物であるのだから。
いや、よく見るともう一本の触手がある。彼女は計四本の触手を持っていたのだ。あともう一本も交えて攻撃されていたらと思うと、ゾっとしてならない。
自分たちを背後から襲わなかったことに少し疑問に思ったが、ただ単に勢い余って自らの身体を傷つける恐れがあったからにすぎないのだろう。
とにかく、このままでは危ない。二人は、大きく飛びのくと背後にいた仲間たちの元に帰ってくる。
「大丈夫!?」
「うん、何とか飛びのいた……でも、今の剣……それに、あの顔……」
「え?」
「うッ……うぅ……」
その時だ。彼女が、女性がうめき声をあげ、頭を押さえながら近づいてくる。
ゆっくりと、ゆっくりと。五人は、襲ってきてもすぐに対処できるようにとそれぞれに武器を構える。
だが、その中でもリュカの嫌な予感は止まらない。
なんでだ。なんで彼女の顔を見た時に心の中がざわついた。彼女の顔は、完全に見えたわけじゃない。なのに、どうしてこんなに心臓が高鳴っている。何故こんなにも頭の中がソワソワする。
彼女の正体を知っているのか。いや待て。なんで自分はその怪物の事を彼女と呼称している。
顔もほとんど見ることが出来なかったことは先ほども言った。息遣いも、男女での区別がつくくらい特徴的な物ではない。
ソレなのに、なんで。
「ッ!」
その時、彼女は気が付いた。
気が付いた。
自分が戦っていた者の正体を。
何故、自分が彼女だと知っていたのかを。
知っていて当たり前じゃないか。
だって、自分と彼女は一週間ずっと一緒にいたのだから。何気ない仕草、彼女も気が付いていないような仕草でも気が付くのは当たり前じゃないか。
そう、彼女は。彼女の正体は。
「カナリア……さん?」




