第二十五話
私、リコが生まれたのは裕福とはとても言えない貧しい家であった。
毎日毎日が生きるのに必死で、特に体の弱かった自分を育てるために両親は死に物狂いで金銭を調達したそうだ。
しかし、無理をしたのが祟ったのか、両親はまだ私が幼い頃に亡くなり、それからは孤児院で暮らすことになった。
家にいた時よりも、孤児院で暮らす方がよっぽど楽な生活ができるようになったと思うのは、あまりにも皮肉で悲惨であるだろうか。
とにかく、そんな貧しい暮らしを経験した私は、自分の子や孫にも同じ苦しみを与えたくない。そんな一心で高給の兵士に志願した。
ダメで元々だ。身体の弱い自分が国を守る重要な役職である兵士になんてなれるはずがない。自分もそう思っていた。もし兵士になれなくても他にと給料のいい仕事はあった。とにかく、自分は二度とあんな生活に戻りたくない一心だった。
でも、ここで彼女も予想外のことが起こる。ある朝、投函されていた手紙を見た彼女はわが目を疑った。なんと、それは自分を兵士として雇用するという旨のことが書かれていたのだ。
まさか、本当に兵士になれるとは思わなかったリコは、その後孤児院と別れを告げて兵士としての仕事に就くことになった。それが、三年前の事。
兵士としての仕事は、とても辛い物だった。事件も何もない日であってもほとんど訓練に費やされ、休みの日なんてほとんどない。しかしそれに似合う給料がもらえる。そんな喜びの方が勝ってて、とても幸福感に包まれていた。
あぁ、私はこのために生きているのだという幸せ、どんどんと心が裕福になっていく気がした。
そんな物、ただの幻想であるというのに。
ある日、私は思いもよらぬものを見てしまった。
二年前の事だ。
新人だった私は、先の大戦にも参加することが出来ずに国の防衛の仕事をしていた。その中で、城の中にあった兵士たちの寮で住んでいた。
広いとは言えない部屋だったが、それでも自分の部屋を持てた、雨風もしのげる部屋に住むことが出来た喜びときたら、とてもじゃないが昔には考えられなかった物だった。
そして、私はその部屋の中にあったベッドでぐっすりと眠っていた。深夜の事だ。
ふと目が覚めた自分は、その後なかなか寝付けずにいた。だから、少し夜風に当たろうと思って寮の隣にある城の、自分が立ち入りすることのできる箇所を歩いていた。
トナガの城は、やはり兄妹だったのだろう。マハリの城と瓜二つで、違うところと言ったら、左右対称にあった二つの塔の内一つがないくらいだ。
そんな時、自分は見てしまった。薄暗い廊下の先に見えた、ドアからこぼれる光だった。
あの部屋は確か、兵士の中でも重要な役職の一つを持っているモルノアという人間の部屋だったはず。自分も一度や二度くらいしか見たことがない程の国の重要な戦略を任されている人間だったはずだ。
一体こんな夜更けにどうしたのだろう。と、そんな夜更けに起きている自分が言うようなことではないことを重々承知で、リコはその部屋の所まで向かった。
いけないことだとは分かっている。しかし、好奇心という物が抑えきれなかった。まだ十四という若い少女に、一度芽生えた好奇心という物を抑えるように言っても困難なことだったのだ。
ドアの隙間から部屋の中をのぞき見したリコは見た。モルノアが誰か、女性と話をしているところを。
何の話をしているのかは分からなかった。恐らく、時運たち以外の人間には聞かれたくない話をするときの魔法をかけているのだろ。
しかし二人が仲良さげに話しているのは分かる。親しい人間であるのだろか。光の加減でその顔は分からなかったがモルノアと話をしている女性は、笑っていたように思える。
誰なのだろう。その服装は見たこともない物。少なくともトナガの兵士に支給されているような物じゃない。アレは一体。
ギロリッ!!
リコは戦慄した。見ている。彼女は、自分の事を。いつから見られていたのかは分からない。しかし、いつの間にか彼女の顔は、自分の方を向き、何もかもを殺せるような目つきでこちらの方をにらんでいたのだ。
驚いたリコはすぐさま駆け出して、自分の寮の部屋に入っていった。
もちろん勝手にのぞき見していた自分も悪い。しかし、あの目つきは、確かに自分をいざとなったら殺そうと思っているかのような目つきだった。
怖かった、恐ろしかった。そんな言葉では表すことのできないほどの明確な殺意。あんなものを垂れ流すことのできる人間がいたなんて、思いもよらなかった。
とにかく、リコはその時のことを忘れるかのようにベッドに潜り、次の朝を迎える。
あの、自分の全てが一変した、あの日の朝を迎えたのだ。
明朝、自分に手渡された辞令。それは、とても兵士の仕事とは思えないような物。
何故突然自分が、そんな反論をする前に強制的に連れて行かれたのは、上司であった人間の部屋。
意味が分からない。困惑していた彼女はその上司の魔法で拘束されると、すぐにみぐるみをはがされ、拘束具を付けられた。
そう、自分に与えられた新たな仕事。それは、簡単に言えば上司たちの夜伽。
そんな物、兵士がするような物じゃない。そう反論する自分に言い放った上司の言葉。
忘れようがない。
自分は元々そのために兵士として雇ったのだという、あの言葉。
そう、元から自分は兵士としては期待されていなかったのだ。元より、彼らは自分の身体目当てだったのだ。確かに、自分は十四にしては魅力的な体つきをしているという自負はあった。けど、まさかそのたぐいまれな身体がこんなことを招くなんて、思いもよらなかった。
けど、それならなぜ一年前、自分が兵士となった時にこの辞令をださなかったのか。そんな疑問に対して上司は言った。
もう少し育て上げてから喰らおうと考えていたが、自分が見てはならない物を見てしまったから。らしい。
見てはならない物。それは、まさか昨晩のモルノアと誰かが話をしていたという事の事だろうか。
自分は何も聞いてない。話をしていた相手も光の陰になっててよく見えなかった。そう弁明しても上司は聞き入れてくれず、結果その日から文字通り地獄の日々が幕を開けた。
文字通り人間の、女の子の尊厳を踏みにじるかのような行為が何日も何日も続いた。
何日も、何日も、それこそ、日付の感覚がなくなるほど何日も、何日も。
上司たちに呼ばれない日は、地下深くの牢屋に閉じ込められ、両手両足に魔力封じの枷をはめられ、服も着ることも許されない、獣扱いのような毎日が続いた。
何日も、何日も、何日も、何日も。
そんな私には、仲間がいた。私と同じように上司の夜伽に利用されている女の子たち。中には、自分が孤児院にいた時に見知った女の子もいた。久しぶりの再会を喜ぶ暇なく、何故彼女もそこにいるのかと聞いた。その時初めて知った。自分がいた孤児院も、上司たちが夜の相手をさせる女の子を選出するために作ったとても下劣な建物だったという事を。
そんな、仲間たちとも励まし合いながら何日も経った。
何日も、何日も、何日も。
途中、仲間たちの中に狂いだす者が現れた。もう、こんな抑圧された生活は嫌だ。それならば、もう壊れちゃえばいいんだ。そう言って、とある女の子は嬉しそうに夜伽に向かった。
それ以来、その女の子は帰ってくることは無かった。
何日も、何日も、何日も。
辛い。こんな辛い思いをするくらいなら、自分もまた壊れちゃおうか。そうすれば、今よりずっと楽になる。壊れて、快楽に身を滅ぼして、上司のなすがままされるがままの自分になっちゃえばいい。
嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。こんな理不尽に負けちゃだめだ。
自分はもう一度這い上がる。もう一度、兵士としてなりあがる。最初は裕福な暮らしをすることが目的だった。子や孫に辛い人生を遅らせたくないという一心だった。
でも違う。本当は、自分は平凡な一日という物が欲しかったのだ。
普通に朝起きて、ご飯を食べて、仕事や趣味に没頭して、帰ってご飯を食べて、寝て、次の朝を迎えて。
そんな極々普通の毎日を暮らしたかっただけなのだ。裕福な暮らしというのは、なにもお金が有り余るほどの暮らしなのではない。貧乏な暮らしをすることになるという不安に駆られないで暮らすことのできる一日一日の事だったのだ。
そう、自分が気が付いても後の祭り。
結局は自分はお金につられただけなのだ。お金につられて、高い給料をもらえる仕事として選んだ仕事で、自分は再びあの時のような、いやあの時以下の暮らしを強いられることになった。
けど、これは罰なのかもしれない。
金という悪魔に魅入られた罰。人よりも裕福な生活を望んだ罪。だったら、耐えて見せよう。この生活に。それが罪の清算であるというのなら、自分はあえてその罰を甘んじて受け入れよう。
いつか、その心が壊れるその日まで。
何日も、何か月も、何年も。
いつも、いつも、いつも。
代り映えのしない地獄を、堪能しよう。
それが自分の―――。
≪助けに来たわよ。早く逃げて≫
救世主だった。
その日、私はある人に他の人たちともども助けられた。
牢屋のカギを開けてくれて、けたたましく鳴る鐘の音を背中に受けながら、自分たちは国の外を目指した。
走って、走って、走って、国の領土の外に向けて必死に駆け出した。
奇妙なことに、自分たちの事を追ってくる兵士はいなかった。きっと、自分たちを助けてくれた女性が何かをしてくれたのだろう。
でもなぜだろう。自分は彼女の顔に見覚えがあったのだ。自分は、あんな綺麗な女性に会ったこともないのに。
いや、でも見たことがある。どこかで、あれは、モルノアと話をしていた―――。
「ッ! ぁ……」
そうだ。思い出した。あれは、あの女性の正体は。
でも、何故だ。何故彼女がモルノアと話をしていた。何故、それが自分の陥った二年間の苦行に繋がる。
何故。何故。何故。
まさか、あの女性は。あの人は。私の命の恩人は。
「リ……!!」
「……コさ……!!」
遠くから声が聞こえる。
あぁ、そうだ。思い出した。自分は確か戦っていたのだ。
仲間たちからはぐれて、近くに敵がいるかもしれないと言って背中合わせになって。
それで。それで。
そう、自分は背中から刺された。いや、正確に言うと何かが自分の胸を貫いたのだ。
ヒドイ痛みだ。恐らく、もう自分は助からないだろう。そう悟ってしまうほどに、最悪な光景が目の前にあった。
自分の胸の前から伸びるツルのような太い物。恐らく、これが自分を背中から貫いたものの正体なのだろう。
前に飛び散った鮮血は自分の物。この表現もしようのない痛み、それに貫かれた場所から察するに心臓を貫かれた。
心臓を失った人間が生きていけるはずはない。自分は、間もなく死ぬ。そう、確実に。
「ゴボッ!」
どうやら、肺もやられたらしい。息がしづらく、だというのに血が肺から口の方にまで上がってきて苦しい。
なんという不幸なのだろうか。せっかく、助けられた恩返しにと騎士団で戦う決意をしたというのに。
あの時、捕らえられていた仲間たちや、孤児院の仲間ともども救い出されて、自分も誰かを助ける仕事をしたい。今度こそ、自分のためじゃなく誰かのために兵士になりたいと願って彼女たちの騎士団に入ったというのに。
まさか、そこに。
あんな人がいたなんて。
それに、あの時の二人の会話。アレは、もしかすると。
伝えなければ、このことを。彼女に。
マハリに着いてからできた初めての仲間、初めての友達にこのことを。
彼女とは、なんでも話すことが出来た。おしゃれの事とか、戦い方の事とか、色々と話すことが出来た。さすがに、自分が味わった二年間の地獄については話すことは無かったがしかし、それ以外のことについて話すと、とても共感してくれて、泣いてくれたりもした。
この子なら信頼できる。この子になら、私は負けてもしょうがないと言える。それほどまでに厚い信頼を置ける仲間。
伝えなくちゃ。彼女に。この騎士団の危機を。
伝えなければ。ならない。のに。
口が。うご、かない。
あたまが、はたらかない。
痛み、遠くに、なる。
手足が、うご、かない。
地面に彼女の身体が落ち、その胸から触手が抜けた瞬間であった。
マダンフィフ歴3170年 6月1日 1時14分
マハリ騎士団所属特殊工作部隊リィナ中隊所属中枢攻撃専門前衛部隊カナリア分隊所属 リコ 失血死 16歳
血の雨が降る中、少女は、あっけなくその命を散らしてしまったのだった。




