第二十二話
国の退去まであと一日となったその日の夜。国中の人々は、自らが生まれ育った土地からの別れを惜しんで誰一人として眠ることはできなかった。
ある人は、亡くなった祖先の霊に向けて祈りを捧げ先祖代々の土地を守れなかったことを詫びている。ある者は持っていく物と置いていく物の仕分けの最終作業。ある女性は、ほとんど何も知らない子供たちを寝かしつけると、夫と最後の晩餐を行っていた。
皆が、思い思いの夜を過ごす。そんな、とても大切で、二度と訪れることのない日常という物を惜しむ夜。そんな夜中でも、なお動いている者たちがいた。
「お~い、そっちはどうだ?」
「大量、大量。たった二年でここまで繁殖するとはな」
国に所属している兵士たちである。夜も遅い中、トナガのすぐ近くの切立った崖、その上にある森に入った三人の男性。
獣狩りをしているのだ。こんな時になんでそんなことをと疑問に思うのだが、無論遊んでいるわけではない。これにはわけがある。
明朝、マハリの国民は王様や志願して残る兵士、騎士を除いて国から脱出し、王妃の故郷である国に向けて出発する。しかし、その王妃の故郷である国にたどり着くまではおおよそ一週間から十日程。その日数を飲まず食わずで歩けるわけがない。
そこで、王は手の空いた兵士や騎士団の者達に食材となりうる獣の肉や野草、そして果物類の調達を頼んだのだ。さらには、ケセラ・セラの配下のロウたちもまたリュカからの指示を受けて別の山に向かって食料の調達のために走っている。
これで、食料の調達に関しては間に合うであろう。
それにしても、である。たった二年間この辺りの獣を狩っていなかっただけでこれだけ繁殖に成功してるとは思ってもみなかった。
国民が、獣を殺すことができなくなったことが理由ではあるのだが、それに反比例して森中の食料になりそうな果物や木の実を人間たちが収穫しているため、この二年間でそう言った食料を取りに来た国民が襲われなかったことは奇跡に近い物があるような気がしてくる。
「ところでどうすんだ? あの話」
と、ここで兵士の一人、クラマンが聞いた。
「あの話? あぁ、トナガが攻めてくるときの事か?」
「そうそう」
それは、一週間前のあの日。王から兵士や騎士団に出されたお触れの事。
前半部分は、国民に渡されたものと同じものだった。しかし、彼らに関してはまた別の項目が付け加えられたものが配られていたのだ。
「マハリに残って国を守るか、それとも国民と一緒に逃げるか、どちらか好きな方を選んでも構わない……って言われてもよ」
そう。王は彼らに対して自分たちの職を全うするための方法を二つ提示した。
一つがこのマハリに残って国を守るという道。
一つが、国民を守りながら別の国に行くという道。
だが、結果は目に見るよりも明らかだった。兵士の中の一人、マルタンの言葉がそれを顕著に表している。
「俺は逃げるぜ。命は惜しいしよ」
こんな、死ぬのが分かっている戦争に参戦するような馬鹿はいない。それが彼の持論だった。
全くと言っていいほどに正論である。この戦いは負け戦。だからこそ国民の大半が別の国に逃げ出すのだ。
こぞって残るようなのは王様くらいしかいないというのが多数の人間の感想である。
「たくっ、愛国心みたいなもんはねぇのかよ」
「あったら反乱に加担しているよ」
「そっちかよ」
とまで軽口を叩く二人の兵士。
もしも王様が彼ら兵士たちにも真実を告げていたのならばどうなっていたのかは分からない。だが、全ての責任は自分にあるということで法務大臣の事を隠し続けていたがために、王への国民からの憎悪は溜まりっぱなし。結果として、ほとんどの国民がこの時の兵士たちのように逃げ出す物ばかり。
このままだと本当に王様はたった一人でトナガの国と対峙しなければならなくなる。だが、それでも王様は国民たちに真実を話そうとしなかった。
王からしてみても、こんな自殺行為な戦に国民たちが進んで参加することは望んでいなかった。だから、一人でも多くの国民が逃げ切れるのであれば、こんなおいぼれの命、そして名誉などいらない。それが、彼の持論。
けど、その結果として人望の厚い優秀な一人の男が恨まれながらもこの世を去るという悲しい現実。
一人でもいい。彼のこの雄姿を、真実を覚えてくれるものがいるのならば、それだけでも私は嬉しい。
彼の魂が報われますように。そう祈ってならない。
「にしても、レニオの奴は何処まで行ったんだ?」
「あぁ、そろそろ戻ってきてもいい頃なのにな?」
と、二人の兵士は獣を追って山奥に消えていったもう一人の仲間の話題を出す。
一体どこまで行ったのだろうか。この山は、どこもかしこも同じ景色であり、一度迷ったらなかなか外に出ることが出来ないいわゆる迷いの森。
このままだと明日の朝の出発には間に合わなくなるぞ、そう軽く呟いたその時だった。
「ん?」
森の奥から、葉と歯がこすれる音が聞こえた。次の瞬間。
「うわぁ!」
「な、なんだこの怪物!?」
獣。いや違う。そんな生易しい物じゃない。アレは、あの姿は。
手に持った照明に照らされた姿。それは、とてもじゃないが普通の獣じゃない。
人間だ。
でも、ただの人間じゃない。
背中に、何かを背負っている。アレは、植物のツル。いや、それよりも太い。それにあの顔、女か。
それに、それに、それに。
「あ、あれは、レニオの!?」
足。それを認識した瞬間だった。
「う、うぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「ぎゃぁぁぁぁ!!!」
結局、最後に生き残るのは何事にも冷静な人間だけ。そして、どんな場合においても状況把握能力が高い人間。
彼らの最後を彩った景色が、あまりも雑把で要領のえない物であったことからも、遭遇した瞬間に冷静に対処することのできなくなっていた彼らにできることは、ただただ叫び、恐怖することだけ。そして、なんとか魔法を空に打ち上げること、ただそれだけに過ぎなかった。
恐慌状態に陥っていた彼らは、結局のところ自分たちを襲った怪物の正体を知ることもなくその生涯を終えてしまった。
いや、例え彼らが状況把握能力にたけていたとしても、結局は同じことだったのかもしれない。
彼らには余りにも荷が重すぎたのだ。その怪物の相手は、その怪物から逃げるのは、そして。
その怪物の正体を知るには。
彼らは未熟者だった。恐らく、彼らがリュカやセイナたちと共に他国にわたっていたとしても早いうちに死んでいたことであろう。
トナガ国侵攻前最後の夜の惨劇。それは、この三人の死から始まったのである。




