第二十一話
自分が、騎士団に世話になってから六日目。国民が国から退去するまであと一日となったこの日。
リュカは、多くの団員たちがいる中でセイナから直々に訓練を受けていた。
そこには、特訓初日にバテて倒れ伏していた少女の姿は何処にもない。
「フッ! ハァ!!」
あの模擬戦とは違い、ただ打ち込みを行うだけの軽い物。しかし、そんな軽い打ち込みですらも分かるほどにリュカの剣の技は天と地ほどの差があると思うくらいに進化していた。初日の物が、子供のチャンバラごっこであったかのように、その動きはとても鮮麗で、ある種の芸術品ともみまちがうほどになっていた。
まず、最初の初速が違う。四日前までは大雑把な動きでとてもじゃないが実践向きじゃなかったその動きにキレという物が出来ており、相手の懐に入る速さは、恐らく騎士団の中でも指折りにまでなっていた。
やはり、その主な原因は毎日の筋トレであろう。一切休むことなく行っていた筋肉への負担が、今彼女の身体を強固な物に作り上げていたのだ。
けど、リュカはとても不思議だった。前世の世界でこんな短期間に筋トレの効果が出ていたであろうか。恐らく、とてもじゃないがここまでには至らなかった。初日のように筋肉痛にずっと魘されて夜も眠れなかったはず。それなのに、筋肉の痛みは二日程で取れ、魔力封じの服の外からも見て分かるほどにその筋肉が発達している。龍才開花で回復したのならば分かるが、当然自分はこの五日間その魔法は使用していない。
筋肉が増強したこと自体は、自分が普通の人間とは違うからということで一応の納得は得たが、回復速度に関しては説明がつかない。一体何故なのか、セイナに聞いてみると、自分の体の中にある少量の魔力でも回復できるくらいに魔力の質が高まったのではないか、とのこと。
そんなことがあるのだろうか、とは思った。だが、その後会ったリュウガからも詳しい説明をしてもらってようやく理解することができた。
曰く、本来魔力には身体回復機能自体は備わっている物の、その効果は微小であり恩恵を受けれる者はそんなにいないそうだ。だが、魔力封じの服によって吸収された魔力が表面から身体全体にいきわたってその機能が増したとのこと。前世で筋肉痛の時に身体に貼っていた湿布薬のようなものと同じという事なのだろうか。
そう考えると、この服は罰則としても適しているが、治癒能力を上げる目的としても使用できるとても有用な服であるという事になる。いや、罰則として労働も課される可能性があるのならば、無限に回復して無限に労働をするという意味では十分な罰となるのかもしれないが。
「やるわね。まだ一週間も経ってないのに、ここまで動けるようになるなんて」
しかしセイナにとってはまだまだリュカの剣は赤子の手を捻るが如くに簡単に対処できる程。全く攻撃がその身体に当たらないし、当たる気配もない。どの攻撃も楽に受け流してお返しとばかりに攻撃をしてくるその姿は、もはやいい遊び道具を見つけたと言わんばかりに悪い笑みを浮かべていた。
「まぁ、あれだけの特訓をしましたから……」
そう、彼女がこの六日間でやった特訓は、何も模擬戦と筋トレだけではない。
リュカは思い出す。この六日間の間にやった様々な特訓を。
王様も交えての戦術、戦略の座学。毎日国の周りを十周なんて序の口。
狭い部屋で騎士団員十人程度の魔法攻撃から避ける特訓。
大体地下100メートルくらいの所に生き埋めにされて脱出する特訓。
リィナからは実戦でも使える房中術を学び、とある団員からは刀以外のさまざまにある武器の種類とその使い方を学び、その団員が新しく作った試作品の実験台にされたりと本当に色々なことをやらされた。
けどそれでもまだ軽い方だと思ってしまう自分がおかしいのか、リュウガの特訓が厳しすぎたというのか分からないが、とにかく運が良いことに(?)死の危険を感じるようなことが少なかったのはよかった。
一度だけ森での特訓の際に現れた五メートルくらいある熊のような獣の群れに遭遇して一匹と素手での死闘を繰り広げた時以外は、である。あの時はよく生きて帰れたものだと自分でも感心してしまう。因みにその獣はその夜の食卓に並んでご馳走となりました。
その時の団長はどうしていたって、素手で二十匹くらい倒してましたけどなにか。なお、カナリアは十匹、ついでについてきていた団員三名は五匹ずつくらいを素手で倒していた。
あんたら本当に人間か。
「ところでさっきの外周、何分で一周したの?」
「平均で四分ちょっとです」
訓練が一段落し、ひとっぷろを浴びたリュカたち。といっても、二人は服を着たままなのだが。
それにしてもこの服、ゴムのようにぴっちりとしているから、てっきり繊維と繊維の間に隙間が全くない物と思っていた。しかしお湯を浴びたらその服の中にまで入ってくる入ってくる。なんだか前世の水泳の時間に来ていた水着の中にシャワーの水を流し込んだ時のような感覚でゾワゾワと気持ちの悪い感覚を味わったが、しかし今ではもう慣れたものだ。
「その服を着てそれなら凄いわね。もしかしたら、騎士団の中でも指折りかもしれないわ」
確かに自分でも驚きだ。前にも話した通り、この国の外周は大体二.五キロ程度。そこを崖昇りも加えて平均四分で走ったのだから、確実に前世のマラソンの世界記録を超えている。彼女の言うように魔力を封じてこの速さであるのだから、自由に身体強化が出来るようになったら一体どれくらいの速さで走ることが出来るのか楽しみである。
しかし、彼女は騎士団の中で指折りという高評価を貰ったのだが、上には上がいるのだ。
「ありがとうございます。まぁ、ケセラ・セラは三分切ってましたけどでしたけど……」
そう、その時ケセラ・セラも一緒に走っていたのだが、なんと彼女はリュカよりずっと早く一周を走り切っていたのだ。それも、二十周中五週目あたりで疲れ始めて速度を落としていたリュカと違い、彼女はずっと同じ速度を保っていた。どちらが化け物であるかは一目瞭然である。
「ま、まぁあの子は元の身体能力も高いし……アハハ」
はいはい、私は運動音痴ですよ。と、前世の本当の運動音痴が聞いたら全力で抗議が成されるような発言を心の中でつぶやいたリュカは、ふとあることに気が付いた。
「ところで、今日カナリアさんはどうしたんですか?」
そう、いつもだったら真っ先に自分の事を出迎えて色々としごきを入れてくれるはずのカナリアがいないのだ。
別にソッチ系の趣味は持ち合わせていないはずなのだが、彼女がいないとなんだか張り合いがない。もはや彼女の存在は自分の日常の一つとなってしまっているのだ。だからこそ、カナリアがいないことにとても違和感を感じてしまう。
「あぁ、あの子なら今日は部屋にこもってるみたいね……どうやら、体調でも悪いみたい」
「風邪ですか?」
「どうかしら……大事には至らないと思うけど……」
明日にはこの国から出なければならないのに、そうセイナは言う。
そうだ。自分たちは明日にはこの国から退去しなければならない。修行の日にちが六日間であるという事は、明日でついに期限の一週間が訪れてしまうという事なのだ。何とも、長いようで短かったような気もする。
自分はこの六日間、なにもずっと城の中に缶詰めになったり、森の中で修行をしていたわけじゃない。時折城下町に出てエリスやクラクと女子話に花を咲かせ、また国に住む様々な人たちから話を聞いていたのだ。
そして、彼女は教えてもらった。この国でできた大切な思い出の数々を。この国の花屋で出会い、結婚した夫婦。二年前の大戦で息子夫婦を無くした老人。その大戦を含めて様々な事情で親がいなくなってしまって孤児院のような施設で暮らしている子供たち。そんな子供たちを見てエリスは言っていた。本来なら、自分もまたあそこにいたはずだったのだと。
そう、エリスもまた両親を二年前の大戦で亡くして天涯孤独の身になっていた。その時に、孤児院で暮らす話も出ていた。けど、両親が残した仕立て屋さんをそのままにしておくことがどうしてもできずに、例え苦労することが目に見えても一人だけであの仕立て屋さんに残ることを決めたのだ。
クラクが来てくれたのはほんの偶然。もしも彼女が来てくれなかったら、今でもたった一人で仕立て屋さんの前の道を掃除していたかもしれない。そう、エリスは語っていた。
そんな一人一人に大切な思い出のあるこの国と、永久の別れが訪れる。その辛さは、前世の自分を殺され、転生した自分以上のものだと思う。
自分はまだいい。死という明確な理由でもう元に戻ることはできないのだから。でも、この国の人たちにとっては戦争という身勝手極まりない理由で自分が愛した国から去らなければならないのだ。
そんなのひどすぎる。そう考えるたびに、リュカの心は痛み続けるのであった。
「リュカちゃん、いい?」
「あ、リコ。そっか、もうそんな時間なんだ」
その時、風呂の脱衣所に現れたのはカナリア分隊の仲間の一人であるリコである。思えば、彼女とも、いや彼女たちともこの一週間で随分と仲良くなった者だ。一緒に訓練で汗を流したり、浴槽に入ったり、寝るときも二段ベッドで寝ていたけど時折寝ぼけて一緒に寝るなんてこともあったりして。
ケセラ・セラがこの世界でできた妹分であるとするのならば、一番最初の友達はクラクだとして、彼女は二番目にできた大切なお友達。いや、エリスをお友達と含めると、リコは三番目なのかもしれない。
いいや、順位付けとかは友達には関係ない。彼女は自分にとって大切な友達の一人だし、今後も一緒に戦っていく大事な仲間の一人。それは決して変わることのない真実なのだ。
「ありがとう。それじゃ、団長私はこれで」
「そっか、今日はカナリア分隊と連携の確認をするんだ」
「はい。私とケセラ・セラもやっと他の人たちについていくことが出来るようになったので」
「分かったわ。それじゃ、また今夜ね」
「はい!」
そう言って、リュカはリコととともに脱衣所から離れて行った。
今夜、というのはこれまた特訓の一つである。簡単に言えば、ケセラ・セラと戦った時に自分が会得した視界をよくする魔法の特訓だ。まぁ、魔法はまだ使うのを禁止されているため、どちらかと言えば気配を探る訓練といったところか。
「うらやましいなリュカちゃん。朝から晩まで、団長、副団長に分隊長、果ては王様から指導してもらってて」
「それくらい、私が皆より劣っているってだけだから」
と謙遜するリュカ。だが、冷静に考えてみると確かに他の人間から見たらうらやましいと言わざるを得ない。というよりも指導してくれる先生の役職が豪華すぎる。そもそも前述した≪王様も交えての戦術、戦略の座学≫が序の口という時点で何かがおかしいのだ。それもこれも、皆が自分の天下統一を後押ししてくれているからと考えるのが普通なのだが、ソレにしたってあまりにも対応が丁寧すぎはしないだろうか。
というか、よくよく考えてみると。何故王様たちは自分のこんな欲望のために手を貸してくれるのだろう。これから自分が行おうとしていること、天下統一は身も蓋もないことを言ってしまえば世界征服という物に過ぎない。そんなことに、何故彼らは付き合ってくれるのだろう。まったくもって疑問が付かない。
「でも昨日の模擬戦だって、魔法の使えないリュカちゃんに私負けちゃったし……」
「それでもギリギリだったし。魔法が使えたからって、勝てるとは限らないから」
とりあえず、今のところリュカは同年代には大体勝利を収めることが出来るようになってきた。しかし、自分よりも大人の人たちには文字通り子供のように扱われて全然かないっこない。それほど弱い自分なのだから、団長や副団長たちが協力してくれることは嬉しいには嬉しい。
でも何だろう。この嫌な予感は。
まるで、道化師に操られている人形が突然操り人の意思に反する行動をし始めた時かのような、この恐怖感と違和感は。
何か大切なことを見落としている。いや、何かとんでもないことに巻き込まれようとしている。そんな予感だ。
できれば、この予感が外れていますように。そう願いながら、リュカは友達と共に長い廊下を歩いていく。
一緒に、笑いあいながら、歩を進めていくのであった。




