第十六話
入口から中に入ると、その中央部は三階まで突き抜けた大きな空間が広がっていた。それは、ギルム・リリィアンでもそうなっているため、多くの組織の造りとしてそれが普通なのだろう。
だが、普通では見れない者もたくさんあった。それが人間の死体だ。山ほどにある人間の死体は、まだ動くのではないかと思うぐらいに生々しくて、おそらく触れたらまだ暖かいのであろうと思う。
死に方もまた死体の数が多いだけあって様々で、やはり首のない死体を始めとして、身体の半分がない死体や、串刺しにされている死体、あまり損傷がないが目を見開いて死んでいる死体もあるがこれは恐らく魔法によって窒息死もしくは溺死させられた死体なのであろう。
カナリアのいた村では、獣を殺す際には一番は首を刎ねること、それができなかった場合は頭を潰したり放血したりして早くに仕留めることが常識だった。溺死や窒息しといった物は、獣を下手をすれば長時間苦しめることになってしまうため選びたくない部類に入るもの。それが念頭にあったからこそ、窒息死した遺体には少し同情をしてしまう。
「状況を報告して」
「はい。まず、私達の方は死者ゼロ、けが人は十三名いますがいずれも軽症です。ただ一人だけ腕を切断された子がいるらしく……」
「分かった。その子の所に案内して」
「承知しました」
「という事で、私は離れるけどその間、皆は根城の中を見回ってて。シム、お願いね」
「はい」
ティムは報告に来た女性と共に根城の奥へと入っていった。それにしても、これだけの戦いを繰り広げて死者が一人もいないというのは称賛に値するかもしれない。
正確には覚えていないが、確かこの作戦のために五十人か六十人の仲間たちが赴いてきたはずだ。その全員で根城に帰ることができるのだから、これ以上嬉しいことはない。
さて、見回っててと言われたもののどこをどう見ればいいのだろうか。とりあえず、カナリアは深呼吸することにした。それだけで満足なのだ。一回息を吸うごとに身体中にさびた鉄のような匂いが、血の匂いが充満していくように感じる。
今辺り中に流れている血と同じものが自分の体の中で駆け巡っているのだから、生き物の身体は不思議なものに感じる。心臓という臓器のポンプ作用で血が巡っているというのは授業で教えてもらったが、それでも目の前にある赤い液体が今まさに自分の体の中で色々な物質と共に旅をしているという感覚を掴むことはできない。
「お待たせ、それじゃ先に進もうか」
少ししてティムは戻ってきて、また根城の奥を目指して歩き始める。と、この時点で脱落者が出始める。
「す、すみません。外に出ていいですか?」
「うん、誰かこの子について行ってくれない? 他にも気持ちの悪くなった人がいたら言って」
どうやら、たくさんの死体と大量の血を見て気分が悪くなってしまったようだ。子供たちの内の何人かが外に出ていく。そして、それは根城の中をめぐっている最中にも一人、また一人と根城の外へと逃げ出していき、結局残ったのは自分とシム、それからセリンだけであった。
「カ、カナちゃんはほんと強いね……」
「え? そうかな……これぐらい普通だと思うけど……」
「普通じゃない。普通じゃないよ……」
そう言って、セリンは自分の袖を握りしめる。この時、本当は彼女も逃げ出したい気持ちでいっぱいだったのではないかと思う。だが、それでも逃げなかったのはおそらく自分のためだったのだろう。
このまま、自分一人にしてしまうとなんだか、自分を引き返せないところまで行かせてしまうような、そんな気持ちになっていたから止めようとしてくれていたのだろうと思う。
でもその時の自分には、ただやせ我慢しているだけにしか見えなかったのは自分が愚かだった。そんな優しい女の子の気持ちに気付いてあげられなくて。そんな中でも、ティムは女性の報告を受けていた。
「敵総数は今のところ178名中177名の死亡を確認。また、囚われていた女性たちですが、本日競売にかけられる予定だったと思われる女性が二十三人。内二十代が九名、十代が十一名、そしてそれ以下の子供が三名でした。それと……根城で暮らしていた女性が八名、いずれも十代で内二名が妊娠しています。聞き取りによると一人は五ヶ月、一人は臨月であるそうです。他の六名も妊娠している可能性は無きにしも非ずかと」
「そう。その二人には後で私の方から聞き取りに行くわ。本部に帰ったら、心のケアが必要ね……」
「そうですね……」
「あのティムさん」
「ん?」
この報告に疑問を持ったカナリアが話が切れたところを見計らってティムに聞いた。
「どうして、敵を一人残しているんですか?」
「いい質問ね。その一人は、これから行う儀式のための生贄になってもらうために残したの」
「生贄?」
「そう。シムが本当の意味で私たちの仲間になるための儀式……ね」
「……」
ティムはシムに向けて瞬きをするが、しかしシムは虚ろな目をして下を向いているだけでそれに何の反応も示さなかった。儀式とは、一体何をするというのだろうか。だが、生贄という言葉を使っている時点でカナリアには簡単にその儀式の結果、正確に言うとその残った男一人の運命についてが想像がついていた。
だが、どうしてそれが本当の意味でのティム達の仲間になるための儀式となってしまうのだろうか。その彼女の言い分から察するに、この組織の仲間たちは全員がその儀式を終えたという事が容易に想像することができるが、果たして一体何をしたら仲間として認められることになるのか、後々の自分にも行われることであろうからじっくり見なければならないと、カナリアは思っていた。
それからいくつかの血の池を超えた先に、ある一つの扉があった。この部屋の中でその儀式という物が行われるのだろうか。
「シム。いいわね」
「……はい」
シムは、一度深呼吸をしてから肯定する。そして、ティムが扉を叩くとゆっくりとその扉が開いていく。
中にいたのはギルム・リリィアンの隊員五名と、魔法によって縛られている男性一人だ。大きな机や本棚が置かれているその部屋は、おそらくその男の私室なのであろうか。ヒゲが生え放題で、眼帯をして奇妙な匂いをさせているその男はまさに汚らわしい男であると言ってもいい男だ。ティムの顔を見た男は突然吠え始める。
「貴様、こんな事をしてどうなるか分かっているのか!?」
「どうなるんでしょうね。何かやれるものならやって見なさいって」
「クッ! このことが本部に伝わって見ろ、お前たちなどすぐに!」
「さぁどうなるかしらねぇ、こんな末端の根城一つが潰れたくらいで貴方たちの言う本部というところはお怒りになるでしょうか?」
「グッ……」
ティムの、やや丁寧な言葉づかいも交えた挑発に男は何も言えなくなってしまう。ただの強がり一つも言えなくなった男は黙り込んでしまい、それ以上何も言葉を吐かなくなってしまった。そして、その様子をみたティムが言う。
「みんな、後ろに下がって。カナリアとセリンも」
「うん」
「シム、来なさい」
「はい……」
手招きをされたシムはゆっくりと足取り重く前へ出る。一方カナリア他のその他の面々は逆に後ろに下がり、壁を背にして立った。いよいよ儀式という物が始まるのだ。一体何をするのか楽しみである。
「それじゃ、これから儀式を……ギルム・リリィアン真の入団試験を開始する。シム、何をすればいいのか分かってるでしょう?」
「こ……この人を殺す……ですよね」
「そう。さっさとやっちゃいなさい」
その言葉にカナリアは拍子抜けする。なんだ、儀式と言ってもそれだけなのかと。もっと神秘的な何かを求めていたカナリアにはあまりにも現実的なもの過ぎてそれほど大したことではない物だった。
「ッ! や、やめろ! 殺さないでくれ! 何だってやる。だから!」
「あんたはそんなことを言った人達に何をした?」
「うッ……」
「ただ冷酷に、残酷にその人たちを一思いに殺したのでしょう? だったら、私達もただそれをするだけよ」
「己……」
「シム、早くして。こんな男の言葉なんてもうこれ以上聞きたくない」
「は、はい……」
シムは腰に差した剣をゆっくりと抜いて大きく振り上げた。
「いいわね、首を切り落とすの。簡単でしょ?」
「ッ……はい」
だが、それからが長かった。シムは剣を振り上げたきりで止まってしまい、少しも動かない。ただ振り下ろせばそれで終わりだというのに、何をしているのだろうか。
「ねぇ、どうしてシムさんは止まってるのかな?」
「……」
カナリアは何気ないように隣にいたセリンに言った。しかし、セリンは何も答えない。
「あのまま振り下ろせば、簡単に首なんて斬り落とせるのに……」
「……」
セリンは何にも答えない。
「セリン?」
「……」
何も答えない。答えられなかった。これから目の前で起こるであろう恐ろしいことに集中するために、そしてあまりにも残酷なほどにまで純粋なカナリアの言葉から逃れるかのように集中しているしか彼女が心の均等を保つ方法はなかったのだ。
「ッ……」
「……」
誰もが黙って彼女の一挙手一投足に注目する。しかし、全く動こうとしないのだからほとんど無駄な行為に過ぎないのは確かなのだ。天才の芸術家が作る彫像というものはこういった物なのだろうと思うのだが、しかしこれ以上はちょっと待たせすぎだと思う。ここまで待たせてしまうと、シム本人だけでなく殺す相手である男にまで負担をかけてしまうではないか。
この時点でカナリアの思考はどうかしていたと思われる。そもそもその男は自分の村を滅ぼした男たちの仲間なのだ。それなのに、どうしてその男に対して同情してしまうのか。だが、理由は簡単だった。その男が自分たちと同じ人間だったからだ。人間だから、彼女は平等に同情を送り、平等にその死という物を認識しようとしていたのだ。だからこそ、彼女は狂っているという認識が自分ではできなかった。
「……」
「た、頼む……」
「え?」
「頼む、殺してくれ。頼む、もうたくさんだ……殺してくれ」
ついに男の口から自分の死を懇願するような発言が効かれてしまった。ここまで来ると、殺す側としては失格である。生き物という物は、死ぬ直前まで生という物を諦めない物だ。それなのに相手に生きることを諦めさせるほどの恐怖を与えてしまうのは、殺す側として相手に敬意を払う物ではないため、カナリアは嫌悪感しかわいてこなかった。
その内シムは大粒の涙を流し始める。もうシムの考えが理解できない。どうして涙など流す。涙は親しい人が死んだときに流す物じゃないか。相手は名も知らない男、それも数多くの罪をその身に背負っているであろう男ではないか。なんでそのようなもの相手に泣かなければならないのだ。
―――あれ?そういえば自分は、父や母が死んだとき、泣いていたか?いや、泣いてない。どうしてだろう。しかし、確かに悲しかったのは事実だ。そう、悲しかったはずなのだ。しかし、今更ながらにどうして自分はあの時泣いていなかったのだろうか。いや、多分それぐらい自分の心が強くなったと言う証拠なのだ。父や母が死んでも悲しくないほどに心が強くなったという証なのだ。だから、自分は泣かなくて正解なのだ。そう、それでいいのだと自分に言い聞かせて、またシムの様子を見る。
「ごめんなさ、い……ごめんなさい……ごめんなさい」
謝る。何度も、何度も、何度も。何の意味があるというのだ。感謝することはあったとしても、謝罪を行う理由なんてないはずだ。謝るぐらいだったらさっさとすればいいのに。そうすれば、男は簡単に死ぬことができるのだ。ほら、さっさと、その剣を、振り下ろせ。そう、カナリアは言葉に出そうとした瞬間だった。
「ッ! ああぁぁあぁあぁあ!!!!」
「グボ!」
唐突に叫び出したシムは剣を男に向かって振り下ろした。剣は紛れもなく男の首筋を捉えた。しかし、カナリアは思う。それじゃダメだと。
―この先数分かけてシムは男を殺害した。だがその様はあまりにも無惨で、残酷な物であったためここに記すことはできないだろう―
「はぁ、はぁ……うぅ……」
シムは、床に女の子座りになる。その顔は、汗と涙と鼻水で見るに堪えないものとなっていた。そのようなものを流す権利はあなたにはない。そう言いたかったがしかし、先にティムが言う。
「時間かかりすぎよ。覚悟してたでしょ今回やるんだって」
「でも……初めてだったんですよ私。人を殺すの……」
「誰だって初めてはあるわよ。まぁ、次からは慣れ始めるわ、安心なさい」
「はい……」
その時、明らかにシムの身体は緊張感から解放された安心と脱力感によって弛緩していた。彼女の下から決壊したようにあふれ出したアレがその証拠だ。それほどまでに安心したのだろうか。初めて人間を殺せたことに。
「カ、カナちゃん……」
「え?」
「私も、腰……抜けちゃった。それに」
「あぁ……セリンも漏らしちゃったの?」
「うぅ、ひどい……」
数か月前に自分の村でやられたことに対する仕返しのようなものだ。腰を抜かした彼女の下腹部からは確かに、シムと同じようにやや黄色い液体が流れ始めている。じんわりと二人の尿が床に広がっている様子が見て取れ、そのシミが広がっていくのと同じように、シムとセリンの顔は赤く火照ってくる。
「確か、一階にシャワー室あったわよね。二人ともそこで洗ってきなさい」
「はい……」
「誰か、シムをお風呂場にまで連れてって。カナ、セリンをお願いね」
「はい」
カナリアは、セリンの肩をもって立ち上がる。シムもまた女性二人に両肩を持ってもらってようやく立ち上がった。その時のセリンの身体は小刻みに震えていて、汗もやはりかなりの量が出ているようだった。今にもその眼を閉じて気絶してしまうのではないかというほどに彼女は疲弊していた。別にただ見ていただけなのにどうしてそこまで疲れているのかよくわからない。カナリアは、お風呂場に着くまでの間にセリンに聞いた。
「ねぇ、どうしてそんなに疲れてるの?」
「……」
「別にセリンが儀式をやったわけじゃないのに、そんなに疲れてるなんておかしいよ」
しかし、セリンは表情一つもかえなかった。変えずに、ただ虚ろな目で床を見ているだけだった。だただ、お風呂場に到着した直後、唇をかみ切るかの如くに硬く閉じていた口をゆっくりとおもむろに開いて言った。
「カナちゃん……」
「?」
「……可哀そうだよカナちゃんが……」
「私が?」
相手の男がなかなか死ぬことができずにかわいそうだというのなら理解できるのだが、自分自身が可哀そうであると評価される理由が全く理解できない。自分は一人の人間として当たり前の感情を抱いているだけだというのに、何故それでここまで憐みの目を向けられているのか分からない。
すべてが終わり、ギルム・リリィアンの根城に帰っても、彼女が自分に向けた憐みの意味が理解できななかったカナリアは、その歪んだ死生観をを直すこともなくそのまま成長していき、ついに十六歳の春、初陣を迎えるのであった。
カナリア回想編、残りあと四話。




