第十五話
善は急げ、そんな言葉は彼女たちのためにあるのかもしれない。
彼女達が討伐の旅に出たのは次の日の事であった。ティムを隊長とした討伐隊は、三つの組に分かれてそれぞれに目的地へと向かう。あまりに人数が多すぎると、移動するだけで目立ってしまうから。森を抜け、草原を抜けて、それは子供であったカナリアたちにとってはかなり辛い旅路ではあったものの、これもまた修行の一部だと思いながら歩き続けた。
ある山に入った際、大人の10倍はあろうかという体格を持った獣に襲われたことがあった。カナリアのいた村の近くでも到底お目にかかることのでにないような大きさの獣だ。しかし、その獣の牙や爪が彼女たちに届くことはなく、大人たちによって一瞬の後に倒されたときは改めてこの組織の強さというものを思い知ったような気がする。
なお、獣は目的地に着くまでの食料になった。なにげなしに大好物である脳から食べたのだが、皆からは若干引かれてしまった。どうしてだろう、こんなに美味しいのに。
そうこうしている間に、彼女たちは朝早くに男達の根城にたどり着いた。どうやら他の組はまだ到着していないようだったため少しの間だけ待っていると、お昼時に一組、そして夕方を越えた頃にもう一組が到着した。誰一人として欠けず、また誰も怪我もしていなかったのは、もはや特筆する程ではない。
どれだけの距離を歩いていたのだろう。自分達の本部から運と遠くに来たのは確かだが、全く疲れは感じないし、足も痛くない。きっとこれが授業の成果という物なのだろう。知らないうちに筋肉も少しづつ増えてきたするし、重い荷物に関してもちょっと前と比べればかなり楽になってきた。と言っても、自分以外の子供達はみな疲れ果てていて、この場所に到着したときにはすぐに眠ってしまったが。
パフィが言うには、元々住んでいた環境から自分の足腰や体力は根底からひそかに鍛えられており、本格的に鍛え始めて自分の中に潜んでいた、戦士としての才能も一緒に開花したのではないかという事だ。とはいえ、まだまだ半人前なのは自分でもわかっている。
目の前に自分の村の仇がいるというのに何もできないのは悲しいものがある。しかし幼い自分が大男たち相手にかなわないのはよく分かっている。いや、そもそも腕力で子どもが男にかなうわけがない。その現実を知っているからこそ、自分は後方からティム達が戦う姿を見ることに徹することにした。
そして明朝、昨晩は根城からやや離れたところで野営を行い、誰もがまだ寝静まっている時間帯である日が昇る前に彼女達は動き始めた。
少しだけ根城に近づいたところで二組、表から突入する組と裏側から突入する組に分かれる。見ると、根城はかなり大きな物だ。村にいたころに住んでいた自分の家が三つか四つ分はありそうな大きさに、二階や三階まであって、中にはかなりの人数が入れるであろう事が見て取れる。と、ここでカナリアがティムに聞いた。
「ねぇ、魔法で一気に燃やすとかしないの?」
そうすれば、何の危険もなく終わるし、効率がいいはずだ。カナリアはそう考えていたがしかし、ティムが苦笑いをしながら言う。
「物騒なこと考えれるようになって偉いわね。大体の建物はね、魔法を無効化する素材を使ってたりするの。ふと見ただけじゃわからないんだけど、気が付かれるリス、あぁ危険性を考えたら、魔法は使わないっていう方が無難なの」
「へぇ……」
後から知ったことだが、どうやら建物の建築素材に対して魔法を無効化する魔法をかけることを生業としている業者がいるらしい。元々とある山でとれる石に魔法を封じる効果があって、その効果を木や鉄やレンガなどに移し、念入りに魔法が効かない建物にするのだとか。基本的にこれは城や大きな建物に使用されているらしく、自分達が寝泊まりしている組織の建物にも普通に使用されているらしい。
「それに、もし効いたとしても使わない……あの建物の中には、カナリアの村みたいにどこかの街や村から無理やり連れてこられた女の子たちがいるみたいだし……」
「あっ……」
ティムが言うには、どうやらあの建物にはどこかに連れ去られて来た女の子を閉じ込めておく牢屋があるそうだ。しかし正確な位置が分からないため、もしも魔法が効いたとしてもその場所を攻撃してしまうリスクがあって使えない。このギルム・リリィアンは、女性を守るという事を大きく主張している組織であるという事は、授業の中で良く言っていたことだったのでかなり鮮明に覚えている。これもまた、設立者であるソーシエの考えからであるらしいのだが、実はそれはそれでちょっと問題があるという事を授業に入る前に最初にカナリアはティムから教えてもらっていた。
確かに、女性は男性よりも弱い人種なのかもしれない。腕力や体力に関しては明らかに男性の方が一歩上を行っているからだ。しかし、だからと言って女性だけを助けるというものは差別に当たるかもしれないという事を自覚しているそうだ。
この世界には女性よりも劣ってしまっている男性だっている。子供に至っては男性と女性ほとんど違いがない。それなのに、年齢を問わずで女性ばかり守っているこの組織は、その理念だけで性差別の象徴としてちょっとした有名どころなのだ。
だが、ティムが言うには確かに女性を助けていることが多いのは確かだが、子供であったら男の子もまた女の子と同じように助けているし、大人であっても目の前で苦しんでいる人であったら助けているそうだ。助けた後の扱いに関しては多少の違いがあるのは確かだが、それでも世間が思っているほどに非道な組織などではない。それは、実際に暮らしているカナリアがそう思っているから誠の事なのである。
まるで遠い過去の思い出のようになっている数か月ほど前の事を思い出しながら、ついにカナリアたちは所定の位置にたどり着いた。
敵の根城のおよそ百mほど手前の位置、森の幹の影に隠れながらティム達は鉄で作られた扉を見る。随分頑丈そうなつくりだ。魔法無しにあの扉を壊すのは骨が折れるだろう。なお、カナリアを含めた子供たちは皆こちらの表側チームの最も後方にいた。そこでなら、多少抵抗があったとしても自分たちを守ることができるからだそうだ。
作戦開始時刻は日が顔を見せた瞬間。カナリアは胸の鼓動が抑えられない。いよいよ、人間相手の戦闘が始まるのだ。今までは獣相手の戦いや模擬戦ばかりしか見たことがなかったし、したことがなかったが、ついに目の当たりにすることになる人間同士の本当の殺し合いに、カナリアの心はワクワクして止まらなかった。
すべての時間がゆっくりと流れているように感じる。胸の鼓動も、先ほどまではかなり早く打っていたというのに今では止まってしまうのではないかというほどに鼓動の空白が大きくなる。風の音、木々の葉がこすれる音、そして鳥がどこかでさえずる音。普通の、この辺りに住んでいる者たちにとっては今も昨日と何も変わらない時間が流れているのだ。
夢にも思わない事だろう。この後、この地が戦場となることなり、多くの人間の血が流れることになるなんて。日常が、もう二度と戻ることは無いだなんて、あの時の自分と同じように誰一人として思っていなかっただろう。
頬から汗が垂れて地面に落ちる。地面に吸い込まれた。狩りでも経験したことがないような緊張感と高揚感に頭がおかしくなりそうだ。別に自分自身が戦いに行くわけでもないというのに、こんなに重い感情を持ってどうするのだ。そう思いながら、カナリアは一度深呼吸をする。
目をつぶり、息を大きく吸い込んだその時だった。日の光が見え始めたのは。ちょうどその光がカナリアに当たって眩しかったからよく覚えている。カナリアは手を使ってその光を遮って少しだけ自分のいる位置を変えた。そして、もう一度一番前にいるティムを見ようとした。しかし、そこにティムはいなかった。日が昇った瞬間にすでに作戦は開始されていたのだ。
ティムはもう自分達のすぐそばを離れて扉の横に壁を背にしてしゃがんでいた。なんと速いことだろう。恐らく魔力によって身体能力を向上させたのだろうが、あそこまで素早く行動ができるのは現状ティムだけだ。あのソーシエの孫であり、この組織の隊長を任されているのは伊達ではない。
ティムは、指先を自分たちの方にゆっくりと向ける。いや、少し手前か。そして、言葉をつぶやいたようだ。ここからだとそのつぶやきは聞こえなかったが、それでもそれが何だったのかはすぐにわかった。
彼女の指先から一つの光の弾が飛び出して、爆音とともに地面に小さなへこみを作り出した。これは火の魔法の応用である《爆》という魔法だ。その名前の通り、指定したところを爆撃する魔法で、これだけで普通の人間は即死する。
根城の中がにわかに騒がしくなる様子がこの場所からでもよく分かった。当然だろう。突然大きな爆音がしたのだから、これで寝ていられるような人間の方がおかしい。
「何だ! 一体誰の仕業だッ!!」
その言葉と共に重い扉を開けて一人の男が飛び出してきた。瞬間である。ティムはその男の首に剣を置くと、何のためらいもなく剣を引いた。男は悲鳴を上げる時間も与えられず、首の切れ間から噴出する自らの血を眺めながら絶命した。その様子を見たティムはカナリアたち、正確に言うとカナリアたちの前にいた仲間達に向かって叫んだ。
「突入!!」
勇猛果敢な剣士たちがその言葉を合図として森から姿を見せて敵の根城へと向かっていく。ティムは仲間達を待たずに一人で根城の中へと入っていった。このティムの言葉によって、後ろへと回っていたもう一つのチームも動き始めたはずだ。表と裏、逃げ場を失った男たちになすすべなんてない。
それから数分が経った。中でどのような戦いが繰り広げられているのか、外からはよくわからない。しかし、戦闘を行っている音はよく耳に通ってくる。爆音が鳴り響き、時に窓ガラスを割って男の死体が振ってくる。その遺体も千差万別で、恐らく火の魔法で黒焦げになった物や水の魔法で溺死したような者。はては、顔も腕も足もなくなった身体が落ちてきたり生首が飛んでくることもあった。どうやらかなりの激戦になっているようだが、安心できることもある。今のところ女性の死体は一つのないという事だ。恐らく、仲間達が圧倒してくれているのだ。
「すごい……」
「ね、ティムさん達凄いでしょ? もっと広いところだったこれだけじゃすまないんだから」
「うん……」
「まぁ……なんかやりすぎのような気もするけど……」
と、ティムがこの場に残してくれた護衛の少女の一人、確かシムという少女がそう言った。シムは十六歳になったばかりで、学校をつい先日卒業したばかりで今回が初陣だそうだ。だが、それならばこんなところでくすぶっていてはいけないのではないかとカナリアは思う。
「シムさん。これが初陣だって言ってましたよね。戦わなくていいんですか?」
「敵がこっちに逃げてこないとも限らないし、貴方達を守らないと……それに、隊長からここで待っててて、言われてるから」
「ここで? それって一体……」
「ギルム・ティムの伝統で、初陣では新人は後方に回ることになっているの」
首を傾けたカナリアは、再び根城の方にまた目を向ける。新人にとって、前線という物は危険だからという事なのだろうか。だったらいつまでたっても新人は戦う事には慣れないのではないか。実際に戦場で戦ってこその戦士ではないのか。カナリアには、ティムの真意がよくわからないでいた。
「ねぇ、カナちゃんは平気なの?」
後ろにいるセリンが、吐き気を抑えながらそう聞いた。しかしこれまたカナリアにとってはよくわからない事であった。
「え? 平気ってなにが?」
「だって……あんなに、人が……それに血がドバァって……」
「?」
そんなに珍しい物だろうか。自分にとってはさほど珍しくない光景だ。確かに丸焦げというのはなかなか見ない事だが、それでも料理を失敗した時にはたまにみる光景だ。血だって、獣の放血をする際によく見る光景であるから、彼女にとって気持ち悪くなる理由が全くないのだ。
「なんで、カナちゃんはなんともないみたいに……」
「なんでって……村にいた時に獣でよく見たことだから……」
「獣じゃないよ。人間じゃん……全然違うのに……」
「違うってなんで? 同じ生き物じゃん」
「カナちゃん……」
「?」
その時のセリンのまるで自分を憐れむかの眼、今となってはその理由は痛いほどによくわかっているが、しかし当時の自分には何故その表情をされるのかが理解できなかった。
この時のカナリアは、本当に人間の死と獣の死という物を同一視していたのだ。だから、例え見知らぬ人間が死のうとも、身近な人間が死のうとも、それは獣の死と同じものであるのだからカナリアは気持ちが悪くなることは無かった。
獣が死んでも悲しむか、殺しても悲しむか、否だ。だから、人間が死んだとしても悲しんではいけない。それは、自分達が殺し、そして喰らってきた獣たちにとって失礼にあたるのだから。そう思ってその年まで彼女は生きてきたのだ。カナリアが死という現実と、心中で感じる死の違いについて理解するのは、それからかなり先の事となってしまった。
戦闘が開始されて一時間ほどが経った頃だった。太陽が完全にその顔の全貌を見せた頃、徐々に喧騒は消えていき、静寂が戻ってきた。そして、根城の中から血まみれのティムが現れる。しかし、どこかケガをしているというわけではないようなので、全部返り血であるのだろう。その、まるで鬼人のような勇ましい姿は、カナリアの胸を撃つほど格好良かった。
「隊長……終わりましたか?」
「うん。今被害状況とかを探ってもらっている最中だから、儀式はその後ね」
「そうですか……」
「ティムさん。儀式って何ですか?」
「あぁ、言葉で説明するよりも実際に見たほうが早いことよ。どう、シム?」
「はい……覚悟はできてます」
シムはそう言うと腰に差している剣の柄を両手でしっかりと握る。その手は、どうやら震えているようだ。一体、儀式とは何をするのだろうか。カナリアは興味がわいてくる。
それからさらに十分程したころ、根城から一人の女性が現われ言う。
「隊長。準備が整いました」
「よし、それじゃ行こうか」
「は、はい!」
シム、カナリア他子供達もまた、ティムの後ろについて根城へと向かった。近づいていくと、改めて根城周囲の凄惨な状況が見て取れる。外でこのようになっているのだから、一体中はどれほどひどいことになっているのか。恐ろしさ一割、興味四割、そして残った五割については懐かしさだったのかもしれない。
これは、初めて村の狩りにつれて行ってもらった時と似た感情だった。自分の人生が大きく変わるんじゃないかというあの、少しモゾモゾしてしょうがない感情にそっくりだった。
回想編残りあと五話




