第十話
「うぅ、か、身体中が痛い……」
「大丈夫、リュカちゃん?」
「うん、ありがとうリコ……」
訓練が終了して解放されたリュカは、セイナによって騎士団の団員が宿舎にしている部屋へと案内された。そこには、三つの二段ベッドが並べられており、その内開いている一つのベッドに連れてこられ、というよりも背負われて来た。
訓練による筋トレで、彼女の身体は悲鳴を上げ、立ち上がることも、動くこともできなくなったのだ。因みに、そのベッドの二段目を使っているのは、昨日風呂場で出会ったリコである。リコは、セイナに運ばれてきたリュカの事が気になって、上から顔を出してベッドを覗いてくれたのだ。この世界において身を案じてくれる人が数少ないリュカにとっては、その声はとても優しかったのは確かだ。もはや彼女の声は、精神安定剤に近い代物である。
「というか、まずは服を脱いだらどうですか?」
「えぇ、汗の臭いがプンプンするわよ」
「えっと……あなたたちは?」
そう声をかけてきたのは、他にも二段ベッドを使用している少女達。年齢は、さほど自分とリコとも変わらなそうだ。
「私は、タリンよこっちはサレナ」
「よろしくね……ほらそっちにいる二人も名前言ったら?」
「うるさいわね、分かってるっての……」
「は、はい……」
そう言われて最後に残ったベッド、どうやら本を読んでいたこちらに高圧的な態度な少女、男勝りといってもいいのだろうか。それと、クラクのように気弱そうな少女が顔を見せた。
「あたしはレラ、よろしく」
「わ、私はミコです。よろしくお願いします」
「うん、よろしく。首が痛くて顔向けられなくてごめんね」
「それで、身体が痛いのは分かったから、後でお風呂に入ってきたら?」
「そうね、できなければ、私が拭いてあげてもいいわよ」
まだ会って十分もたっていない人間に対してその優しさ、自分も手を伸ばしたくなるが、無常なことにそれはできない。
「御免、実はこの服セイナ団長から自分が指示するまで絶対に脱ぐなって言われているの」
「え、なんで?」
「分かんない……」
セイナは、一週間したら脱いでも構わないとは言ってくれたが、逆に言えば一週間お風呂に入るなという事である。
うら若き花の女子高生の年齢の自分がお風呂に入らないなど、前世の記憶からしても考えられない。その時、読んでいた本を勢いよく閉じたレラが言った。
「どうやらその服は、この国では懲罰用に仕立てられた服みたいね」
「懲罰用?」
「えぇ、兵士もしくは騎士団員が命令違反した時にそれを着させて便所掃除させたり窓掃除させたりして反省させるらしいわ」
知らなかった。この服はただの服ではないと思っていたが、まさかそんなことのために使う服だったとは。確かにこれを着てこき使われたら、もう悪さなんてできないだろう。そういえば、セイナが懲罰名義でカナリアにこの服を着させていたが、あれが使い方としては正解だったのだろうか。というか、確かここにいるのは外部から来た人間ばかりのはずだが、どうしてこの少女はそんな事知っているのだろうか。
「ん? この本に国の歴史と概要についてに書いてた。一週間足らずで無くなるといってもこの国について知っといた方がいいと思ってね」
どうやら、彼女はとても勉強家であるようだ。もう滅びることが分かり切っている国であったとしても、その国があったという事を心にとどめておきたい、そう考えているのかもしれない。
「一週間か……せっかく、いい仕事場が見つかったと思ったのに」
「また行く当てもない旅に逆戻りかもしれないわね」
「すみません、私の故郷がこんな事しなければ……」
「私の故郷って?」
「リ、リコさんはトナガの生まれで、そこで軍人をやっていたんです」
「え、そうなの?」
「は、はい……今回の事も、リコさんの情報がきっかけで……」
「あぁ、例の……」
そういえば、元々トナガの軍から脱走してきた人間からの情報がきっかけだったという事を昨晩聞いていた。だが、それがリコだったのは知らなかった。
「ねぇ、もしかしてリコも間者なんじゃないの?」
「え?」
「そうね、もしかしたら偽物の情報をこの国に運んで、混乱させようとしているかもしれないわね」
「ちょ、ちょっと待って」
「なるほど、そう言う手もあるのか……」
「リュカさんまで~」
正直、この会話を大真面目に聞いていたリュカ。彼女自身は、リコが間者である可能性はないだろうと勝手に思っていた。しかし、その手もあったかと素直に納得したのは確かだ。
「まぁ、そんなことはないだろうけどな」
「は、はい……ほとんどの情報はリィナ副団長が実際に忍び込んで取ってきた情報ですし」
「そうだよ。まぁ、そもそも私が脱走できたのも……」
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「誰かしら? どうぞ」
レラが声をかけると、ゆっくりとドアが開かれる音が耳に聞こえる。実際にその姿を目にすることはできないがしかし、訓練によって感覚が敏感となったのか、なんとなくその正体がわかってしまった。
「あっ、カナリア隊長!」
正解だった。足音や息遣いからして、どう考えてもカナリア隊長―――隊長?
「隊長ってどういうこと?」
「あぁ、そういえば言ってなかったか……私は、この騎士団の中の一つの分隊長。任されているのさ。厳密にいえば、マハリ騎士団所属特殊任務工作部隊リィナ中隊所属中枢攻撃専門前衛部隊カナリア分隊ってね」
「そんな長い名称が……よく覚えていられますね」
「まぁね、あっそうそう……非公式だけれど、あんたとケセラ・セラの二人も一応この部隊所属だから」
「え、そうなんですか? というか、そんな話聞いてませんけど」
「あぁ、今言ったからね」
考えてみると騎士団と名前は変えられるてはいるが、いつの間にか軍属となっていたのだなと、まるで買い物途中に小さな石ころを見つけたぐらいの衝撃だった。
自分自身、もう少しドキドキするものだと思っていた。軍属という事は、いつかは自分もまたこの国のために人を殺さなければならないのだから。滅びることが決まっている国だからだろうか。それとも、人を殺すという事になれてしまっているのだろうか。いや、そんなはずない。何故なら自分は―――。
「そんな事よりもリュカ、ちょっと来な」
「え? あの、私は筋肉痛が……」
「言い訳は結構、しゃべる余裕があるのなら立てるだろ?」
「うぅ……」
彼女の言っていることももっともである。実は自分自身まだもう少しだけは動くことができると思っていた。しかし、もうこれ以上が動きたくないという事が本音だった。何よりも、一刻も早く寝たいという気持ちが上回っていた。しかし、相手はあのカナリアだ。駄々をこねたとしてもいつかは無理やりにでも起こされてしまうだろう。
「しょうがない、痛たたたた……」
リュカは、油の刺していないブリキのようにぎこちない動きをしながらゆっくりと立ち上がる。やはり体中がいたいのは変わりない。少し気を抜けば、倒れてもう起き上がることなどできないだろう。
「それじゃ、行ってくるね皆」
「うん、いってらっしゃいリュカちゃん」
「次にこの部屋に来るときには汗のにおい何とかしときなさい」
「は、はい……」
リュカは友達、仲間だろうか。どちらでも構わないがこの世界でできた大勢の同年代の友人からの見送りを受けながらその部屋を後にして、カナリアについて行く。
どのくらい歩いただろうか。二人は、階段を一つ昇った先にある大きなバルコニーへとたどり着く。そして、カナリアに促されて対面式に置かれた、背もたれが斜めっているロッキングチェアへと腰掛ける。座った瞬間、ロッキングチェアは自分の重さのために揺れ始める。
前世の時からも思っていたが、ロッキングチェアの揺れという物は心地の良いものだ。まるでまだ自分が母親のおなかの中にいた時の揺れをその身に浴びているようで、懐かしい気持ちになる。学校から帰ってきた自分はいつも家にあるロッキングチェアに座っていたが、それだけでも疲れた自身の筋肉や心が安らいでいくような感じがした。
今でも同じだ。一日の特訓に耐えきって緊張状態にある筋肉が、まるで硬く縛られた麺がほぐれていくかのように安らいでいく。いくら精神状態が変化しようとも、父親が龍であったとしても、自身のその身体の構造が変化していないという事の現れであった。
そういえば、父はどうしているのだろうか。今の今まで心に余裕がなかったために気にも止めていなかったが、今日一日父の姿を見ていなかった。どこに行ったのだろうか。それに、ケセラ・セラも。昼頃に一回会ったっきりとなってしまっているが、いま彼女はどこにいるというのだろうか。
「リュカ、落ち着いたか?」
「はい……なんとか……あの、一つ聞いていいですか?」
「なんだい?」
「はい、父とケセラ・セラ何ですけど、今どこにいますか?」
「……リュウガは、王様の所にいる。例の日になるまでそこで話し込むんだとさ。まぁ、王様にとってみてもリュウガの話は面白いんだと」
「へぇ……」
面白いのも当然だろう。なにせ、リュウガは自分が想像もできないほどに長い人生を、それも二度目の人生を送っているのだ。話題などいくらでも作れる。その前の人生だってそう、一般人である自分と違って彼は織田信長という平成の時代になってもまだ名の残っている武将だったのだ。もしかしたら今頃世の歴史オタクが唾を垂れ流すような貴重な話をしているのかもしれない。
「ケセラ・セラは、王妃様の所。こっちも例の日までそこで寝泊まりするらしい」
「王妃様? なんで?」
「さぁ」
こちらはちょっと不自然だ。ケセラ・セラはちょっと前まで森の中で過ごしていた野生児である。こういっては何だが、王様がリュウガと過ごすという事と同じような恩恵があるとは考えられない。
まさか、いや、ありえないはずだ。そんな偶然。リュカが、仮定の話を頭に浮かべた時だった。
「なぁ、リュカ」
「え? なんですか?」
「あんた……人、殺したことあるの?」
「え?」
その突拍子もないような突然の質問に、リュカの心は大いに高鳴った。無論、その言葉に返せる言葉は一つしかない。
「あるわけないじゃないですかそんなの。私、まだ十七ですよ?」
「そっか……」
その言葉を聞いたカナリアは、リュカから目をそらして空一面に広がる星空を見上げる。リュカは、真横からカナリアの優しそうな眼を見る。二日間ほぼ一緒にいるが、カナリアがそのような眼をできるなんて、正直驚いた。ギャップ萌えというのだろうかと、この世界にはないだろう言葉を心の中でつぶやくリュカに対して、カナリアは一度フッ、と笑う様に言った。
「私が最初に人を殺したのは、16歳の頃だった」
「え?」
「……突然だけどさ、私っていくつぐらいだと思う?」
「え? えっと……」
これはかなりの難問である。あまりにも若く言ってしまうとお世辞と言われてしまうし、かなり上の年齢を言ってしまうと失礼になってしまう。よく、男性が女性からこのような質問をされて困っている様子が見られるが、実際には同性から見ても年齢とはよくわからないものだ。カナリアはいくつぐらいなのだろうか。悩んでは見る者の、結局答えなど出ることはなかった。
「時間切れ、正解は28ね」
「え?」
「さて、その『え?』がどっちの『え?』なのか朝までじっくり話そうか?」
「ふ、深い意味はないです!」
「冗談だよ。私もまだまだ若いなって思っている」
だが確かにちょっと意外なのは確かだ。実際、二十代後半であると思っていたが、雰囲気的にもまだまだわかいのではないかとも思ってもいたから。28と言うと、もう30手前のアラサーという事になる。だが、そのような雰囲気は全く感じられず、前世で言うところの大学生のような雰囲気ももっていたから
彼女が疑問に思うのも無理はない。
「私の昔話に、付き合ってくれる?」
「昔話……ですか?」
「あぁ……まだ私の言葉遣いが丁寧だった頃の話さ」
「あっ……」
「あんた今、えっ自覚あったんだ、って反応したろ?」
「う゛……」
「まぁいい、とにかくあれは……」
そして、始まるのはカナリアの昔話。
とても自分には耐えきれそうにもない、苦くて悲しい、物語。
回想編は、十話で終わります。




