第六話
リュカはセイナの部屋を後にすると、昼頃に自分たちが忍び込んだ例の部屋のある塔。その反対側にある塔に存在する国王の寝室へと向かう。
先ほども感じたが、正直今日一日で前世の人生一回分の驚きと興奮を味わったように思う。それは、前世で自分が意味のない人生を送ってきたと言っているようなものであるということを、彼女は何となくだが気づいていた。
いや、意味のない人生というよりも平凡な人生なのか。それも違う。だって、自分は他者よりも波乱万丈な人生を妹と共に送ってきたと自負できるから。
とはいえ、前世と今世では世界観の下地がそもそも違っているため比較対象としてはそぐわないのだろう。もしも、自分が戦争が多発する国に生まれていたとするのならばともかく。
前置きはこのくらいにして、長い螺旋階段を昇った彼女はようやくその部屋へとたどり着いた。ドアは反対側の塔と同じ木製、多分叩いたらいい音が鳴るのだろう。
ふと、ドアを叩くために腕を上げたところで、急に緊張が彼女を襲った。自分はこれから一国の王と謁見するのだ。昼頃に一度対峙したが、あの時はアドレナリンが放出されている影響で興奮状態にあって、緊張するどころじゃなかった。しかし、いざここまで来てみると、事の重大さに脳が追い付き、心臓の鼓動が耳に聞こえるほど大きくなっているのが分かる。
前世の自分は極々普通の一般人。王様のような格式の高い人物どころか、街の市長にすらもあったこともない取るに足らない人物だった。そんな自分が、国王に会うなんて、前世の妹に言ったら苦笑されること間違いなしだ。
落ち着いて、王を不快にさせないように話さなければならない。リュカは深呼吸して二度ほど小さく跳ぶと、勇気を振り絞ってドアを叩いた。
『誰かね?』
中からは、恐らく王様の声。昼間とは比べ物にならないくらいの威圧感を持つ声色に、リュカは一瞬だけ慄きそうになるが、しかし持ち直して言った。
「夜分に恐れ入ります。リュカです」
『うむ、入りなさい』
「失礼します」
リュカは、ドアの取っ手を持つと、ゆっくりと開ける。そこにいたのはベッドの上で座っている王様と、それから、その横にある机の上にはずっと姿が見えなかったリュウガもいた。
「お父さん、どうしてここに?」
「少しロプロス王と話をしていてな。ドアの前に来てからしばらく動かんからどうしたかと思ったぞ」
「あぁうん、ちょっと……」
リュカは、そう返事をすると国王の目の前にまで来て言った。
「それで、私に用があるとか……」
「あぁそうだ。セイナ君から国から脱出するということを聞いたな?」
「はい」
国王は、そう言うと窓の外にある月を見た。月は満月から少しだけ欠けている形をしているが、それでも綺麗であることには変わりはなかった。
よく、異世界に行くと月の数が違ったり、色が違ったりという不可思議な現象を眼にすることがあると前世で見ていた小説やライトノベルにはあった。けど、この世界の月はたった一つ。ちょっとだけ大きさが前の世界よりも大きいことを除けば、ほとんど同じものであると言ってもいいだろう。
ソレを見て、彼は何か懐かしい記憶をたどっているかのように優しい表情となり、またリュカの顔を見て言った。
「リュカ君、君はヴァルキリーなのだそうだな……」
「え……はい」
きっとセイナが報告したのだ。
ヴァルキリーは、国に不幸を撒く者。いわば家に蔓延するカビのようなものだ。それが、国に入り込んでいるなどという情報を上に上げないわけがない。だから、リュカは根掘り葉掘りと聞かれる前に潔く自首をした。そして、聞く。
「それで、王様は私をどうするんですか?」
今度は、セイナの時のような失敗はしないように、あたかもヴァルキリーは自分一人であるという風に演じてみせる。せめて、彼女だけでも安全を確保したかったがセイナにはケセラ・セラもまたソレであると知られているので、結局知られるのも時間の問題ではあるので無駄な抵抗なのは変わりはないだろう。
国外への追放も覚悟の上のリュカではあったが、果たして、王様はただ首を振るだけであった。
「この国はいずれ滅びゆく定めだ。今更どうこうしようとも無駄なこと……私は君達には何もせんよ」
「そう、ですか」
リュカは安心したような、しかし滅びゆく定めと確信している王様の気持ちを考えると、心に寸胴が落ちたような感覚に陥った。
この国は、王様が先代の王様から、つまり自分の父から受け継いだ物。いや、先ほどの作戦会議の際の≪代々≫という言葉から察するに、かなり昔からこの国はあり、何代にも渡って受け継がれてきた歴史があるはず。それを自分の代でなかったことにしてしまうのだから、きっと悲痛な思いなのであろう。
「話は、それだけでしょうか?」
「いや……一週間後、私の愚弟がこの国に攻め入る当日の朝、騎士団や国民と一緒に逃げてもらいたい」
「その一週間という言葉が気になるのですが……何故今すぐに逃げるという選択ができないのか教えてくれませんか?」
「理由は二つある。一つは、この国の国民の心情を気遣ってのことだ」
「なるほど……」
逃げるために荷物をまとめる時間が必要であるということもあるが、やはり王の言う通り心理的に自分の中でけじめをつける時間が必要なのだろう。何年も暮らし、ここで生きるということが普通であり、日常であり、そして死んでいくはずだった人々が、産まれ育った土地を追われる。その精神的なストレスは、苦しみは、よそ者である自分には知り得ることのできないほどである。
民の事を一番に考える王様から考えると、普通であればこれが一番の理由になるはず、しかし王様は二つある理由の内、先にこちらの理由を持ち出してきた。民以上に重要なことなどあるのだろうか。
「そして、もう一つは、君に私のすべてを教える時間が必要だったのだ」
「え?」
「聞けば、君は父上殿から戦を学び、戦い方を学んだそうだな」
「は、はい……」
父から学んだこと、刀の使い方、戦の戦い方、他にもこの世界での生き残り方も色々学んだのは確かである。
自分自身、前世では頭がいいほうとは言えない方だった為大変苦労したものではあったが、五年間みっちりと身体に教え込まれてなんとか覚えることができた。
「しかしだ」
「え?」
「君が父上殿から教わったのは、基礎の中の基礎……それを応用するということはどうだ?」
「応用……」
確かに、自分は昼間にあったテストでも、頭の中の想像図だけで答えを書いて、あまりにも自分に都合のいい答えを引き出していた。それに、これと決めたら一つ、教えられたとおりの事しかできないという自分の性格もあるだろうが、あらゆる可能性を考えるということをしなかった結果があの答えだったのは間違いない。
もしもこれが本当の戦での場面であったとしたら多くの犠牲者を出していたかもしれない危険な作戦を立案していたことだろう。
リュカのつぶやきを聞いたリュウガが言う。
「そう、わしがお前に教えたのは全て基礎的なことばかりだ。そもそもわしの戦術は少し古めかしいものもあるからな。将来的に現代的な戦術を学ぶ際の邪魔にならないように土台のみを教えることにしたのだ」
「ど、土台だけであんなに……」
「本来ならばあれの四、五倍ほどあるものをあれだけに縮めたのだからな」
その言葉にリュカはどっと疲れが出てしまったかのように崩れ落ちる。あんなに苦労したのにそれでも四分の一以下だったのは、流石に衝撃であった。
古めかしいというのは当たり前だ。だってリュウガの前世である織田信長が生きていたのは、自分の感覚からすると約400年前のことだから。だが、それでも自分の中では彼の教えてくれた戦術の数々は、今の時代でも通用するものであると信じている。自分がそう確信したのだから、確実である。
そういえば、とそこで一つ彼女には疑問が浮かんだ。
「でも、どうして今なんですか? 指導なんて、逃げた後にでもできるのでは……」
「……生きていればな」
「え?」
「私は、この国に残る。そして、愚弟と決着をつける」
「え……」
「だから、君達と一緒に行くことはできない。あの男と心中してでも、私はあいつを殺さなければ……」
心中、死ぬ、そんな言葉に納得できるほどリュカは寛大でも、大人でもなかった。
「ちょっと待てください。何も死ぬことなんてないじゃないですか……生きてさえいれば、弟さんを倒すチャンスなんていくらでも……」
「いや、今でなければならないのだ。私の命の続くうちに……」
「老い先短いからって死を選ぶんですか! そんなの間違っています!」
受け入れられるはずがない。死と最も縁遠い人生を送ってきたリュカにその選択は受け入れがたい物。いやそれどころか、忌避し軽蔑するほどの選択だった。しかし、漢は言う。
「何も死に急ぐわけではない。この老体でできる事が何なのか、考えた結果の結論だ」
「それが死に急いでいるというんです! 国民を残して、勝手に一人で死のうとして、それが国王としての責任なのですか!」
「民にはセイナが……それから、妻も君たちについて行く。それにリュウガ殿がいれば、私など必要ない」
「そんなの! 必要のない人間なんていませんよ! 生きている限り、不必要な人が生まれるわけないんです!! 辛くても苦しくても……死ぬなんて選択は、一番やっちゃいけないんです」
「……君は、国を治められる人間ではないようだな」
「ッ!」
その言葉は、興奮するリュカを抑えるのに、そしてその心をえぐるのに最も適切な言葉だったと言えようか。
国どころか、天下統一を目指しているリュカにとっては、その言葉は屈辱的な言葉であることは間違いない。
「国を治めるには、自分の命を捨てる覚悟がいる……ということですか?」
リュカは、反論する。しかし、その言葉は先ほどよりも弱弱しかった。それに、その言葉は反論というよりむしろ、彼の、一つの国を治めてきた一人の漢を試してみたい。そんな好奇心から生まれた言葉であるように感じる。
「それは半分だ。正確には、命に執着を持つなということだ。自分の命にも、他人に命にも……そうでなければこの世界で生きていくことなどできない」
「……」
「シュベール、グランテッセ、ウェスカー……ハクレン、そしてケネル……私の過ちによって奪った多くの人間の可能性。そして、失ってしまうはずだった可能性。私は誰一人の命すら忘れてはおらん。忘れることなどできないからこそ、私はその命を背負って生きてきた。そして、いざとなったらこれからを生きる可能性のため人柱になると……そう、君ほどの歳にそう誓ったのだ」
「そんな昔から……」
「君の言っていることももっともだ。生きるということは、死ぬその寸前まで捨ててはならぬすべての生き物が持っている権利だ。だが、それを捨てるということも、人間が持っている何人にも侵されることのない権利だ。すまないな」
何を言ったとしても無駄だった。
ここまでの覚悟を持った大人を、平和な日常で生きてきた子供なんかがどうこうしようなんて、最初から無理な話だった。
ここまで自分が無力な存在だったとは、気づいてみればあっけないもの。だが、昔から自分はそうだった。
自分は無力だ。そして、自己中心的な人間だ。自分の考えを、この世界の人たちに押し付けようとするなんて、前世の常識をこの世界に持ってきてしまうなんて。
変わっているつもりだった。それが、この世界の常識なのだと受け入れているつもりだった。でも、それでもこと命の事に関しては、自分の過去が影響してしまうのかどうにも熱くなってしまう。
そんな権利、自分にありはしないのに。
この世界にはこの世界の生き方がある。
目の前の国王には、その世界で生きてきたからこその命の使い方がある。それを理解していない自分があれこれ言うなんて、間違った優しさなのかもしれない。
「優しさは、この世界に必要ではない存在なんですか? 非情にならないと、生きていけない世界なんですか? 綺麗事を言っちゃいけないんですか?」
「馬鹿を言うな……綺麗事のない世界など、有象無象が何の信念も持たずに生きる、空っぽの小瓶に過ぎない。君が変えるのだ」
「え?」
「何年かかろうと構わない。いや、もしかしたら叶わぬ願いなのかもしれない。しかし、綺麗事を追い求めることを諦めれば、君は君を失ってしまうだろう。だから、綺麗事を追うことを止めないでくれ。いつか、君が綺麗事を言っても笑われないそんな世界を作ってくれ」
その後、国王から戦術についての指南を受ける事と、後からやってきた団長からは、自分とケセラ・セラーあとおまけでクラクもーを騎士団の仮団員とし、対人戦を含めた様々な戦闘指南を受ける確約を受け取った。
国王とリュウガからは、自分に戦術指南をするということがどういう意味を持つのか、よく考えてもらいたいと言われたがしかし、その時の彼女にはそんな余裕なんてなかったと、後に語っている。
だが、少なくとも今の自分には、国王の言葉の重みを背負う覚悟など持ち合わせていなかった。
王のあの言葉。もし、自分が天下を取った暁にはこの世界の常識を自分の常識にしてくれという願いだったのかもしれない。しかし、思うのだ。
例え、前世の常識を自分がどれだけ美化しようとも、それをこの世界の常識にしてしまえば、それは単なる侵略行為に過ぎなくなる。前世の、日本という国による侵略行為に該当する。
あの国を、平和なあの国に侵略行為の片棒を担わせることはあってはならない。これは、自分一人の戦いなのだ。
愚かなる、転生者による、転生者のための、戦いなのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「どうしてこんな時に……まさか、あの子が……」
「そっか……私はあの子のための生贄ってこと……」
「そんなの、ゴメンだね」




